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第十話 乙守島【一日目】「蟻の穴から堤も崩れる」

 「もう大丈夫だぞ」

「うう、怖かったよー」

「なんで僕たちが怒られるの?」


 百合(ゆり)さんはいじめられていたナナではなく、いじめていたこどもたちに駆け寄った。そして、泣きじゃくるこどもたちの背を優しく撫でると、竜也さんを睨む。


 何が起きているのかわからない。いじめられた側ではなく、いじめた側を庇う大人。それは、このいじめに正当性が認められているということではないか。


「百合さん、いけないわ。この方々は何も知らないのだから」


 お腹を支えながらゆっくりと歩いてきた(とばり)さんがこちらを睨む百合さんを宥める。


「あ、ああ、そうか。すまない」

 帳さんの言葉を聞いた百合さんは立ち上がると、僕たち、主に竜也さんに対して謝り深く頭を下げた。


「あ、いや……」

 その態度の変わりように竜也さんは戸惑いを隠せない。


 本当に何が起きているのかわからない。


 幹史(かんし)に抱かれ守られているナナの様子を見る。ナナは泣くでもなく、ただ静かにそこにいた。視線は下を向いていて、どこか焦点が合っていないように思う。その様子から、これが初めてではないことがわかった。


 今やっと理解した。この島は、外界から隔たれていることを。


「私が説明いたします」

 タイミングを計ったかのように表れた狭霧(さぎり)さん。


「ここまで案内してくださりありがとうございました」


 狭霧さんに頭を下げられた百合さんと帳さんは深く頭を下げ返し、泣いているこどもたちを連れ集落の出入口へと向かっていった。


 その姿が離れると、幹史の腕を抜けたナナが狭霧さんの元へと走っていく。狭霧さんは両膝をついて、駆け寄るナナを迎え入れると強く抱きしめた。


 我慢していた涙を流しさめざめと泣くナナ。

 こどもがこんなふうに泣くなんて……。


「すみません……」

 狭霧さんから零れる消え入りそうな声。


 この島にも、ナナにも、狭霧さんにも、なにか深い事情がありそうだ。


「少し離れておりますが、私の家までお越しいただけますでしょうか」

 ナナを抱き上げた狭霧さんは悲しそうに微笑んだ。



 集落を出て広大な畑を抜けると、奥行きのある平屋が見えてきた。集落の家とは材質は同じものの外見が異なり、少しばかりの特別感を感じさせた。その家の横にはこぢんまりとした畑もある。


「荷物はこちらへ」


 自然の匂いに溢れた木の家。まだ新しそう。素人目になるけれど、年季の入った集落の家も含め強度は保障されているように思う。


「まるで、客人用の宿屋みたいだ」先生が呟いた。


 たしかに、寝室は広くベッドが六つも置かれている。


「もう昼を過ぎてしまいましたが、ご飯は召し上がりましたか?」

 ナナを降ろし、先生に尋ねる狭霧さん。


「それがまだでして。私どもは持参してきていますのでここで頂いてもかまいませんか?」


「ええ、構いませんよ」


 先生に言われ、僕たちは昼食用と夕食用に一食分の食べ物を持参してきていた。


 狭霧さんの家は、座卓と座布団ではなく木のテーブルとイスで食事をするようだ。集落の家もそうなのだろう。とかく、あの屋敷が一線を画しているのだ。


「話は食事の後にいたしましょう。ナナ、庭から好きなものを取っておいで」


 狭霧さんの言葉に頷いたナナは、小さな体で大きなドアを開けて庭へ駆けていった。


「どうぞ、遠慮なく召し上がってください」


 先生に渡された除菌シートとアルコールで消毒し、僕はリュックから保冷バッグを取り出した。その中からコンビニのサンドイッチを取り出す。各々昼食を取り出し挨拶をして食べ始めた。皆、おにぎりやパンなど気軽に食べられるものをもってきている。


 戸がゆっくりと開いて庭からナナが戻ってきた。


「これにする」


 ナナは狭霧さんに真っ赤なトマトと真っ白なトマトを手渡す。真っ白なトマトもまた品種改良なのだろう。テレビで見たことはあったけれど、この離島には入ってこない情報だ。一から施しているのなら、この島の植物はまだまだ発展していきそう。


 受け取った狭霧さんは桶に張られた水でトマトを洗い、くし切りにして皿に入れると、フォークを添えてテーブルに置いた。紅白のトマトの入った皿が置かれた近くの椅子に座ったナナ。手を胸の前で組み、五秒ほど目を瞑る。これが『なきり』一族流の”いただきます”なのだろう。目を開けたナナはフォークを持つと白いトマトを口いっぱいに頬張った。


「おいしいですか?」

「うん!」

「それはよかった」


 嬉しそうに微笑んだ狭霧さんは棚から木箱を取り出すと、椅子をナナの隣まで持っていき座る。木箱の中から取り出されたのは液体の入った瓶と、ガーゼのようなものだった。木箱は救急セットのようだ。


 瓶の液体をガーゼに染み込ませると、ナナの傷のついた頬に何回か当てる。染みたようで、ナナの顔が少し歪んだ。顔が終わると、ナナの上の服を脱がせた狭霧さん。その上半身にも無数の傷があった。木の棒で叩かれていたのだ。傷がないわけない。その痛々しさから思わず目を逸らしてしまう。


「くっ……」隣に座っている幹史から小さく声が漏れた。

 守れなかったことが悔しかったのだろう。


「ごめん、ナナ!」

 音を立てて立ち上がった幹史がナナを見て謝る。


 その行動に驚いたのだろうか、狭霧さんは目を丸くして手当てしていた手を止めた。


「すぐ戻ってくるって言ったのに、ほんと、ごめん」


「……謝らないでください、幹史さん。これは、仕方のないことなのです」


 拭き終わったガーゼを平べったい器に置き、俯きながら狭霧さんが言う。


「これが仕方ないこと? こどもを守るのは大人の役目じゃないんですか」


「……幹史」名を呼び諌める。


「それに、あんな良いタイミングで現れることあります? ナナがこうなることを知っていながらあんたは何もせず見ていたんだろ!」


「落ち着いて」

 狭霧さんに訴える幹史の腕を掴む。

 でないと、今にも狭霧さんに詰め寄りそうだ。ナナもその迫力に怯えている。


「間違ったことは言っていないだろ! 離せ!」


「幹史!」

 珍しく叫んだ僕に驚いた幹史。わずかに開いた目が向けられ視線が合う。僕は力強く見つめた。


――わかってくれ、幹史。ね?


 その思いが届いたのか、幹史は力なく椅子に腰を下ろした。


「……わるい」

「落ち着いた?」

 僕は幹史の腕から手を離す。


 幹史の言っていることはもっともだと思う。本土での出来事であったら僕は止めない。でもこの島には、部外者である僕たちとは違った捉え方があるのかもしれない。想像もできない理由があるのかもしれない。


 模範的な行動だろうと、立派な正義感だろうと、ここにおいて軽率な言動はよくない結果をもたらす恐れがある。最悪死を招くかもしれない。たった一人の行動や言葉によって、皆の立場も悪くなる。それがアウェイというもの。


 それが分からない幹史ではない。普段の彼であれば軽率な言動はしない。気を張っていたのもあるだろうけれど、こどもが関係していたのが大きい。なんせ、彼は八人きょうだいの一番上だからね。末っ子とは十六歳離れている。その子はちょうど、ナナと同い年くらいだ。ただの優しいお兄さんなんだよ、彼は。


「……ナナを寝かせてきます。話はその後でもよろしいでしょうか?」


「はい。こちらはお気になさらず」


 先生の言葉を聞き、頭を下げた狭霧さんはナナに服を着させると抱き上げた。僕たちにも一礼すると、奥のドアを開けて別の部屋へと入っていく。


 少しの沈黙後、椅子を立つ音が聞こえた。立ったのは瀬名さんだ。そして幹史の元へ近づくと大きく手を振り上げ、背中に叩くように手を置いた。幹史の体が軽く跳ねる。


 そして、「よく我慢した!」と、声を張り上げて褒めた。


 俯いた彼は、目を強く瞑り口を強く結ぶ。そんな幹史を見て僕は胸を撫で下ろした。


千界(せかい)もよく止めたね」

 労うように僕の肩にも手を置いた瀬名さん。


「千界に感謝しろよ。あそこで狭霧さんに手でも出していたら、数百の島民を敵に回すところだったからな。見るからにあの人、お偉いさんの一人だろうから」


 片手で頬杖をついて苦笑いを浮かべる竜也さん。


「はい。すみませんでした」


「千界が止められなかったら、宇田ちゃんが飛び出していただろうけどね」


「ああ。その場合、俺が投げに行くところだったな」


 高校柔道全国大会優勝者(瀬名さん情報のため信憑性に欠けるけども)の投げ技。僕が止められて良かった、うん。


「……助かった、千界」

「うん」

 怯える幹史の肩に手を置いて僕も苦笑いを浮かべた。


 何も言わず、何もせずこちらを見て顔を綻ばせている先生。


 大丈夫だよ、幹史。ここにいる人たちは、みんな君の優しさを知っているから。もし、君が手を出して島民に恨まれたとして、きっとこの先生は笑いながら「逃げるぞ!」って楽しむだろう。そんな背中を僕たちも追いかける。誰も君を責めない。責める謂れはない。だから――


「だから、そんな顔しなくていいんだよ」

 震える幹史の目からは今にも涙が零れそう。


 今の行動がどれほど危険なことだったかを。皆を自分のせいで巻き込んでしまっていたかもしれないことを。そして、反省している。


 なんかもう、可愛いなこいつ。


「なに、泣いているの幹史くん? えー、かわいいー」

 笑いながら、幹史の頭を両手で撫でる瀬名さん。


「泣いてねぇよ! やめろ!」

 両手を頭の上で振り、瀬名さんの手をどかす幹史。


「さあ、僕たちも食べてしまおうか。話をしっかり聞くためにもね」


 そうですね。サンドイッチがもう一切れ残っている。卵たっぷりサンドを口に運び、一口齧る。先ほどまであまり感じられなかった味が舌の上で広がった。


 美味しい。食べる環境によってこんなにも味が違うのか。これからは食べる環境にも気を付けよう。



 僕たちが食べ終わり談笑をしていると、奥のドアが開き狭霧さんが戻ってきた。


「お待たせしてしまいすみません」

 狭霧さんは棚から自分含めた人数分の湯呑みを出すと、急須で緑茶らしきものを注ぐ。


「お構いなく。ナナくんは寝ました?」


「ええ、なんとか。寝る前まで、『お兄ちゃんを怒らないで』って言っていました。あの子なりに何かを察知したのでしょう」


 湯呑みを一人ひとりの前へ置いていく狭霧さん。


「彼を怒りますか?」


「はは、まさか。私から出てくるものは感謝の言葉しかありません」


 動きを止めた狭霧さんは、幹史に向けて深く頭を下げた。


「あの子を守ってくださり、そして私を叱ってくださり、ありがとうございました」


「あ、頭を上げてください!」

 立ち上がった幹史は、狭霧さんに頭を上げるよう頼む。しかし、上がらないのを見て息を軽く吐くと、負けまいと勢い良く頭を下げた。


「すみませんでした! 何も知らずに出しゃばってしまい、あなたを傷つけるところでした。本当にすみません」


「そんな。謝らないでください。悪いのは私なのですから」


 幹史の頭を上げようとする狭霧さん。先ほどと立場が逆転している。


「……はい! もうこれでお互い謝るのはなし! 良いですよね、狭霧さん?」


 頭を上げ笑顔で手を打ち合わせた幹史に、呆気に取られている狭霧さん。


「……ふふ。ええ」

 優しく微笑むと幹史に手を差し出した。


 その手に自分の手を重ね握ると、幹史は今日一番の笑顔を見せる。


 ねぇ、涙の後の世界はやっぱり奇麗だね、父さん。


ご高覧いただき感謝の至りでございます。

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