第二十六話 乙守島【三日目】「移木の信」
「もう一度聞こう。これはなんの騒ぎかな、黎明」
「……兄上」
この島で最も偉く、最も人望のある人物。そこにいた者が皆跪く。この人の前では黎明も跪かなければならない。
月華に支えられながら上半身を起こした僕も跪こうとしたが、当主様によって止められた。
「……誰だ、こどもに手をあげた奴は」
さっきの森羅さんに負けないくらい低い声。当主様からこんな低い声が出るとは思わなかった。それほど、いつもの声と違っていた。
「なにか弁明があるのなら聞こうか、黎明」
「兄上、これは! ――いえ、なにもありません」
「そうか、なら戻れ」
「ですが!」
「当主が戻れと言ったんだ。背くなら反逆とみなしてもいいんだぞ」
「……はい」
黎明たちはあっという間に樹海の中に姿を消していった。当主の言葉はすべて。誰も逆らえない。逆らってはいけない。
僕のもとに近づき膝をついた当主様は、月華に変わって僕を支えてくれた。
「ひどい傷だ。軽い脳震盪も起こしているだろう。狭霧、月華を守ってくれてありがとう。そして、すまない」
なぜ、当主様が謝るのですか。当主様は僕たちを守ってくださったのに。
森羅さんと月華に促され、当主様は僕を支えながらガサガサの布に座る。そして、僕の頭を自分の膝の上に乗せた。遠慮しようとしたけど、動くなと言われされるがまま当主様に膝枕をされている。こんなところ誰かに見つかったら、僕は不敬罪で地下牢に入れられてしまいそうだ。
「紹介が遅れたね。名は『雪天』。曲がりなりにも当主をしている。たしか、二十七代目だったかな?」
「俺は『加苅 森羅』。森羅とでも呼んでくれ。よろしく」
二人は握手をした。
「あんたのおかげで俺も命拾いしたよ。ありがとう」
森羅さんが当主様に頭を下げた。あの時に当主様が現れていなかったらきっと森羅さんは黎明を殴りに行っていただろう。
「いや。弟より早く俺がここにきていたら、あなたを集落に案内できたかもしれない」
「案内できないの?」
当主様の袖を掴み月華が聞く。
「そうだね。今頃、黎明が『樹海に侵入者が現れた。月華ともうひとりこどもが人質に取られている。駆けつけた当主様が対応なさっているだろう』と吹聴しているだろう」
「じゃあ、侵入者じゃなかったって父上が言えば……」
「うん、皆はそれで納得するかもしれない。でも、あいつはどんな手を使ってでもこの御仁を侵入者、もとい犯罪者に仕立て上げ殺そうとするだろうね」
「そんな……」
「ああ言いながらも、あいつは俺たちがこの御仁を集落に連れてくることを望んでいる。そして、根も葉もない言葉を並び立て捕まえては、あわよくば自分の手柄にし、当主の座も奪おうとしてくるはずだ。もし、集落に入れなかったとしても、数日後に樹海にやってきて見つけ出し晒し上げるだろう。不甲斐ないが、あなたがこの島にいること自体難しい状況にある」
黎明はそういう人間なんだ。さっきも月華を反逆者に仕立て上げようとしていた。意地汚くて、自分勝手で、なのに悪知恵ばかりが働く、悪側の人間。
「俺としては、この子たちのためにあれ程怒ってくれる方を犯罪者にはしたくない。ましてや命の危険に晒すなど以ての外だ」
「……ああ、だな。もっと早くあんたに出会っていたらって思うよ」
森羅さんが少し寂しそうに微笑む。
「せっかく来てもらったのに樹海しか見せることができなくて、すまない」
当主様の顔は見えないけど、きっと同じく悲しそうな顔をしているだろう。
「いや、その点は心配ご無用。実は昨晩こっそりと集落を探検してきた。隠密行動は得意でね」
「……はは、侵入者と言うのもあながち間違ってはいないってわけか。勇気あるなぁ」
「いやぁ、こいつらに作るもんでちょいと情報が欲しかったもんで。知らないものが描かれてあったら、そこで〝つみ〟だ。そんで、俺が島から出ちまってたら聞くこともできねぇ。至極必要なことだったんでね、こいつらのよしみで大目に見てくれ」
僕たちに作るもの……。あ、ひらがな・カタカナ表のことだ。確かにあれにはいくつも絵が描いてあった。あの絵はどれも僕たちが知っているもの。探してきてくれたんだ。
「問題はそこじゃねぇんだ。俺はこいつらと約束しちまったからな。あいつらに一泡吹かせるって。それができなくなることが一番問題だ」
「なんで?」月華が聞く。
「約束を破っちまうのはかっこ悪いだろう? それに、約束を破られた方は悲しい。そんな思いをお前らにはさせたくなかった、――ていうとかっこつけているみたいだが、このままにしておけないと思ったからだよ」
僕はゆっくりと起き上がった。だって、お願いをした僕から言わなければいけないことだから。
「今すぐじゃなくてもいいです。僕たちにできることはありますか?」
森羅さんの目が少し開かれる。
「そうしたら、次また森羅さんが来た時に力になれると思うから」
真っ直ぐに森羅さんを見つめていたら、僕の真剣さが伝わったのか目が細められた。
「……ああ。そうだと助かるわ。けど、少し考えをまとめたい。また明日ここに来てくれ」
「わかりました」
僕が頷くと、当主様は僕を抱え上げた。抵抗しても降ろしてくれない。話し合い――お互いの譲れないラインの死守――の結果、おんぶ且つ屋敷に入るまでということに落ち着いた。
大人に殴られたからというのは分かるけど、当主様は少し過保護すぎると思う。
「またねー」
大きく手を振る月華に森羅さんも片手を振り返して、その日はお昼を前に別れた。
次の日は朝礼があった。終わった後、父の作るニンニク料理を食べて、僕たちは屋敷を飛び出した。当主様もすごく行きたがっていたけど、黎明が樹海に行かないように手を回す必要があったみたいで、僕たち二人で向かった。
「森羅!」
「おう。おはよーさん」
ガサガサの布は片づけられ、森羅さんは荷物を背負っている。今にもこの島から出ていこうとしているみたいだ。
「心配すんな。今日にはもうここを出ていくからよ。迷惑かけちまったな。当主様にも『森羅が謝っていた』と伝えといてくれ」
僕たちが不安そうな顔をしていたのか、森羅さんは優しく笑いながら言った。
「もう、出ていくの?」
森羅さんの服を掴み月華が聞く。
「ああ。元々ここには三日間しか滞在しない予定だったからな。そろそろ船のお迎えさんが来るんだ」
そっか。もう行っちゃうのか。黎明に目をつけられたから長くはここにいられないことはわかっていたけど、それでもこんなに早くお別れなんて……。
「大丈夫だ。しばしの別れだよ。十年後か十一年後か、お前らが大人になった時にまたな」
十年後……。桜の季節があと十回来るまで森羅さんには会えないの?
「……そんなの、寂しいです」
下を向いて呟くと、頭に森羅さんの手が乗せられた。
「そう言ってもらえて嬉しい限りだ。でもな、ただ十回桜の季節を待たせるつもりはねぇ。お前ら二人には俺からの大事なノルマを課す」
「のるま?」
「あーっと、つまり次会うまでにやっておいてもらいたいことだ。とんでもなく大変なことだが、できるか?」
僕たちの頭に手を乗せたまま、しゃがんだ森羅さんは僕たちと目を合わせる。
「できる!」
僕と月華は同時に力強く答えた。
「よし! まず一つ、文字を覚えてこの本を読めるようになること」
頭から手を下ろした森羅さんは、月華に本の入った風呂敷と『広辞苑』を渡した。この本って言うのは、僕たちが屋敷から持ってきた本のことだ。
「二つ、衣食住の『食』を発展させること、って言うとちっと難しいな。狭霧、これをお前に託す」
森羅さんは僕に『植物図鑑』とひらがな・カタカナ表を渡した。
「百人なら今の食料で足りる。でも、それじゃあダメだ。食料は人数の割に余りあるほどあっていい。作れ。ここにすべてが載っている。次この島に来たやつが不思議に思うほど作れ。時間はかかるかもしれない。それでも諦めずできるか?」
「はい……!」
僕は大きく頷いた。これは僕に任された仕事。僕にしかできない仕事。
「三つ、客人用の家を作ること。豪華なものじゃなくていい。人が五、六人泊れるくらいのものでいい。別にお前らに作れって言っているわけじゃねぇからな。何かと理由をつけてその手の職人に作ってもらえ。できれば、集落の外だと有難い。まあ、これは優先度低めだ。最後でいい」
頷く僕たち。
「そして、最後。当主とその側近になれ。以上!」
僕たちはすぐに言葉を返せなかった。あまりにも難しいことだったから。
「無理だよ! あと十回の桜の季節のうちに当主になるなんて!」
「なんでだ?」
「当主が次の人間に代わるのは今の当主が死んだ時。父さんだって、二回前の桜の季節で当主になったばかりなんだよ」
「それは例年だろう? お前らで変えりゃいい」
「でも……」
月華が言葉を詰まらせる。
「今の当主様は話がわからない奴じゃねぇ。理由を話せばきっとわかってくれるはずだ」
「……じゃあ、なんで俺が当主にならないといけないの? いや、当主にはなるよ。でも、そんなすぐにならないといけない理由は?」
「そうだな。それは話しておかないとだな」
息を吐いた森羅さんは、真っ直ぐ月華を見た。
「この呪いを終わらせられるのはお前だけだからだ。人が亡くなって涙を流せるお前だけ。おかしいと思えるお前だけが、一族を変えられる」
「……僕だけ、が」
月華はゆっくりと下を向いた。必死に考えているんだろう。
「それに、お前が当主なら融通が利くしな。そんで、狭霧が月華を一番近くで守る。なんとも理想の形じゃねぇの」
そして森羅さんは笑った。
そんな簡単に言いますけど、大変なんてもんじゃないですよ? いくら当主様がいいと言っても、黎明をはじめ屋敷の人たちが猛反対するに決まっているのだから。それでも、僕たちにやれと言うんですか?
僕は隣でまだ下を向いている月華の顔を覗く。
驚いた。月華は不安な顔をしていると思った。でも、違った。笑顔だったんだ。
勢いよく顔をあげた月華。その目は輝いていた。
「やるよ。絶対やるよ! これは俺だけにしかできないことなんだから」
「よく言った!」
月華の頭を髪がぐしゃぐしゃになるほど撫でる森羅さん。
「……月華がやると言ったなら、僕もやらないといけませんね。いいでしょう、そのノルマ、必ずやり遂げてみせます!」
「……ああ。俺がこの島で一番初めに出会った人間がお前らでよかったよ。お前らを見ているとなんだか勇気が湧く。俺も頑張らないとな」
森羅さんはどこか寂しそうに笑った。
「あ、そうそう。これを渡さねぇと」
そう言って、森羅さんは荷物から何かを取り出した。紙、だけど何も書かれていない。後ろにひっくり返すと端っこに少し何かが書かれてあった。読めなかったけど、これは間違いなく文字だ。
「これは『手紙』だ。勝手に開けんなよ?」
『手紙』? 開ける? よくわからなかったけど、森羅さんは月華の持つ風呂敷の結び目の隙間にそれを挟んだ。
「自分を『先生』と名乗る奴が来たらこれを渡せ」
そして、僕たちを強く抱きしめると森羅さんは海の方へと歩いて行った。
「森羅! またね! 大人になって待っているから!」
「後のことは任せてください!」
「……おう!」
振り向いた森羅さんは、歯を見せて目をぎゅっと瞑りこどものように笑っていた。
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