第十九話 乙守島【三日目】「烏頭白くして馬角を生ず」
「……ろ。……きろ、せ――い」
なにか、声が聞こえる。僕を呼んでいるのか。でも、僕はまだ眠いんだ……。
「起きろ、千界!」
「ぅ、はい!」
耳元で聞こえてきた怒鳴り声に反射で返事がでる。勢いよく起き上がらせた上半身に、まだ冴えていない頭。何回かまばたきをすると、状況が掴めてきた。
「よう!」
隣で呑気に笑っている同期に睨みを利かせる。まったく、悪いところを先輩から吸収して。
「やっぱ寝起きドッキリは仕掛ける側に限るな!」
そうだね。今度は僕も仕掛けてみよう。ちょっと物足りなかったからオプションをつけるけど。
「……まあ、こんな茶番は置いといて。ちょっと様子がおかしいんだよ」
打って変わり真剣な顔つきになった幹史が窓に近づき外を見る。ベッドから降りた僕も窓に近づいた。窓から見える外――庭にはナナが立っていた。遠くを見つめるその顔は不安に満ちている。
「僕らが起きた時には、ナナちゃんはもうああしていたよ。ついでに先生と狭霧くんの姿が見えない」
声が聞こえ振り返ると、寝室のドアを押さえて立つ瀬名さんの姿があった。瀬名さんの後ろには竜也さんもいる。
「……何かあったんですね」
「確実にね」
先輩たちも起きたばかりらしく、状況が掴めていないようだ。
僕たちは身支度も整えず庭に出てナナに近づいた。僕たちに気が付いたナナは、集落のある方を指さし告げる。
「……祝福があった」
その言葉が意味するもの。僕たちは顔を見合わせた。そして頷き合う。
さすがに寝巻きのまま外には出られないので着替え、ナナを残し集落に向かった。幹史が「残る」と言ったけれどナナが望まず、家にはナナが一人残った。
「祝福って『百鬼の祝福』のことだよな。魂が輪廻転生するっていう」
ナナの様子が気になるのか時々振り返りながら幹史が言う。
「うん。新しい命が生まれ、――おそらく一つ命が消えた」
瀬名さんの呟きに皆が黙る。これは聞いた話に過ぎない。まだ自分の目で確かめていないんだ。これが本当かどうかの判断はそれからでもいいだろう。
集落に入っても島民の姿はなかった。七日に一度だという朝礼は昨日行ったのだから今朝はない。静まり返る居住区に反比例するように胸中のざわめきは増していた。
ふと、聞こえてきたこどもの泣き声らしきもの。小走りで向かうと、広場の手前で手をつないだ三人のこどもの姿が見えた。手を繋がれた両端のこどもが大声を上げて泣いている。真っ先に駆けつけた幹史が優しく声をかけた。
「何があったんだ?」
「幹史お兄さん……」
真ん中にいる少女――晴嵐は幹史の顔を見た途端、大粒の涙を零した。それに呼応するように、雪天と垂氷の泣き声も大きくなる。
「あ、あのねっ……、とばりさんの、あかちゃんがねっ、生まれたの……。元気な、女の子だって。……よかったねっ! 無事に、生まれて、くれ、てっ……」
嗚咽を漏らしながら、作った笑顔で教えてくれる晴嵐。
「でもね……、でもねっ……」
晴嵐の笑顔が崩れていく。膝をついた幹史は三人を抱きしめた。もうこの先は言わせまいと、強く、強く……。
お姉さんだからと我慢していたのだろう。幹史の抱擁で張り詰めた糸が切れ、晴嵐は声を上げて泣き出した。しっかりした子だけれど、まだ八つだものね。
「……行こう」
僕と竜也さんの背を押し、島民が集う広場に向けて瀬名さんが歩き出す。こどもたちは幹史に任せ、僕たちは僕たちのするべきことを見つけにいく。たとえそれが望まれていないことだとしても。
円を描くように集っている島民たちは、皆両膝をつき額の前で手を組んで目を瞑っている。そのおかげで後ろからも中心の様子が見られた。大幣を振っている絹さん、ゆりかごで寝ている赤ちゃん、その傍らで棺の中に横たわっている男性――錦さん。
あの子たちの様子から予想はしていた。分かっていた。……なのに、受け入れられない。認めたくない。だって、昨日あんなに楽しそうに食べて、飲んで、笑っていたじゃないか。ワイン片手にチキンを食べて、真っ赤な顔で笑っていたじゃないか。
頭に大きな手が乗せられる。竜也さんの手だ。背中にも手が添えられる。これは瀬名さんの手。頬に冷たい何かが伝う。
――ああ、僕は泣いていたのか。
「……ねぇ、瀬名さん。これを呪いと言わず、なんて言うの。じゃなきゃ、これは……」
「わかっている! ……わかっているさ」
僕の言葉を遮り叫んだ瀬名さん。背中に添えられていた手が離れる。
「……呪いであってほしいと、僕も思うよ」
その声はひどく震えていて、向けられた微笑みも今にも歪みそうだった。
その表情に胸が締め付けられる。そうだ。苦しいのは僕だけじゃない。なんでこんな八つ当たりみたいなことを、僕は……。
そんな気持ちを打ち消すように鈴の音が聞こえてくる。音の出所に目を向けると、絹さんが神楽鈴を鳴らしながら赤ちゃんの眠るゆりかごと錦さんの眠る棺を周回していた。その音に驚いたのか泣き出す赤ちゃん。生まれたばかりの新しい命が必死に生きようともがいているようだ。
「今この時をもって、新たな輪廻は成された!」
神楽鈴をお付きの人に渡し、両手を上に挙げ天を見つめた絹さんが島民に宣言をした。
「この子の名は『錦』。新たな人生を謳歌せよ」
絹さんはゆりかごから赤ちゃんを抱き上げると、膝をついている帳さんの手に渡す。
「ありがとうございます」
赤ちゃんを受け取った帳さんと百合さんは膝をついたまま、絹さんに向かって深く頭を下げた。母親の腕に安心したのか、あんなに必死に泣いていたのが嘘のように落ち着いている赤ちゃん。母は偉大だ。
ナナに名前がないこと、名前が不似合いなこと、島民同士のつながりが強いこと、その理由が今わかった。名前は譲渡されているんだ。それはその子の名前ではなく、魂の名前。輪廻転生している百の鬼のうちの一人の名前。
「点火!」
絹さんの掛け声で棺に火が灯される。その火は一瞬にして広がり、錦さんを包み込んだ。
人体の焼ける匂いにえずいてしまう。口を押さえ蹲った僕に、瀬名さんと竜也さんが声をかけたり、背をさすってくれたりした。
なんなんだ、これは。これが、現実?
「廻った魂に祝福を!」
「廻った魂に祝福を!」
「廻った魂に祝福を!」
「廻った魂に祝福を!」
絹さんの言葉の後に同じ言葉を続ける島民たち。それは永遠に繰り返された。まるで宗教。いや、洗脳。人間、不都合なものや信じたくないものには理由をつけたがる。そして、理由が人ならざるものであればあるほどのめり込む。現実から目を逸らす為に……。
僕はまた泣いていた。頬を滑りきった涙が地面に染みを作っていく。
――いや、何を泣くことがある、僕。錦さんの魂は新しい体へと宿ったんだ。ここにはそういう仕組みが……
ああ、今僕がしようとしていることも同じか。でも、目を逸らしてはいけない。錦さんは亡くなった。この現実に向き合わなければならない。
ほら、深呼吸して。気持ちを落ち着かせるんだ。
瀬名さんと竜也さんに支えられ立ち上がる僕。心配そうな二人に、もう大丈夫だと告げる。
そう、大丈夫。今は僕ひとりじゃないのだから。
立ち上る炎、肉の焼ける匂いに音、同じ言葉を繰り返す島民、今見ているものすべてをこの体に焼き付ける。もう、逃げないために。
「廻った魂に祝福を!」
「廻った魂に祝福を!」
「廻った魂に祝福を!」
「廻った魂に祝福を!」
これは、炎が消えるまで止まらないのだろう。
そして数時間後。炎は消え、そこには骨のみが残された。
「やめ」
絹さんの掛け声で言葉を途切れさせた島民たちは、立ち上がり深い一礼をする。そして、静かに居住区へと帰っていった。
お付きの人は島民が捌け切ったのを見計らい、骨壺に骨を丁寧に入れていった。入れ終わると、その場に残っていた楸さんに手渡す。
「ありがとうございました」
楸さんは絹さんとお付きの人に深く長い礼をした。絹さんたちも礼を返す。暫くして、絹さんたちは屋敷のある方角へと歩みを進めた。
「……もっとあんたと笑っていたかったよ」
骨壺を抱きしめ、一人残された楸さんは呟く。
「お母さん……」
いつの間に集落に入ってきていたのか、幹史とこどもたちがいた。晴嵐が消え入りそうな声で母の名を呼ぶ。その声を聞き、骨壺を傍らに置いた楸さんが両手を広げた。その腕の中に飛び込むこどもたち。泣き声は一層激しくなる。
「大丈夫さ。あの人の魂がなくなったわけじゃないよ。今度、帳さん家に挨拶に行こうね」
泣きじゃくるこどもたちの頭や背を撫でながら、楸さんは穏やかに告げる。
魂の輪廻。楸さんは、この島の人間は、魂が巡っていると本気で信じている。次の肉体に魂が宿ったのだと。
「いやだ! あれは父さんじゃない!」
雪天が叫ぶ。
「垂氷の父さんを返してよぉ。」
垂氷も弱弱しい声を漏らし楸さんにしがみついていた。
晴嵐は何も言葉を発さなかったけれど、顔は悲痛に歪んでいる。湧き出てきそうな感情を必死に抑え込んでいるのだろう。
そうだ。こどもにはそう簡単に割り切れない。昨日まで一緒にいた父が急にいなくなり、別の家の赤ちゃんとして生まれてきたなんて、こどもには酷すぎる。
「……そうね。あんたたちの父さんはずっとあんたたちだけの父さんさ。どこにも行かない」
そう言うと、楸さんはこどもたちをより一層強く抱きしめた。
その光景を一人離れた位置から見ていた幹史。遠くからでも拳が強く握られているのを感じる。悲しみか、怒りか、複雑な感情が彼の中で渦巻いていることだろう。
「さあ、家に帰ろうか」
こどもたちが落ち着いてきたのを見計らい、骨壺を抱き上げた楸さんが笑いかける。母親の後を追うように、手を繋いだこどもたち三人は歩いた。
幹史の姿を見て立ち止まった楸さん。僕たちにも気が付くと、深く頭を下げた。
「あんたたち、昨日の今日でごめんね。まさかうちのがなるとは思わなかったけど、最後に楽しい思い出ができて良かったさ。ありがとうね」
頭を上げた楸さんは、終始笑顔でそう述べた。なんて強い女性なのだろう。
去り際、その目から光るなにかが宙に消えていった。
悲しくないわけがない。ただ強がっていただけなんだ。こどもに背を向けて静かに流す涙。母は偉大だ。
「なあ。なんなんだよ、これ!」
楸さんたちを見送った後、僕たちの元まで歩いてきた幹史が叫ぶ。
「昨日、あんなに元気だったじゃん。楽しそうに、笑っていたじゃん……。なのに、なんで……!」
瀬名さんと竜也さんは、何も言わず幹史の肩と背に手を置いた。
「……悲しいね。何もできない自分が悔しいよ、幹史……」
言葉が震える。胸が張り裂けそうだ。
――あれ、涙の後の世界が奇麗だと思えないや、父さん……。
「くそっ!」幹史は叫ぶと、頭を腕で抱えて蹲った。必死に押し殺そうとする嗚咽と、地面に落ちる無数の涙が、幹史の感情を痛いくらい伝えてくる。
呪いを目の当たりにして痛感した。この島で起きていることが人知を超えていることを。いったい、僕たちに何ができようか。そもそも何かをしなければいけないわけではないのでは? でも、これを見過ごしていいものだろうか。こんな理不尽な命の消え方を……。わからない、わからないよ……!
ふと、空気が変わった気がしておもむろに顔を上げる。
胸に生まれたこの不確かな予感はなんだろうか。
――いや、考えるまでもない。
この場に不釣り合いな者が袴を靡かせ颯爽と登場した。そして、僕たちの前で立ち止まり、歯を見せて笑う。
「さあ、アンノウンを解き明かそうか!」
まったくこの先生は、あんなに燃え盛っていた不安の灯火をたった一息で消し去ってしまうんだから。
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