第七話 乙守島【一日目】「鬼が出るか蛇が出るか」
「それはね、知り合いが乙守島に行ったことがあるからなんだ。無人島探索のつもりで行った乙守島に人が住んでいたから、さぞ驚いたようでね。長くは滞在できなかったらしく、だから『今度一緒に行くぞ』って誘われていたんだ。結局、その約束は果たされず遠くに行ってしまったが――」
「だから、代わりに僕らと行くわけね。約束を果たすために」
「まあ、そういうことになるな。本来は僕一人で行くつもりだったんだが、やっぱり一人は寂しくてね。君たちが一緒についてきてくれて良かったよ。本当にありがとう」
「やめてくださいよ、先生」笑いながら瀬名さんが返す。
そんなこと言われたら照れ臭いですもんね。
「――フラグ立てるの」
あ、そっちですか。
「ただでさえ、人の住む無人島なんですから」
瀬名さんの一言に船内が静まる。
この矛盾した島に、今僕たちは降り立とうとしているのだ。いまだ無人島で通っている、情報のない未知の島。それは訪れた者が少ないことの証明。もしくは……
いや、根拠のない考察を今はするべきではない。
「しかし、これはゼミ合宿。ちゃんと活動目的もあるぞ。ずばり、『島での衣食住を知り、体験する』だ!」
普段の活動目的とまったく一緒なんですが。珍しく合宿なのだから、なにか特別な活動目的を用意してほしかったですよ。
瀬名さんと竜也さんもどこか呆れていた。
「もうすぐ着くぞー!」
長谷川さんの声で皆の意識が船外へ移る。
前方には木が生い茂った、いかにも無人島と称されるに相応しい島があった。
「あれが乙守島か」
肘を置きボートから胸上を乗り出して前を覗いた竜也さんは、島の姿を確認すると呟いた。
「宇田ちゃん。スカウトには十分気を付けるんだよ」
「まだ言うか。鬼へのスカウトなんてあるわけないだろう」
うん。僕もそう思います。
島に着くと、先生から順にボートから降りていく。
「じゃあ、31日の昼過ぎ頃に迎えにくる。楽しんで来いよ!」
長谷川さんはそう言い残すとボートの向きを変え、島から遠ざかっていった。僕は小さく手を振り見送る。
「……ははっ。迎えに来る、か」
乾いた笑いを零した瀬名さんが小さく呟く。隣にいる僕にしか聞こえないほど小さい声で。
そんな彼を見上げる。引きつった笑顔をしていた。どうしてだろうか?
ゆっくりと顔をこちらに向ける瀬名さん。わずかに細められた目と視線が合った。
「気づいているかい? これは、クローズドサークルの常套句だよ」
その一言に僕は息を呑む。
いや、まさかね。僕たちの中にそんなことを考える人が……。
何を言っている、千界。ここには、僕たち以外にも人間がいるではないか。しかも、鬼の末裔と言われている人間が。
海に向いていた体ごと島へ向け、数歩先にいる先生を見る。その横顔は髪で隠れていて見えない。そんな僕の気持ちを汲み取ってか風が強く吹いた。無造作な髪が風に靡き、顔が露になる。
ああ、なんて楽しそうな顔。これから待ち受けるものに心躍らせる少年のような顔だ。
風が吹いたのは一瞬で、戻った髪によって顔はまた隠されてしまった。
――楽しみにしていたんだけどな。未知に踏み込むことは、こんなにも怖いものだったかな。
優しく肩に手が置かれた。
「ごめんね。行く前からこんな不安になるようなことを言って」
眉を下げて謝る瀬名さん。
「……いえ、言ってくれてよかったです。可能性があるなら用心するに越したことはないですからね。一人よりも二人で」
僕は瀬名さんに微笑んだ。
不確かな未来に怯えるよりも、可能性への準備をしよう。その時が来たら動けるように。そして、願わくはそんな未来が訪れないことを祈って。
ゆっくりと息を吸い込んで、吐くと、気持ちは落ち着いていた。
楽しもう、この五日間を――!
「存外小さい島っすね」
目前に広がる樹海に一歩足を踏み入れた竜也さんが呟く。
「だからこそ、注目されなかったんだろうね。盲点を突いた素晴らしい戦略だ!」
竜也さんより前に樹海へ踏み込んでいた先生が振り向く。その、なんとも楽しそうな顔と声。重みのある麻袋を両手で抱えているのに、今にもスキップしだしそうだ。
「アポ取ってないんだろう? ばったり島民と出くわして乱闘とか勘弁だからな!」
まだ浜辺に立っていた僕たち三人。幹史は、ボストンバッグを背負いなおすと、ウキウキな先生に忠告を入れながら歩きだした。
「そうそう。出方次第で僕らの運命が決まるだろうからね」
幹史に続き歩き出した瀬名さん。隣に並ぶと何か耳打ちしたようで、幹史の顔は一瞬にして引きっていく。彼はすぐさま距離を取ったかと思うと、先を歩く竜也さんに助けを求めるように走り出した。
「もう、何言ったんですか」
満足そうに歩いている瀬名さんの隣に並ぶ。
「んー、楽しいことー」
「ほどほどにしてくださいよ」
コミュニケーション能力の優れている幹史は、島民との打ち解けに必要不可欠なんですから。
「そうだね。毎回あんな反応されるのも傷つくし」
そう言いながらも、あなた、とても楽しそうな顔しているではないですか。
この先輩に目をつけられたのが僕じゃなくて良かった。幹史は、その、まあ、お気の毒様。
「お前たちも早く来い! 樹海ではぐれたら出られなくなるぞ!」
樹海の入り口でこちらに叫ぶ竜也さん。
「それは困るね」
「ですね」
僕たちは小走りで向かい、待ち受ける緑の世界へと足を踏み入れた。
僕は振り返る。
青い空に、照り付ける太陽、生暖かい風、静かに波打つ海、光を吸い込んだ砂浜。絵に描いたような夏の風景。
恐らく、この景色は少しの間お預けだろう。特段好きな季節ではないけれど、でも、夏の空と海は奇麗だと思う。二度と見ることができない、この瞬間だけの夏の思い出。いつか記憶から薄れていくのだと分かっていても、それでも目に焼き付けておきたいと思ってしまう。
「千界?」
止まって海を眺めていた僕を不審に思ったのだろう。瀬名さんが声をかけてきた。
「いえ、行きましょう」
いざ、未知の島へ。
樹海とはこんなにも奇麗なものなのか。
ホラー映画や都市伝説で取り上げられる題材でもあるから、不気味なものだと思っていたのに、こんな神秘的だなんて……!
「逆イメージ詐欺だよ、これ」
「なんだそれ」
隣を歩いていた幹史が僕の言葉に小さく笑う。
「でも実際、とんでもなく奇麗だな」
うん。太陽の光を受け緑に輝いているみたい。まるで、光の中に飛び込んでいくようだ。あの日見た光景が脳裏に浮かんでくる。
僕は、雨上がりの夜の道路を車で走るのが好きだ。信号の光や、ライトに照らされた標識や看板が、雨をまとった道路に反射する。曖昧に反射したそれは道路の上に光を広げ、灰色の道路をたちまち色づけてしまう。車で進むと、まるで光の世界に飛び込んでいくようで心が躍るんだ。
助手席から見るその世界は僕にとって特別だった。小学校で友達と喧嘩して泣いていた夜、父が雨上がりのドライブに連れて行ってくれた。車の中でも泣き続けていた僕に父は言った。
「雨は神様の涙なんだ。どうしようもなく悔しかったり悲しかったりしたら、神様だって涙を流す。でも、雨は必ず止む。千界、顔を上げてごらん。涙の後の世界は、こんなにも奇麗なんだよ」
いつもなんとなく乗っている車で、なんとなく流れていく景色。なのに、雨上がりの道路は、幾つもの光に溢れていて、初めて見る世界のようだった。奇麗、そう思った。
「いくらだって泣いていい。でも、その後の世界にしっかり目を向けてごらん。きっと違うものが見えるはずだ」
次の日、僕は友達に謝った。相手も謝ってくれて仲直りすることができた。そのことを父に伝えると、優しく笑って頭を撫でてくれた。少し大人になれた気がした、大切で特別な思い出。
その後も、雨が降った後の夜は父にねだって、よくドライブに連れて行ってもらっていたな。この樹海の景色を見て、そんな記憶を思い出した。
今でも、父と雨上がりのドライブに出かけることがある。今は、僕の運転で。
「ほら、はいチーズ!」
急に掛け声が聞こえ、シャッター音が聞こえた。前に視線を向けると、いつの間に用意したのだろうカメラをこちらに向けている瀬名さんがいた。
カメラを操作し撮った写真を確認した瀬名さんは、もう一度カメラを向ける。
「二人ともなんて情けない顔で写っているの」
いきなりカメラを向けられたらそりゃ情けない顔にもなってしまうよ。
隣の幹史を見上げると、彼は笑顔を作っていた。撮られ慣れているのだろう、自然な笑顔だ。そんな彼を見たら、僕も自然と笑顔になっていた。
「はいチーズ! ……うん、良い写真が撮れた」
カメラを顔の横に掲げ微笑んだ瀬名さん。そして、カメラをトートバッグにしまうと先を歩きだした。
「あざーす」
「ありがとうございます」
お礼を言った僕たちも、偉大とまではいかないけれど、少し大きな先輩の背中を追うように歩き出す。
「先輩、さっきの写真見せてくださいよ」
前にいた瀬名さんの横に小走りで並んだ幹史。
「うん、いいよ」
遅れて幹史の隣に並んだ僕を見計らい、瀬名さんは再びカメラを取り出すと電源を入れる。少し操作をした後、瀬名さんは僕たちに画面を向けた。
太陽の光を緑色に換えた樹海を背に立つ全身像の僕たち。二人とも笑顔で、これは確かにいい写真だと思えた。
「……ちょっと、よく見せて」
瀬名さんの手からカメラを取った幹史は、画面を注視し始めた。その刹那、先ほど僕たちが立っていた場所へと勢いよく顔を向ける。だんだんと歪んでいく彼の顔。
「お、おい、これ……」
渡されたカメラの画面をのぞき込む僕と瀬名さん。いったい何が見えたんだ?
「うわ、これは……」僕も見つけてしまった。
そして、幹史同様あの場所に目を向ける。期待したものはそこにはない。
それはつまり――
「心霊写真だね!」
爽やかに言ったのは瀬名さん。
その声は先を歩いていた先生と竜也さんにも聞こえていたらしく、二人はこちらへ戻ってきた。
「はあ?」
「し、心霊写真だとー!」
なんで、先生はそんなに嬉しそうなんですか。
いやそれより、樹海でこんな写真を……。
僕はもう一度カメラの画面を見た。僕たちの後ろには見切れているが大きな木が写っていた。問題はその後ろ。そこに白い何かが写っていた。よく見るとそれは人の形をしているのだ。白い服を着たこどもが大木の後ろからこちらを見ている。しかし、現実ではその大木の近くにこどもの姿はない。
「なんだ、子どもの霊が写り込んだのか」
写真を確認した竜也さんはさほど興味がなさげに呟く。
「なんだ、じゃないっすよ! 来て早々心霊写真とか縁起が悪すぎますって!」
そんな竜也さんの肩を掴んで訴えるのは幹史。
「霊にしろ、なんにしろ、この島に人間がいることのエビデンスだ」
数回頷いた先生。
いや、霊だったら、それはそれで別の問題があると思うのですが。
各々その写真について考えている中、瀬名さんは霊の写っていた大木へと近づく。そして、幹に左手を当てたかと思うと、上半身を横に傾け幹の後ろを覗き込んで声を上げた。
「ばあ!」
「ぎゃあああ!」
瀬名さんの声にかぶせるように、悲鳴が上がる。
「おい、なんだ!」
すかさず竜也さんが大木へと走り出す。僕たちも後を追った。
瀬名さんの後ろから幹の後ろを覗く。そこには、蹲った小さなこどもがいた。
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