第四十一話 乙守島【四日目】「天網恢恢疎にして漏らさず」
離れた距離で横に並んでいる五人と小さなこども。僕は先生に尋ねた。
「昨夜はどこへ?」
「屋敷へ赴いたんだ。麻袋の中身を月華くんに渡す為にね」
ああ、なるほど。
「集落は寝静まっているだろうからその脇の竹藪の中を通ったんだが……」
「……絹さんの遺体と縄を見つけてしまった、と」
躊躇われた言葉の続きを補った瀬名さん。返ってきたのは肯定の頷き。
「まだ雨が降りたてだったようでタイヤ痕は消えていなかった」
両手を腰にあてた先生は天を仰ぐ。
「……一足遅かったよ」
その声は悲嘆に満ちていた。
先生は月華さんが絹さんを殺そうとしていることに感付いていたのかもしれない。それを阻止するために屋敷へ向かったが、その時にはすでに……。
これは僕の想像だけれど、先生は自分を犯人に仕立て上げるために敢えて現場に落ちていた縄を持ち帰ったんじゃないかな。そして幽閉されるよう仕向ける。なぜって? 狭霧さんのいない場所で月華さんに胸中を打ち明けてもらうために。
もう一つ思うところがある。絹さんは抵抗しなかったのだろうか、ということ。車いすに乗っており手しか動かせない月華さんに背後から首を絞められたとして、抜け出そうと思えば可能だったのではないか。
何故だろう。絹さんの顔はとても穏やかに見えた。まるで、自ら死を受け入れたかのように……。
「あの縄はね、月華くんが自分への戒めとして大切にとっていたものらしいんだ」
「戒め?」
「ああ。狭霧くんが自身の首にかけた縄なんだと」
それは、狭霧さんは自ら命を絶とうとしたことがあったということか。
「夕星くんが見つけ未然に防ぐことができたらしいが、狭霧くんはかなり不安定にあったようでね。隠し持っていた刃物で自分の手首に何度も刃を当てたようだ」
だから、狭霧さんは左腕に布を巻いていたのか。
月華さんの怪我を見て自分を責め続けた挙句、情緒がおかしくなってしまうのも無理ない。
「あの縄には黒ずんだ血痕が付着していた。月華さんは時々あの縄を見ては、胸に刻み付けていたのだろうね」
月華さん自身も、死んでしまった方がましと思えるような痛みと戦っただろう。何度絶望を味わったか、何度心が折れそうになったか、そこは僕の理解が及ばない境地だ。
でも、これだけは言える。二人は、そんな二人を支え続けてきた人たちは、悲惨な運命に翻弄されても必死に抗い続けてきたということを。
「ひとついいですか、先生?」身を乗り出して瀬名さんが問う。
「行きは絹さんが手伝ったとして、帰りは――車いすは自力で動かすことができても屋敷の中に入るには誰かの助けが必要だと思うんだけど? 仕掛け戸の木を押したり、スロープだったり」
「それは、ほら。気が利く子がいるじゃない」
「ああ、そうね」
その返答に納得したようだ。
「何かがあったと察しても何も聞かず、ただいつも通り当主様を迎えることのできる子が」
「なんというか、健気だな」
竜也さんは、二人の側に寄り添い続ける夕星さんを見て呟いた。
「幼くして絶望の渦中にいたのだろう。だからこそ他人の感情や立場に敏感で、先を読んで行動する癖が身についてしまった。世間一般では気が利くことは良いこととされているが、その実、見たくない面を感じ取ってしまう不憫な特性とも取れてしまうからね」
「十五の少年とは思えないな。良い意味でも、良くない意味でも……」
目を伏せて呟いた幹史は、ナナと繋いでいない方の手に力を入れる。
夕星さんは、年相応の経験はしてこなかったのかもしれない。友達と馬鹿みたいにはしゃいだり、仲間と競い合ったり、恋をしたり……。
でも、彼にしか経験し得ないこともたくさんあっただろう。どうか、それを大切に、そして誇りに思ってもらいたいな。
願わくは、彼らの未来に幸多からんことを。
絹さんの葬式は支障なく行われた。月華さんも狭霧さんも葬儀中は涙ひとつ流すことなく、毅然とした態度で最後まで見送っていた。しかし、初めは見えていた夕星さんの姿が忽然と消えた瞬間があった。帰ってきた時には仄かに赤くなっていた彼の目元。本当に強い少年だ。
その晩、広場にて島総出で宴が開かれることとなった。故人を偲ぶために行われるそうな。
準備は葬儀の後から始まっており、島中慌ただしくなっていた。今や身分さは関係なく互いが協力をしている。そこには、麻生地の服を着た女性たちと共に笑って準備をする樹雨さんの姿もあった。
僕たちが手伝いますと声をかけても、島民たちは「客人たちは座っていて」と断るばかり。この手持無沙汰をどうしようか。
ふと辺りに視線を送ると、広場の離れた位置で月華さんと狭霧さんが並び島民たちを眺めている姿を見つけた。
あの後、二人は自ら地下牢での幽閉を望んだ。二人の犯した殺人という罪。許されるものではないだろう。しかし、それは本土での話。こちらのことはこちらの尺度で考えるものだ。島民たちが下した決断は、『これからも当主とその側使いとして一族をあるべき姿へと導いていくこと』であった。もちろん、その命が尽きるまで。これはある意味での終身刑とも取れるのかもしれない。
話がまとまった後、島民たちは月華さんと狭霧さんをすかさず囲んだ。どんな話があったのかは聞こえなかったけれど、二人が島民たちに愛されていることは伝わってきた。
それは普段の二人の行いによるものだろう。以前百合さんが言っていたように、島民はそのままの二人を受け止めた。今までは身分という弊害があったけれど、それは徐々になくなっていくのかもしれない。そうであってほしいと僕は願うばかり。
――今の二人はどんな話をしているのだろうか。
「私たちの犯した罪は消えませんが、身を粉にしながら一族に尽くしていき共に償っていきましょう。あなたの思いは必ず私が届けますので。ですから、安心して――」
「いたっ。なぜ叩くのです。……え? そんなに腕を振られてもわかりませんよ。あー不便、不便」
「いててっ、ちょっと抓らないで。……はいはい、すみません」
「……やっと、ここまで来られたのですね。とても長く、とても苦しい道のりでしたが、森羅さんからのノルマはこれですべて達成です。本人の目で見ていただきたかったのですが、それはもう叶わない願い……」
「……ええ、そうですね。先生方が見届けてくださいましたね。彼ら、普通の方々ではないのかもしれませんよ? 私が『絶対に見るな』と言った畑を本当にご覧にならなかったのですから。森羅さん一押しの昔話『鶴の恩返し』でも使われた神秘の言葉だというのに。私の想定では、あの方々はもう少し早い段階でイヌサフランの発見に至り早急に私を……。いえ、過ぎたことをくよくよ言うだなんて私らしくありませんね」
「あー、なんですかその『お前過去をくよくよ引きずっていたじゃん』とでも言いたげな顔は。失礼ですよ。私はもう前を見ると決めたのですから。時々数歩下がることもしますけれどね」
「ねぇ、月華。父上と雪天様、それから絹さんも今頃は天で私たちを見守りくださっておられるのでしょうか」
「……そうですね。お二人がおられるのは地獄かもしれません。再会した際には、勝手に死を選んだことに文句を言わなければなりませんね。その時にはきっと月華も話せるようになられているでしょうから、これでもかと一緒に責め立てましょう」
「……ナナですか。百合さんと帳さんの元へお返しいたします。ナナにとっても本当の家族といられたほうが幸せでしょう。それに、妹ができましたからね。良い兄になってくれると思いますよ」
「そんな顔を向けないでください。たしかに思うところはあります。仮にも五回季節が巡る間育ててきましたからね。ですが、良いのです。ナナが笑って過ごせるのなら、私はそれで構いません」
「あ、そうだ。いつまでも『ナナ』と呼ぶわけにもまいりませんね。彼にも名前が必要です。月華がお付けになられます? ……そんなに拒否しなくても良いではありませんか。――彼には、意味が込められた彼だけの名前が授けられてほしいものですね」
「あー! ちょっと、当主様、師匠、まさかそんな恰好で宴に出るとは言いませんよね?もう、どうして二人して首を傾げているのですか! わかりました、僕がやります。ほら、さっさと行きますよ」
「え? ちょっと、夕星?」
「口答えしない! お二人仲良く泥まみれで……。奇麗にする甲斐がありますね!」
「……あ、はい」
お、夕星さんに連れられて行った。たしかにあの格好では気持ち良く食事は行えないよね。
「かんしお兄ちゃん」
「ん?」
視線を隣へ移す。幹史の左手を両手で握り、ナナが見つめていた。
「えっとね、あの……」
言い淀んでいる姿を見てしゃがんだ幹史は、自分の耳を彼の口元へと近づけた。
「……なるほどな。暇だし、今行くか!」
「うん!」
何やらこそこそ話が成立した二人は、おててを繋いで仲良くどこかへ向かっていった。向かった先はたいして遠くではなく、僕たちから少し離れた位置で座っていた先輩二人の元。
「竜也さーん」
用は竜也さんにあったようで、幹史は彼に声をかけた。繋いでいた手を離し、幹史の後ろに隠れたナナ。竜也さんのことはまだ怖いみたいだ。
何をするのか気になったので僕も近づく。後ろで手を組んだ瀬名さんが僕の隣に並んだ。
「宇田ちゃん取られちゃったなぁ。何が始まると思う?」
「さあ?」
ナナは竜也さんに何をお願いするつもりなんだろう。今眼鏡をかけていなくて怖いから眼鏡をかけてとか? だったら、ナナじゃなくても幹史が言えばいいことか。
おずおずと幹史の後ろから出てきたナナは、竜也さんの前に踏ん張って立った。
「……ナナを、強くならせて!」
想像もしていなかった展開に開いた口が塞がらない。竜也さんも口を開けたまま動きが止まっていた。
「へぇ、ナナちゃんやるねー」
手をぺちぺちと叩いて感心している瀬名さん。
「お、お前、強くなりたいのか?」
驚きを隠せないまま、幹史はナナに問いかける。
「うん。さぁちゃんがもう泣かないように、ナナが強くなって守るの!」
「……そうか、立派だな」
竜也さんはしゃがむと、大きな手をナナの頭に置く。目を瞑って身をすくめたナナだったけれど、撫でられたことに安心して目を開くと徐々に顔を綻ばせた。
「だが、俺でいいのか?」
「うん。うだちゃんがいちばん強そうだもん……!」
今やナナが竜也さんに向ける視線は輝いていた。まるで、戦隊モノのレンジャーに向ける眼差し。
「よし、承った。幹史、少し手伝ってくれるな」
「まあ、良いですけど、なにすっ――うげぇ」
その瞬間、幹史は地面に倒されていた。
「……す、すごい! わあ!」
素早く幹史を仕留めた竜也さんを見て、ナナは飛び跳ねて喜んだ。
「これは柔道というもののひとつの技だ。『大外刈り』と言ってな」
「りゅ、竜也さん、容赦ない……」
「容赦などしていては彼のためにならんからな」
「俺は? 俺の身は案じてくれないんすか?」
「受け身はちゃんと取れよ」
「そうじゃねーよ!」
幹史がその言葉を言い終わる前に、彼は再び投げられていた。
「話すな。舌噛むぞ」
「……あい」
可哀そうな幹史。
「なにあれ、ちょー面白そうなんだけど。僕も混ざってこようかな」
向かおうとしている瀬名さんの腕を咄嗟に掴む。
あなたまで行くと幹史が死ぬ。精神的に。
「え、なに。僕を置いて行かないで的な?」
「違いますよ」
「えー、なにそれ、千界ってば可愛いところあるじゃん」
「だから、違いますって」
「この、やきもち焼きさんめ!」
話の通じない先輩だな。
そんなこんなで、宴の準備は整った。
ご高覧いただき感謝の至りでございます。




