第六話 乙守島【一日目】「驚き桃の木山椒の木」
7月27日。空合は快晴。身体は快調。
僕は目を瞑り両手を広げると大きく深呼吸をする。汗が滲むほどの生暖かい風も、照り付ける太陽も、この気持ちの高まりを共に楽しんでくれているよう。
待ちに待った合宿が今始まろうとしている。
「……で、なんで先輩たちがいるんすか」
「こっちが聞きたいさ」
不服そうな幹史と瀬名さんの声が聞こえ、僕は目をおもむろに開けた。
現在時刻8時15分。ここ、邦明大学二号館前には、旅行バッグを携えた四人の男子学生が集っていた。
「悪いな、急な変更で」
困り顔で僕と幹史に謝る竜也さん。
「宇田ちゃん。僕らは何も悪くないんだ。だから謝る必要なんてないの」
「まあ、そうなんだが……」
大学の最寄り駅で待ち合わせた幹史と向かうと、そこには本来ここにいないはずの先輩二人の姿があったのだ。
先輩たちが語った事の経緯はこうであった。
眞尾と三船さんから合宿について聞いた葉山先輩が、「鬼の末裔が住む島に女の子なんて連れていけるわけないでしょ!」と先生に抗議し、女性二人の代わりとして瀬名さんと竜也さんを強制的に召喚させた、とのこと。
「まあ、今回は前日に連絡でなくて良かったが」
大きくため息をついた竜也さん。
この口ぶり、以前に経験があったのだろう。あの眞尾と同じ波動を感じる葉山先輩だ。十分にあり得る話。
「災難でしたね、先輩。くくっ」
瀬名さんの肩に手を置き、笑いを堪えている幹史。
こいつ、人の不幸を面白がっている。しかも、瀬名さんに対してだけ。
「うーん、そうなんだけど、でも僕は楽しみだなあ。幹史くんと五日間も楽しくおしゃべりできるんだから」
いたずら心を隠せていない笑顔で瀬名さんが答えた。
すぐさま肩から手を離し、距離を取った幹史。
「災難なのは俺だぁ……」
なんて可哀そうな幹史。僕は、その力なく丸まった背に優しく手を置いた。
「……でも、鬼の末裔か。大変なことになったね」
先程と打って変わり深刻そうな顔で、右手を口元に当てて考え込む瀬名さん。
「大変なこと、ですか?」
合宿の経験がある先輩の感じる「大変なこと」。それは間違いなく「大変なこと」。経験者は語る、だ。
「うん。どうしよう、千界!」
突然僕の両肩を掴んで叫んだ瀬名さんは、そのまま僕の肩を軽く揺する。
「え、なに。なんですか?」
「宇田ちゃんがスカウトされちゃったらどうしよう!」
「……え?」いきなりどうしちゃったんだ、この先輩は。
ちょっと、見てないで助けてよ。あ、顔を逸らして離れるな、近本幹史!
「俺がスカウト? 何の話だ」
「君はきっとスカウトされる。断言できる」
「はあ? どこで?」
「乙守島で」
「誰に?」
「島民に」
「なんの?」
「鬼の」
「はあ? なんでだよ?」
その問いに、瀬名さんは竜也さんの顔を指さして答えた。
「だって、こんな見た目だもん」
僕も竜也さんの顔を見る。瀬名さんの伝えたいことは分かったけれど、言うに事欠いて本人を前に酷いな。
「……俺が鬼に見えると」
「うん」瀬名さんはあっけらかんと頷く。
目をゆっくり瞑った竜也さんは口を固く閉ざした。何も言葉を返す気はなさそうだ。
二人の間にいることに気が引け、瀬名さんの手を肩からどかすと僕は腰をかがめ二人の間を抜けた。そして、幹史の横に並ぶ。さっきはよくも見捨てたな、の意を込め脇腹に肘一突きの見舞い。彼は物ともせず、無言で腕を組んだ竜也さんを見つめていた。
「あれが所謂アンガーマネジメントか。手本にしよう」
こいつはなんて呑気な。
「ああ、どうしよう。『あの、あなたはもしかして昔、島から脱出した仲間の末裔ですか?』とか言われて、そのまま島に残ることになっちゃったら……。僕、送り出せないよ!」
「ねぇよ、そんなこと」
「宇田ちゃんは何もわかっていない」
「ああ、お前の思考はいつになっても分かる気がしないね」
――パンッ
と、突然の破裂音に僕たちの体が跳ねる。
「朝から楽しそうだなあ、君たちは」
背後から先生の声が聞こえ振り向く僕たち。視界に映ったのは、二号館入口のガラスの両開きの扉を背に、投手然として振りかぶった先生の姿。右手には新聞紙が握られている。
「……そのままそっくり返しますよ」
大きくため息をついた瀬名さん。
満面の笑みを浮かべ新聞紙を折り畳みながら話し出す先生。
「昨夜荷造りをしていたら偶然作り方を見つけてね。大成功じゃないか! 童心に返って作ってみるもんだね、新聞紙クラッカー」
そして、もう一振り。
――パンッ
本当、朝から楽しそうですね。でも、ご近所迷惑ですからやめてください。それに、荷造り中に偶然作り方を見つけたというのも意味不明だし。この先生の行動は奇想天外すぎる。
先生――三十九歳成人男性――は満足げに鼻を鳴らすと、新聞紙を再び折り畳みそそくさと踵を返していく。
このためだけに出てきたのか、あの人。この時の僕たちの目はさぞ冷えていたことだろう。
カッコウの鳴き声をビージーエムに、何事もなかったかのように涼しげな顔でガラス扉を開けて再登場した先生。
いつも着ている書生服に、背中には大きなリュック。右腕にはボストンバッグ。左脇にはなぜか麻袋を抱えている。子どもが一人入れそうな大きさの麻袋は、口が縄で閉じられていて中身は見えないけれどふっくらしている。何度か持ち直しているところを見るに重さもあるようだ。
麻袋の利点は、丈夫で通気性が良いところ。いったい、何が入っているのだろう。
「おはよう、昨日は眠れたかい?」
口角を上げ爽やかに挨拶をする先生。その声は上ずっている――というより、息が切れてうまく声が出なかったみたい。
もう、朝からはしゃぐから。
鼻の穴を大きく広げ必死に息を整えているようだ。
「大荷物じゃないですか。その抱えているもの、強度も通気性も良い麻袋ですか。うーん、子どもでも入っているのかな?」
爽やかに、遠慮しない瀬名さん。
確かに気にはなったけれども、直球過ぎるのでは?
「ああ、こいつの言葉は気にしなくていいんで」
「う、うん。そそそ、そうだな。あはははー」
明らかに動揺している先生。逸らした視線に忙しなく動く瞳。嘘をついている時の手本のような姿。
「……本当に子どもが?」
しまった。思わず聞いて――いや、だって気になるもの。
「そ、そそ、そんなわけないよ! なあ、幹史くん!」
「知らねぇよ」
この動揺ぶり。まさか本当に? 気になる……!
「い、いよーし! 全員そろったね。それでは出発しよう! タクシーで駅まで行くよ。そこからは新幹線に乗るからな」
あからさまに話を逸らした先生は歩き出した。僕たちもその後をついていく。新たな好奇心を胸に抱いて。
それからは特に麻袋についての言及は誰もしなかった。新幹線内で、寝ている先生の隙を見て瀬名さんが「おりこうさんだね」と声をかけ撫でていたくらいだ。
そうして、他愛のない話やそれぞれの夏休みの過ごし方について話しているうちに、新幹線は目的地である宮城県仙台駅に辿り着いていた。
「よし。この後はボートで乙守島へ向かうよ」
駅に着き先生に促されるまま乗り込んだタクシー。どうやら港へ向かっているようだ。
着いた港にはいくつか船やフェリーが停泊していた。フェリーが一艘出港する。汽笛が辺りを震わせ、静かに動いていたそれは次第に水飛沫を上げ進みだした。たちまち見えなくなるフェリー。先ほど裂かれていたはずの波は今や驚くほどに静か。
「無人島なのに船出ているんですか?」
竜也さんが先生に問いかける。
「いや。個人のボートだ!」
無邪気な笑顔で先生が答えると、海の向こうからボートの汽笛が聞こえてきた。
「待たせたな!」
港の端にボートを寄せながら汽笛に負けないほどの大きな声を出す男性。年齢は四十代くらいで、海で仕事をしていることが伝わる焼けた肌に、筋肉のついた腕、太い指。そして、太陽に負けずとも劣らないまぶしい笑顔。
「いやいや、こちらこそありがとうございます!」
ボートから降りてきた男性に笑顔でお辞儀した先生は、隣に立っていた瀬名さんに麻袋を渡して男性の元へと近づいていった。
突然渡された麻袋に驚きつつも、直に触れて何かを感じ取ったのだろう。その顔を覗き込むと、満足そうに微笑んでいた。
触らず近くで眺めてみる。中身は全く見えない。口も縄できつく縛られていて簡単には解けなさそう。試しに軽く引っ張ってみるが、縄は案の定びくともしなかった。
「何が入っているんですか?」
「内緒」
アイドル並みのウインクが返ってくる。
後でのお楽しみということですね。わかりました。
「ほら、乗った乗った!」
いつの間に乗っていたのか、ボート上からこちらへと手を振る先生。僕たちも、男性の指示のもとボートに乗り込む。
「全員乗ったな。よし、出港!」
そんな男性の元気な掛け声で汽笛を鳴らしたボートは港を出発した。
この男性は長谷川 泰造さん。代々漁師の家系らしく、歳が一桁の時から祖父や父と共に海に出ていたらしい。この開放的な『ランナバウト』という種類のボートは長谷川さん個人が所有しているもので、以前から交流があった先生からのお願いということで今回も快く貸してくれたらしい。
「ボート、初めて乗ったわ。風が気持ちいいな」
水しぶきを上げて進んでいくボートの風を感じているらしい幹史。
「本当だね」目を瞑り、僕も風を感じてみる。
このゼミでは、自分では経験しないようないろいろなことに出会い、体験できる。
「そういえば、ずっと気になっていたんだけど、先生ってなんで乙守島が鬼の末裔の人間が住む島だって知っていたんだ? いくら調べても無人島としか出てこないのに」
シートに座って目を瞑り、心地良い風に体を任せている幹史が問いかける。
たしかに。先生は他にも文献には載っていない情報をたくさん持っている。まるで、自分の目で確かめているかのように。しかし、現地に着いた時の先生の目は、いつだって初めて出会った瞬間のように輝いている。
「それはね――
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