雨の日の訪問客
昼食を終えると、少年が食器を洗ってくれている間に、湯沸かし用の小さな銅鍋を暖炉にかけて湯を沸かす。戸棚をあさり、陶器製の茶器を取り出すと、壁にかけてあった小さな麻袋から茶葉をつまみ、ポットに移す。すぐに仕事に戻ってもよかったのだが、たまにはのんびりと過ごすのも悪くない。
洗い物と片付けを終えた少年を長椅子に座らせ、お茶を勧める。爽やかで少し甘い香りが鼻を抜ける。落ち着いた、優しい味わいのお茶だ。
「これ、孤児院で飲むお茶よりいい香りがしますね」
「孤児院ではどんなお茶を飲んでるの?」
「麦を炒ったものです。あれも香ばしくて僕は好きですよ」
「麦茶も美味しいよね。ちなみにこれは薬屋が趣味で作ってるものだよ。薬草とかベリーの葉なんかを乾燥させたものって言ってたかな?」
「趣味ですか?こんなに美味しいのに売らないんですね」
「たくさん作るのは大変だからねぇ」
そんな話をしていると、また雨が強くなる。先ほど少し弱まってきていたので止むのかと思っていたが、昼前よりも強く降り始める。遠くでまた雷も鳴っているので、しばらく降るかもしれない。そんなことを考えていると、家の扉を叩く音が響いた。
「お客さんですか?」
「わざわざこんな雨の中来るお客さんなんているかなぁ」
長椅子から立ち上がり、ドアの前に立つ。天気のこともあるので少し警戒し、扉の向こうに耳を澄ませようとしたところで、向こうから声が聞こえた。
「申し訳ないエルフ殿!少々雨宿りをさせていただけないでしょうか!」
聞き覚えのある声に扉を開けると、外套を着ていても分かるほどずぶ濡れの老騎士が、申し訳なさげな表情で立っていた。急いで部屋に入れ、扉を閉める。
「こんな雨の日に誰かと思えば。奥の部屋の引き出しに麻布があるから持ってきてくれる?」
少年にそう伝えて老騎士には暖炉の前の椅子を勧める。老騎士は外套を脱ぐと椅子に腰掛け、ほっと一息ついた。
「今日は北門で仕事をしていたのですよ。昼を食べ終えた頃に雨が弱まったので、今のうちに帰れるかと詰め所を出たのですが、急に雨が強くなりましてな。ここを通りかかったところ家の窓に明かりが見えたので、失礼かと思いましたが寄らせて頂きました。お邪魔でしたら申し訳ない」
「うちも今ちょうどのんびりしていたところだから気にしないで。お茶でも飲む?」
「何から何までありがとうございます。ではお茶を頂きましょうかな」
老騎士が少年から麻布を受け取り体を拭いているのを横目にお茶を淹れ直す。カップを持って暖炉の前へ戻ると、少年と老騎士がなにやら話していた。
「そうですか。では正式に弟子になれたのですね。おめでとうございます」
「ありがとうございます。まだできるお仕事は少ないですけど、毎日楽しいです!あ、楽しいっていうのは遊んでいるわけではなくて、できることが増えるのが楽しいというか……」
「分かりますよ。私も仕事を始めたばかりの頃は、毎日が新鮮で楽しいものでしたからなぁ」
少年は以前、老騎士に仕事と責任について話を聞かされていたので、少し緊張していたようだったが、老騎士も同じような経験をしていたと知って安心したのだろう。それからは楽しそうに弟子になってからの話を語り、老騎士は目元を細めながら、静かに少年の言葉へ耳を傾けていた。
お茶を飲み終わり、そろそろ仕事に戻ろうかと思う頃になっても雨は相変わらず激しく降り続いていた。特に急ぐ仕事もないという老騎士が、少し見学をさせてほしいと言うので、一緒に工房へ移動する。私は午前と同じようにフライパンを作るため、炉の前へ向かい、鉄をトングで掴んで炭に差し入れる。
「ねぇ親方。僕はヤスリがけしたほうがいいですか?」
「まだ数も少ないし、仕上げは明日まとめてでもいいよ。錫に飽きたらそっちでもいいけど、どうしたい?」
「親方がこれからまた鉄を叩くなら錫がいいです。もう少し見ていたいので」
午前中の様子を見ても、何かを掴み始めているように思えた。私は笑って頷き返すと炉の温度を上げ始める。しばらく炉の中を見つめていると少年が錫を叩く音が響き始める。リズム的に午前中の私の動きを思い返しているのだろう。なかなかいいリズムで叩けている。あとは叩く瞬間に、もう少し力を乗せられればいいのだろうが、こればかりは慣れも必要かもしれない。
「少しよろしいですかな」
老騎士に声をかけられたと思い視線を向けると、少年の金槌を受け取っているところだった。柄を数度握り、少年の手を取って握り方を確かめている。
「ふむ。少し柄が太いかもしれませんな。それに指をかける位置を少しへこませれば力を込めやすくなるかもしれません。よろしければナイフの使い方を教えましょうか」
少年に語りかけながら、老騎士がこちらに視線だけ向ける。それに気づいた少年も私を見つめてくる。目の色には期待が込められているようだ。私も木工の心得はあるが、刃物を扱う専門家ではないし、せっかくの申し出を断るのはもったいない。
「いい機会だし教えてもらうといいよ。私は刃物を作るのは得意でも、扱うのは素人とそれほど変わらないからね」
少年は嬉しそうに頷くと、壁にかけてあった自分のナイフを手に取り、老騎士の横に腰を下ろした。老騎士も腰からナイフを抜くと、握り方から丁寧に教え始める。その様子を確認し、私も自分の仕事に戻ることにする。
「細かい作業をする時は柄を深く握って。そうです。それで親指をこのように刃の背に当てると力を調整しやすいですよ」
「こうですか?」
「そうそう。それで少し削ってみましょうか。一気にやらなくて大丈夫です。薄く削るようにやってみましょう」
以前、木の皮を剥いでいた時の薬屋との違いに少し口角が上がってしまう。教える者が違うだけで、こうも雰囲気が変わるものだろうか。あの時は私も包丁の刃を研ぐ作業だったので横目で確認できたが、今回は鉄を叩いているので目をかけてやれない。正直、かなり安心できる。
老騎士の説明する声を合間に聞きつつ鉄を叩く。しばらくすると、少年が錫を叩く音が聞こえ始める。先ほどより少しだけだが、確実に力強くなっている。やはり柄の太さが合っていなかったようだ。自分の道具であれば細かい調整も問題なくできるが、他人の、それも子供の扱う道具の調整はなかなかに難しい。これは急な雨に感謝しなければならないかもしれないな。
作業を続け、また一枚フライパンができあがる頃には、雨もだいぶ弱まってきていた。帰り道も同じらしく、老騎士が少年を送ると申し出てくれたので、少年の頭に羊毛で編まれた布をかぶせて送り出す。私の革の外套だと引きずってしまうし、この程度の雨ならあれで十分だろう。
二人の背中を見送り、工房の扉を閉める。炉の炭に灰をかぶせて火を落とし、少年が叩いていた板状になった錫を手に取る。まだ厚さもまばらで荒いが、叩いた跡を見れば、闇雲に叩いているわけではないのがよく分かる。少しずつだが、確実に成長しているのが分かる。なんだか自分のことのように嬉しかった。
日が沈み、暖炉で昼のスープを温め直し、遅めの夕飯をとる。書き物をしていたらすっかり遅くなってしまった。長椅子に腰掛け、スープを口に運ぶと、自然と笑みがこぼれる。まださほど時間は経っていないし、だしも染みて昼より美味しくなっていてもおかしくないのだが、不思議とあの時ほどの気持ちにはならない。どうやら食事というのは何を食べるかより、誰と食べるかのほうが重要だったようだ。
旅をしていた頃はこんなことを考えることも少なかったが、少年がここに住み込むようになれば、あの昼食のような気持ちを何度も感じられるようになるのだろうか。そんなことを考えながら、それでもいつもより少しだけ味わい深いスープの器を両手で包み、背もたれに体を預けていた。




