第十八話 乙守島【二日目】「懸河の弁」
「……来てもらって、良かったな」
先生が小さな声で呟いた。隣の僕にはそれが聞こえていて視線を向けると、本当に優しそうに微笑んでいた。僕の視線に気が付いたようで、目が合う。
「先輩たちは、当初来る予定ではなかったですからね」
「ああ。葉山くんの言い分も分かるし、初めての君たち二人だけじゃ少し心配だったから、半ば強制的に参加してもらったようなものだし。来て早々、瀬名くんの顔を曇らせちゃって、宇田川くんには嫌な思いをさせちゃって。こう見えても罪悪感があったんだよ」
酔っているのか、少し本音を打ち明けてくれた先生。こどもたちに鬼と泣かれた竜也さんに、瀬名さんの顔を曇らせたとはクローズドサークルの件だろうか。僕との会話の内容は聞こえていないにしても、警戒心や不安は態度に滲み出るもの。僕にはわからなかったけれど、聡い先生なら分かるのだろう。この先生は見ていないようで、本当に学生ひとりひとりを見ている。
こんなに楽しい宴なのだから、この場に狭霧さんとナナもいて欲しかったな。叶わないことだと分かっていながらも、そう思ってしまう。
この島を取り巻く『百鬼の祝福』という呪い。そんな呪いが存在するのか、本当に呪いなのか、僕たちには分かる由もないのだろうけれど、それでも、こんなふうに島民皆が楽しく生き生きと暮らせているのなら、これでいいのかもしれない。
「君も牛乳飲んでみなよ、ほら」
「このローストビーフも食え。うまいぞー」
「いっぱい食べて大きくなれ、千界!」
まったくこの人たちは……。僕はこどもじゃないんですからね。
瀬名さんから受け取った牛乳を一口飲み、竜也さんの進めるローストビーフを食べ、幹史がよそった盛り合わせに手をつける。
「……うん、美味しい」
僕が微笑むと、皆も笑った。
「宴はまだまだこれからだ!」
ジョッキを高く掲げ、無邪気な笑顔の先生が宣言する。
これは、完全に酔っていますね。後が面倒くさそうだ。
「お前、『せかい』って名前なのか! 良い名前だな!」
こっちの酔っぱらいもなかなかに豪快。叩かれる背中が痛い。でも、悪い気はしなかった。
「ほら、飲め! 食え! 騒げー!」
そう言って、ワインを僕に近づけてくる。僕が断るのを見ると、今度は骨付きチキンを押し付けてきた。その強引さに負けて僕はチキンにかぶりつく。そんな僕を見て愉快に笑った錦さん。頭に大きく骨ばった手が乗せらせ、そのまま頭を乱暴に撫でられた。よく父にも頭を撫でられたけれど、それは静かで優しいもの。こんな豪快に撫でられたことはない。まるで正反対。なのに、錦さんに父親らしさを感じた。
それから、外が暗くなるまで皆で飲み食いしては盛り上がり、楽しく濃いひと時を過ごした。
狭霧さん宅に帰ると、あまりの酒臭さに鼻をつまんだ家主によって先生は介抱され、ナナに捉まった僕たち四人は今日集落であった事を彼に語った。自分が集落に行けないからかナナはどの話にも目を輝かせていて、いつの間にか幹史の膝の上で眠ってしまった。
目を瞑りベッドに横になるも眠れない。僕以外は皆眠っていた。
楽しかったひと時が過ぎ、静かな場所で冷静になると忘れさせたものが浮かび上がってくる。他のことを考えようとしても消えてはくれない。
瀬名さんとの会話が呼び覚まされていく――
「当主がただの偶像だとしたら?」
「……え?」
「そこに誰もいないとしたら?」
「誰もいない? 当主という肩書だけが存在しているということですか?」
「うん。当主が別の人間と同一人物と仮定したなら、どうなると思う?」
「……あ、存在が一人増える?」
「そう。呪いが正常に作動しているなら百一人目の存在は現れないはず。でも、現れた。その答えは一つだよ。人間の手によって増やされた。もっと正確に言うと、『死』を無しにした」
「……なら、百一人目の存在はいないってことじゃないですか。だとしたら、なんで百一人目を作ったんです? なにか理由がないとおかしいですよ」
「うん。そこで登場するのが狭霧くんだ」
「狭霧さん?」
「あの時も言ったけど、僕は狭霧くんが当主なのではないかと踏んでいる。ことのあらましは、こう。当主が亡くなり狭霧くんが次の当主に任命されたが放棄した。でも当主が不在ということにはできないので、重い病気で表に出られないということにして、当主不在の事実を隠す」
「そんな都合よくいきますかね」
「いかないね。だから協力者がいる」
「……絹さん、ですか」
「うん。絹さんだけじゃないかも。あそこに出入りしている人は多そうだし。そもそも隠れ当主様は、狭霧くんじゃなくて島民の誰かって可能性も捨てきれないしね」
「狭霧さんであれ、他の人であれ、当主の座を利用し一人架空の存在を作り出したことで百一人目の存在が出来上がったということですか」
「そういうこと」
「こんなこと思いたくないですけれど、ナナは都合よく百一人目として利用されているということですね。でも、なぜ当主の座を放棄するんです?」
「理由は簡単だよ。自分が自由に動くためだ」
「自由に動いて何するんですか? ここの人たちは元から自由に生きていそうですけど」
「それね。僕はずっと考えていたんだよ。なかなか難航したけど、一晩かけてたどり着いた答えがひとつある」
「一晩? ――って、昨日から考えていたってことですか⁉」
「うん。『百鬼伝承』を聞いた時から考えていたんだよ。表に出てこない当主を知る前に立てた仮説だったけど、悲しいかな辻褄が合ってしまったよね」
「……十分探偵しているじゃないですか」
「何を言う。探偵はあらゆる証拠から真実を明らかにする存在だ。僕はあくまで想像。こうあってほしいな、こうだったらいいな、という域を出ない。現場証拠もなしに想像だけで仮説を立てて楽しんでいる今の僕は、探偵の風上にも置けないさ」
「そこまで卑下しなくても……」
「そういうわけじゃない。あらゆる物語の探偵を見てきた上で現実を悟っているだけだ。僕はね、高望みはしない主義なんだよ」
「僕からしたら瀬名さんは十分にすごいですよ」
「ありがとう。先輩冥利に尽きるよ。 で、本題に戻るけど、僕が今から話すことはあくまで仮説であることをくれぐれも忘れないでね」
「はい」
「その仮説とは『呪いこそ、人の手によってつくられているのではないか』ということ。
なんのために? どうやって? というのはまだ分からなかったけどね」
「……呪いが人の手によって?」
「うーん。うん、いっそのことぶっちゃけてしまおうか。――ここでは、百人を維持するために『祝福』と称して人が殺されている。……誰かの手によってね」
「……! 自由に、動ける、それって……」
今思い出しても身震いする。そうであってほしくないのに、そうであるかのような仮説。
いや、いくら僕が考えたって真相に至るはずがない。これはただの仮説。あくまで瀬名さんの想像。もう一度深くしまおう。勝手な想像で他人を見る目を変えるわけにはいかないのだから。
『誰かの手によって』
なのに、瀬名さんの言葉が脳裏を這う。
もう、あっちいけ。
タオルケットを頭まで被り体を丸めさせ、雑然とした心を乱雑に押し込む。
そうだ、美味しかった料理の味を思い出そう。お昼にご婦人がくれたソーセージとレタスのクレープ、美味しかったな。楸さんの料理もどれも美味しかった。食後のチーズケーキとカスタードプリンもお店のようだったし。たらふく食べた後は、お土産を見せたり、貰ったりして。もっといたい気持ちを抑えて錦さん家を出たんだっけね。
ああ、そういえば、帰り道慌ただしい家があったな。鬼気迫る顔でご婦人方がしきりに出入りしていた。もしかしたら、帳さんの出産が始まっていたのかもしれない。出産は人によって長いと聞く。想像もできないほどの痛みと戦うとも。桜の花の加護がなくても無事に生まれてくれるといいな……。
そう思っているうちに、まどろみの底を抜けていた。
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