鍛冶屋の暑さ・前編
目を覚ますと、部屋の中は異常な暑さに包まれていた。全身にじっとりと汗をかいていて、肌着が体に張り付く感覚が不快だ。暑い季節とはいえ、今朝は特にひどい。もしかしたら、今年一番の暑さではないだろうか。
私は体を起こすと、我慢できずに着ていた肌着を脱ぎ去り、窓の外で軽く絞る。想像以上に寝汗をかいていたようで、指の間からぽたぽたと雫がこぼれた。
「このまま着替えるのもなんか嫌だねぇ」
そうつぶやいて部屋を出ると、家の奥にある洗い場へ向かう。脱いだ肌着を洗濯桶へ投げ込み、タイル張りの床の上で片手を頭上にかざすと、魔法でできるだけ冷たくした水を頭からかぶる。
一瞬ぶるりと体が震えるが、冷たい水が体を伝う感覚はとても心地いい。普通、洗い場というのは外にあるものだが、私の場合は魔法で水を出せるので、天候を気にせず使えるよう室内に排水口を設けてこんな部屋を作った。こういう日には水浴びもできてとても便利だ。
しばらく水浴びをして、やっと頭もすっきりしたところで体を拭き、いつもの黒い肌着に袖を通す。水浴びをしたことで、ようやく一息つけた。このあたりは比較的涼しい土地なので、ここまで暑いのは珍しいかもしれない。もしかしたら今日は、川や湖で遊ぶ人たちの姿が見られるだろうか。そんなことを考えながら洗い場を後にする。
いつものように前日のスープが残った鍋を抱え、工房の扉を開ける。工房はまだ炉に火を入れていないのに、すでに熱気に包まれていた。さすがにこの状態で炉に火を入れて、温めたスープを飲む気にはなれない。
炉の灰の中を見ると、前日に焼きなましのために差し込んでいた数本の包丁が見える。そういえば今日は焼入れと仕上げをするつもりだった。まずはヤスリがけからなので、火を起こすのは先送りにし、鍋を作業台に置いてスープを皿によそう。口に運ぶと、生ぬるい感覚がなんとも気持ち悪い。
「このまま食べるのはきついなぁ」
スープの入った皿に手をかざし、魔法でゆっくりと温度を下げていく。やりすぎると凍ってしまうので慎重に。程よいところで魔法を止め、もう一度スープを口に運ぶと、ひんやりとした感覚が喉を滑り落ちていく。
やはり暑い日は冷たいスープがありがたい。食べすぎるとお腹を壊しやすいので、あまり連日食べるわけにはいかないが、こんな日くらいは構わないだろう。
片方の手で風を起こし、涼みながらスープを飲んでいると工房の扉が叩かれ、少年が挨拶をしながら入ってくる。外はもっと暑いようで、少年はすでに額にびっしりと汗をにじませていた。
「親方、いくら暑いからってその格好はやめてください」
「こんなに暑い日くらいは見逃してよ。ちゃんと後で着替えるからさ」
木のカップに氷を入れ、水で満たして差し出すと、少年はしぶしぶそれを受け取って口をつけ、ほっと一息つく。よほど外は暑かったのだろう。片手を少年に向けて風を送ると、気持ちよさそうに目を閉じた。
「やっぱり魔法って便利ですね。でも、そんなに気軽に魔法を使って大丈夫なんですか?」
「魔力はそれなりに多い方だからね。この程度はなんともないよ」
「じゃあ、いっそ部屋中を涼しくしたりできないんですか?」
「できなくはないけれど、そこまでの規模になるとさすがに長くは続けられないかな。専用の魔導具でもあれば気軽に使えるかもしれないけれど、あれは高価だからねぇ」
王侯貴族に仕える侍従や使用人の中には、部屋を冷やしたり温めたりする魔導具を持つ者もいて、少ない魔力で部屋の温度を調整できるらしい。それなりに貴重な素材を使うようなので数も少ないし、普通の平民が手に入れられるものでもない。個人的にはぜひ手に入れたいが、こればかりはお金があれば買えるというものでもないので難しい。
「そういえば、他のお仕事をする人たちはどうやって暑さを凌ぐんですか?なにか参考にはならないんですか?」
「室内のお仕事だと、あまりやることは変わらないね。定期的に空気の入れ替えをしたり、水分を取ったり。ちなみに農家さんは、日が昇る前から働いて、昼に少し寝て、また夕方からお仕事したりもするらしいね」
「早起きすれば涼しそうですね!それなら鍛冶屋にもできるんじゃないですか?なんなら夜に仕事をしてもいいですよね?」
「私、朝は苦手なの。それに夜は基本的に仕事しないように決められているからね」
「そういえば、どうして夜にお仕事しちゃダメなんですか?」
「明かりに使う油やロウソクがもったいないというのもあるけれど、夜は寝ている人の方が多いからね。職人が大きな音を立てたら眠れないでしょ?特に鍛冶屋は音も大きいし火も使う。もし夜中に火事にでもなったら大変なことになっちゃうからね」
そう聞いて、少年は納得したように大きく頷いている。だが、その着眼点自体はなかなか鋭い。実際、鍛冶屋にとって火の色を確認しやすい夜は、仕事がしやすい時間でもある。もちろん、様々な人が暮らす街中でそんなことはできないけれど、もし山奥で一人で暮らす鍛冶屋でもいれば、そんな生活を送ったりしているかもしれない。
「暑いからといって好き勝手するのは、いろいろな人の迷惑になるんですね」
「そうだね。それに、もし何かあったとき助けてくれる兵士や冒険者は、こんな暑い日でも太陽の下で働いているからね。余計なお仕事を増やすのは申し訳ないよ」
そんな話をしながら、冷たいスープを口に運ぶ。こうやって少年が色々と尋ね、私が答えるのも久しぶりだ。まだ手伝いとしてここに通っていた頃を思い出して、なんだか嬉しくなってしまった。
朝食を終えてしっかり着替えると、少年と並んで作業台に向かう。作業台の上には、一晩ゆっくりと焼きなましを終えた包丁が並べてある。
「今日は包丁を研ぐんですよね?ヤスリで削るだけで切れるようになるんですか?」
「それでも切れないことはないけれど、このままだとまだ刃の部分の鋼は弱いからね。後から研ぎやすいように軽く整えて、焼入れをしてから砥石で研ぐんだよ」
「もう包丁の形をしているのに、やることはけっこう多いんですね。もう柄を付けたら完成だと思ってました」
「今日は仕上げまでやるから、順番に確認しながら一緒にやっていこうね」
包丁を作業台の万力に固定し、根元から丁寧に削っていく。鍋やフライパンと違って、この焼入れ前の削り作業は重要だ。雑な仕上がりになると、焼入れの段階で包丁が割れてダメになってしまう。
「左右が均等になるよう気をつけて、角度も一定になるようにね。まずは私がやるのを見ながら、ゆっくりやってみて」
「お鍋とは違うんですね。丸くするのではなくて、真っ直ぐ削る感じでしょうか」
そう言いながら、少年は恐る恐る包丁の刃先にヤスリを滑らせ始める。だが軟鉄製の鍋類と違って、刃先が鋼の包丁はそれでは削れない。しばらくしてそれに気づいたのか、少しずつ力を込めて削り始めた。
元々慎重で丁寧だったが、最近は大胆さも身についてきた。まだ力も弱いので、少し大胆にするくらいでちょうどいい。あとは成長しながら、少しずつ力加減を自然に身につけていけるだろう。
一本仕上げたところで少年の削った包丁を確認し、手直しをしながらどこがよくないのか説明する。それを聞いた少年は再び包丁を削り始めた。
繰り返し同じ作業をするうちに少しずつよくなってきているが、まだ完全に任せるには早そうだ。鍋類の縁と違って、刃先を真っ直ぐに削るのは思っている以上に難しい。
それからも並んで作業を続けているが、少年の表情に悔しさは見えない。弟子入りしたばかりの頃は、新しい作業につまずくたび嘆くようなこともあったが、最近は新しい技術を学ぶこと自体を楽しんでいるようだ。未来の自分に期待するようなその表情は、どこか誇らしそうにも見えた。
削り作業を終えると、意を決して炉の前に立つ。さすがにここからは、炉に火を入れずに作業はできない。
炉の中の灰をかき分けて火種の炭を露出させ、新しい炭を追加して風を送り込む。炭が熱を持ち始めると、室内の温度も少しずつ上がっていった。
「窓の鎧戸、閉めてくれる?」
「暑いのに閉めちゃっていいんですか?」
「薄い刃の焼入れは温度の見極めが難しいからね。もし暑いようなら、外で待っていてくれてもいいけれど」
「いえ。きちんと全部見たいです」
そう言って少年は鎧戸を閉めると、隣へやってきて真っ直ぐに炉の炭を見つめる。
その様子を見て、腰から引き抜いた手ぬぐいを少年の首にかけ、軽く頭を撫でる。それから先ほどヤスリで形を整えた包丁をトングではさみ、炭の中へ差し入れた。少年は首にかけた手ぬぐいで汗を拭いながら、その様子を真剣に見つめている。
「今日は白っぽい黄色になるまで待たないんですね」
「温度を上げすぎても失敗しちゃうからね。暗い赤色くらいを維持して、ゆっくり温度を上げるんだよ。さすがにこの色は、暗くしないと見分けるのが難しいんだよね」
私が炭と刃の色に集中し始めると、少年も黙って炉の中を見つめ始め、そこからは質問されることもなかった。
前かがみになって炉の中を覗き込んでいると、額にじわりと汗が浮き、首筋や胸元を伝っていくのがわかる。だが、汗を拭うことはできない。それくらいこの作業は重要だ。
しばらくして慎重に刃の色を見計らい、炭の中から引き抜くと、足元に置いた水を張った壺に差し入れる。激しく水が弾ける音とともに大量の水蒸気が立ち上り、室内の温度が一気に上がった。
私はそれを気にせず、炉の温度が下がる前に次の包丁を掴んで炭へ差し入れる。のんびりしていると炭も無駄になるし、何よりさっさと作業を終えてこの暑さから解放されたい。
それからも汗を拭う暇もなく、次々と焼入れ作業を進めていく。時折、少年が汗を拭う気配を感じるが、炉を離れることはない。最後まで炉の傍に立ち、作業する私の動きに集中しているようだった。




