井戸の修理
工房の炉で昨晩のスープの残りを温める。ここ数日は夜も寝苦しさを感じるようになり、朝から炉の前で火にあたるのも億劫になってきた。鍋から漂うトマトの甘酸っぱい香りにも、季節の変わり目を感じずにはいられない。
鍛冶屋にとってはかなり厳しい季節ではあるが、私の場合は冬に作り貯めた高価な商品を、春にまとめて川船で動く商隊に売ることにしているので、いつもなら比較的のんびりとした夏を過ごすことが多い。だが今年は弟子も取ったことだし、夏の工房に慣れさせる意味でも、それなりには仕事をこなす必要があるかもしれない。
少年が弟子入りしてから、二か月ほど過ぎただろうか。初めの頃はヤスリがけと錫を叩く練習しかさせていなかったが、最近は農具の修理依頼などで鉄を叩かせることも増えてきた。まだ最終的な仕上げは私の方でやっているが、使えればいい程度の修繕なら、それなりの仕上がりにはなってきている。ただ、ここは私のこだわりというか、性分というか、どのような道具でも手を抜きたくはないので、完璧に任せられるようになるにはまだ時間がかかる気がしている。
温めたスープを器によそってもそもそと食べ始める。ここ最近はこうやって少年への指導方針を考える時間も増えてきた。他の鍛冶工房と比べると、扱う商品も規模も違うので何をどこから教えるかが結構難しいのだが、改めて自分の工房と向き合う時間にもなっているので、これはこれでありがたい。そんなことを考えていると工房の外扉を叩く音と共に少年が入ってくる。
「おはようございます親方。ちょっとお話があるんですが」
「おはよ。なにかあったの?」
「シスターに頼まれたんですが、教会の井戸の調子が悪いらしくて見てほしいそうです」
「どんな感じって言ってた?」
「縄を巻き取るのが重たいとか、音が大きいとかそんなこと言ってました」
教会の鍛冶修理は以前依頼していた工房が数年前に引退してからお願いされるようになっている。冬の前に見た時は滑車の軸が結構すり減っていたが、まだ使えそうだったので歪みだけ調整したはずだ。
だが最後に交換したのはいつか分からないと言っていたし、見た限りかなりの年代物に見えたので、そろそろ替えどきかもしれない。それとも巻上げ機の方の不具合だろうか。どちらにせよ見に行く必要があるだろう。気候も暑くなってきているし、早めに直しておいてあげたい。
「じゃあ、これ食べたら早速行こうかな。荷車を裏から運んできて、出張修理用の道具を積んでおいてくれる?」
「わかりました。あとズボン履いてくださいね」
「暑いからまだ履いてなかっただけ……ごめんなさい、履きます」
工房の裏手に置いてある荷車を取るため、外扉を出ていく少年を見送る。一人の時は家での服装なんて気にかけたこともなかったが、孤児院できちんと教育されている少年の目には、私はかなりだらしなく映っているかもしれない。世の親方連中は、こういったことにも気をつけて威厳を保っているのだろうか。まぁ今のところ少年以外に弟子を取る予定もないし、そのあたりは追々考えていこう。私は少年のお小言を先送りにして、またもそもそとスープを口に運び始めた。
食事を終え、ちゃんと着替えて荷車に道具や材料を積み込む。すでに作ってあった滑車の軸と軸受け、割りピンを数本、それから念のため針金を一束。少年が積み込んでくれた道具も確認し、手持ちの工具をいくつか追加する。工房で道具を選んでいると、いつもの位置に少年の金槌が置かれたままなのが目に入る。
「君の道具も積んでおいてね」
「僕もなにかするんですか?」
「それは分からないけれど、鍛冶屋が仕事で外に出るのに道具を持たずに出るのはダメ」
少年は嬉しそうに頷くと、工房へ入り、愛用の金槌を握りしめて戻ってくる。最近は「君も鍛冶屋だ」といった類のことを言うと、目に見えて嬉しそうな表情をするようになった。それがなんだか微笑ましくて、つい意識して言うようになってしまっている。とはいえ伝えたこと自体は本心なので、今度道具を下げるベルトかカバンでも準備してあげてもいいかもしれない。
少年に荷車を押してもらいながら工房を後にする。日差しがそこまで強いというわけではないが、ここ数日、気温が上がってきているのを肌で感じる。街へ入り商店街を抜け、噴水広場を通り抜けると教会の尖塔が見えてくる。いつ見ても綺麗な建物だ。
教会の前を通り過ぎると孤児院が見えてくるが、正面の前庭には向かわず、脇道から裏手へ回り込む。孤児院の裏には小さな門があり、そこをくぐるとすぐに目当ての井戸があった。荷車を置くと少年にシスターを呼んできてくれるよう頼み、井戸の滑車を確認し始めた。蓋を外し、試しに釣瓶を落として引き上げてみる。
ギィ。
ギィ。
巻き上げ機のハンドルを回し、釣瓶を引き上げようとすると、滑車から金属の軋む音がして、ハンドルを回すにもかなり力が必要だった。この調子だと、冬の終わりにはもう調子が悪かったのではないだろうか。春先は何かと忙しいので声をかけるタイミングを失ったのか、それとも気を使ったのか。何にせよ、井戸は生活に直結する設備なので、少しでも不調を感じたらすぐに声をかけてほしいものだ。
「もう来てくださったんですか?急がなくてもよかったのですが」
振り返るとシスターが数人の子供たちに囲まれて現れる。少年より少し小柄な子が多いだろうか。人数こそそれほど多くはないが裏庭は一気に賑やかになる。
「今はよくても、井戸が壊れたら大変でしょ。こういうのは少しでもおかしいと思ったら、もっと早く言っていいんだからね?」
「春は何かとお仕事も立て込むかと思って、落ち着いてからと思っていたのです」
やはり気を使っている方だったようだ。この教会に所属する聖職者の数は決して多くはないし、彼女は新人なので、水汲みもまだ仕事のうちのはずだ。謙虚なことは美徳だが、無理をするのだけは控えてほしいものである。
「とりあえずばらして確認したいけどいい?水汲みが必要なら先にやっちゃっていいけど」
「朝の支度の後にも水汲みはしたので、夕方までは平気です。やはりどこか悪いのでしょうか」
「滑車は外してみないと分からないけれど、冬の前に見た時点で軸受けがけっこうすり減ってたから、そこは交換かな?あと巻き上げ機のハンドルも少し歪んでるね。釣瓶の金具もけっこう錆びてきてるから、こっちは桶ごと交換したほうがいいかもしれない」
井戸の蓋を戻して上に登ると、屋根に取り付けられた滑車の両脇に手を伸ばす。外した割りピンを蓋の上に置こうと、滑車から視線を離さず手を伸ばすと誰かの手に触れる。横目で確認すると、いつの間にか少年がそばに来ていた。
「荷車に麻袋があるから入れておいて。あと木箱に新しい割りピンと軸受け……筒の形をした金属があるから持ってきてくれる?」
そう伝えると少年は頷き、荷車へ移動する。こういう時は本当に弟子の存在をありがたく感じる。軸を引き抜き滑車を取り外し、部品を確認する。木製の本体は割れている部分もないし大丈夫だろう。軸受けはさすがに消耗が激しいので交換だ。軸の金属棒も、やはりすり減っていて、また歪みが出ている。
「シスター、ちょっといい?木製の滑車は大丈夫だけれど、軸受けはいつも通り交換ね。問題はこの軸部分なんだけど、結構すり減ってるし、前回より歪みが酷いみたい。私としては交換を勧めたいけど、どうする?」
「以前に聞いていたので、今回は軸の金具を交換するかもしれないとシスター長にも伝えてあります。判断はお任せしますので、必要ならお願いします」
「じゃあ交換しちゃうね」
私は取り外した古い軸を少年に渡し、代わりに新しい軸受けを受け取る。それから荷車に置いてある新しい軸の棒に、油を塗っておくようお願いする。滑車の軸受けを金槌とタガネで叩いて取り外し、新しい軸受けを滑車の穴に差し込もうとするが、少し大きめなのでそのままでは入らない。軽く滑車の穴の内側を炙って乾かし、少し広げたほうがいいだろう。指先に魔法で火を灯す。
「火が出た!」
「魔法かな?」
滑車の穴の内側を炙りながら横目で声のする方を見ると、子どもたちが楽しそうに声を上げている。好奇心に満ちた視線を向けては来るものの、距離を取って近づいてこようとはしない。ここの子供たちはお行儀が良いのでいつもこんな感じだ。私としても近づかれると危ないので大変助かる。
何度か内側を炙り、ぴったりと軸受けを差し込み、当て木をして両脇を潰して固定する。見計らっていたように少年が金属の軸を差し出してくるので受け取り、滑車を取り付けて軽く回して確認する。問題なさそうなので後ろ手に手を開くと、割りピンが乗せられる。割りピンを金槌で取り付け、井戸の蓋から降りると、縄を引いて具合を確かめる。滑車はスルスルと回り、無事に釣瓶が上下するようになった。
「次はハンドルだね。荷車から小さい金床と、灰の詰まった革袋を持ってきて」
そう少年に伝え、巻き上げ機からハンドルを取り外す。目の高さまで上げて確認すると、けっこう大きく歪んでしまっている。力を込める部分なのでこればかりは仕方ない。物はいいので、叩いて修正すれば問題なく使えるだろう。
「ねぇ親方。それ鉄ですよね?叩くだけで直るんですか?」
「けっこう歪んでるから、熱くしないと無理だろうね」
「でもここには炉も炭もないですよ?」
「少し離れてて」
不思議そうに首を傾げながら少年が離れたのを確認すると、魔法で指先にもう一度火を灯す。先ほどと違ってかなり大きな火柱が立ち上り、子供たちのいる方向から歓声と悲鳴のような声が上がる。悲鳴の主はシスターだろう。それを気にせず、指先に意識を集中させる。火柱はどんどん小さくなり、色も派手な赤色から、鋭い青白さへと変わっていく。
「それも火の魔法ですか?綺麗な色ですね」
「色は綺麗でも、赤い火よりかなり高温なんだよ。これで鉄を炙って叩けるでしょ?まぁ職人の知恵みたいなものだね」
私は片手に持ったハンドルの歪んだ部分に青白い火を当てて温め始める。歪みを調整するだけなのでそれほど高温にする必要もないのだが、問題はどう作業するかだ。普段であれば一度魔法を解いて金槌を握るのだが、この魔法は維持することより、一度消した火をまたこの温度まで上げる方が魔力を消耗する。
「このハンドルが歪んでるのは分かる?」
「けっこう開いちゃってますね」
「君ならどう叩く?」
「膨らんでいる方を上にして、金床の平らな所で叩きます」
「じゃあやってみようか」
少年は頷くと、荷車から自分の金槌を持って戻ってくる。普段から農具の修理で大まかな部分は任せているので、戸惑いはなさそうだ。ハンドルが鮮やかな赤色になってきたので、膨らんだ部分を上にして金床に据える。
キン。
キン。
少年が金槌を振る音が教会の裏庭に響く。最初は力強く。大きな歪みが減ると丁寧に。叩く位置もだいぶ感覚を掴んできたようで、少し嬉しくなる。最後は少年にハンドルを支えてもらい、私の方で細かい調整を行う。それからもう一度ハンドルを熱して、灰の中に突っ込む。これでこのまま放置しておけば、夕方には焼きなましが終わるだろう。
「ハンドルの差し方は分かる?ここにはめて割りピンを刺すだけなんだけど」
「できると思います。叩いて固定できればいいんですよね?」
「じゃあ今日は少し早めに上がっていいから、孤児院に帰る時に割りピンと金槌を持って帰ってね。夕方にはハンドルも冷えてるだろうから」
そう伝えると、道具の片付けは少年にお願いする。作業終了とこの後のことを話すためシスターに視線を向けると、こちらの様子に気がついて近づいてきてくれた。
「修理は一旦終わったよ。滑車回りの部品の交換とハンドルの調整ね。取り付けは夕方あの子にさせるから、そこで実際に使って確認してくれる?問題があったらまた明日来るからさ」
「ありがとうございました。よろしければ一緒にお昼でもいかがですか?たいしたおもてなしはできませんけど、そろそろいい時間ですし」
気がつけば子供たちの姿は見えなくなっていた。今頃お昼の準備をしてくれているのだろうか。せっかくのお誘いなので、ありがたく受けると返事をして、少年とともに孤児院へ向かう。空を見上げると、陽はすでに高く昇りきっていた。




