第三十三話 乙守島【四日目】「明日ありと思う心の仇桜」
「この島に持ち運べる縄はありません。本土と違ってここは原始的なのでしょうが、あなたはここをあまりにも知らない。縄のひとつくらいあるだろう、そのような偏見が自らの首を絞めてしまいましたね」
淡々と狭霧さんが告げる。先生の視線は彼に向けられたまま。
「ここでの生死は祝福のみによって行われる。自ら命を絶たないよう、また誰かを殺すことがないよう、凶器や道具となるものは最低限しか置かれていないのです。縄など、井戸でしか使われておりません」
立ち上がった狭霧さんはナナを抱いている幹史に近づいた。しかし、用は幹史でもナナでもなく地面に落ちている麻袋と縄にあったよう。幹史の前で屈んだ狭霧さんは縄を手に取り先生の元へと戻った。
そして、絹さんの首に縄をあてがう。
「……同じです」
絞首線と縄は一致していた。島民の視線が先生に集まる。
「……おい、あんたが殺したのか?」
ひとりの島民が呟くように問う。先生は視線を絹さんの首に向けたままなにも発さない。
「なんとか言えよ!」
「なんで殺したんだ!」
「そうよ! この人殺し!」
向けあっていた矛先が一斉に向きを変えた。
島民からの非難轟々にも、先生はだんまりを決め込んでいる。
「違う! 先生は……」
抗議する僕たちの声がかき消されてしまうほど、島民たちの矛先は先生に一点集中。
どうすればいい。どうしてこんなことになっているんだ。一体、僕たちが何をしたというんだ。呪いに介入した報いなのか? 部外者でありながら土足で踏み込んでしまった僕たちに対する。
「やっぱり島以外の人間は入れるべきじゃなかったんだ!」
「まったくだ!」
「怪しいと思っていたわ、ずっと!」
「ああ、俺もだ!」
「私も!」
…………。
示し合わせたわけではなくふと訪れる静寂。この現象は「天使様のお通り」と呼ぶらしい。以前講義中に先生が使っていた表現。
この機を逃すまいと彼は動き出した。
「この方を拘束し地下牢へ」
そう言い放つ狭霧さん。しかし、誰も動かない。
「逃げられる前に早く!」
それでも、動くものはいなかった。視線を逸らす島民たち。
この島は小さくも序列がある。着物を纏う屋敷の人間、その下に居住区の住民。今ここには屋敷の人間もいる。この状況下で島民は勝手に動くことを許されない。
屋敷の人間たちはおしなべてけんもほろろ。まるで狭霧さんが見えていないようだ。
強く嚙まれた彼の唇。今にも血が滲みそう。
「――そのお役目。私で良ければ引き受けましょう」
恭しく名乗りを上げた夕星さん。車いすの後ろで小さく右手を上げていた。昨日はあんなにも怪しく見えていた糸目が、今はとても頼もしく感じられる。
「夕星……。ええ、お願いしてもよろしいですか?」
「お任せあれ」
夕星さんは月華さんに一言断りを入れると、絹さんの傍らに立ったままの先生に自身のたすき掛けを外しながら近づく。そして、その襷で先生の両手を縛ると、背に手を添え立ち上がらせた。
「……ごめんね」
先生は小さく呟くと僕たちに陰りのある微笑みを向け、夕星さんに促されるまま歩き出す。
「……どういうことだよ、それ」
ナナを降ろした幹史が狭霧さんの左肩を掴んで問い詰める。その声は低くて冷たい。怒っている、いや納得いかないんだ!
僕たちも動き出していた。夕星さんの腕を掴んだ僕、絹さんの顔横にしゃがんだ瀬名さん、車いすのハンドルを握る竜也さん。
「うちの先生はそんなことするような人じゃねぇ」
「嵌めたのは――誰かな?」
「こっちにも人質いるんで。お忘れなく」
先生と目が合い、僕は微笑んで言った。
「……先生、僕たちがいますよ」
僅かに開かれた先生の目。
絞首線と一致した縄は、三日前見た麻袋を縛っていた縄と違うものだ。僕は近くで見ていたんだ、断言できる。そんな縄が先生の手元にあった事情は分からないけれど、先生じゃないことは僕たちが一番知っているんだから。
「……うちの子たちはなんて頼もしいんだ。まったく、自慢のゼミ生だよ」
口角があげられやっといつもの先生の無邪気な笑顔が見られた。
「疑いがある以上、僕は拘束されて然り。でも、それをこの子たちは許さないみたいだ。だから、こうしようじゃあないか。こちらも月華くんを人質にとる」
「はあ⁉」
戸惑いの声を上げた狭霧さん。
「一緒に地下牢に来てもらおう。その代わり、監視役としてそちらから一人僕につけて構わない。狭霧くんが指名しても、月華くんが選んでもいいよ」
先生の言葉を聞き狭霧さんは月華さんへ視線を向ける。頷いた月華さんは人差し指を出し、夕星さんへ向けた。
「お引き受けいたしました」
深く頭を下げた夕星さんは、先生の両手を縛る襷を掴んで車いすへと近づく。そして、ハンドルを引き継ぐ前に竜也さんへ頭を下げる。
頭を下げ返した竜也さんは、車いすのハンドルを夕星さんへ返した。そのまま三人は屋敷へと向かっていく。
「ちょっと、宇田ちゃんまで頭下げてどうすんの。人質を渡すんだから威厳ありありで睨まないと」
人質交渉が成立し、絹さんの元を離れていた瀬名さんが竜也さんを嗜めた。
「なるほど、そうか。すまない。……はっ!」
「今やってどうする」
いつもと立場逆転。瀬名さんが竜也さんの肩をはたいた。
肩をすくめた瀬名さんは再び絹さんの元へと向かう。
「さて、現場検証と――」
「させないわ!」
瀬名さんの言葉を遮り女性の声が響いた。樹雨さんだ。
「部外者のあなたたちが出しゃばらないで!」
「樹雨さん。この状況において彼らは部外者ではありません」
「あんたは黙っててよ!」
僕たちがここにいる理由があると狭霧さんが口添えしてくれたけれど、彼女は聞き入れてくれなかった。
「あー、はいはい。なんとなくそろそろ出てくる頃だと思っていたよ」
瀬名さんがため息交じりに呟く。
「状況が理解できないの? これだから園丁なんていう下級人間のむす――」
「状況が理解できていないのはあなただ!」
甲高い声でまくしたてる彼女の言葉を遮った狭霧さん。
「こちらが人質でとられているのは当主様です。この意味が理解できないのですか? 僕たちが下手に動けば当主様が殺されてしまう状況に置かれているのです。あなたの軽率な言動で、月華が殺されてしまうのですよ!」
「はあ? あっちが武力行使してきたならこっちも武力行使をすればいいじゃない」
狭霧さんはぐっと言葉を飲み込み、必死に耐えていた。握られた拳が震えている。
この人は何も分かっていない。そもそも頭を守ることに重きを置いているのだ。これはそういう取引。
「宇田ちゃん」
「いいのか?」
「背に腹は代えられん。いけ、宇田ちゃん!」
「よし、任された!」
瀬名さんの合図で眼鏡を外した竜也さんが飛び出す。両手を大きく広げ、大きい体をより大きく見せる。
樹雨さん含め島民たちは動きを止め竜也さんの顔を見た。どよめきが走る。この顔を前にして動ける島民などいなかろう。何を隠そう、初代当主様のご尊顔であるぞ……!
「……すみません、ありがとうございます」
狭霧さんが瀬名さんに頭を下げた。
「こちらとしても、傷つけるのは不本意ではないしね。それに、自ら悪役を引き受けてくれたようだし?」
「何のことです?」
「またまたー。人質発言には驚いていたけど、一緒に連れていくって聞いた時に安堵していたでしょう? 先生を犯人に仕立て、月華くんもろとも屋敷に送る予定だった。それが一番安全だから。……ここで起こる暴動に巻き込まないためにもね」
――暴動?
雨上がりの生暖かい風が竹藪を駆け抜けていく。突風に意識を割かれ静まった空間に、瀬名さんの声が響いた。
「ねぇ、君なんでしょう? 絹さんを殺したの」
時が止まったような錯覚に陥る。それほどまでにこの瞬間は静かで、切り取られたシーンの如く動きがそのまま止まっていたんだ。
「こうするしか、呪いをとめる方法がなかったから」
瀬名さんが狭霧さんに向ける瞳は哀れみに満ちている。
「……ええ。その通りです」
狭霧さんは眉を下げ微笑んだ。
ご高覧いただき感謝の至りでございます。




