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第八話 乙守島【一日目】「合縁奇縁」


 「お化けじゃなかったみたいだね」

 屈託なく笑う瀬名さん。


 確かにこの木は大きい。大人でも容易に隠れることができるほどに。


「どうした、迷子か?」

 子どもの正面に回った竜也さんは、片膝をつき子どもと目線を合わせて優しい声で問いかけた。顔を上げて竜也さんを見たこどもの目には、みるみる涙が溜まっていく。


「……お、おにっ、鬼! こないで!」


――おっと、これは……


「え、鬼? 俺が? ……え、鬼?」

「うわあああん、来ないでー!」


「あはははは!」

 泣き叫ぶこども、ショックを受け動けずにいる竜也さん、そんな竜也さんの背を叩き豪快に笑っている瀬名さん、顔を逸らし笑いをこらえている幹史(かんし)


――うん、カオスだぁ。


「君はどうしてここにいるんだい?」

 竜也さん同様膝をつき、泣いているこどもに目線を合わせ問いかける先生。


「……の」

「の?」

「の、のっぺらぼう、いやー、こないでぇ!」


 その言葉に固まる先生。たしかに、前髪が長いせいで目が見えにくいから妖怪に例えられなくもないけども。


「見て、顔あるよ! ほら!」

 硬直が解けた先生は、前髪を両手でつかみ左右に広げると、露になった顔を見せようとこどもに近づける。


「いやああああ!」

 益々こどもは悲鳴を上げて泣いた。


「あはははは!」

 瀬名さんは、お腹を押さえまたしても豪快に笑っている。


「あははっ!」

 幹史もとうとう声を上げて笑い出した。


「ほら、ほら、ちゃんと見て!」

 顔をさらにこどもに近づける先生。


 僕は後ろからその両肩を掴み止める。

「逆効果みたいですよ」


 抵抗なく引き下がった先生の肩は見るからに沈んでいた。同じくらいに竜也さんも。二人とも相当ショックを受けたようだ。


「あは、はは。お腹いた。ここは、千界(せかい)、君の出番だよ」

 笑いながら、僕の背中を押した瀬名さん。


 えー、僕ですか。大丈夫かな?


 僕も両膝をついて、泣きながら鬼と妖怪を必死に追い払おうとしているこどもと目線を合わせる。


「ごめんね、もう怖くないよ」

 精一杯の優しい微笑みを作って話しかける。


 子どもは泣きやむと、僕の顔を見つめた。

「……ふ、ふつうのお兄ちゃんだ」


 ふつうのお兄ちゃん。それはそれでちょっと傷つくな。でも、鬼やのっぺらぼうよりはましか。


「うん、ふつうのお兄ちゃんもいるよ。だからもう大丈夫」

 僕の隣にしゃがんだ瀬名さんが優しく諭す。


「そうそう、鬼や妖怪からはお兄ちゃんたちが守ってやる!」

 同じくしゃがんだ幹史は、こどもの頭に手を置いて笑った。


「……うん」こどもは小さな手で涙を拭う。


 立ち上がった幹史は、その子の脇の下を持つと立ち上がらせた。


 上下白い服だったためか土汚れがついていて、腰をかがめた幹史はその子の服に着いた土を手で軽く払う。


「お兄ちゃん、ありがとう」

「おう!」

 両手をお腹の前で握りしめながら恐る恐るお礼を言ったこどもに、彼はヒーローのような笑顔で答えた。


 子どもの目は心なしか輝いているように見える。やっぱり幹史は打ち解けるのがうまい。


 四歳くらいの子どもだろうか。髪は肩まであり、目がくりっとしていて中性的な顔立ち。本土ではあまり見ない麻生地の服。茶色の靴も見たことのない素材でできている。この島特有のものなのだろう。


「……ナナー? ナナー? どこにいるのです?」


 何かを探しているような声が聞こえてきた。声が反響して場所はわからないけれど、だんだんと大きくなっていく声からこちらに近づいていることがわかった。


「……さぁちゃん」こどもが小さく呟く。

「さぁちゃん! ナナここだよ!」精一杯の声で叫んでいる。


 探している御仁にその声が届いたのかはわからないけれど、足音は聞こえる距離にまできていた。


 僕たちに緊張が走る。もう、足音はすぐそこだ。


「……ああ、やっと見つけた」

 疲弊した声を漏らして人影が現れた。


「さぁちゃん!」

 こどもが飛び出し、現れた人物に飛びつく。


 その小さな体を受け止めたのは、見るからに好青年な人物。歳は僕たちと同じくらいで、こどもと同じく麻生地でできた上下白い服と茶色の靴を履いていた。


 僕たちには未だ緊張が走っている。なんせ、本当に無人島に人間がいたのだから。そして、こどもと大人では違う。体力も知力も、捉え方も。


 こどもを受け止めた男性はたった今、ここにいる僕たちの存在に気が付いた。目を見開く男性の後ろへ隠れ、顔だけを覗かしてこちらの様子を伺っているこども。


 見つめ合う僕たちの間に沈黙が流れた。


「こんにちは」先に沈黙を破ったのは先生。


「……あ、ええ、こんにちは。すみません、訪問者が久方ぶりでして。何分小さな島ですから」


 男性はそう言うと、丁寧に頭を下げた。慌てて僕たちも頭を下げる。


「こちらこそすみません。そこのお子さんをどうやら驚かしてしまいまして」


「お気になさらず。海を覗くことが好きな子でして、誰か来た、と飛び出してしまったのです。何か失礼はありませんでしたか?」


 後ろにいるこどもの頭に手を置き、微笑んだ男性。物腰柔らかな人だ。敵対心はないように見える。


「いえいえ。本日は乙守島に観光に来たのですが、許可はいただけますか?」


「許可を取る必要はありません。観光とはそういうものなのでしょう? ですが、そうですね。私どもの集落にご案内いたします」


「それは有り難い。ぜひ、よろしくお願いします」

 どうやら、出会い頭の戦闘は避けられたようだ。


 こどもと手を繋ぎ歩き始めた男性の後を僕たちはついていく。


「まだ名乗っておりませんでしたね。私は『狭霧(さぎり)』と申します。この子は――『ナナ』と呼んであげてください」


 歩きながら顔だけ振り向いて微笑む男性。


「ご丁寧にありがとうございます。私は東京の大学で教授をしています。名前は――いえ、『先生』とでも呼んでください」


 名乗るのを踏みとどまった先生。一応自分の名前のややこしさを知っているんですね。


「『先生』、ですか……。はい、よろしくお願いいたします」


「とーきょー? だいがく? きょーじゅ? ってなあに?」


「なんでしょうね?」

 わからなかった単語を聞くナナに、優しく共感する狭霧さん。


「この子たちはうちの生徒でして、右から幹史くん」

「どうも」


「千界くん」

「よろしくお願いします」


「瀬名くん」

「はじめましてー」


「最後が――宇田ちゃん!」

「よろしく……う、宇田ちゃん⁉」


 あらまあ。

 先生の紹介の後一言ずつ告げ頭を下げた僕たち。竜也さん、もとい宇田ちゃん以外。


「よろしくお願いいたします。幹史さん、千界さん、瀬名さん、そして、宇田ちゃん」


 狭霧さん、どうやらノリの分かる方のようです。


「そうそう、呼ぶならやっぱ宇田ちゃんだよねー。あっはは!」


「笑うな!」手を叩いて笑う瀬名さんの頭をはたく竜也さん。そして、いとも簡単に回避してしまうのが瀬名さんだ。


「……うだ、ちゃん?」

 狭霧さんの手を握りながら顔だけで竜也さんを見上げたナナ。


「あ、ああ。なんだ?」

 少し腰をかがめ優しく聞いた竜也さん。


 それでも、まだ怖かったようでナナは短い悲鳴を上げた。


「こら、ナナ。失礼ですよ」

「ごめんなさい。でも、うだちゃん、こわいもん」


「そんなことありませんよ。きっと誰かを守るために行動できる勇敢な方です」


 そんな狭霧さんの言葉に少し照れくさそうな竜也さん。僕も嬉しくなった。


「これつけときなよ。少しはましになるでしょ?」


 瀬名さんは竜也さんに、細い黒縁に金のブリッジ、ヨロイには金のロゴマークが入った眼鏡を渡した。度は入っていない、所謂おしゃれ眼鏡だ。ちょっと高そうだけど。


「……仕方ない」

 渋々ながらも眼鏡を受け取った竜也さんは早速かけてみる。


 そのなんとも似合わないこと。瀬名さんなんて顔を逸らし笑いを堪えている。竜也さんは瀬名さんを睨んでいるようだけれど、眼鏡が反射して見えにくい。これは、なかなか効果がありそうだ。


「手怪我しているんですか?」

 唐突に尋ねる瀬名さん。狭霧さんの包帯が巻かれている左腕を指さしていた。


「ああ、いえ。これはただの布です。このような長い布が近くにありますと何かと便利でして」


 にこやかに狭霧さんは答えてくれた。


「皆さんもご経験ありませんか? あ、今長い布が手元にあったらなあ、というような」


「あるかも」

「うん、あるある」

 僕たちは共感を示していた。


「そのような悩みをこの布は解消してくれます。――見えてきましたね」


 振り返った狭霧さんの後ろには、樹海を抜け広々とした平野が広がっていた。客人を出迎えるように咲き誇る黄色の向日葵が、空の青、地面の茶、葉の緑とコントラストを描いている。


 もう少し先に進むと、そこはいくつもの畑が広がっていた。


「緑豊かな土地だな。野菜もたくさん育っているし」

 近くのトウモロコシ畑を見て幹史が呟く。


「ええ。地産地消というものです」

 なるほど。島のみで食料が賄えるのはとても大きい。


「……でもなんか、太くね?」

 畑の手前に実っているトウモロコシを近くで眺め眉をひそめた幹史。


 言われてみれば確かに――、程度で疑問に思うほど大きいわけではないような気はするけれど。


「俺のじいちゃん家がトウモロコシを栽培していて毎年収穫を手伝ってんだけど、こんなに茎が太いのなんか見たことねぇよ?」


 茎の方? 比較対象がないから何とも言えないけれど、茎の太さはニンジンほどだろうか。


「その点に気付いていただけるとは嬉しい限りです」

 狭霧さんは手前にあったトウモロコシを一本もぎ、慣れた手つきで皮を剥いていく。


 姿を現したトウモロコシは見たことのない色をしていた、と言うと語弊があるけれど、上部が白色、下部にいくにつれて黄色とグラデーションになっていた。


「品種改良を施していまして、糖度が高くシャキッとした食感、それから視覚からも楽しめるトウモロコシを目指しています。これは、概ね完成形と言っても良いでしょう」


「ちょー奇麗な白と黄色のグラデーション。まばらなものは見たことあったけど」


「ああ。食べてみたいな」

 狭霧さんが剝いたトウモロコシを見て、瀬名さんと竜也さんも興味を示す。


「では、後ほど茹でましょうか」

 狭霧さんのその言葉に皆が喜んだ。


 僕もトウモロコシは好きだ。ぜひ食べてみたい。


「ここね、さぁちゃんがカントクさんなんだよ」

 前に進みながら皆がトウモロコシに夢中になっている中、ナナが僕のTシャツの裾を引っ張り教えてくれた。


「そうなんだね」

 僕は腰をかがめ目線を合わせると微笑んだ。


「それはすごい! 品種改良や見るからに安定した栽培、植物の知識が豊富にないとここまではできないですよ」


 ナナの言葉が聞こえていたようで、先生は畑を見渡し感嘆の声を上げる。


「そうでしょうか、ありがとうございます。恥ずかしながら植物図鑑が好きでして――。集落が見えてきましたね」


 その言葉通り、集落が見えてきた。


「ナナはここで待っていてください」

 狭霧さんの言葉に頷いたナナは、自ら繋いでいた手を離した。


「こども一人残して大丈夫なんですか?」

 集落から少し離れた位置に立ち止まったナナの隣で幹史が尋ねる。


「少し事情がありまして……」言葉を濁した狭霧さん。

 なにか言えない事情がありそうだ。


「行こう、幹史」

 僕は幹史の腕を掴んで引く。


「でも……」

「大丈夫。初めてではないようだし、何より、ナナが望んでいるように見える」


「……わかった」

 名残惜しそうにナナから離れる幹史。


 困っている人をほっとけず、損得勘定無しで助けてしまう、彼。だから彼の周りにはいつも人が集まる。近本幹史とはそういう人なのだ。


「お兄ちゃん、ありがとう」

「おう。すぐ戻ってくるからな」

 お礼を言うナナに、幹史は笑顔で手を振った。


 集落へ足を踏み入れた途端、たくさんの視線が突き刺さる。果たしてそれは、好奇か、懐疑か。


 並ぶ家々はすべて同じ形をしていた。主な素材は木のようで暖かみを感じる。集落の入り口からまっすぐ伸びる道はずっと先まで続いていた。


 立ち止まり振り返った狭霧さん。


「ようこそ、『なきり』へ」

 そして彼は、僕たちを心から歓迎しているように微笑んだ。


ご高覧いただき感謝の至りでございます。

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