第二十四話 乙守島【三日目】「栴檀は双葉より芳し」
「ちょいとばかし時間が欲しいから、お前ら好きにしていていいぞ。樹海探検でもいいし、なんなら俺が昨日徹夜で作ったひらがな・カタカナ表で勉強もできるぜ」
森羅さんは僕にあるものを渡した。そこに書かれていたものは文字だった。
「……す、すごい! これが文字!」
絵も描いてある。これは、『雨』だ。その下には『イス』。次は『海』。それから――
「てつや、ってなに?」
「寝ずに頑張ったってことだ」
「寝てないの?」
「……見よ! 俺の顔にクマはあるか?」
「クマ? 熊? ないけど」
「つまり、そういうことだ!」
「どういうことだ?」
月華と森羅さんが何か話しているけど、それどころじゃない。これで文字を読めるようになったら、あれが分かるかもしれない。
「あ、そうだ。説明してなかったな。これが『ひらがな』な。ひらがなの下に絵が描いてあるだろう? 例えばこれ。」
森羅さんは、桜の木の絵を指さした。
「これは『桜』。その上の文字は絵の最初の文字を表す。だから、『さ』だ。狭霧の『さ』」
桜の『さ』。狭霧の『さ』。僕の名前の最初の文字。
「次がちょっと難しいんだが、狭霧の『ぎ』はこう書く」
木の枝で地面に文字を書いた森羅さん。しかし、ここにこの文字と同じ文字は書いてない。
「ないですよ?」
「後ろを見てみろ」
言われるまま後ろを見てみると、そこにも文字がたくさんあった。
「『ぎ』に似ている発音はなんだ?」
『ぎ』に似ている発音。似ている言葉ってこと? ぎ、ぎ、ぎ……。
考えていると視界に木が入る。……木? もしかして――
「……『き』?」
「そうだ、よくわかったな。前に戻してみろ。木の絵があるこれが、『き』。そんで、これが『ぎ』」
「……あ、似ている。『き』と『ぎ』は言葉も似ているから文字も似ているんだ!」
「そういうこと」
「あ、こっちの字とこっちの字も似ている! だとしたら、――これが『げ』だ。月華の『げ』」
「大正解! はなまるー」
森羅さんが僕の両頬を掴んでぐるぐるしてきた。ちょっと、くすぐったい。
そっか。僕たちが話している言葉は全部文字なんだ。狭霧の『さ』と『ぎ』と『り』も全部、全部……!
「狭霧すごい! 俺にも教えて!」
「いいよ。えーっと……」
僕たちが渡したものを読む森羅さんの隣で、僕たちはたくさんの文字を真似して書いて、理解した。月華の名前の文字が分からなくて大変だったけど、森羅さんに教えてもらって、それが小さい『つ』だと知った。他にもちいさい『や』や、右上に『〇』が付くものもあって、難しいけれど楽しい。
僕たちは夢中で『ひらがな』というものを練習した。自分の名前のひらがなはもう書けるようになったし、月華の名前も書けるようになった。
次は……、そうだ! 父上の名前にしよう。
「あー……」と声を出しながら、パタンと音を立てて月華が持ってきた緑の本を閉じた森羅さん。僕たちが夢中になっている間に読み終わったのかな?
「これ、――いや、そうか。はぁ……、思ったよりやべぇかもな」
何かぶつぶつと呟いている。
その時、集落の方から大きな音が聞こえてきた。
「なんだ、銃声か?」
立ち上がった森羅さんは周りを見る。銃声? は分からないけど、音の正体は僕たちにはわかっていた。最近は特によく聞く音。
音が聞こえてすぐ木に登り始めていた月華が言った。
「『祝福』だ。狭霧、祝福があった」
「『祝福』……。例の魂の移り変わりか」
月華が木から降りてくる。顔を見合わせ集落へ行こうとしていた僕たちの腕を掴んで引き止める森羅さん。
「俺も連れていけ」
その問いに僕たちはすぐに答えられなかった。だって、わからなかったから。外の人間を集落に入れていいのか、儀式を見せていいのか、なにより、森羅さんが殺されないか。
「……いいよ」答えたのは月華。
「でも、集落の人たちに見つからないようにして。特に、僕や狭霧みたいな小袖を着ている人、もっと豪華な着物を着ている人には絶対に見つかったらダメだからね。……たぶん、殺される」
「おいおい、マジかよ……」
森羅さんの顔を見れば、汗が頬を流れて、いつもみたいな笑顔じゃなく変な笑顔だった。
「まあ、そこは何とかなるだろ。俺にはこのお助けアイテム、『十二倍双眼鏡』があるからな」
首を傾げる僕たち。
「見てみるか?」
森羅さんにされるがまま黒いものが目に当てられる。見えたのは木の幹の模様。それは、遠くのものが近くに見えるものだった。
「森羅、俺にも見せてー」
「はいよ。近づきすぎず、遠すぎず、こいつで見える位置で見させてもらうわ。だからお前ら俺のこと探すんじゃねぇぞ? フリじゃねぇからな」
「はいはーい」
森羅さんの手から奪った双眼鏡を目に当てたままその場でくるくる回り、一人で楽しんでいる月華が返事をする。
たぶん、いや、絶対にこの子は話を聞いていなかった。この返事をする時はそういう時なんだから。やらかさないよう僕がしっかり見ていないと。
「狭霧、ほんと頼むなぁ。あいつがやらかさないよう見張っててくれな。俺はまだ死ぬには早いからさ」
森羅さんも同じことを思っていたみたい。
「おら、返せコノヤロー」
「まだもうちょっとー」
「木に縛り付けんぞ」
逃げ回っていた月華だけど、森羅さんに簡単につかまって双眼鏡は没収された。
「ったく。一発拳骨食らわせたいくらいだぜ。まあ、次期当主様に、んなことできねぇけど」
拳骨はダメで木に縛り付けるのはいいんだ。逆のような気がするけど。僕は笑っていた。
「ああ、あと狭霧」
「はい?」
「一人で抱え込むんじゃねぇぞ? 大人を好きに振り回してけ。こどもだけの特権だ」
「……はい」
名残惜しそうに双眼鏡に手を伸ばす月華を引きずりながら、僕は集落へと向かっていく。樹海を抜けると赤い煙が見えてきた。祝福の合図だ。
ふと立ち止まり後ろを見る。離れてはいるけど見える距離で森羅さんはついてきていた。後ろを振り返った僕に気付いた森羅さんが手を振ってくれる。そして、樹海の出口まで来ると、木に登っていった。僕たちほど簡単に登ってはいないけど、慣れた手つきで登っていく。樹海からは出ず、木の上で見るみたいだ。
僕は掴んでいた月華の腕を離す。
「……月華、森羅さ――」
「大丈夫、わかっているよ。俺たちは何も知らないこども。樹海で遊んでいる時に祝福の合図が聞こえてやってきた。それだけ」
僕の言葉を遮り、僕が言おうとしていたことを言った月華。襟元を軽く整え僕に笑いかけると、彼は一瞬で真面目な顔を作り言った。
「……祝福があったみたい。急ごう」
「うん」
森羅さん。僕たちはどこか彼を勘違いしているみたいです。自分の気持ちに真っ直ぐで、自分の好きを追いかけて、でも、他人の立場になって物事を考えられる。他人の気持ちを考えることができる。
僕が生まれた桜の季節の二回次の桜の季節に生まれた君。僕は勝手に兄でいたんだ。知らないことに溢れていて不安定な君だから僕が教えてあげないと、守ってあげないと、って。でも、君はもうとっくに自分を見つけていた。僕が教えなくても、自分で考え答えを見つけることができる。
「……大きくなったね、月華」
「……。まあな!」
僕に抱っこをねだっていたあの小さな子は、いつの間にかもう僕と同じ目線にいた。
「廻った魂に祝福を!」
「廻った魂に祝福を!」
当主様の掛け声に続き僕たちも声を上げる。もう、何度目かもわからないこの儀式。今回の桜の季節になってから三度目の祝福。
新しい赤ちゃんが必死に泣いている。棺には陶器職人『榧』さんの姿。
僕が屋敷でいじめられて飛び出しひとり泣いていた時、榧さんが声をかけてくれた。そして、工房へ案内してくれて一緒に湯呑みを作った。出来上がったのは歪な湯呑み。見せたら多くの人が笑いそうなへたくそな湯呑み。それでも、榧さんは「一つだけの湯呑みだ」と笑顔で褒めてくれた。
悔しくて悲しくて流した涙はもう止まっていて、あんなにもいらないと思っていたその湯呑みは、何故か輝いて見えたんだ。屋敷の人に見つからないように持って帰った湯呑みは、今も箪笥の奥に大切に仕舞ってある。いつか、自分の家がもてたら、その時に使おうと思う。だから、今は作った時の思い出と一緒に仕舞っておくんだ。
榧さんが真っ赤な炎に包まれていく。もう、榧さんの作る陶器はなくなるのか。榧さんの低く元気な笑い声は聞けなくなるのか。榧さんの太陽のような笑顔はもう見られないのか。
涙は流れない。悲しくはないから。だって、榧さんの魂は新しい赤ちゃんの中にある。陶器を作るのがとっても上手で、体が大きく力持ちな『榧』という人間はいなくなってしまったけど、魂は巡っている。だから、悲しくない。僕たち百人はずっとこの島で一緒なんだから。
「……っ。……うぐっ……」
隣から聞こえてくる苦しそうな声。月華は泣いていた。声を我慢して泣いていた。
――なんで、泣いているの?
ご高覧いただき感謝の至りでございます。




