第九話 乙守島【一日目】「旨い物食わす人に油断すな」
「よくぞ、こんな辺鄙な島へお越しくださりました。私は『絹』と申します。『なきり』一族二十九代目当主様の代理をしております。どうぞ、お見知りおきを」
立ち止まっていた僕たちに近づいてきた初老の女性。髪はすべて後ろできつく団子に結われており、伸びた背筋や佇まいからも風格が伺えた。丁寧な口調に、表情は乏しいけれど優しい顔つきも好印象を抱く。
それに、上品な着物を纏っている。服の違いからも周りでこちらを見物している島民たちとの位の違いが見て取れた。後ろで控えているお付きの人らしき御仁たちも、絹さんほど上等なものではないけれど着物を纏っていた。
「案内ご苦労様でした、狭霧」
「いえ」
狭霧さんは絹さんに丁寧に頭を下げると、僕たちにも頭を下げる。
「では、こちらへどうぞ」
絹さんの後ろに控えていた女性が言い、僕たちは促されるまま歩く。
ついて行っていいものだろうか。はじめは丁寧に扱い、人気がなくなった途端態度が急変するというのは物語の定番中の定番だからね。
まっすぐ伸びる道を歩いて居住区を抜けると、右手に大きめな井戸、左手に広場が見えてきた。広場ではこどもたちが元気に走り回っており、井戸周辺には複数の女性が集い談笑をしていた。あれが所謂井戸端会議ですか。
つと足が止まる。僕はやおら目を奪われていた。井戸の先に広がる眺めに――。
「……奇麗」
この時ほど自分の語彙力を哀れに思ったことはない。どうして、そんな月並みな言葉しか言えないんだ、僕は。
手前に見えますは『葉桜』。日本人にとってなじみ深い木。今は散ってしまっているけれど、春には美しい桜を満開に咲かせていたことだろう。
お次は、桜の木陰に隠れるように顔を覗かせた低木。名も知らないそれに、妙にしおらしさを覚えてしまっている。
その隣には、今まさに旬を迎え爛々としている、前二項の中間ほどの高さの木。ビビットピンクの華やかな花からは微かに甘い香りが漂っていた。
それから『楓』。幼子の手のような瑞々しい青葉はこれから真っ赤に色づきそして散っていくのだろう。語源は「カエルの手」に似ていることから「蝦手」が転じて「カエデ」になったらしい。
殿を務めますは『梅』。黄色とオレンジが混ざり合った梅の実が自身の収穫を今か今かと待っているようだ。麦わら帽子を目深にかぶり割烹着を身に着けた御仁が、小ぶりな籠を片手に収穫をしている姿が見えた。寒くなってきたころ、この梅は赤と白どちらの色の花を咲かせるのだろう。
五つの種の木々の背後には花壇もあり、多種多様な花たちが咲いていた。ここでの主役はあの木たち。しかし、この花壇たちは脇役では収まっていない。梅の収穫をしている御仁か、別の誰かなのかはわかり兼ねるけれど、花たちにも同等の愛情が注がれていることは素人目にも伝わってきた。
「いかがなされましたか?」
不意にかけられた声。案内役の女性だ。
足を止めさせてしまった。申し訳ない。謝罪を込めて頭を下げると数メール離れてしまった集団の最後尾に付く。
「あの、そちらの方も……」
しかし、女性は依然困った顔で呟いた。
女性や集団の視線を追うように僕は振り返る。捉えた光景は――ひと時の姿を描き起こした一枚の絵画のようだった。声に反応してか、花のない桜の木に伸ばしていた手がおもむろに下げられる。ひらりと風に舞ったビビットピンクの花びらが宿木を見つけた鳥のように、柔らかな黒髪の上に落ちてとどまった。
「……すみません、あまりにも美しかったもので。大切に育てられているのですね」
慈しみに満ちた声に、麦わら帽子の御仁が深く頭を下げる。そして歩み寄ると、彼の頭にある花びらを丁寧に取った。この一連の流れも、映画のワンシーンのようで僕は見入ってしまっていた。
道の終着点、集落の最奥部、ひときわ目を惹くように聳える門を抜け屋敷の中へと案内された僕たちは、あれよあれよという間に座敷に通されていた。大きな座卓に用意されていたのは人数分のどら焼きと湯気の立った湯呑み。中身は匂いから緑茶の類だろうか。
促され高級感漂う座布団におっかなびっくり正座をする。この通り、王道展開にならず至極丁寧にもてなされていた。
「つまらないものですが……」
「これはこれは、ご丁寧に」
先生は目の前の湯呑みを手に取ると口に近づけた。
それを見て同じく湯呑みに手を伸ばそうとした幹史の手をノールックで掴んだ瀬名さん。その表情は微笑んだまま。
力が強かったのか幹史の顔が少し歪む。それでも瀬名さんは意地でも手を離すつもりはないようだ。幹史が諦めて手を下ろすと、瀬名さんの手も離れた。幸い、座卓によってこの攻防は向かいの相手方には見えていない。
湯呑みを置いた先生が話を切り出す。
「本日から五日間、こちらの観光をしてもよろしいでしょうか」
リュックの中から文書を取り出すと、絹さんへと渡す。その文書には、ゼミの活動であること、今回の活動目的、活動者名などが書かれていた。
文書を渡された絹さんは、さらっと目を通すと、文書を先生に返す。
「どうぞ、お好きに観光なさってください」
無表情のまま丁寧に頭を下げた。
「はい、ありがとうございます」
僕たちも頭を下げる。
所謂皇居のような、この島で偉い人が住むだろう屋敷を後にした僕たちは、先生の提案で狭霧さんを探していた。
「瀬名さん、どうして止めたんすか」
先ほど腕を掴まれたことだろう。幹史が瀬名さんに詰め寄る。
「もう幹史。知らない人からもらったものを食べてはいけないってこの前言ったでしょ!」
お母さんよろしく、両手を腰に当て叱りつける瀬名さん。
「はいはい、そうですね」
おお。幹史の瀬名さんに対するスルー能力がアップしている。
「茶番は置いておいて、先生が飲んだから君も飲もうとしたんだろう? 出されたものがそのままだと悲しむと考えて。どら焼きも持って帰ろうとしていたしね」
どら焼きについても、幹史は無理やり瀬名さんに抑えられていた。
「先生はね、飲んでいないよ。湯呑みに口すらつけていない。飲んだふりをしていたんだ。失礼がないようにね」
先生も警戒していたんだ。いつも通りだったから分からなかった。そこに気が付く瀬名さんもすごいな。
「警戒するに越したことはないからね。特に、すでに個別に分けて出されたものは。でも、相手に気を遣おうとした幹史くんも素晴らしい!」
幹史を笑顔で褒める先生。
「だな」竜也さんも幹史の肩に手を置いて褒める。
「……うす」視線を逸らして彼は小さく零した。
年上に素直な幹史は珍しい。ちょっと可愛いかも。
「見た感じ、狭霧さんいないですね」
幹史の肩から手を下ろし、辺りを見回す竜也さん。
島民と度々すれ違うが、その中に狭霧さんの姿はない。なにより、よそ者に対する視線が突き刺さる。こちらから話しかけてもいいものか。
「どなたか、狭霧さんの居場所をご存じありませんかー?」
いったー。さすが先生。
「俺らでよければ案内しよう」
僕たちの前に現れた男性と女性。夫婦のようで、女性のお腹はとても大きかった。
「ありがとうございます。ですが、奥さんは休まれていた方が……」
先生は妊婦である女性を気に掛ける。
「お気になさらず。もうすぐ生まれそうだから歩いたほうがいいのです」
身近に妊婦がいないからわからないけれど、本人が言うのだからそうなのだろう。
「では、お言葉に甘えて」
微笑んだ先生に大きく頷いた男性は、声を出すほど息を吐いた。
「ああ、よかった! この島に来る人なんていないから、様子を伺っていたんだ」
頭に手を当て苦笑いしながら告げた男性。
その言葉を皮切りに、遠巻きに眺めていた島民たちが集まってきた。
「どこからきたの?」
「お兄ちゃんたちだあれ?」
「変わった服。どんな作りなのかしら?」
「あなたきれいな顔しているわね。こっちの人は男前だわ」
「そこの偉丈夫。後で手合わせ願いたい!」
「俺も頼む!」
お、おお。打って変わって積極的。若い女性方に囲まれる先生と瀬名さん。体格の良い男性方に囲まれる竜也さん。こどもたちに囲まれる幹史。そして僕は――
「細いのねぇ。もっとよく食べるのよ」
「お兄さんたちについてきたのかしら?」
「偉いわねぇ」
こどもをもつ母親に囲まれていた。頭もしきりに撫でられる。この圧倒的こども扱い。僕だってもう立派に成人しているのに……。
「そこまでだ」
手を二度打ち鳴らし島民たちを鎮める男性。聞き入れた島民たちは、言葉を残したり手を振ったりして捌けていった。
「すまないな。珍しい客人ときてみんな興奮しちまってんだ」
「嬉しいです。こんな友好的に迎えてくれると思わなかったので。もし、敵対心を持たれたらどうやってこの子たちを守ろうかと頭を悩ませていたものですよ」
「それはいらん心配だったな!」
苦笑いする先生に、豪快に笑う男性。
「俺は『百合』という。こいつは『帳』だ。よろしくな」
自分たちを紹介したこの男性は百合さんというらしい。
はじめは聞き間違いかと思った。二人の名前があまりにも反対に思えたから。でも、女性が男性のことを「百合さん」と呼んでいたので、間違いではないようだ。
口には出さずとも、失礼なことを思ってしまった。固定概念には気を付けないと。僕は心の中で謝った。
「狭霧さんなら、いつもの畑にいるだろう。こっちだ」
百合さんは僕たちについてくるよう促す。畑とは先ほど見た畑だろうか?
隣を歩く帳さんの背に手を当て気にかけながら、時々後ろを見て僕たちのことも気にかけてくれていた。
百合さんは、僕たちが入ってきた場所、つまり集落の出入口へと向かっていく。やっぱり、あの畑のようだ。
複数のこどものはしゃぐ声が聞こえてくる。そういえば、ナナを待たせていたんだっけ。もう狭霧さんが迎えに行ったかな。
こどもたちは何やら木の棒を持ちはしゃいでいた。チャンバラごっこ? 懐かしい、僕も昔にやったな。
「やーい、はぐれものー」
「おまえなんか出ていけ!」
「呪いが移るぞ、叩けー!」
不穏な言葉が子どもたちの口から飛び交う。
集落と畑を繋ぐ道のはずれで子どもたちは集っていた。何かを囲みしきりに木の棒で叩いている。目を凝らし見れば、囲まれていたのはナナであった。
いじめ?助けに行かないと!
僕が動き出そうとした時、二人はもう動き出していた。
「コラー! お前ら!」
「なにしている!」
叫びながら駆け寄る幹史と竜也さん。僕たちも遅れて動き出す。
真っ先に駆け寄った幹史は、手を止めたこどもたちの間を抜け、蹲っているナナの上から覆いかぶさり守る姿勢を見せた。
「なんだ、お前?」
「見たことないやつだ」
突然現れた幹史に戸惑うこどもたち。
「お前ら、それはしていいことではない」
その後ろから低い声を出して近づいた竜也さん。動くのに邪魔だったのか、眼鏡はいつの間にか外されていた。
「誰? ひっ!」
振り向いて竜也さんの姿を確認した子どもたちから短い悲鳴が上がる。こどもたちの顔はみるみる歪んでいき、目には涙が浮かび始めた。睨みを利かせた竜也さんに腰を抜かしてしまったようで、一番近くのこどもがその場にしりもちをつく。
「う、うわあああ!」
「お、鬼―!」
「鬼だー! くるなー!」
悲鳴や泣き声を上げるこどもたち。
「お、鬼……。いや、今は鬼でいい!」
デジャブな拒否のされ方に一瞬眉をひそめ悲しんだ竜也さんだったけれど、自身に喝を入れ再びこどもたちと向き合う。
「うわあああん、鬼だぁ」
「来るな、来るなー!」
手に持っていた木の棒を振り回し、追い払おうとしている。
「因果応報。悪いことをするからこうやって鬼が来るんだ」
竜也さんの隣に立ちこどもたちを叱る瀬名さん。
「鬼じゃねぇよ」すかさず突っ込む竜也さん。
でも気にしているようで、眼鏡をまたかけていた。
この島には、竜也さんの顔は鬼に見える、なんていう共通認識がこどもたちの間にはあるのかな。
「同じ環境で育ったとしてもいじめは起きてしまうのか?」
顎に手を当て、考え込む先生。
「なにしているんだ!」
叫びながら百合さんが遅れてやってきた。
こどもたちを叱るなら島の大人のほうが有効だろう。あとは任せても――
「……え?」
僕から情けない声が漏れた。
目の前の光景が想像していたものではなかったからだ。
ご高覧いただき感謝の至りでございます。




