第三十九話 乙守島【四日目】「擌にかかれる鳥」
月華が自ら辞退を宣言し、次の当主は黎明に決まった。それは、桜の季節が終わりかけ空木の季節を迎えようとしている頃である。
けれど、月華は諦めていなかった。
「狭霧。どうしてあいつは動かないと思う?」
「ひとまず、第一の関門を突破しひと休憩、といったところでしょうか。悪知恵が働きますから油断はできませんが、暫くは手を出してこないかと」
「なるほど。なら、今しかないよね」
彼は、あの日森羅さんが読んでいた三冊の本を取り出した。
「いつのまに……。そういった危険な行為は今後私に任せてくださいね」
「平気、平気。なんてったって、『思い立ったら即行動!』『頼んでいる時間なんて勿体ない!』が、俺の生き方だからな」
「はぁ……」
ため息をつかずにはいられません。しかも一家言増えているし。どうやらこの方には危機感というものが欠如しておられるようだ。
「一族を変えるならそりゃあ当主になるのが一番いいんだろうけど、当主にならなくてもできることはあると俺は思う」
「まずは知ること、ですか」
「そう。森羅さんの云う『かなりやばいこと』がなんなのか知ろうじゃないか! わっはっはっはっはー!」
楽しそうだこと。
しかし、この本の内容は私も気になっていた。文字もだいぶ習得しているし、この広辞苑という頼もしい助人が付いている。
そして、私たちは三冊の本を読んだ。そこには、惨憺たる日々が綴られてあった。
月華は、案の定というべきか泣いていた。自分が経験してもいない他人のことで彼は自分のことのように泣ける。森羅さんにもその点を買われていたな。
「この事実を皆に伝えよう」
「方法は? 信じてもらえる根拠はあるのですか?」
「ない。でも、信じてもらえるまで続ければいい」
「阿保ですか! 信じるに値するって思われなければ、そもそも聞いてもらえません!」
「阿保でもいい! 耳を掴んででも聞かせる!」
「暴力に訴える当主がどこにいるんです!」
「俺、当主じゃないもん!」
月華の叫ぶ声に交じり足音が聞こえてきた。咄嗟に口を噤んだ私たち。足音はこちらに近づいてきていた。障子に人影が写る。その人影は私たちがいる座敷の前で止まった。ゆっくりと開けられていく障子。
「みぃつけたあ」
この世の何よりも嫌悪を抱く顔が隙間から覗いた。
「二人して何をしているのかな?」
本を後ろに隠す。こいつに見つかるのだけは厄介だ。
「何を隠したんだい?」
見られていたか。
「叔父上。いえ、当主様。ただ私たちは遊んでいただけです。こどものお遊びなど、当主様にお見せできませんから。恥ずかしくて」
「そうか……。捕らえろ!」
黎明が叫ぶと、障子に写らない位置に隠れていた護衛四人が座敷に入ってきて私たちを取り押さえた。
「へぇー、これを」
しまった、見つかって――いや、まだ大丈夫。禁書の閲覧なら叱責で済むはずだ。
「うーん。よし、今日から『閉じられた間への無断侵入及び禁書の閲覧』は極刑にしよう!」
して、やられた……。黎明は動かなかったんじゃない、私たちが動くのを待っていたんだ。私が浅はかだった。黎明を見誤っていた。すまない、月華……。
「地下牢への幽閉、蠅は一日。そして、主犯格の月華くんは十日としようか」
「待ってください! 地下牢に十日間幽閉など死んでしまいます!」
「それほどの罪を君たちは犯したということだよ?」
「今までは罪に問われていなかったはずです!」
「私は大罪だと考えていてね。当主の言うことは絶対。違うのかな?」
違わない。当主の意思は一族の意思そのもの。しかし、こんな暴挙許されていいはずがない!
「連れていけ!」
「お待ちください、当主様!」
私がいくら叫んでも現状が変わることはなかった。無様にも地下牢に連れられて行く。
ここで終わりなのか? 私たちは何もできずに……
「お待ちください!」
一人の男性が立ち塞がった。前当主様の護衛を務めていた者だ。
「祝福与り知らぬところでの死などあって良いのでしょうか」
「まだ死ぬと決まったわけではないが?」
飄々と黎明は言う。騒ぎを聞きつけ、屋敷の役人たちも集まってきた。
「地下牢で水も食料もなく十日の幽閉。間違いなく死ぬだろうな」
「そうなってしまっては今後も『百鬼の祝福』から見放されてしまうのではないか?」
「そんな恐ろしいことあってはならぬ!」
「いや、祝福は絶対だ。たとえ死んでしまっても新しい体に魂は巡るはずだ」
「なるほど。試す価値はありますな」
「幽閉してみてはどうです?」
なぜ、そんな実験体のようなことを月華に……。馬鹿げている! 祝福は『祝いのニンニク』あってこそ。わかっているはずなのに……。
為すすべなく、私たちは地下牢に入れられた。
「……すみません。私が油断していたあまり……」
「大丈夫だ。俺たちはまだ死んでいない。生きている限り、何も終わっていないんだ」
どうしてこんな状況でも君は笑っていられるのだろうか。強いな……。
「――ええ。必ず私が助けに参ります」
それから一日が経ち、私は解放された。決行は今宵。必ずここから月華を救い出す。
そして夜が更けて皆が寝静まった頃、私はひとり地下牢へと向かった。その道中、地下室のある部屋、牢の前、どこにも見張り番を立てていない杜撰さ。呆れてしまう。
「……迎えに参りました、月華」
「あはは、まるで囚われの姫を救出に来た王子みたいだ」
「あなたはお姫様ほど可憐ではありません」
「……自分が王子であることは否定しないのね」
「ほら、行きますよ」
「はーい」
大きな閂を外して月華を牢から出すと、私たちは音が出るのも構わず階段を駆け上がった。
しかし、奴らは地下室のある部屋で待ち構えていた。
「あれ? これは脱獄と見なしていいのかな?」
嵌められた……! 黎明は、月華が脱獄したという事実をつくるためだけにあえて私を見逃したのだ。どうして私はいつもこうなんだ……!
「そんな顔をしない! お前は俺を牢から出した。だから今自由に動ける。何を思い詰めることがあるんだ。ここからが始まりでしょうが」
「……何か策があるのですね」
「まあねぇ。いくぞ」
私の腕を掴んだ月華は、助走をつけてそのまま襖を蹴破った。そして、部屋を抜けると廊下を走り出す。
「えー!」
その場にいた誰もが驚きの声を上げた。
一方「あはは!」と、とても楽しそうに笑っている月華。
「……この、馬鹿月華! 破天荒にもほどがある!」
「まあまあ、そんな怒らさんな。逃げるにはああするのが一番だろう? それに、騒ぎを聞きつけてすぐに人が集まってくるから」
あの月華がそこまで考えていたとは。この子も成長しているのか。
「あー、すっきりしたー」
……前言撤回。あなたには当主になるための修行が必要だ!
月華は裸足のまま奥の間めがけて走る。絢爛豪華な襖を開けると止まることなく障子を開け、側庭に飛び出た。
白い砂がまるで雪のように見える、と先々代が付けられた『立花の庭』という名。雪天様のお気に入りだった枯山水。
月華は、水たまりの上を走るように白砂の上を駆けていく。砂紋には二つの足跡が刻まれた。亡き後、父を真似て模様を描いてみたが、誰に見られるでもなく今自らの足で崩している。骨折り損のくたびれ儲けというやつですかね。
「――これさ、前と模様が違うよね。もしかして狭霧が描いた?」
「え、ええ、まあ」
「俺、こっちの模様のほうが好きだ!」
……損、ではないのかな。
側庭を抜け屋敷の裏手に回る。何もなく薄暗い。月華は立ち止まった。目の前には屋敷を囲むように立てられた木塀。私たちは木塀を背に振り返る。刀や短剣を持った黎明たちが目前に迫ってきていた。追い込んだとみて彼らの顔が不敵な笑みを浮かべる。
――否、月華が誘導したのだ。私たちの背後には、まさにあの仕掛け戸がある。追い込まれたふりをして押し出せば外に出られるのだ。月華の合図を待つ私。
しかし、それは突然だった。振り返った月華に、私は強く体を押されたのだ。木と一緒に私の体が傾いていく。伸ばした手は宙を掻き、意志とは反対に月華と離される。押されきった木は二人を隔てるように戻っていき、晴れやかな笑顔の月華を残して閉じられた。
……何が起きた? 私、ひとり――。
「月華……! 月華!」
何度扉を叩いても、押しても微動さえしない。月華が中から抑えていたために。
「早くあなたも――」
「逃げろ!」
彼の怒鳴り声が辺りを震わせる。
「……俺は大丈夫。もうすぐ人がくるから」
「ですが……」
「次期当主の俺にかっこつけさせてくれって。な?」
顔が見えなくても彼が笑顔で言っていることが伝わってきた。
「お友達を守るなんてかっこいいね、月華」
黎明が下品な笑い声をあげ月華に近づいている。
「君を置いていくなんてできない!」
涙が零れてくる。何もできない自分が腹立たしい。
「いいから逃げてくれ! どうして聞いてくれないんだよ……。お前は俺の理解者だろ!」
彼の悲痛に満ちた叫び声を聞いて、私はその場から逃げ出していた。
背後から争う声が聞こえてくる。今すぐにでも戻りたい。でも、私を逃がしてくれた月華の行為を踏み躙りたくはない。
「うあああー!」泣き叫びながら竹藪の中を走り続けた。
気が付けば、私は客人の家で一人倒れていた。どうやってここまで来たのかは覚えていない。どうでもいい。
「……月華は、どこだ?」
とうに夜は明けていて、太陽が照らしていた。
重い体に鞭を打ち動いた。太陽の光がまだ届いていなく薄暗さが残る竹藪を通り、屋敷へと走る。転び、無数の傷ができたが構わず走り続けた。
仕掛け戸の前に着くと昨日のことが走馬灯のように蘇ってくる。
ひとつ深呼吸をして木を押した。その先に広がっていた光景に息が詰まる。
「……血?」
地面には無数の血が飛散していた。
私が屋敷に入ってきたことに気付き声をかける人間がいたが、押しのけ無我夢中で走った。狭い廊下を走ったものだから、すれ違う人との接触は避けられない。幾つもの咎めの言葉を浴びたが、私が足を止めることはなかった。
奥の間に彼の姿はなかった。ともすれば……
私は絹さんの使う居室へと向かう。その一角は異様なまでに静まっていた。
「……狭霧です」
「入りなさい」緩みなく張られた弦を弾くような声が返ってくる。
早くなる鼓動を布の上から握りしめ、私は襖を開いた。
こちらに背を向け、布団で横になっている者の腕を布で拭っている絹さん。彼女のものではない荒く痛ましい息遣いが音のない空間に反響する。
「……げっ、か……?」
どうか、違っていて欲しい。あの血は彼のものではない。違っていてくれ……。
だが、そんな願いは届かない。現実はいつだって現実を突き付けてくるのだ。
「……あ、ああ……」
その場に蹲り畳に額を打ち付け、漏れ出す声を押し殺した。体中を掻きむしってしまいたい衝動に駆られる。
黎明。私はお前を一生許さない。お前を地獄に落とすまで、この気持ちが消えることはないだろう。
赤子の泣き声が神経を逆撫でていく。
――やめてくれ。泣かないでくれっ。やめろ!
そんな荒んだ心が、体と共に温もりに包まれた。泥の匂いが染みついた小さな手が一生懸命私の体を抱きしめていた。
「僕がいるよ、師匠。泣かないでね。大丈夫だからね」
全身の力が抜け、その場に倒れ込む。
……なぜなんだ。私じゃないんだ……。
「……どうして、生きているのが僕なんだろう……」
ご高覧いただき感謝の至りでございます。




