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第7話 お兄ちゃんの鮮やかな逃亡

「とにかく、徹兄さんは私が連れて帰ります。エリー、あなたのような不仲な家族に、お兄さんを引き渡すわけにはいきませんわ」


 佳乃が日傘をパサリと閉じ、鋭い視線で私を威嚇する。いつものおっとりしたタレ目が、今は獲物を狙う雌狐そのものだった。


「何が不仲な家族よ! あんたのパパこそ、お兄ちゃんのことを露骨に嫌ってるじゃない! お兄ちゃん、佳乃に付いていっちゃダメ! あいつの家に行ったら、都合のいい操り人形にされるだけなんだから!」


「あら、人聞きが悪いですわね。私はただ、徹兄さんへの純粋な愛のままに……」


「愛!? どの口がそんなことを言うのよ!」


 私と佳乃はテントの前で、掴み合わんばかりのキャットファイトを始めた。「エリーのわからず屋!」「佳乃の泥棒狐!」と、山中に女子高生の罵声が響き渡る。


「……あのさ、二人とも」


 炭に火を熾し終えた徹が、ゆっくり立ち上がって私たちの間に割って入った。


「ぼくを巡って争ってくれるのは光栄だけど、ぼくはどっちの家にも帰るつもりはないよ。ここでのんびり読書でもして、夏休みを過ごすって決めてるんだ。悪いけど、二人ともお引き取り願えるかな」


「そんなのダメよ!」


 私と佳乃の声が綺麗にハモった。


「おじい様が激怒して、本家が大変なことになってるの! お兄ちゃんが帰らないと、みんな破産しちゃうんだから!」


「そうよ、お兄さん。おじい様の後継者は兄さんしかいないんですのよ」


 私たちが必死に詰め寄ると、徹は「ふーん」と、まるで他人事のように頷いた。


「おじいさんが怒ってるのは知ってる。でも、ぼくには関係ないよ。……あ、そうだ。管理人さんに、近くの美味しい湧き水の場所を聞いたんだ。ちょっと汲んでくるから、ここで待ってて」


 兄はそう言うと、ポリタンクを手に、ひょいひょいと川の上流の方へ歩いていってしまった。


「あ、待ってよお兄ちゃん!」


「徹兄さん!」


 私たちはしばらくテントの前で待っていた。五分、十分……。しかし、兄は一向に戻ってこない。


「……遅くない?」


 不審に思った私がテントの中を覗き込んだ瞬間、凍りついた。テントの中は綺麗さっぱり空っぽだった。リュックも、携帯も、着替えも、何一つ残っていない。


「嘘……荷物がない!?」


 佳乃が血相を変えて受付の管理人のところへ走る。私も慌てて後を追った。


「管理人さん! 徹お兄ちゃんは!?」


「え? 徹くんならさっき、『妹たちがうるさいから別のキャンプ場に移動するよ』って言って、裏道からタクシーを呼んで出ていったよ。君たちが揉めてる隙に、別のテントを慌てて畳んで運んでいたけど……知らなかったのかい?」


 管理人さんはのんびりとタバコを吹かしながら言った。


「あの嘘つき秀才のタコ助ぇぇぇ!!」


 私は山に向かって絶叫した。今思えば、湧き水なんて見え透いた嘘だった。私たちは完璧に煙に巻かれ、鮮やかに逃げられてしまったのだった。


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