第二十五話 乙守島【三日目】「蓮華の水に在るが如し」
――なんで、泣いているの?
そう思ってしまった。
始まりそうな儀式にぎりぎり参加できた僕たち。いつもなら、僕と月華は離れている。初めてかもしれない、こうして隣で儀式を行うのは。
「なんで……、なんでっ……」
彼から涙と共に零れる小さな声。
月華は榧さんと特に仲が良かったわけじゃない。よく屋敷を飛び出し集落に遊びに行っていたから仲が良くないわけでもないけど、それでもこんなに泣くほど一緒にいたところを見たことはなかった。どちらかと言うと榧さんとは僕の方が仲が良かった。
「……なんで、死んじゃうの?」
ああ、榧さんだからじゃないんだ。誰かが亡くなったことに涙を流しているんだ。
もしかしたら、この子は儀式があるたびにこうして涙を流していたのかもしれない。死ぬことを不思議に思いながら。
月華は優しすぎるんだよ。ここでは簡単に命はなくなる。そして、魂は新しい命に宿る。ずっと巡っている魂。だから、僕たちは死ぬことが怖くない。悲しくない。むしろ嬉しいことなのに。おかしな子。
『あれは祝福ではない。……呪いだ』
ふと、父の言葉が思い浮かぶ。
ねえ父さん、こんなに嬉しいことが祝福じゃなくて呪いなの? 呪いって何?
『ここの人間は狂ってしまったんだ。私も含めてね』
狂っている。何が?どこが? 僕にはわからない。
――いや、ちがう。逃げているだけだ。僕はもうわかっているはずだよ。
死が嬉しい? そんなことあるわけがない。悲しくない? 悲しいに決まっている。悲しいに決まっているんだ。
僕の手が握られる。月華と目が合った。その白い肌を流れる涙。僕の頬にも何かが流れていくのを感じる。
おかしいのは僕たちの方だ。月華は何もおかしくない。僕は彼のおかげで気付くことができた。誰にも染まらない、自分だけの色を持ったこの子に。
視線を感じる。皆が祈りを捧げている中刺さる視線。僕――違う月華に向けられている。思い当たる人間が一人。普段から月華を邪険に扱うあいつ。それが許されてしまう存在。
ここは異常だ。ここに住んでいる日が長くなるほど毒されていく。そして、そんな異常を作り出している人間がいる。僕たちは目をつけられてしまったのかもしれない。
月華はこの一族の希望だ。失うわけにはいかない。僕が守らないと。
でも、知らないことばかりなんだ。僕はいったいどうしたらいい?
ふと、頭に浮かんだ言葉。
『一人で抱え込むんじゃねぇぞ? 大人を好きに振り回してけ。こどもだけの特権だ』
そうだね、森羅さん。僕はまだ子どもだ。大人を振り回す権利がある。だから、協力してくださいね。
僕は樹海へと視線を向けた。こっちからは何も見えないはずなのに、どうしてか視線が合った気がした。
「こっち向くんじゃねぇよ」
そんな優しい声が聞こえてきた気がした。
長い長い儀式が終わり、皆は家や屋敷に帰っていった。その場に立ち尽くしている月華。そこに着物を着た人間が三人近づいてきた。
「ちょっと清々したわ。あの人暑苦しかったもの」
「そうそう、あの腕で作られた湯呑みとか、汚くて使えなかったわ」
「後継の息子さんは清潔感があって好青年よね。あの子が作った陶器なら使えるわ」
たった今死んだ人間の悪口を言いながら。
三人は僕を見つけると笑顔を消し、まるで汚いものを見るかのような視線を向けた。
「月華様、そんな下賤な者と一緒にいてはなりませんと言っておりましょう? 屋敷へ帰りますよ」
「……なんで、そんなこと言えるの……」
「何でございますか? もう少し大きな声で言ってくださりますか? どうも近くに虫がいまして羽音が煩いのです」
お前はあっちに行けと言いたいみたいだ。でも、僕はどかないよ。
月華の手を握った。伏せられている涙に濡れた長いまつ毛がゆっくりとあげられていく。揺れている黒い瞳と視線が合った。
「……さぎり……」
「うん」
弱弱しい月華に名前を呼ばれた僕は、その手を掴んだまま走り出した。後でしこたま叱られるだろうけど、そんなの今は関係ない。
「待ちなさい、この恥さらし!」
「恥さらしなのはあなた方でしょう!」
僕もずいぶん強気に出たものだ。後ろからキーキー騒いでいる声が聞こえるけど、構わず走った。
悲しくて泣いているこどもを前に、楽しそうに悪口を言いながら近づく。恥さらしにも程がある!
ああ、悔しくて泣いてしまいそうだ。
僕たちは夢中で走って、走って、走り続けた。そして、樹海の中で見つけたその背に飛び込む。
「うおっ! なんだ、なんだ。お前らぐしょぐしょじゃねぇか」
声を出さず泣いている僕たちを、抱きしめてくれる森羅さん。
暖かい。冷たかった心も体を一気に温まったような気がした。
「……そうか。お前らの姿は何となく見えてはいたが、さすがに表情までは見えなかったからな。よくここまで戻ってきてくれた」
月華が涙声のまま、儀式が終わった後のことを簡単に伝えた。森羅さんは月華が落ち着くように背中を撫でている。
あの人たちから逃げるようにここに来た。でも、僕がここに来た本当の理由は違う。
「……森羅さん。僕も思います。これは『呪い』だと。でも、こどもの僕たちには何もできない。どうしたらいいかわからないんです」
――そう、僕たちはこどもだから。
「だから、こどもだけの特権を使います」
「んで、俺が抜擢されたわけね」
「はい」
「言った手前断るわけにはいかねぇよな。うし。いっちょ、あいつらに一泡吹かせてやりますか!」
「はい!」
「ん!」森羅さんが出した拳に僕たちも拳を合わせる。少し大人に近づいた気がした。
広げられたままのガサガサの布に座った僕たち。森羅さんは月華が持ってきた三つの本を布の上に置いた。
「お前らから預かったこの本な、かなりやばいことが載っていた」
「やばいことって?」
「俺の口から言ってもいいが、どうせならお前ら自身の目で見ろ。そのために文字を学んでいるんだろ?」
うん。なら、僕たち自身の目で見るべきだ。
「そこで俺に何ができるのか、ってとこだが――」
ガサッと音がして、言葉を止めた森羅さんが自分の口の前に人差し指を立てた。音を出すなってことだろう。でも、あっちの音はだんだんこっちに近づいてきている。
「おお、ここにいたのかい、月華。連れ去られたって聞いて探したんだよ?」
「叔父上……」
僕は咄嗟に腕を広げ月華の前に出た。月華には触らせない。
『黎明』。現当主様の実弟であり、月華の叔父にあたる人物。そして、祈りの最中に月華に刺すような視線を向けていた人間だ。次期当主の座をいまだ狙っているという噂もある。当主様や絹さんの目を盗んで月華を精神的に追い込もうとするこいつが、僕は大嫌いだ。でも、生きてきた長さと見てきたものがたくさんある大人に、まだ少ししか生きていなく知らないことばかりの僕たちは敵わない。
「ダメじゃないか。嫌なものは『いやだ』と伝えなきゃ」
大きな手が伸びてくる。怖くて目を瞑ってしまいそうだ。でも、逃げたら月華が……。
しかし、その手は僕の顔の横を通り過ぎ後ろにいる月華へと向かっていった。気付いた時にはもう遅く、黎明の手は月華の顔の前に広げられていた。
「……おいおい、こどもを撫でる手じゃねぇな、そりゃあ」
月華に襲い掛かっていた手は、森羅さんによって止められた。掴まれている腕に力を入れられているのか、黎明の顔が少し歪んでいる。
「おやおや、はじめまして。まさかこの島に侵入者がいたとは。見た感じ、月華と隣の蠅が手引きでもしたのかな?」
腕を強く振って森羅さんの手をどかした黎明は、わざとらしい笑顔を作った。
「いーや。俺が勝手に入ってきたんだ。むしろこいつらは俺が集落に入らないようここに居座らせた。なんとまあ、お手柄じゃねぇの」
「でも、なんだか親しげだ。それに、外の世界の話も聞きたいなぁ。共に来てもらってもよろしいかな?」
黎明がそう言うと、木の後ろから一族の人間が現れた。僕たちを囲むように立っている。黎明に忠実な付き人四人だ。槍や矢をこちらに向けている。
「こいつはどう見ても共に来てもらうって感じじゃねぇな。力ずくで連れてくってか?」
どうしよう。このままじゃ森羅さんが……。
「叔父上。話なら俺がするよ。この人からたくさん話聞いたしさ。それに、集落にこの人を入れて暴れられたらそれこそ大変なことになるでしょう?」
「……なんと! 次期当主とあらせられる者が侵入者を庇うとは! これは立派な反逆罪とみなしてもいいだろうなぁ」
「反逆罪なんてそんっ――」
「貴様は口を挟むな!」
視界が揺れ、いつの間にか僕は地面に倒れていた。頬に感じる鋭い痛み。血の味がする。
「狭霧!」
月華が心配そうな顔で僕の体を支えている。そうか、僕は黎明に殴られたのか。
「……おい。こどもに手あげてんじゃねぇよ」
聞いたことがない低い声を出す森羅さん。
ダメだ。ここで森羅さんが黎明を殴ったら捕らえる口実ができてしまう。僕は大丈夫ですから、森羅さん堪えてください。そう言いたいのに、口が動かせない。
「……森羅。ダメだ」
「いーや、ここで引けるほど俺は我慢強い人間じゃねぇ。こどもが一方的に殴られて黙っていられるかよ」
「……しんら、さん……」
僕のせいだ。僕が口を出してさえいなければ……。
「これは、なんの騒ぎかな?」
この場に似合わない優しく爽やかな声。皆の視線が声のした方へ向く。
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