第四十二話 乙守島【四日目】「冬来たりなば春遠からじ」
屋外に用意された木のテーブルとベンチ。暗夜を照らす盆提灯。様々な料理。そして、中央には祭壇。
島民たちは飲み物片手に、身なりを整えた当主様に視線を向けた。僕たちも倣う。月華さんは島民の顔を見渡すと、笑顔で木のジョッキを高く掲げた。
「カンパーイ!」
コップをぶつけ合う。途端広場は話し声で満たされていった。
ここの果実ジュースは美味しい。何杯でも飲めそうだ。そして、ここの料理も……
――あれ?
端無くも気が付いてしまう。賑やかな雰囲気だけれど、誰も料理に手を付けようとしていないことに。皆、誰かが先に口にするのを待っているような気がした。
気持ちはわからなくもない。今まで意識していなかったことでも、意識した途端恐怖が渦巻いている錯覚に陥ることはよくある。しかも、毒のある植物がこの島で育てられていたとあってはやすやすと口にはできないだろう。
だったら、ファーストペンギンならぬファーストイーターの役目、僕が任されてもいいよね?
そして、僕は目の前にあった串焼きの鮎を手に取った。
「あー、これ美味しそうだなあ。食べたいなあ」
僕にできる最大限の大きな声で言う。話を中断した島民たちに一斉に視線を向けられた。
視線が刺さる。でも……
「いただきます!」
僕は串にささった鮎の腹に大きく口を開けて齧りつく。
「……美味しい」
ふっくらとした身に絶妙な塩加減。すかさずもう一口齧りついた。噛むたびに広がっていく旨味を、目を瞑って堪能する。たまには丸かじりする魚もいいよね。その美味しさに思わず頬が緩んでしまう。
「……俺も、いただきます!」
「私も……!」
島民たちも各々食べ物に手を伸ばし始めた。食べ物を口にした途端、笑顔が伝染していく。
良かった。どうやら、ファーストイーターは成功したようだ。だって、こんなにも美味しい料理たちなんだもの。楽しく食べないと損だよね。
もう一口齧ろうと開けた口が止まる。近くの人間からの何か言いたそうな視線を感じ取ったからだ。僕が目線を上げると、にやけた顔の瀬名さんと目が合った。嫌な予感。
「やるじゃん、千界。見直しちゃったよ」
「さいですか」
ぶっきらぼうに答える僕。さっきのこともありますしね。
「棒読みもいいところだったけどな」
「うるさい」
言われなくても自分が一番わかっているもん。それに頬張りながら話すな。……ああ、顔が熱い。
「勇敢だったぞ」
竜也さん、――からの賛辞は素直に受け取ろう。「ありがとうございます」
斜向かいに座る先生から視線を感じ、顔を上げた僕。
「……君は、本当に美味しそうに食べる。皆の恐怖を取り除いてくれてありがとう」
「……はい」
微笑んだ先生に、僕は歯を見せて笑い返した。
目に入った次の料理に手を伸ばし口に運ぶ。本土では出会ったことのない味付けだけれど、心にしみわたる優しい料理だった。ほっこりするような美味しさだ。
やたら暖かな視線をいくつも感じるけれど気づいていないふりをしよう。そうしよう。
「皆さん、楽しまれておりますか?」
悠然とした狭霧さんの声が聞こえてきた。隣には、月華さんの乗った車いすを押す夕星さん。
狭霧さんは今まで着ていた麻生地の服ではなく、質のいい薄手の着物をお召しになっていた。屋敷の者たちと比べても遜色ない出で立ち。
「おお、似合いますな」
「でしょう?」
称賛を送る瀬名さんに、誇らしげに胸を張った月華さんと夕星さん。あの着物を誂えたのは二人なのだろう。狭霧さんははにかんで視線を逸らした。
どうぞ、どうぞ、と席を詰める先生に頭を下げた狭霧さんは、車いすをテーブルの端に持ってくるよう夕星さんに手で合図をする。
「では、私はこれで……」
車いすから一歩下がり胸に手を当てこの場から去ろうとする夕星さんを、狭霧さんが引き止める。
「あなたもご一緒しては? どうやら興味を示している方もおられるようですし」
そして、今にも夕星さんに飛び掛かろうとする瀬名さんへ視線を送った。
「……では、お言葉に甘えて」
畏みながら席に着いた夕星さんに哀れみの眼差しを向ける僕たち学生三人。
「ドンマイ」
「その、なんだ。まあ、頑張れ」
「生きて戻ってきてくださいね」
「な、なんですお三方して? そんな物騒な――」
「夕星くーん、ちょーっと聞きたいことがあってねぇ……」
「ひぇ!」
彼が音を上げるまで、そう時間はかからないだろう。
「こんな光景が見られるとは思いもしませんでした」
木のジョッキを置いて狭霧さんが呟いた。湯呑みがしっくりくるせいか、ジョッキを持つ姿がアンバランスに思える。
「皆さんの、そして森羅さんのおかげです。ありがとうございました」
狭霧さんと同時に月華さんも頭を下げた。
「その感謝の気持ちは素直に受け取ろう。だが、この一族を変えたのは紛れもなく君たちだ。犯した罪と共にそれも忘れてはいけないよ」
音を立てずジョッキを置くと、先生は優しい微笑みを浮かべる。
「……はい」
二人は目を伏せ頷いた。
「さぁちゃん!」
唐突に聞こえてくるこどもの声。遠くから走ってきたナナが狭霧さんの背中に抱き着く。
「いかがなさいましたか、ナナ。百合さんや帳さんといらしたのでは?」
「さぁちゃんがいいの」
狭霧さんの背に顔を擦り付けながら呟くナナ。狭霧さんはそんなナナに微笑むと抱き上げ自分の膝に乗せた。ナナは嬉しそうに抱き着くと、今度は胸に顔を擦り付けている。
「すみません、狭霧さん」
「ご歓談中失礼いたしました」
百合さんと、眠っている赤ちゃんを抱いた帳さんが、申し訳なさそうな顔で近づいてきた。
「ずっとナナと呼ぶわけにもいかず、ちゃんとした名前を決めようと言ったらいきなり飛び出してしまって……」
頭を掻きながら軽く経緯を教えてくれた百合さん。
「ちがうの! 名前はさぁちゃんがつけるんだもん!」
ナナは百合さんに向かって、子犬が吠える如く言う。
「なんだ、そうだったのか。――そう言うことなんで、狭霧さん頼んでいいですか?」
ナナの気持ちを汲み取った百合さんは苦笑いで狭霧さんに頼んだ。
失礼だけれど、少し意外だった。ナナの件に対して殴るほど狭霧さんに怒りを向けていた百合さんだったから。あんな事情を聴いてしまってはもう責めるに責められないか。
「……いえ、私なんかが……」
「でたよ、それ。あー、ほんっとむかつく」
卑下する狭霧さんに頬杖をついて悪態をついた瀬名さん。隣には、車いすで片腕を上げ下げし、そうだ、そうだと言わんばかりのヤジを飛ばしている月華さんがいた。
その傍らで、何かぶつぶつと呟きながら机に伏している夕星さん。案の定ダウンしている。でも、これは案外もった方なんじゃないかな?
「ナナちゃん、どんな名前をご所望かな?」
「さぁちゃんと同じ名前!」
「なるほどねぇ……」
ナナの返答を聞いて瀬名さんは考え込む。
元々『狭霧』という名前になるはずだったナナ。本人がそう望むとは。悩みどころですね。
「『狭霧』とは、秋の――楓の季節から梅の季節にかけて立ち込める、細かくて肌寒い霧のことなんだ。その『霧』には別の呼ばれ方もあってね。それが『霞』。狭霧くんとお揃いの名前だ。どうかな?」
「……うん! お揃いの『霞』がいい!」
瀬名さんの提案にナナは、いや霞は両手を上げて喜んだ。
「おお! いい名前だな!」
「ええ。霞、素敵な名だわ」
両親二人もその名前に満足しているようだ。
「……良いの、ですか?」
不安げに百合さんと帳さんを見つめる狭霧さん。自分たちから息子を奪った張本人と同じ名前なんて……、と思っていそうだ。ずっと負い目を感じていただろうから。
「この子がそれを望んだんだ。否定する謂れはないだろう?」
百合さんは狭霧さんに笑顔を見せた。しかし、狭霧さんの顔は晴れることはなく、そのまま俯く。
「さあ、霞。ここにずっといては迷惑になりますから」
「やだ」
帳さんが霞に優しく声をかけた。しかし、彼は狭霧さんに抱き着いたまま離れない。
「ほら、お父さんと母さんとあっちの料理を食べに行こう」
霞の肩に手を置き諭す百合さん。
「違う! お父さんじゃない!」
「霞! それは言ってはいけない言葉です。謝りなさい」
首を勢いよく横に振って叫んだ霞に、狭霧さんは叱責する。狭霧さんの大きな声に肩を震わせた霞は、ポロポロと涙を零し始めた。
「……だって、だって……、言っちゃったらもう、さぁちゃんと一緒に、いられなくなっちゃう」
「……霞……」
「違うもん。霞のお父さんは、さぁちゃんだもんっ!」
霞は声を上げて泣いた。
「……どう、して?」
そう零した狭霧さんの瞳からも涙が一筋流れる。
「行かないで、霞をおいて行かないで、お父さん……」
幾筋も流れだす狭霧さんの涙。彼は泣きじゃくる霞の体を強く抱き締めた。抑えていた声は次第に漏れ始め、抱き締める小さな肩に顔をうずめると声を上げて泣いた。
この様子を見ていた帳さんの瞳からも涙が流れる。これはきっと彼らとは違う涙。彼女の肩をそっと抱き寄せた百合さんは、月華さんに一礼すると踵を返していった。
月華さんは二人の姿が見えなくなるまで、深く頭を下げ続けていた。上げられた顔は嬉しそうでもあり、申し訳なさそうでもある、複雑さを感じさせた。
この状況は手放しで喜べるものではない。勿論、霞の意思は尊重されるべきだと思う。でも、選ぶにはあまりにも百合さんや帳さんと一緒にいた時間が短すぎた。今更この人たちが本当の親だよ、と言われても混乱するのは目に見えている。
去り際の百合さんの顔、どこか安堵しているようにも見えた。もしかしたら、二人はこうなることを望んでいたのかもしれない。自分たちの元に帰ってきてほしい、そんな心底に張り付いた思いを押し込め、我が子の幸せを一番に願う。これをどれほどの者ができようか。僕は、尊敬の念を抱かずにはいられなかった。
「良かったですねぇ、ししょー……」
机に伏していた夕星さんが鼻を啜る。頬が乗せられたテーブルは濡れていた。彼の手に握られている木のジョッキ。
「え、なに。これ酔ってる感じ? 泣き上戸なの?」
夕星さんの火照った顔を見て瀬名さんが独り言ちる。
その途端、鋭い視線が飛ばされた。霞を抱きしめて泣いていたはずの狭霧さんが、鋭い目つきを瀬名さんに向けている。
「……こどもに酒を飲ませたのですか……」
こ、声から怒りが漏れ出ています狭霧さん!
「いーや、ただのジュース。ぶどうの」
瀬名さんは夕星さんが握っているジョッキを取り、狭霧さんの手に渡す。鼻を近づけて匂いを嗅ぐと彼は首を傾げさせた。
「本当にただの果実水ですね。ぶどうの」
「でしょう?」瀬名さんも首を傾げて同意を示す。
「……うぅ、良かったぁ……」
泣き上戸のようになっている彼に微笑んだ狭霧さんは、その頭に優しく手を置き撫でた。一瞬声が止むと、今度は押し殺したような声へと変わる。
彼もずっと堪えていたんだろうな。二人の前では泣かないよう必死に。でも、今は泣いてもいい理由があるもんね。例え、それが嘘の理由だったとしても。
途端、声を上げて笑い出した狭霧さん。心の底から笑っているような笑顔。微笑みを浮かべることしかしなかった彼が、口を開け笑っている。
もうひとつ聞こえてくる啜り泣き。車いすの彼は腕を伸ばして、ひとりで戦い続けボロボロになっているだろう細い体に抱きついた。月華さんの頭にも手を置く狭霧さん。
そんな狭霧さんの笑う姿は、一人の息子と二人の弟を愛おしく見守る父でもあり兄でもあるように見えた。
つられて僕たちも笑顔になる。
やっぱり、涙の後の世界は奇麗だと思ってしまうみたいだ、父さん。




