第三十六話 乙守島【四日目】「疾風に勁草を知る」
懐かしい夢を見た。
「父上」
「狭霧か。どうした」
父は今日も花圃の手入れをしている。本来なら私も手伝っているところだが、生憎今日は先約があった。
「おーい、垂氷さーん。狭霧のこと借りるねー」
「はい、どうぞ」
「ちょっと月華。今私が話そうと……」
「いいの、いいの」
背後から突然現れた月華に腕を組まれ、父に事情を話す間もなく引きずるように連れていかれる私。
はあ……、彼は本当に自由なお方だ。
桜の季節、そろそろ例のものが収穫できる頃。今日まで私と月華が心血注いで取り組んでいた品種改良のトウモロコシ、その第八号が収穫できるまでに成長している。
本来であれば百日紅の時期に収穫するだろうトウモロコシだが、一巡り前の季節に図鑑通りに種まきから収穫を行ったところ、小ぶりなものが出来上がった。なんらかの影響を受けたのだろう。
土壌、気温、湿度、あらゆる要因を考慮し、また適した季節を探るため、楓の季節から五回と日を分けて種を植えてみることにした。その五回のうちの三回目がこれだ。月華とトウモロコシの品種改良を始めて八回目の収穫。その彼によって収穫日が本日に決められたので、私は父の手伝いを蹴りこうして畑に来ていた。
まあ、この状況は傍から見れば強制的に連れられているように見えるだろうけれど。
「月華、離してください。自分で歩けますから」
「逃げない?」
「逃げませんって。愛するトウモロコシを放ってどこかには行きませんよ」
「はあ⁉ 俺の方が愛してるっての!」
「より愛が強いのは私です」
「俺だって抱いて一緒に寝られるくらい愛してる。だから、俺だ!」
「いえ、私です!」
「俺!」
額がお互いぶつかりそうな距離で睨み合う私たち。
「お、なんだ女の取り合いか?」
「お前らにはまだ早いんじゃねぇの?」
「今の男の子ったら、積極的ねぇ」
大人たちの笑い声が聞こえてきて、今ここが居住区のど真ん中であることを気付かされた。
頬が紅潮していくのが分かる。咄嗟に両手で顔を覆った。
こんな公衆の面前で『愛』だの『愛している』だの……。恥ずかしい……。
「俺たちのトウモロコシをどっちがより愛しているかの勝負でね。俺なんか寝る間も惜しんで成長を祈っていたもんよ」
両手を腰に当てて偉そうに。
「毎日十時間寝る人間が寝る間も惜しんでとは……。滑稽にも程がありますね」
「お前、俺が誰か分かって言ってんの? ねぇ?」
「ええ。次期当主であらせられながら屋敷での業務を疎かにし、集落に忍び込んでは『愛』だ『添い寝』だと遊びふける道楽息子でしょう?」
「なにその勘違いされそうな言い方は!」
「間違ってはいませんよ?」
「いや、大間違いだ!」
こんな汗と土まみれになる仕事、私一人に任せておけばいいものを。まあ、喜々として取り組んでいたので拒みはしませんでしたが。
「なんだ、女の話じゃないのかー」
「こいつらに女の影はありゃしないぜ」
「畑が恋人とか、当主様が泣いちまいそうだな」
ええ。現に当主様は月華の自由奔放さに泣いていますからね。
「そんで、今日がその恋人様の収穫日なんだろう?」
「そう。八号のな」
「収穫ってんならまた手伝うぜ」
「成果も気になるところだし」
「それは助かります。今回はうまくいってくれていれば良いのですが……」
大人たちはいったん家に戻ると籠や鎌など収穫に必要な道具をこしらえて戻ってきた。私たち一行は、集落を抜け畑に向かう。
「……じゃあ、いくぞ」
月華は小ぶりに実ったトウモロコシを一本もぎ、皆に見守られながら皮を剝かんとしていた。一枚一枚ゆっくりと剝かれていく皮。もう実がそこまで見えてきている。
「せーのっ!」
月華が実に直接被さっていた皮を勢いよく剥いた。
「……あー……」
一斉に落胆の声が漏れる。
今回の実も白い粒と黄色い粒が斑になってしまっていた。
「くっそ、今回もダメだったかー。どこが悪いんだ? 原理的にはうまくいっているような気がするんだけどな」
月華が上に掲げたり、下に降ろしたり、くるくる回したりしているトウモロコシを半分奪うような形で貰うと、私は隅々まで凝視した。
うーん。前回とまったく――
「……一緒じゃない?」
私の呟きに皆が集まる。
「見てください、ここ。奇麗に色が別れている……!」
「うわ、本当だ! でかしたじゃねぇか!」
「こりゃあ、達成する日も近いかもな!」
ここの人たちはとても暖かい。自分のことのように一喜一憂してくれる。身分の差関係なく接してくれる。屋敷の人たちとは大違いだ。
「……う、ううっ……」
隣から啜り泣く声が聞こえてきた。
「ちょっとだけ……、ちょっとだけ成功した。嬉しい」
「……ええ」
前代未聞の奔放さだと称されている彼。でも本当は、ただ真っ直ぐに自分の気持ちを表現しているだけ。
大人たちは、幼子のように声をあげて泣いている月華の頭を撫でた。次期当主らしからぬ彼の姿を、ここの人たちはありのまま受け止めてくれる。とても居心地が良い。
「随分遅くまでやってしまったな」
あれから私たちはトウモロコシを収穫し、住民に配って回った。その後大人たちとは解散し、月華は怒り心頭の絹さんに屋敷に連れて帰られた。
土の状態から葉、茎、粒の大きさと比率など徹底的に調べ上げるためここに一人残った私。気が付けば日が暮れていた。
そろそろ帰らなければ父上に叱られてしまう。
父の叱りは言葉ではない。目を瞑りただ無言で向かい合わされるのだ。これは、言葉で責められるよりも苦である。
早く帰ろう。そうだ、父上や当主様、絹さんにも食べてもらおう。
トウモロコシを二本脇に抱え、私は畑を後にした。
集落を通り、屋敷へ向かっていると前から現れた一人の男性。
「えっと、百合さん?」
百合さんも畑仕事を手伝ってくれる大人の一人だ。そういえば今日は姿が見えなかったな。
「いかがなさいましたか?」
俯いていて顔が見えない。私は腰を屈め彼の顔を覗いた。彼は、百合さんは泣いていた。
勢いよく顔をあげた彼は涙を流したまま満面の笑みを浮かべ、私の手を両手で握る。
「……生まれたんだ。無事元気な子が生まれたんだ……!」
「ああ、そうなんですね。おめでとうございます」
良かった、無事で。百合さん、予定より早く生まれそうだといつも心配していたから。
「だから、これ貰ってくれないか?」
百合さんは私に何かを手渡した。子が生まれた時に渡すもの。それは『祝いのニンニク』。
始めて貰ったな、嬉しい。そっか、私ももう貰えるようになる回数季節を生きたのか。
「有難く頂戴いたします」
私は頭を下げて百合さんから『祝いのニンニク』を受け取った。
それが最後のひとつだったらしく、百合さんは帳さんの待つ家へと走って帰っていった。
これが『祝いのニンニク』か。植物図鑑に載っていた気がする。たしか――、そう、『ギョウジャニンニク』。山菜の一種で、名前の由来は、山中で修行する行者が食べていたことと、ニンニクのような強い香りがすること……。
あれ、ニンニクの香りがしない? なにか胸騒ぎがする。
「たしか、ギョウジャニンニクによく似た植物があり、しかしそれには毒性があって誤食をしてしまうと……」
『祝いのニンニク』を持つ手が震える。呼吸が荒くなり、自分が今ちゃんと息を吸えているのか分からなくなる。
「……イヌサフラン。これ、ギョウジャニンニクじゃなくて、イヌサフランでは……」
声が震え、汗が流れ落ちる。
どうして……。苦しい、怖い……。こんなの私には食べられない……。毒だとわかっているものを食べることなんてできない……!
私は、無我夢中で屋敷にいる父の元まで走った。屋敷に着いた時、私の手にはボロボロのイヌサフランしか握られていなかった。
私の異常な姿を見た父は、何も言わず手を握ってくれた。
「……そうか。すべてわかってしまったのだね。こんなにも早くお前のところに巡るとは思わなんだ」
「……父上、私には……、私は、これを食べることなんてできません……。すみませんっ」
「食べなくていい。謝らなくていい」
私は声を押し殺して泣き、その間、父は手を握り続けてくれていた。
「……詳しいことは控えさせていただきますが、私はあるお方の伝手で植物に詳しくなっておりました。今日初めて『祝いのニンニク』を見て気付いたのです」
私は、森羅さんとの出会いと文字を教わったこと、植物図鑑を持っていることは隠し、理解に至るまでの過程を父に話した。
「父上、なぜ教えて下さらなかったのですか! 今やっとわかったのです。父上が『百鬼の祝福』を『呪い』だとおっしゃっていたことの真意が。父が手入れを行う庭にギョウジャニンニクはなかった。私には隠しておられたのですね。なぜ……」
「お前は聡明だ。欠片でも見せてしまえば、いずれ真実に辿り着くだろう。だが、心優しいお前にはこの真実は耐えられない。だから、私は初めからお前に『園丁』を継がせる気はなかった。何も知らないまま一生を終えてほしいと、勝手に願ってしまった結果がこれか……」
父は深く頭を下げた。
「すまない。最も苦痛を伴う形で、お前に真実が伝わってしまった。こんな情けない父親ですまない。逃げてばかりの臆病な父親で、すまない……」
父の声は震えていた。
父上だって望んでこんなことをしていたわけではない。でも、こんな形で知りたくなかったのです。わかっております。父上は何も悪くないと。百合さんも悪くない。誰も悪くない。ここが、こういった世界であったというだけ。
それがわかっていて逃げた私こそ、臆病者なのです。
ご高覧いただき感謝の至りでございます。




