第三十七話 乙守島【四日目】「直なること弦の如きは道辺に死し、曲がれること鉤の如きは反て候に封ぜらる」
「……狭霧、当主様のところへ行こう」
「はい……」
私と父は当主様の座敷へ向かった。そこには月華の姿もあった。
父の口からすべての事情が語られる。聞き終わった当主様は一言、「そうか」と、答えただけであった。
流れる沈黙が怖い。今になって実感する。私は、一族の理を犯してしまったのだ。
「……よし、こうしよう。その赤子を儀式の前に預かった際、亡くなってしまったことにする。二人には酷なことだが、今はそうするしかない。今回祝福は行われなかった。新しい肉体に魂は巡ることなく、赤子が亡くなったことで百人は維持された、とね」
手を打ち鳴らした当主様が案を提示した。
「赤子はここで秘密裏に育てていく。そして、頃合いを見て二人の元に返そう。いい機会だと思わないか? 百の鬼の呪いは解かれた。これからは、新しい赤子が生まれても誰も死なない。魂は巡らないが、長く生きることができる。時間はかかるかもしれない。それでもここを変えていこう。俺たちで変えてしまおう」
なんて偉大なお方なのだろう。当主になるべくして生まれてきた、そんなお方だ。
「……さぎり、たべなくでよがっだぁ……。いぎでで、よがっだぁ……」
涙で顔がぐしょぐしょの月華が私に泣きついてくる。胸に擦り付けられる顔。
「ちょっと、鼻水! 汚い……!」
「じゃあ、もっと擦り付ける」
「うわっ、やめなさい!」
月華の頭に拳を落とし、彼の肩を掴んで体を引き離す。
父と当主様はそんな私たちを見て笑っていた。
そして、その晩。当主様の元に赤子が預けられた。
「ちっさい手。ほっぺモチモチ」
「可愛い……」
私と月華はゆりかごで眠っている赤ちゃんを眺めていた。
どうか、この子が幸せのまましわしわになるまで生きられますように。
そんな場所を私たちが作っていかなければならない。もとより、あの日、森羅さんと出会った時からそのつもりだったんだ。それが少し早くなっただけ。そして、頼もしい大人が加わってくれた。むしろもっと良い場所になりそうだ。
次の日、当主様の口から百合さん、帳さんに赤子が亡くなったこと、今回は祝福がなかったからではないかということ、死産だったことにすること、が伝えられた。二人は泣き叫び、最後に一目でもと懇願したが、その願いは叶えられず屋敷を後にした。
父と当主様は一晩中今後のことについて話し合っていた。ここから変わるんだ。いや、変えていくんだ。
しかし、そんな展望は一瞬にして打ち砕かれた。
黎明が立ち上がったのだ。当主の座を虎視眈々と狙っていた黎明。彼はここぞとばかりに、以前から自分派へと取り込んでいた屋敷の人間を伴い謀反を起こした。
「赤子殺しの当主を極刑に!」
「祝福を拒む当主を極刑に!」
あることないこと屋敷中に吹き込んだ黎明は、争いを好まない当主様を捕らえ地下牢へ幽閉した。当主様だけではない。当主様の味方をする父を含む全員を幽閉した。そして、月華は園丁の小屋にて隔離された。戸の前に見張りをつけ脱走をも阻止。
屋敷での謀反が外部に漏れないようにするこの徹底ぶり。恐ろしい人間だ。
残されたのは、中立の立場にいる絹さんと、視界にすら入れられていない私のみ。
「狭霧。この子を連れて逃げなさい。あなた方が集落の外に作った客人用の家がおありでしょう。その存在は黎明に知られておりません。さあ、お行きなさい」
絹さんは私に赤子を預け、屋敷から追い出した。思考が巡っていなかった私は言われるがまま赤子を抱いて走った。集落を通らず竹藪の中を走った。気が付けば、客人用の家に着いていた。
戸を開け中に入ると私は膝から崩れ落ちる。強く抱きしめてしまったのか泣き出す赤子。
「泣きたいのは、私ですよ……」
赤子を抱きしめたまま私は泣いた。黎明に対する怒りも、何もできなかった自分への悔しさも、ひとりとなった寂しさも、全部涙となって流れ落ちていく。
私はいつの間にか眠ってしまっていた。
「んぎゃあ、んぎゃあ!」
赤子の泣き声で目を覚ます。
赤ちゃん……? そうか、昨日屋敷から……。思い出すとまた涙が流れてきそうだった。
窓から明かりが入ってきている。もう朝なのか。床に倒れ込んだまま寝てしまったんだ。
「んぎゃあ、んぎゃあ!」
ごめんね、寒かったよね。泣き続ける赤子を抱き上げた。
「……ごめんね。君の本当の親じゃなくて。ごめんね、お母さんとお父さんから離してしまって。私が死ぬのを拒んだばかりに、君はこうして一人ぼっちになってしまった」
赤子はまだ泣き止まない。
どうしよう。どうすれば泣き止んでくれる? 赤ちゃんなんて育てたことないのに。わからない。どうすればいい……。
冴えない頭で思考を巡らせていたその時、戸がノックされた。
――誰だ。もしかして黎明に感付かれた? せめてこの子だけは守らないと。どうか、泣き止んで。これでは君を隠せない。
もう時間がない。赤子を抱きしめたまま、視線を彷徨わせて逃げ道を探す。最悪、あの窓を割って逃げるしかないか。
戸がゆっくりと開けられていく。私は身構えた。
「……師匠?」戸を開けたのは少年だった。
「……夕星、あなたでしたか……」ホッと胸を撫で下ろす。
彼は屋敷の人間ではないけれど、この場所を知る唯一の人間。そして、私の弟子になりたがる稀有な存在。
「あらあら、泣いているではありませんか」
夕星の後ろから現れた女性。絹さんだ。彼女は私から赤子を抱き上げると、持ってきていた大きな荷物から布を取り出し、慣れた手つきでおむつを替えていった。
「わあ、この子男の子なんだね。一緒だ」
おむつを替えられていく赤子を見て夕星が呟く。
替え終わると、絹さんは赤子を私に預け、荷物から取り出したもので何かを作り始めた。
「ミルクです。狭霧作り方を覚えなさい」
「は、はい」
あまりの手際の良さに赤子をあやすことを忘れて見入ってしまっていた。
「手が止まっていますよ。……そうです。安心できなければ、赤ちゃんは泣き止みません」
私からまた赤子を抱き上げた絹さんは、椅子に座りミルクをあげる。泣いていた赤ちゃんが初めて泣き止んだ。
「こうするのです。あなたもやって――」
顔をあげた絹さんは私の顔を見て、言葉を止めた。
「師匠、泣いてるの?」
夕星に言われ、今自分が涙を流していることに気付く。何度拭っても涙は止まらない。
不安だった。怖かった。こんな自分が赤子を任されて、一人屋敷から逃げ、もう訳がわからない。でも、絹さんが来て安心してしまった。そんな自分がまた許せなくて……。
「……私は、なぜこんなところにいるのでしょう……」
皆が必死で戦っている中、私は安全な場所に一人逃げた。私はこんなところで何をしているんだろう。
涙を拭い続けている私の腰に暖かな手が添えられた。手を下げると絹さんと目が合う。赤ちゃんはと思ったが、夕星の手の中でミルクを飲んでいた。
「あなたがいたからこの子は昨日を生き延びられました。そして。今日を生きることができます。それは、狭霧、あなたがここまで逃げてきたからに他なりません。何も恥じることはないのです」
恥……。そうか。私はこんな私を恥じている。
「この先、何が起こるのかは誰にも知り得ません。ですが、あなたは生き延びた。そこには必ず理由が存在します。あなたが今できることを考えなさい」
私が今できること……。すべきこと、それは――
「……この子を守ること」
「ええ」
私の身勝手で家族から離されてしまったこの子を、私は責任をもって守らなければならない。
絹さんは私に赤子の世話の仕方を一通り教えてくれた。
自分は屋敷にいなければならないから使いは夕星に頼む、と言い残し絹さんは屋敷へと戻っていった。
大丈夫。当主様も父上も、そして月華もきっと絹さんが救ってくださる。私は、私に任されたことを全うしよう。
「初めまして、私は狭霧です。どうぞよろしくお願いいたしますね、愛しい子」
そう挨拶をして赤子の手を握ると、反応した小さな指が私の指を握ってくれた。
「……なあ、垂氷」
「どうなさいましたか、当主様」
「その当主様っていうのやめてくれないか? こんな時くらいは昔みたいに話しても罰は当たらないだろう?」
「……ああ。罰は欲しいものだけれどね」
「心配ない。地獄に行った時にたんまりと受けるさ」
「……すまない、君を巻き込んでしまって」
「謝る必要はない。いつからか麻痺していたんだよ、ここは。死を自然と受け入れてしまっていた。だから、俺は嬉しいんだ。死に足搔こうとする者が出てきてくれてね」
「ああ。息子たちは立派に成長してくれた」
「うんうん。ところで、一つ提案があるのだが」
「ええ、なんなりと」
「――未来に託そうと思う」
「君ならそう言うと思ったよ。……何の因果だろうね。生まれたのは双子だと」
「ほう。それは僥倖! ……二人仲良く終いにしようか」
「そうだね、雪天――」
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