第二十話 乙守島【三日目】「遠きに行くに必ず邇きよりす」
「まずは、状況の整理だね」
先生は、僕たちにここに来るまでの状況を尋ねた。答えたのは瀬名さん。ナナの様子がおかしかったこと、祝福があったと聞いてここに来たこと、泣いている彼らに会ったこと、そして儀式が始まったこと、を。
「そうか」
儀式については先生も離れたところで見ていたらしい。
「僕らの番です」、と僕たちと会う前の先生の行動や何を見たかを瀬名さんが尋ねる。
「夜が明けてほどなく狭霧くんが家を出た。微かだったが破裂音があったため僕は目覚め、狭霧くんを追ったんだ」
そして、先生は家を出てからの自分たちの行動と、見たことを話してくれた。
「狭霧くんに問いかけても、ナナくんと同じように『祝福がありました』としか答えてくれなかったよ。狭霧くんは無言で赤い煙が立ち昇る場所へと向かっていった。どうやら発煙筒の赤い煙が祝福の合図だったらしい。狭霧くんは夜通し見張っていたのだろうね」
帳さんの家はあんなに慌ただしかった。近々祝福があることを分かっていたのだろう。
「発煙筒の煙が昇っていた家は、昨日の夜僕たちがお世話になった家、錦さんの家だった。家の前で楸さんが発煙筒を持って立っていたんだ」
それはつまり、祝福の合図はこどもが生まれたことではない。誰かが亡くなったことで行われるということ。
「楸さんは狭霧くんを家の中に案内した。ダメもとで僕も入っていいか聞いたんだが狭霧くんは頷いてくれ、僕たち二人は案内された寝室に向かった。部屋はアルコールの匂いが充満していたよ。昨日あれだけ飲んでいたからね。でも、とても静かだった」
一度言葉を区切る先生。緊張が走る。
「……静かに、眠るように、穏やかな顔で錦さんは亡くなっていたんだ」
僕たちは息を呑んだ。
「失礼を承知で体を軽く見させてもらった。医者ではないから死亡推定時刻とかはわからない。でも、全く外傷が見つからなかった。血は一滴も流れていない。圧迫や首を絞めた跡もない。苦しんだ形跡もない。何も、なかったんだ」
死因不明……。
「で、でも、病気だって可能性も――」
心筋梗塞とか、脳卒中とか、偶然が重なることだってあると思うんです。
「うん、捨てきれないね。けどね、錦さんを見て狭霧くんも楸さんも、絹さんも他の人も何も反応を示さなかった。どういうことか分かるね?」
……それは、初めてではないということ。それが、当たり前であるということ。
「全員同じ亡くなり方をしているようだ。石段からの転落というたった一度の例外があったらしいが、同時に新しい命が生まれていたため、居た場所が悪かったのだろうという結論で落ち着いたらしい」
「……なら、本当に呪いなのか?」
幹史が先生の目を見て問いかける。
「それはまだわからない。だから、確かめに行こう」
「……ご案内いたします」
先生の後ろから現れた狭霧さんは僕たちについてくるよう促した。
いつからいたのかは、今は問題ではない。どこに行くかだ。そして、何をするのか。錦さんの体は燃やされた。死亡解剖をするわけでもない。そもそもできる人がここにはいない。先生と狭霧さんは何を話したのだろうか。何を隠しているのだろうか。知りたい。でも、知りたくない。
そこで僕は思い立つ。
呪い。それでいいのでは? 「誰かの手によって」瀬名さんの仮説の方がもっと恐ろしい。なら、このまま呪いとすればいい。そうだよ。なのに……。
――ねぇ、先生。僕たちは何をしに行くの? 何を壊しに行くの?
……そう考えている時点で、僕は無意識に「これは呪いなんかではない」と思っているのだろう。
なら、誰だ? 誰が錦さんを殺した? 錦さんだけじゃない。『祝福』と称して殺人を行っているのは、誰だ?
狭霧さんに案内されたのは僕たちが初日に案内された場所、あの屋敷だった。
「会っていただきたい方がいます」
一言だけ告げ、狭霧さんは屋敷の表に聳え立つ門を通り過ぎる。そして屋敷を囲んでいる木塀に沿って進み裏へ回ると、立ち止まり木塀に手をかけた。
どう見ても正式な入口ではない、こどもが作ったような拙い細工――縦長長方形に切り抜かれた木の上部三か所に概ね等間隔に開けられた穴と、切り抜かれた木の横一辺と接する辺にも同じく三か所の穴が開けられており、向かい合う穴同士を縄で結んであるため押すことで簡単にくぐることが可能――が施された仕掛け戸を押して僕たちを通す。
仕掛け戸を通ると狭霧さんは右手に曲がった。ほどなくして見えてきたのは、驚くほど何もない庭。屋敷の趣ある重厚感から枯山水をイメージしていたけれど、砂が敷かれていなければ石ひとつない。池も灯籠もない。ただ木塀がこちらを見ているだけ。庭と言っていいのかもわからないほど粗末だった。しかし、これはまごうことなき庭なのだ。なんせ、『立花の庭』と書かれた立札がぽつんと立っていたのだから。
足を踏み入れて気が付く。地面は凹凸なくしっかりと整地されていた。
狭霧さんは靴を脱ぐと縁側に上がる。僕たちも続いた。
「なるべく足音を立てませんように」と忠告を受け、盗み足で縁側を進んでいく。庭に沿っている障子は全て閉められており閑散としていた。
しばらく進むと、全開になっている障子が見えてきた。狭霧さんは体を滑り込ませるように入る。僕たちも同じようにしたのだけれど、なんだか悪いことをしているようでいたたまれなくなった。
「ここです」
人気のない廊下を進んでいくと目的地にたどり着いたらしい。
ここは屋敷の最も奥。目の前には装飾の凝った襖。ここが格式高い部屋であることは一目瞭然。なんだか緊張してきた。
「客人をお連れいたしました」
中から返答はない。一度深呼吸をした狭霧さんは襖へと手をかけた。しかし――
「何をしているのです!」
突然聞こえてきた怒鳴り声。着物を纏った若い女性が小走りでこちらに向かってくる。
「この無礼者!」
そして、狭霧さんの前まで来ると彼の頬を勢いよく叩いた。静かな廊下に音が反響する。
「今更どの面を下げて来たのです! あなたはここへ入る資格はありません! 即刻立ち去りなさい!」
一方的に言い張る女性。この状況はいまひとつ分かっていないけれど、二人の間にはなにか確執があるようだ。
「これは失礼いたしました、『樹雨』様」
叩かれた頬を抑えながら、微笑んで女性に頭を下げた狭霧さん。
「ええ。ですから、帰ってください」
「いえ。そうはいきません」
自分の来た道を指さし女性が指示する。しかし、頭を上げた狭霧さんは至って穏やかに返した。
「かえって!」
「いえいえ」
お互い引く気はなさそう。
「何をしているのですか、樹雨」
背筋が伸びるような声が響いた。
座禅中に警策をもった僧侶が背後を通っている時のような感覚に近しい緊張感が漂う。角を曲がって現れたのは絹さんだった。凛とした姿でこちらに向かってくる。そして、樹雨さんの前で立ち止まった。いつものお付きの人がいない。一人できたようだ。
「お、御祖母様⁉」
絹さんの登場に驚いている樹雨さん。叩いた狭霧さんの頬と絹さんを交互に見て相当焦っている。叩いたことがばれたくないのだろうか。
「構わず入りなさい」
樹雨さんへ向けていた視線を狭霧さんに移し、絹さんは許可を出す。頭を下げた狭霧さんは襖にもう一度手をかけた。
「どうしてですか⁉」
「あなたには関係のないことです」
「でもあいつのせいでっ……!」
「何も知らない者が口を出すものではありません」
「でも……」
「行きますよ」
「……はい」
絹さんに背を押され、樹雨さんは踵を返していく。
「見苦しいところをお見せしてしまいすみません。では、どうぞ」
僕たちに対しても頭を下げた狭霧さんは、音を最小に開いた襖に僕たちを通した。
太陽の光がよく入った部屋。中はとても広いけれど、あの襖にしては凝った家具は置かれていない。丁寧に片付けられていて過ごしやすそうだ。まるで、ここに住む者の人柄が伺えるような部屋。
最後に足を踏み入れた狭霧さんが跪き右手を胸に当て挨拶をする。
「お目通り感謝いたします。――当主様」
部屋の広さと差し込んだ光が相まって気が付かなかったけれど、広い部屋の奥、そこには人がいた。絹さんや樹雨さん同様質の良い着物を着ている。
その御仁は、右手を軽く上げ微笑んで僕たちを迎えてくれた。布団から上半身を起こしており、膝上あたりに布団の上から一人用の座卓が置かれてある。
先生が狭霧さんに倣って跪いたので、僕たちもすぐに真似た。
たしか、当主様と言っていたような……。
しかし、数秒経っても何も言葉はない。不信感三割、好奇心七割に僕は顔を上げてしまった。
――あ、あれ?
御仁は眉を下げ非常に困った顔をしていた。目を大きく開き、しきりに手と顔を動かしている。
なんか、想像していた姿と全然違う。口を開かないものだから僕たちを品定めしているのだと。でも実際は真逆と言ってもいい。
何かを伝えようと……、いや、焦っているようだ。口を鯉のようにパクパクさせ、おろおろしている。突然何かを思いついたようで手を打つと、布団の横に置いてあった木箱を座卓に乗せ中から〝何か〟を取り出した。そして、集中して”何か”をし始める。
数秒後、御仁は持ち上げた”何か”を僕たちに見せた。それは文字の書かれた紙だった。木箱から取り出したものは紙と筆だったよう。
『顔を上げてください。わたしはあなた方にとてもお会いしたかったのです』
と、書かれてある。
もう一度机に向かって文字を書き、持ち上げて見せた。
『どうか、楽に座ってください』
僕たちに向けてのようだ。
「……では、お言葉に甘えて」
紙を見た先生はその場に胡坐をかいた。先輩たちや幹史も胡坐をかいたが、僕は正座をした。恥ずかしながら、胡坐をかく度胸がなかったから。
僕たちが座ったのを見て、御仁は胸を撫で下ろした。
最後に正座した狭霧さんは、各々を紹介してくれる。
「こちらは『百鬼一族』二十九代目当主であらせられる『月華』様にございます」
『皆さん、よろしくお願いします。わたしのことは気軽に月華と呼んでください』
月華さんは新しい紙に文字を書くと、僕たちに見せる。
なんて奇麗な名前だろう。そして、名前に違わない容姿だろう。真っ直ぐで艶のある一つに結わえられた長い黒髪に、白い肌。男性のようだけれど、女性に見紛うほど美しい。美人とは何も女性に向けてだけの言葉ではないと実感する。
「……本当に当主様がいたんだ」
「ええ」
肩をすくめて呟く瀬名さんに狭霧さんは微笑んで答えた。
『私には舌がありません。話すことができないので、筆談で失礼します』
そう書かれた紙を見せ、月華さんは口を開いた。
ご高覧いただき感謝の至りでございます。




