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第二十三話 乙守島【三日目】「杵臼の交わり」


 文字が広まると……?


「よく、わかりません」


「俺らの世界では、文字は人類の歴史において革命的な発明と言われている。諸々は省くけど、とにかく文字はすごい!」


 まったく意味の分からない説明だ。


「生活を一変させてしまう文字は個人が簡単に広めていいものではない、と俺は思う。ましてや、外部から来た俺に教わったと言って、誰が信じる。誰が受け入れる。そういうことだ。だから、お前らだけになら文字を教えてやる。ついでにこれもやろう」


 鞄を漁りだした森羅(しんら)さんは、何かを取り出して僕たちに渡した。


「これは本だ」


 本? 開いてみると、たくさんの紙に文字らしきものがたくさん書かれてあった。


「こ、これです! 掃除している時に見つけたもの」

 こんなふうに文字の大きさが揃っていたわけじゃないけど、同じように全体に押し込まれるように文字が書かれてあった。


「だろうな。これは『小説』だ。そんでこっちは、『図鑑』。『植物図鑑』といってな、この世界にある植物が全部載っている。例えばこれ」


森羅さんは、地面から生えている草を指さす。


「これは『ツクバネソウ』。こっちの花は『シロカネソウ』。もう少ししたら『キンレイカ』っていう小さい黄色い花が生えてくるかもな。……ほら、このページ」


 小説というものよりもかなり大きく分厚く重そうな本を開いて見せてくれる。こっちには、文字のほかに景色を切り抜いたものが付いていた。


「この写真がキンレイカな。オミナエシ科オミナエシ属の多年草。開花時期は七月から八月。他にももっとこの花について書かれてある。どうだ? 面白いだろう」


 すごい。文字が読めるようになったらこの島にある植物が全部わかる……! 園丁(えんてい)にとってはこれほどうれしいものはないかもしれない。


「あ、そうそう。これもあげるな」

 森羅さんはまた鞄を漁ると、図鑑よりもっと分厚くて重そうな本を取り出した。


「日本人の叡智の結晶『広辞苑』様だ! これ、とんでもなく高いんだぞ? 大切にしろよ」


 広辞苑は月華(げっか)の手に渡された。


「おもっ。森羅、どうしてこんな重いもの持ち歩いてんの?」


「護身用に。凶器は持ち歩けないからな。自分の身を守るための何かが必要。そこで俺が目を付けたのがこれよ」


「へぇー、護身用かー。よくわからないや」


「うん、正直でよろしい。まあ、これを護身用に使えってわけじゃない。広辞苑にはあらゆる言葉の意味が載っている。調べ方はあとで教えるとして、簡単にはいかないだろうが時間をかけて理解をしていけば、文字を自由自在に操ることができるはずだ」


 文字を自由自在に操る……。


「欲しいだろう?」

「欲しい!」

 僕たちは同時に答えていた。


「よーし、よーし。けど、ただではあげねぇよ? これをあげる代わり、お前が見たという本を見せてくれ。それが条件だ」


 わかりました。――とすぐに答えられたらよかったんだけど、そう簡単にはいかない。あれは屋敷に厳重に保管されている。そもそもあの部屋に入ることが簡単じゃない。


 僕が見つけたのはたまたまだった。掃除中、間違えてあの部屋に入ってしまったんだ。普段閉められている部屋だったもので興味に勝てず覗いてしまったけど、もし勝手に入ったことが見つかっていたらものすごく叱られていただろう。


 『園丁』は花圃(かほ)を管理する者。優れた知識を持つ者に与えられる仕事だ。僕が屋敷に出入りできるのも父が園丁だから。でも、屋敷の中を自由に歩けるほど身分が高いわけじゃない。息子の僕はより自由度が制限される。


 つまり、あの本を僕が持ち出すことはできない。


「……すみません、できな――」

「できるよ」僕の言葉を遮った月華。


「できるよ、俺には」


「……はっ……!」

 僕は大きな見落としをしていた。それができてしまう者がここにはいたんだ。


 そう君は……

「俺は次期当主だからな!」


 君は現当主の息子、次期当主なのだから。僕の基準で考えていた。でも、彼がいる。屋敷の中を二番目に自由に動き回れる彼が。うん、月華ならあの部屋にこっそり入って持ってくることができる。


「お前、次期当主なのか? ま、言われてみれば自由を自由に生きる自由人って感じするな。そんで、狭霧(さぎり)がお前の尻拭いをする。ああ、あれだな『ニコイチ』。あー、ニコイチってのは二人はずっと一緒、的な意味な」


「ニコイチ……。うん、俺もそう思う。だから、こいつにはずっと俺の側にいてもらう予定なんだ」


「いやだ、僕は園丁になる」

「決める権限は俺にあるのに」

「このわからずや」

「そのまま返そう」


 このやり取りを何度したことか。でも、僕は絶対に園丁になるって決めているんだ。これだけは譲れない。


「園丁っていうと、庭師か。お前ら仲良さそうなのに、結構身分が離れているんだな」


「そんなの関係ないって。俺が狭霧といたいからいる、それだけ。それに、俺が当主になったら好きな人と好きなだけいられるようにするんだ!」


「器が広いな。俺の目が間違っていたようだ。お前は当主に向いているよ」


「そうでしょう?」

 と、得意げな月華。


 月華は誰にでも平等だ。

 屋敷の人にとっては、次期当主の月華が園丁の息子である僕と仲良くしていることが気に食わないらしい。ひとりでいると、人目を盗んで軽い嫌がらせをしてくる人もいたりする。だからよくこうして、月華が僕を引っ張って屋敷を抜け出しては、人目のつかないところで遊んでいる。勿論叱られる。僕だけが。でも、その度に先代当主様の奥方であり、月華の祖母である絹さんが庇ってくれるのだ。


 月華ほど誰にでも尻尾を振っているわけじゃないけど、今の当主様も皆に平等に接している。僕が大目に見られているのも、そのおかげだと思う。


 当主の意思は一族の意思そのもの。当主の人柄が一族にそのまま反映される。当主によって一族は、良くも悪くも変わるのだ。


「んじゃあ、教えてくれるな。この島の鬼の昔話」

 森羅さんの目が怪しく光ったような気がした。


 そして、僕たちは『百鬼伝承』を語った。『呪い』とされていたものが今は『百鬼の祝福』として喜ばれていることも含めて。


「……なるほどな。想像していたよりも重いぜ」

 森羅さんは、腕を組んで上を見上げた。


「もうこんな時間か。お前ら、もう帰った方がいいだろう?」


「本当だ。森羅は? 俺が言えば屋敷に泊めてもらえると思うけど」


「いや、いい。知らない人に囲まれるよりもこっちの方が落ち着く。それに、一人で考えたいこともあるしな」


「わかった。じゃあ、あれは明日持ってくる。またここで待ち合わせなー!」


 そうして僕たちは別れた。



 そして、次の日の朝。


「狭霧。狭霧……!」

 花圃の手入れを手伝っていると、後ろから僕を小さく呼ぶ声が聞こえた。振り向いた先にいたのは月華。


「ミッションコンプリートだ……!」

 そう小さく言って、首に巻いた風呂敷を見せてくれた。あの中に例の本が入っているのだろう。昨日の帰り道、月華にはあらかじめ場所と見た目を伝えておいた。木々や花たちの朝の手入れが終わった後、一緒に取りに行くつもりだったけど、一人で行ってしまったらしい。


 いや、月華のことだから目をつけられている僕に配慮してくれたんだろうな。


「行っておいで」

 柄杓で水をあげながら父上が言う。僕は頷いて割烹着を脱ぐと、月華の元へ走って行った。


「森羅―、持ってきたよー!」

「おう、お前ら。今日も元気いっぱいだな」


 森羅さんが待っている樹海まで走って向かった僕たち。昨日と同じ場所で手を振りなが迎えてくれた。


「はい、これ」

 ガサガサの布に座ると、月華は首から取った風呂敷を広げ、森羅さんにそれを渡す。


「……あれ? それ、僕が見たものじゃない」


 月華が森羅さんに渡したものは黒に近い赤。でも、僕が見つけたものは青だった。月華にもそう伝えていたのに。


「知ってる。もちろん、狭霧が言っていたやつも持ってきた」


 風呂敷から出されたもう一つのものは、たしかに青い。僕が見つけたものと同じだ。


「楽しくなっちゃって、宝さがしみたいに他の引き出しも開けていたら、これと、あとこれも見つけたんだ」


 月華は風呂敷からさらにもう一つ取り出した。それは緑色で、僕が見つけたものとよく似ている。


「月華が言っていたやつと似ていたから、同じものなんじゃって持ってきたんだけど、やめた方がよかった?」


「いや、上出来だ!」

 月華から受け取ったものを少し見た森羅さんが笑顔を向けてくれた。そして、僕たちの頭を撫でてくれる。


「あれ森羅、甘い匂いがする」

 森羅さんの手を掴んだ月華はその手を自分の鼻に近づけると呟いた。


「おう、よく気付いたな。チョコ食べたんだ」

「ちょこ?」初めて聞いた言葉。


「チョコレートだ。一度食べたら止まんなくなんぞ。食うか?」

「食う!」


「ちょっと月華。知らない人からものを貰うのは……」

「え? 森羅は知らない人じゃないじゃん」

「それは、そうだけど……」


 まだ会って一日しか経っていないのに。しかも外からの人間。警戒心は消えていない。


「毒なんか入ってやしねぇよ。ほら」

 森羅さんはポケットから何かを取り出すと、外側の袋を取り中のものを口に入れた。


「んー、あまー」

 その美味しそうな顔に僕たちの喉が鳴る。


「ほらよ」

 『ちょこ』というものを僕たちにそれぞれ二つずつ渡した森羅さん。お礼を言った月華は迷わず食べた。そして、ほっぺたが落ちそうなほど喜んだ。


 少しだけなら、食べても大丈夫だよね?


「……!」

 口に入れた瞬間、甘味が広がった。今まで食べたどのおやつよりも美味しい。


「二人とも気に入ってくれたか、良かった」


 僕はちょこをもうひとつ口の中に入れていた。それはもう無意識に。


 森羅さんの嬉しそうな笑い声が樹海に響いた。


ご高覧いただき感謝の至りでございます。

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