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第十一話 乙守島【一日目】「事実は小説より奇なり」


 湯呑みの側面と底に手を置き、手本のような姿勢で口に運ぶ狭霧(さぎり)さん。その湯呑みは他に用意された湯呑みと比べると、見るからに歪であった。失敗作ともとれるような、こどもが初めて作ったような、そんな代物。狭霧さんはその湯呑みを至極大切そうに扱っている。


 ほどなくして静かにテーブルに戻される湯呑み。量は明らかに減っている。飲んだのは明白だった。同じ急須から注がれた中身であることを目の前で見せ、自らがまず飲むことにより安全性の証明をする。


「お気遣い痛み入ります。では遠慮なく」


 微笑んだ先生は湯呑みを持ち、口に近づけた。嚥下した音が聞こえる。置かれた湯呑みの量も減っていた。


「んー、とても美味しい緑茶ですね」

 感嘆の声を上げる先生。


 先生がなんともないのを見て、今度こそというように幹史(かんし)は湯呑みを口に持っていく。


「……あ、本当だ。美味しい」

 湯呑を見つめて呟く幹史。


 僕たちも湯呑みを持ち、緑茶を飲む。鼻から抜ける爽やかな香り、仄かに感じる甘味、そして、この渋みと苦み。煎茶だ。


「ふふ、美味しいですか?」

「……え? あ、はい、とても」

 僕に問いかけていたみたいだ。目を瞑っていたものだから反応が遅れてしまった。


「うちで採れた茶葉でして。喜んでくださり光栄です」

 僕を見つめて微笑む狭霧さん。


 また無意識に顔が緩んでいたのか。少し恥ずかしくなった僕は湯呑みを置き、俯く。なんか、暖かな視線をいくつも感じるけれど気づいていないふりをしよう。そうしよう。



「では、本題にはいりましょうか」

 息を吐いた狭霧さんが話を切り出す。


「まず、先ほど幹史さんがおっしゃっていたことは一部正しいです。私は、ナナが標的になることを知っていながら集落の入り口に一人残しました。正確には、彼は集落に入ることができませんので、私たちが集落に入る時点で一人残さなければならなかったのです。ですが、なにも入口に残す必要はありません、この家に送ることもできましたので」


 俯いて話す狭霧さんの顔は次第に歪んでいく。


「幹史さん、私はもっとひどいことをナナにしました」


 顔を上げ、幹史を見つめる狭霧さん。見つめ返した幹史はその言葉の意味に気付き、悔しそうに唇を嚙んだ。


「……黙って見ていたんじゃなくて、そうなるように仕向けたってことですか?」


「ええ」

「なんで!」

 狭霧さんの返答に、幹史は右手を強くテーブルに打ち付ける。近くにあった湯呑みに振動が伝わり、中に入っている緑茶も波打った。


「言葉で伝えるより、実際に見るほうが信じていただけると思ったのです。……この島の異常さを」


ナナの件を異常だと思っている狭霧さん。でも、百合(ゆり)さんや(とばり)さん、こどもたちやナナの反応を見るに日常で起こっていることのようだった。これでは、狭霧さんと島民の間で認識の錯誤が生じていることになる。


「一族の皆も決していじめを容認しているわけではありません。囲まれているのが他のこどもや動物であれば、百合さんはいじめていたこどもたちを叱っていたでしょう」


「ナナくんだからあんな反応になってしまったと?」


「ええ。矛盾していることは重々承知です。特定の一人を故意的に虐げていることこそいじめなのではないか、と」


 その通りだ。それはいじめ以外の何物でもない。


「ですから、まずは『なきり』一族について話をさせてください。その前に、不躾ですがこの島についていかようにご存じになられたのでしょうか。また、いかような情報を握っておりますでしょうか」


「……以前、十年ほど前にこの島を訪れた者がいまして、ここ乙守島は無人島ではなく人が住んでいる島だった、とその者と交流があった私は聞いていたというわけです。何分滞在期間が短く情報は得られなかったと本人が言っていまして、私どもの握っている情報は残念ながら何一つありません」


「そうですか……」

 淡々と述べた先生に、狭霧さんはどこか沈んだ声で答えた。


 何も情報を握っていないという嘘をついて、先生も狭霧さんを探っているのだろう。


「ですが、この島について知り得た情報はありますよ」

 口角を上げて告げる先生。


「この島は食料に恵まれている。広大な畑に実る様々な食物。地産地消で賄えるほどの。きっと(たゆ)まぬ努力の結晶でしょう」


「ええ、ありがとうございます」


 あの畑の総括をしているのは狭霧さんらしいから、これは先生からの純粋な賞賛。


「ですがね、こうとも思ったんです。食料に恵まれている割に人口が少ないな、とも」


 その先生の言葉に狭霧さんの目がわずかに開いた。


「集落での人口が増えない要因で最も多くを占めるのが食料問題です。こどもの数も多かった。しっかり栄養が取れる環境である何よりの証拠です。高齢者がえらく少ないことが気がかりではありますが」


「……すごい、ですね。一目見ただけでそこまで推測できてしまうなんて」

 苦笑いで先生を称賛し返す狭霧さん。


 そうなのです、うちの先生はすごい方なのです。


「私たち一族の名前は『なきり』。こう表します。『百』に『鬼』。『百鬼』と書いて『なきり』と読みます。この名前の由来は、わたしたちが鬼の血を引いているからに他ありません」


 来た、鬼に関する情報。先生が隠した情報を、まさか狭霧さんの口から出されるなんて。

 百の鬼で『百鬼(なきり)』か。


「鬼の末裔ということですか」

 先生はその情報を今初めて聞いたような反応を見せる。


「ええ。そして、『百』にも意味があります」

 そこで一度言葉を切った狭霧さん。ゆっくりと瞬きをし、再び話し始めた。


「――遥か昔、この島には百の鬼が住んでいました。鬼たちはとても気性が荒く、島には誰も寄りつきません。暇を持て余した鬼たちは、自ら船で移動し、近くの島を襲うことを考えます。逃げ惑う人々を笑い、島民が汗水流して育てた食物を奪い、歯向かうものには容赦なく棍棒を振るう。たくさんの人が殺され、住処を奪われ、こどもは飢えました」


「この苦痛に耐えられなくなった島民は鬼の討伐に踏み出します。島の精鋭を集め、あらゆる戦略を考えたのち乙守島へ向かいました。ですが、体格も大きく力もあった鬼に戦略は通用せず、なすすべなく敗れました。諦めかけていたその時、一人の男が立ち上がります。まだ若い男でしたがとても勇敢でした。男は、無謀だと訴える島民たちの制止を振り切り、たったひとりで乙守島へと向かいます」


「しかし、ひと月、ふた月経っても男は戻りません。皆、鬼にやられてしまったのだと考えます。ですが、七日に一度ほど島を襲いに来ていた鬼たちは、男が乙守島(おともりじま)に向かってからただの一度も来ていなかったのです。そして、み月たった頃、傷だらけの男が戻ってきました。なんと、百の鬼をすべて倒したというのです。島民は男と共に乙守島に確認しに行くことにします。島の隅々まで確認しましたが、本当にそこに鬼の姿はありませんでした」


「やっと鬼から解放されたと喜んでいる最中、聞きなれた鬼の咆哮が聞こえます。鬼の姿はないはずなのに聞こえるその咆哮。出所は若い男でした。苦しむ男の頭から二本の角が生え、体は大きくなり、鋭い牙が生えてきます。その姿はまるで鬼でした。男のその後ろには百の鬼の影が見えたそうな。これは『百の鬼の呪い』だと感じた島民は、男を残し乙守島から逃げるように去りました。しかし、一人の女性が残ったのです。その女性は若い男の恋人でした。たとえ鬼になったとしてもあなたはあなたですから。そう告げ、乙守島に残った二人は永遠の愛を誓い合いました」


「これが代々一族に語り継がれている『百鬼伝承(ひゃっきでんしょう)』という物語になります」


 狭霧さんが語った『百鬼伝承』。

 それは、勇敢な男が鬼の呪いを一身に受けた話。


ご高覧いただき感謝の至りでございます。

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