第二十七話 乙守島【三日目】「朝に紅顔ありて夕べに白骨となる」
「――そして、森羅さんと別れてから十回目の桜の季節が過ぎ、百日紅の季節になった頃あなた方がここを訪れました。船がこの島に泊まったと知った時、偶然ではない、そう確信いたしました。現に『先生』と名乗られましたので。ですが、そこに森羅さんの姿はありませんでした。約束を違える方ではないと、共にした時間は短くとも知っております。
……なにか、事情がおありなのでしょう?」
引きつった笑みを浮かべる狭霧さんに、先生は告げた。
「……ああ。亡くなったよ」
その言葉を聞いて、月華さんと狭霧さんは力が抜けたように俯いた。唇を強く噛む月華さん。
十年前にここを訪れた先生の友人。今度一緒に行こうという約束が果たせず遠くに行ってしまった友人。遠くって、海外とかじゃないの? もう亡くなっているだなんて……。
「急性骨髄性白血病の再発だ。君たちに出会った十年前の桜の季節の時には、もう既に再発していたんだ。あの三日間は入院前の最後の自由時間でね。その三日間を君たちと過ごせて、彼は幸せだったと思うよ」
白血病。それは、血液のがんの一種。詳しく知っているわけではないけれど、再発の可能性も高く、再発後の生存率が低いとも聞く。
新しい紙を用意し文字を書いていた月華さんの筆が止まる。そして、書かれた字は滲んでいく。
『森羅とは もう会』
最後まで書かれなかった彼の気持ち。続きはきっと、『もう会えないの?』。ぽたぽたと垂れる涙は、より字を滲ませていった。
狭霧さんは俯いたまま膝の上で拳を強く握る。
「二人のことは彼からは何も聞いていなかった。きっと自分だけの最後の思い出としてしまっておきたかったんだろう」
俯いて語る先生の目からは涙は流れない。もう流し尽くしてしまったのかもしれない。
「入院したての頃は、『一緒に行くぞ』『あと十年はぜってぇ生きてやる』って治療に励んでいてね。『勇気をもらったんだ。約束してんだ』彼はこの言葉をしきりに連呼していたよ。それでも、現実は残酷だ。打ち勝とうとする彼を嘲笑うように、がん細胞は増えていった。そして六年前、彼は僕にこの島を託しこの世を去った」
顔をあげた先生。その瞳は真っ直ぐに二人を捕らえた。
「だから、僕はここに来た。彼が守れなかった約束を守りに」
二人は見つめ返す。
「……はい」狭霧さんが力強く答えた。
そして、彼は立ち上がると月華さんの元まで行き、自分の首に彼の腕をかけゆっくりと立ち上がる。月華さんの身長は低く、驚くほど細い両足首には包帯が巻かれてあった。狭霧さんは月華さんを支えながら布団の後ろにあった屏風の裏へと消えていく。木が軋むような物音が聞こえた。
「お待たせいたしました」
数秒後、屏風の裏から出てきた二人。物音の正体はすぐに判明した。木でできた車いすに乗った月華さんが現れたからだ。後ろのハンドルを握っている狭霧さんが車いすを押す。押された木のタイヤは抵抗なく回転し、畳の中央まで進んだ。
「では、行きましょうか」
「え、行くって、どこに?」戸惑った声で幹史が尋ねる。
「まずは証拠集めといきましょう。探偵とは、あらゆる証拠から真実を明らかにする存在、なのでしょう?」
「うげっ。聞かれてたの」
「忘れ物を取りに行った際に耳に入ってしまいまして」
眉をしかめる瀬名さんに、苦笑いを向けた狭霧さん。
どこから聞こえていたのかはわからないけれど、場合によっては本人を前に疑いをかけていたことになる。周囲に注意を向けていなかった僕も同罪だ。
そう考え込んでいた僕の視界に移ったのは、車いすの上で楽しそうに体を揺らしている月華さんの姿。
「随分楽しそうだな」竜也さんが呟く。
「ええ。私以外、月華を外に連れ出してくださる方はおりませんので。楽しみで仕方がないのでしょう」
狭霧さんの言葉に月華さんは大きく何度も頷いた。その目はこどものように輝いている。そんな彼を見て微笑みハンドルから手を離した狭霧さんは、押し入れを開けると大きな木の板を取り出した。その木を持ったまま、入ってきた襖と垂直に位置する障子を開く。現れたのは、あの何もない庭だ。
煌びやかな襖に対し質素な室内然り、この屋敷の裏の面というか闇が垣間見えた気がする。
狭霧さんは縁側から地面へと木を立てかけた。電車やバスで見るような取り付け式のスロープだ。片足で体重をかけ外れないかを確かめると、再び車いすのハンドルを握り前へ押し出す。
スロープの前に来ると車いすを後ろ向きに変え、一旦ハンドルから手を離して靴を履く。そして、もう一度ハンドルを握ると「下がります」と一声かけゆっくりと下っていった。その慣れた手つきから、何度も行っていることが伺える。
庭に何もなく、今朝整地したばかりのような地面。すべてこのためだったのか、と感心してしまった。木のタイヤが揺れることなく滑らかに進んでいく。
車いすの上で僕たちを手招く月華さん。そして、自分の口元に人差し指を持ってきた。周囲を見渡し頷き合った二人は、車いすとは思えないスピードで屋敷の庭を走らせた。慌てて靴を履いた僕たちも追う。
裏手のあの仕掛け戸から抜けると二人は大きく息を吐き出し、顔を見合わせると微笑んでお互いの手の甲を合わせた。
きっと幼いころから二人で色々なことを乗り越えてきたのだろう。今だって受け入れたくない事実に蓋をしてしまいたいだろうに、二人は前を向いている。閉じてしまいそうな蓋をお互いが抉じ開け支え合っているんだ。
「すみません、慌ただしくて。屋敷から月華を連れ出しているところを誰かにご覧にでもなられましたら、私はあらぬ罪を着せられてしまいますので」
当主の部屋に入る前に出会った樹雨さんが言っていた言葉を思い出す。
『あなたはここへ入る資格はありません』
狭霧さんが語ってくれた十年前の話では確か狭霧さんも屋敷に住んでいたはず。その間に何かがあったことは明白。でも、聞いていいものか……。
いつもなら我先にと切り出す瀬名さんも押し黙っている。彼は遠慮をしたくないだけでデリカシーがないわけではない。これに関しては向こうから切り出してくれるのを待ったほうがいいのかもしれないな。
僕たちの雰囲気を察したのか、月華さんが胸元から小さな紙の束と持ち運び用の筆を取り出して書いたものを見せてくれた。
『俺は両足の腱が切れていて歩けないんだ』
皆が一様に息を呑む。足の異常なまでの細さは筋力を失っている証拠だったんだ。舌もそうだけれど、ただの病気では説明がつかない。
「私の口からお話しましょう」
そう言いながら、月華さんの見せる紙の束に手を置き、「お役御免だよ」というように下げさせる。
抵抗を見せた月華さんだけれど、狭霧さんに真剣な眼差しを向けられ、自分が折れるしかないと判断したようだ。胸元に紙の束と筆をしまった。
「少々長くなりそうなので、歩きながらでも構いませんか?」
頷いた僕たちを見て狭霧さんは車いすを押しながら歩き出す。木塀の外は樹海ほどではないけれど木が生い茂っていた。少し歩くと抜け、広場に出る。
「……今から五回前の桜の季節、祝福により当主様が亡くなりました。当主様の死を偲ぶ暇もなく行われた次期当主選定の会議。順当に行くなら次期当主は月華になります。ですが、このとき彼は十五歳でした。ここでは十六回目の桜の季節を迎えた時、初めて大人として認めてもらうことができます。月華はまだあと一巡り足りませんでした。ここで二つの派閥に分かれてしまいます。十五歳ではあるものの当主としての器を認める『月華派』、十五歳のこどもに当主は任せられない『黎明派』。二つの派閥は連日連夜話し合いますが結論は出ないまま四日が経ちました。そして、とうとう内乱が起きてしまいます」
少人数の小さな一族であっても、争いごとは避けられないものなのか。
広場を通り、今は集落の入り口から屋敷までを繋ぐ一本道に差し掛かっていた。
「わざとぶつかられ縁側から落ち、腰を痛めてしまった月華派の者がいました。幸い大きな怪我はなく、全治数週間で済みましたが、その者は絹さんだったのです。母を知らずに生き、数日前に父を亡くした月華にとって、絹さんは唯一の肉親でした。彼にはそれは耐えがたいものだったのです。黎明に当主を任せては皆が笑顔で暮らせなくなる、と争いごとを好まない月華にしては珍しく引き下がらず、月華に当主の器を見出し多くの者が黎明派から月華派へ乗り換えた矢先の出来事でした。黎明が裏で糸を引いていることは火を見るよりも明らか。自分の大切な者、自分を支持してくれる者にこれ以上危害が及ばないように、月華は自ら辞退を宣言します」
狭霧さんの歩幅は心なしか狭くなっている。タイヤが回るカラカラという無機質な音が前を歩く二人の悲壮感をより際立たせていた。
「そして、二十八代目当主は黎明となりました。私たちは覚悟していました。黎明が権力を振りかざし、一族は変わってしまうのだと。ですが、拍子抜けしてしまうほど何も起こらないのです。ですから、知らずのうちに油断をしてしまっていたのでしょう……」
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