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第三十八話 乙守島【四日目】「泰山頽れ梁木破る」


 屋敷から逃げ出して三日目の朝。夕星(ゆうづつ)は毎日顔を出してくれていた。食べ物や衣服など、小さい体でたくさん運んできてくれた。


 そんな彼から微かに香るニンニクの匂い。


 気が付いてはいた。父は、次の園丁(えんてい)にするべく夕星を秘密裏に屋敷に招き入れていたことを。幸い、園丁の小屋に近づく者はいない。私以外にこの事実を知っている者はいないだろう。いや、絹さんも気づいていたかな。勘の鋭い方だから。


 でも、夕星はまだ(とお)。おそらく、父上は『祝いのニンニク』の畑の存在は彼に明かしていないだろう。私も知らない。でも、それでいい。もう必要ないのだから。


 今日も夕星は来てくれた。しかし、あれから一度も絹さんの姿が見えない。屋敷の様子も気になる。でもこの子を連れて……


「あー、師匠。この子おむついっぱいみたい。僕が替えてもいいですか?」

 そう言うと、夕星は手際よくおむつを替えていった。そして、抱き上げる。赤子は泣き声ひとつあげず安心して目を瞑っていた。


「……夕星。私は君を侮っていたみたいです。――ので、その子を任せました!」


 私は家を飛び出した。彼の引き止める声が聞こえたが、無視して走る。


 ごめん、夕星。屋敷の様子が気になるんだ。父上に当主様、月華の顔を見たらまたすぐに戻ってきますから。


 竹藪の中を走っていると、馴染みのある破裂音が聞こえてきた。祝福があった際の発煙筒の音。


 ふと、私の足が止まる。


 なぜ? 父上が捕まっている以上祝福が起こるはずがないのに。

 一つの可能性が過る。父上はもう解放されたのではないか、ということ。


 黎明を打ち倒せたんだ。勝ったんだ!


 私は無我夢中で屋敷へ走った。零れる笑みを抑えることなく私は走った。祝福を終わらすための争いの中で祝福が起こっているという矛盾に気付きもせず……。


 竹藪の中から見えた赤い煙は、屋敷の近くで上げられていた。


 息を切らしながら、私は屋敷を囲むように立てられた木塀に手を伸ばす。私たちが普段から使っている仕掛け戸だ。木に細工がしてあり、押すと簡単に開くようになっている。外からも中からも押すことで開くため、私たちが内緒で屋敷を抜け出す時、また戻る時にはここを使っていた。


 屋敷はとても騒がしかった。祝福は屋敷内で行われたのだろう。特段珍しいことでもない。屋敷内で新しい命が生まれた際や、見回りや物品・食料の受け取りで外に出た際に受け取ることもしばしばある。そして、大人は一度の季節でなるべく一回は食べるようきまりがあり、立場関係なく比較的平等に配られるのだ。


 隠れながら様子を見ていく。すると、発煙筒を持った女性の後ろ姿が見えた。


「……絹さん?」


 発煙筒を掲げていたのは絹さんだった。発煙筒をあげる人は決まっていない。気が付いた人があげることになっているからだ。つまり、遺体を一番に見つけた人間があげる。そのため、親しい者があげる傾向にあるのだけど、絹さん?


 今まででたくさんの祝福の赤い煙を見てきた。しかし、絹さんがあげたところは夫である前当主様が亡くなった時の一度しか見たことがない。立場的にもあるだろうが、絹さんと親しい人間があまりいないことにも起因している。


 そんな絹さんがあげた発煙筒。嫌な胸騒ぎがする。そして、そんな予感は的中してしまった。


 屋敷から二つの棺が運び出される。ここからでは中にいる人間が見えない。私は近くの木に登り、上から二つの棺の中を見た。


「……え……? 父上! 当主様!」


 どうして二人なんだ! だめだ、こんなのだめだ!


「見つけたぞ! 反逆者!」

「捕まえろ!」


 やめろ、離せ! 私は行かないと!


「父上……! なぜです!」


 土の味がする。圧迫されて胸が痛い。腕も足も抑えつけられて動けない。視界が歪む。


「……いかないで、父上……」

 ああ、二人が離れていく。私たちをおいていってしまう……。



 気が付くと隣には月華がいた。黎明(れいめい)の手下どもに捕まった私はその場で気絶させられ、月華のいる園丁の小屋に連れられてきたのだろう。


「気が付いた?」

「……月華」


「どうしてだろうね。天はとことん俺たちの味方をしてくれない」


 この月華の口ぶりから、父上と当主様が亡くなったことは既に知っているのだろう。


「お祖母様の手から普段はしない土の匂いがしたんだ」


 月華が言わんとしていることが理解できた。だからこそ伝えないといけない。


「絹さんではありませんよ、二人にイヌサフランを届けたのは。確かに絹さんかもしれない。ですが、あの畑は父上しか知りません。……おそらく父上が、いえ、当主様とお二人で決断なさったことなのでしょう。絹さんはただ指示された通り二人に『祝いのニンニク』を届けただけです」


「……そう」

 月華から安堵の息が漏れた。彼の顔をよく見ると、奇麗な目は充血し腫れており、白い頬にはいくつもの涙が渇いた跡があった。


「……ねぇ。俺たちどうすればいい?」

「……わかりません」


「だったら、あの悪魔にどうやって勝てばいいんだよ……」


 突然戸がノックされた。音を立てて開けられていく引き戸。隙間から差し込んだ光に私たちは目を細める。


「さあ、出ておいで」

 甘く優しい声。でも、黒く濁った浅ましい声。


 太陽の光を浴びて白く輝く差し出された手も、私の目には怨念禍々しく荒んで見えた。


「何をしに来たんだよ」

 黎明の手をはじき月華は睨みつける。


「当主様が亡くなられたからね。君たちを閉じ込めておく理由もなくなったんだよ」


 なんて白々しい。お前が殺したも同然なのに。

――いや、待て。これは好機かもしれない。


 屋敷内で起こっていた争いは集落の人たちには知られていなかった。しかし、赤い煙があがったことで屋敷内に祝福があったことが伝わる。この状況では、儀式をせざるを得ない。死体は広場に運び出され、棺の中を見て人々は嘆き悲しむ。「ああ、当主様が」と。そして、同時に考える。「次の当主様は誰になるのか」と。


 必然的に当主様の息子である月華が浮上する。皆が月華を求めるだろう。そんな状態で黎明が次の当主は自分だと宣言すれば、集落の人からの反発は免れない。それなりの正当性を持った理由があってこそ当主の座につけるというもの。そこで考えつく理由のひとつが、「話し合いの末」。当の本人は話し合いで決着をつけるつもりはないだろうが、世間の目を欺くにはまず体裁を保つ必要がある。つまり、一度皆の前に二人が姿を現す必要があるのだ。


 ここまで考えて二人が死を選んだのだとしたら、お二人は私たちに……、『未来』に、託したのですね。父上たちが作ったこの状況、無駄にはしません。


「ほら出ておいで、仲直りをしよう」

 もう一度差し出される手。


「誰がお前なん――」

「月華」

 彼の腕を掴み、怒りの色に染まっている瞳を真っ直ぐに見て頷く。


「……わかった」

 瞳が濡れたような深く美しい漆黒へと戻っていく。私に頷き返すと彼は黎明の手を嫌そうに、本当に嫌そうに掴んだ。


 儀式は滞りなく執り行われた。導師を務めたのは黎明。我が物顔で当主然としている。炎に取り込まれた二つの遺体は敢え無く骸となり、虚しく地面に転がっていた。


「さあ、皆の前に行こうか、月華」


 一族全員の前に姿を現した月華と黎明。


 火蓋は切られた。


「当主様が亡くなった今、次の当主を決めなければならない。しかし、次期当主とされていた月華はまだ十五。こどもに当主を任せるのは些か荷が重いだろう。そこで、私たちは慎重な話し合いの末、次の当主を決める所存だ。どうか、寛大な心で受け止めてほしい」


 黎明の言葉に人々から暖かな拍手と歓声が送られた。


 前を向き堂々と笑顔を向けて手を振る黎明。対して月華は俯いていた。しかし、その眼光は鋭く、未来を見据えているように感じた。彼は諦めていない。


 そうだ、同じ土俵に立てたのなら月華が勝つ。いや、私が何としてでも勝たせる。そう決意し、家で待つ夕星と赤子の元へ向かった。


 これから私は屋敷へいることが多くなるだろう。しかし、まだこどもの夕星ひとりに任せるのは忍びない。赤子もろとも夕星は屋敷で暮らしてもらったほうがいい。なんなら、夕星を次の園丁にと進言するか。


 その晩、屋敷にて話し合いの場が設けられた。議題はもちろん、次の当主について。比率としては黎明派が多いが、月華派は精鋭揃い。前当主様――雪天(せってん)様の下についていた優秀な人材がそのまま月華についておられるのだから。そしてなにより……


「なぜ、絹様があちらにおられる」

「対立を好まずいつだって中立の対場におられたのに……」

「これでは、こちらの分が悪い!」


 あの絹さんが月華派にいる。なぜ、これほどまでに絹さんの存在が大きいのか。ただ当主様の母君にあたるということだけではない。今の一族の中では最年長であり、前当主様の時から妻として側で支え続けてきた彼女。その思慮深さから先見の明があるともいわれている。表立って行動することがない故、彼女が動いた時、それは事が大きくなる前兆、または大きく転じる狼煙となるのだ。――と、前当主様から聞き及んでいた。


 だからこそ、私は先手を打った。彼女に巧みな言葉は通用しない、示すなら態度で。私は何も言わず、ただ深く頭を下げた。


「母上、なぜそちらについた。ああ、唆した者がおられるのですね」


 黎明の顔は、次の当主候補である人間とは思えないほど憤りが迸っていた。まるで、母親に味方をしてもらえず駄々を捏ねるこどものようだ。


「私自身の判断でございます」

「良いのですよ。正直に申されて」


「……私はあなたに当主の器を見出せなかった。ただそれだけのことでございます」


「あ、あなたは、息子への情はあらせられないのですか! 私はこんなにも母上を尊敬しているというのに……!」


 黎明の顔はさらに歪んでいく。今にも絹さんの首に手をかけそうだ。いざとなったら私が……。


 身構えた私の前に月華の腕が伸びてきた。立ち上がった彼は、黎明の前へと移動する。


「叔父上。これは一族の命運を担う大事な話し合いです。私情を挟まないでいただきたい」


「この……!」


 拳を振り上げた黎明に、月華を守るよう立ち塞がった私たち。前当主様の側使いをしていた者、護衛を任されていた者、二名。その手には短剣が握られていた。寸でも動けば黎明の首筋に刃先が当たりそうだ。背後からも感じる殺気。弓を構えた護衛もいたよう。


 なんと頼もしい味方がいることか。


「下がれ」

 月華の一言に私たちは武器を仕舞い後ろへ控える。月華は片膝をつき黎明に顔を近づけて告げた。


「半端な気持ちでここにいるのなら早急に立ち去れ。なお、真剣に話し合いをする意があるのなら態度を改めていただこう」


 どちらに当主の器があるかなど話し合いをする間でもなく歴然。


 反論しようと開きかけた下劣な口は、言葉を発することなく閉じられた。ここでさらに醜態をさらすほど零落れてはいないようだ。


 それから四日、意味のない話し合いが続けられた。原因は、黎明が理由をつけて頑なに認めないことにある。無駄な退室を繰り返したり、大げさに体調不良を訴えたり、悪質な時間稼ぎだ。民衆の心が偏り始めている今、決まるのはおそらく時間の問題だろう。


 しかし、黎明の時間稼ぎには意味があった。


「月華様、絹様が……」

 事情を聴いた月華は飛び出した。


 黎明。貴様はどこまで悪辣なのだ……!


「月華、申し訳ございません。私の不注意でこんなことに」

「いえ、お祖母様。俺が意地を張ったせいです」


「引いてはなりません」

「…………」


「……狭霧、月華を頼みます」

「はい」


 私は何度も諭した。ここで引くのは黎明の思うつぼだ、と。それでも、月華にとって大切な人が傷つけられることは何より堪え難いものであった。


ご高覧いただき感謝の至りでございます。

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