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第二十一話 乙守島【三日目】「二千里外故人の心」


 本当に舌がない。フィクションだけのものかと思っていたから衝撃は大きかった。


「……近くで見てもいいですか?」


 すごい。先生、躊躇がない。


 月華(げっか)さんは少し驚いたものの、頷いて口を開いた。

 立ち上がった先生は一言断りを入れ、彼の口の中もとい舌を覗いた。


「いくつか質問してもいいですか?」


 口を閉じた月華さんは先生に指でオッケーマークを作って答える。お茶目な人だ。


「首を縦か横に振ってくだされば大丈夫です。痛みはありますか?」

 首は横に振られる。


「なるほど。声は発せられますか?」

 首は縦に振られ、月華さんは、あー、と声に出した。


 喉が傷ついていない限り声を出すことはできるのか。でも、言葉の発音には舌の動きが大きくかかわってくる。だから、話すことはできない。


「きれいな声ですね」

 その言葉に月華さんは嬉しそうに微笑んだ。


「最後に、食べ物の味は感じられますか?」


 その質問に月華さんは首を縦にも横にも振らず俯く。そして、ゆっくりと挙げられた顔。それは、「はい」とも「いいえ」とも受け取れるような、受け取れないような絶妙な顔をしていた。


「なるほど。少し感じるけれど、感じきれていないということだね」


 その通り、というように月華さんは両手でサムズアップをして見せた。


「お茶目なお方でしょう? 話すことが大好きだったのです」


 楽しそうな月華さんを見て微笑んだ狭霧(さぎり)さん。でも、悲しそうな顔に変わる。


 「だった」。過去形。その舌は生まれ付きのものではないということ。


 悲しそうな笑顔を浮かべる月華さんは、俯いている狭霧さんを見つめると再び筆を走らせた。


『筆談だと時間がかかってしまい不便でしょう? すみません』


 謝らないでください。そんなふうに言えたらいいのに、僕には勇気が出なかった。苦しんでいる人にどんな言葉をかけていいかが分からない。自分が良かれと思ってかけた言葉が、知らずのうちに相手を傷つけてしまうこともある。言葉は刃物。刃物の傷は一生跡が残ってしまうのだから……。


「時間がかかってもいい。たくさんお話ししましょうよ」


 暗くなっていた空気が瀬名さんの一言で和やかさを取り戻す。目を開いて驚いている月華さん。表情は次第にやわらいでいき嬉しそうに頷いた。


「俺も話したい! って、当主様に失礼か。わたくしもお話ししたいです!」


 元気で阿保っぽい幹史を見て、月華さんは右手を口元に持ってきて笑う。


 僕は考えすぎだったのかもしれない。今は、自分の気持ちを言葉にしてもいいんだ。


 月華さんは満面の笑みで、両手で大きく僕たちを手招いた。彼のいる座卓を囲むように座った僕たち。


 顔を輝かせて月華さんはたくさんのことを聞いてきた。僕たちは聞かれていないことまで答える勢い。僕たちが聞いたことも月華さんはジェスチャーを交えてノリ良く答えてくれた。筆談だとしてもおしゃべりは楽しい。


「ありがとうございます。一族に当主様と話せる者はおりません。ですが、当人は腕が疲れて動けなくなるほどのやり取りを望んでおられました。皆さんには、本当に感謝してもしきれません」


 狭霧さんは嬉しそうに言った。月華さんも狭霧さんに微笑みを向ける。


 きっと二人は仲がいい。どんな立場であるとかは関係ないのだろう。二人の姿を見ていたらそう思えた。


「うちの子たちも楽しそうで良かった。同年代のあなたたちとの交流はあの子たちの経験になる。こちらこそありがとうございます」


 先生は深く頭を下げた。僕たちも頭を下げる。


『最後に、君たちの名前の漢字と意味を教えてほしいな』


 少しの沈黙後、月華さんは丁寧な字でそう書くと、瀬名さんに筆を渡した。


「僕は『葵』こう書いて『あおい』。葵の花は太陽に向かって咲くらしくて、明るくまっすぐな子に育ちますように、だってさ」


「だが、こんなにもひん曲がって育ってしまったのか。父さん、母さん泣くぞ」


「生憎僕の名付け親は祖母だ」

「なら、ばあちゃんが泣くな」


「そうだね。会うたびに名前の通り育ってくれて嬉しいよって泣いてくれる」

「――チッ」


 この勝負、瀬名さんの勝ち。


「そんな宇田ちゃんはどうなのよ」

 竜也さんに筆が渡される。


「俺か。いいか、宇田ちゃんじゃなくて『竜也』だからな」


 竜也さんは紙に大きく『竜也』と書いた。まさかの達筆……! その字の荒々しさに今までの鬱憤が込められているようだ。


 月華さんへの紹介の時も、竜也さんは狭霧さんに『宇田ちゃん』だと紹介されていた。狭霧さんはもともと先生にそう紹介されたのだから、そう紹介するしかない。恨むなら先生と、ついでに悪乗りしていた瀬名さんだ。


「名前の通り、竜のように逞しくどこまでも登っていける男になれ、だと」


「名は体を表す、ですな。幹史氏」

「ですな。瀬名氏」


 専門家よろしくムフムフしている二人。元先輩・後輩の関係で、案外仲がいいんだよね。幹史は認めたくないらしいけれど。


 二人は竜也さんに頭をはたかれ、筆は幹史に渡された。


「俺は『幹史』で『かんし』。木の幹とか中核じゃん? だから中心的存在になれるように、誰かを何かを支えられるような存在になれるように、ついでに歴史に名が残せたらいいよなぁ。てな感じだ。小さい頃は『幹史に監視されているー』だとか、『お前幹史だから監視役なー』とか散々いじられて、絶対改名してやる、って思っていたけど、両親が名前に込めてくれた意味が分かってからは、名に恥じないように生きようって思えるようになった。俺は誰に何と言われようがこの名前が大好きだ!」


 なんて幹史らしいのだろう。


 僕たちの縁は前後の学籍番号と同じ学部・学科であったことから始まったけれど、より一層親近感を抱くようになったのは、名前で同じ苦労をしていることを知ってからだったりする。


「ほらほら、千界(せかい)は?」

 笑顔の彼から渡された筆を受け取る。


「僕は、『千』の『世界』で『せかい』。この世にあるたくさんの世界を見つけてきてほしい、って願いが込められている。僕も誰に何と言われようとこの名前が好きだな」


 両親がつけてくれた大切な名前。どうして嫌いになれよう。

 だから、皆僕たちを名前で呼んでくれる。


 月華さんは笑顔で拍手をした。そして新しい紙を用意し筆を持った。


『みんな素敵な名前だね』


 紙の上で筆が動いていく。


『俺も、名前は特別なものだと思っている。同じ名前でも込められた思いは同じじゃない。名前は生まれてくる子を思ってつけるものだ。移っていいものじゃないんだ』


 感情に沿って字が太く乱れていく。


『やめたい。変えたい』


 月華さんの伝えたい思いが字となって表れていく。


『こんな呪いあってはいけない』 


今までで一番太く、一番力強い字。月華さんが僕たちに一番伝えたかった思い。


『どうか、呪いをとめてほしい』


「私からもお願いします」

 月華さんと狭霧さんは深く頭を下げた。


 長い沈黙が流れる。


「……もとよりそのつもりですよ」

 沈黙を破ったのは先生。


 そうだ、僕たちは呪いを解き明かすためにここに来ているんだ。


「でも、当主様が呪いなんて言っちゃっていいんですか?」


『これは祝福なんかじゃない。ただの呪いさ』

 瀬名さんの意地悪な質問にも月華さんは真っ直ぐに答えた。


「なら、呪いは人の手によって作られているって言ったら、信じますか?」


『信じる』力強い字で返ってくる。月華さんの意思の表れ。


「……そうですか。『なわけあるか!』とか返されたら、先生の襟首掴んで引きずってでもここから出ていこうと思っていましたよ」


 瀬名さんだったら本当にやりかねないな。


「そうしたら着物を脱いででもここに残るけどね、僕は」


 えー、こどもですか。 


「いーや。宇田ちゃんに決め技してもらって気絶させてでも連れていくよ」


「なら、逃げる」

「追いかけて絞める」

「……参りました」


 この勝負、瀬名さんの勝ち。


「まあでも、本気なのは伝わりました。だったら僕らも本気で挑むってもんですよ」


「その通り! そして、アンノウンを解き明かす。それがこのゼミの活動モットーなのだよ!」


 そうでしたね。僕は微力にしかならないけれど、精一杯頑張ります。


「ありがとうございます。 月華、あれを良いですね?」


 お礼を述べた狭霧さんは月華さんに断りを入れると、部屋の端にある箪笥の一番下の引き出しから漆塗りの小箱を持ってきた。


「これはあるお方から預かったものです。十年前にこの地を訪れた『加苅(かがり) 森羅(しんら)』という者から、『自分を先生と名乗る奴が来たらこれを渡せ』と仰せつかっておりました」


 小箱に入っていたものは一通の便箋。


「……加苅くん、から――」

 先生は渡された手紙を受け取ると、微かに震えている手で中身を取り出した。そして、読み上げる。



(れい)

よお、元気してるか? 元気にしてないと困るな。

どうだ。俺からのヒント受け取ったか? 難しいとか言うなよ。

いや、でも、お前が島に来た時に完成してなかったらごめんな。

まあ、あいつらなら大丈夫だろう。


本題に入る。お前にはこの島で起きている呪いを終わらせてほしい。

呪いと言えば聞こえはいいが、これはただの殺人だ。到底許せるものではない。

お前に頼むのは、俺にはできなかったからだ。介入することができなかったんだ。

でも、種を蒔いてきた。今は育っているはずだぜ、立派にな。

だろう? 月華、狭霧。 お前らは、当主とその側近になっているはずだ』



 手紙はそこで終わっていた。


 月華さんと狭霧さんは俯いている。何を思っているのだろう。


「……十年前、森羅さんがここを訪れた時の話、聞いてくださいますか?」

 消え入りそうな声で尋ねる狭霧さんは、とても寂しそうに微笑んでいた。


「ぜひ、聞かせてほしいな」


 泣くことを堪えているような優しい微笑みを向けた先生。あの日、研究室で見せたものと同じように……。


ご高覧いただき感謝の至りでございます。

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