第十六話 乙守島【二日目】「羹に懲りて膾を吹く」
「か、かわいい……!」
手作りの編みぐるみを両手で持ち、感銘を受けている竜也さん。
僕たちは、畑から戻ってきた狭霧さんの計らいで居住区にお邪魔させてもらっていた。先生は農業の発展について狭霧さんに話を聞きたいらしく、家に残ったので別行動。
居住区に着いた僕たちは、真っ先に目を付けられた少女に手を引かれるまま家に連れられた。入ると、そこにはいろいろな色の編みぐるみが並べられてあった。食いついたのは竜也さん。見かけによらず手先が器用で、趣味で裁縫も嗜んでいる彼。そんなことは露知らない少女とその母は驚きつつも、同志に会えた喜びであっという間に竜也さんと打ち解けた。
そして今、並んであった編みぐるみの一つを少女から手渡された彼は、その可愛さに眼鏡がずれそうなほど頬を緩ませているのだ。
「これはね、新しい赤ちゃんにあげるの」
『榧』という名の少女は、水色の毛糸でできたうさぎの編みぐるみを僕たちに見せてくれる。新しい赤ちゃんと言うのは、きっと帳さんのお腹にいる子のことだろう。
「でも、ちゃんと生まれて来てくれるかな?」
笑顔で編みぐるみを見せていた榧の顔が曇った。
「絶対に生まれる命というのはないからな。心配だよな」
榧に目線を合わせた竜也さんが優しい声で共感を示す。
「帳さん、予定日からかなり過ぎていて……。それに、桜ももうとっくに散っているわ」
榧の母『八雲』さんが彼女の肩に手を置いて付け加えた。
それは心配だ。医療設備が整っているわけではないだろうし、出産がうまくいけばいいのだけれど。
「桜がもう散っているって、何か出産と関係あるんですか?」
幹史が八雲さんに問う。
「ええ。一族の掟に、『出産は桜が咲いている頃に限る』というものがあるの。桜の花は加護を与えてくださるらしくて」
「ほうほう、一族の掟。例の絶対君主制とやらですか」
「絶対君――なにかしら?」
瀬名さんの言い草に八雲さんは困惑している。
「こいつの言うことは無視していいんで。 お前少し黙っていろ」
すかさず竜也さんがフォローに入った。そして、叱るのも忘れない。
「現当主様とやらが決めたものですかね?」
しかし、こんなものでは怯まない瀬名さん。八雲さんに再び問いかける。
「いいえ。これは私が生まれる前にはあったから、随分昔からの掟だと思うわ」
「随分昔から……、へぇ」
瀬名さんは不敵な笑みを浮かべた。今度は何を考えているのやら。
『出産は桜が咲いている頃に限る』。出産は春、しかも桜の時期限定ということ。だとしたら、帳さんの出産は三か月程遅れていることになる。散ってしまっているから桜の花の加護もない。赤ちゃんは無事に生まれてくれるだろうか。
「トラウマになっていないといいのだけど……」
ぽつりと零した八雲さん。
「トラウマですか?」
「ええ。五回前の桜の季節に死産しているのよ。予定日より早く生まれちゃってね」
だから今回は予定日よりも遅くに。なおのこと心配が募る。本当に無事に生まれて来てくれるといいな。
「もう空木の季節も過ぎてしまっているもの」
八雲さんは頬に手を当て心配そうに呟いた。
ここでの季節は春夏秋冬や月で分けられているのではなく、咲いている植物で季節がわかれていると八雲さんが教えてくれた。「桜の季節」「空木の季節」「百日紅の季節」「楓の季節」「梅の季節」の五つ。こっちで言う春が「桜」と「空木」でわけられて五つとなっているらしい。あの五種の木々たちがそうなのだろう。ならあのビビットピンクの花は百日紅なのか。
それから、他にも見て回りたいということで、八雲さんと榧に礼を言って家を後にした。
「あ! 朝のお兄ちゃんたちだ!」
島民からの暖かい眼差しを受けながら歩いていると、前からこどもが駆けてきた。朝礼の後に瀬名さんが引き止めた子だ。
「探検してるの?」
「おう」しゃがんだ幹史が答える。
「探検より、俺たちと遊ぼうよ! なあ『垂氷』」
朝のこどもだけでなく、後ろにもう一人男の子が隠れていたようだ。あの時、姉らしき少女と手を繋いでいた子。弟なのだろう。顔もどこか似ている。その垂氷と呼ばれた子は、おずおずと現れ小さな声で答えた。
「た、垂氷もそうしたい」
「だよなあ! 俺は『雪天』」
垂氷に笑顔を向け、雪天は両手を腰に当て胸を張りながら名乗った。なんとも可愛らしい。
「そうか。俺は幹史だ。遊ぶのは俺だけでもいいか?」
「えー、遊ぶならたくさんの方が楽しいのに」
「でもな、他のお兄ちゃんたちは別の約束があるんだ。だから、俺が他のお兄ちゃんたちの分たっくさん遊んでやるから。な?」
「わかった!」
さすが幹史お兄ちゃん。こどもの扱いに慣れている。
「ってことだから、先輩たちは他の見たいところに行ってください」
立ち上がって笑顔を見せる幹史。なんてかっこいい男なんだ。
「ありがとう、幹史くん」
「助かる。こどもはどうも苦手でな」
竜也さんは、ここに来てからこどもに苦い思いしていますもんね。
「また後でなー!」
僕たちに大きく手を振った幹史は、流れるように雪天や垂氷と遊び始めていた。
「幹史くんはこどもの扱いがうまいね」
「はい。八人きょうだいの一番上ですもん」
ああ見えてもしっかり者なんです。
「え⁉」
同時に驚きの声を上げた瀬名さんと竜也さん。
あれ? 初出しだったっけ?
「だもん、いじられ慣れしていないわけだ」
「ああ。こんなやつを助けちゃうくらいだしな」
「こんなやつってなにさ。でも、ふーん。良いこと聞いちゃった!」
あ、ごめん、幹史。悪魔に血を与えちゃったかも。いや、僕は誓ったんだ。君一人を差し出したりしないと。だから、一緒に立ち向かおう。
「千界くーん、おいていくよー」
悪魔に呼ばれ、僕は追いつくために少し駆ける。振り返り幹史の様子を見ると、彼に惹かれるようにたくさんのこどもたちが集っていた。
やっと幹史らしさが戻ってきたかな。良かった。僕の顔もいつの間にか微笑んでいた。
「休憩がてら本でも読みたいものだけど、ここって本屋とか図書館とかあるのかな? この島独自の本とか見てみたいんだけどなぁ」
両手を後ろで組んで歩きながら辺りを見回す瀬名さん。
この島独自の本、それは僕も気になるな。でも、本屋どころか、店すら見当たらない。これは本格的に紙幣や通貨はないと踏んでいいだろう。豊富な食料や資源、少ない人口、隔たれた土地。きっと必要がないのだ。
「聞いてみるか。――すみません」
竜也さんは、近くの島民に話しかけた。
「おお、どうした?」
「ここには本屋とか図書館はありますか?」
「ほんや? としょかん? 聞いたことないな」
初めて聞いた単語らしく、首を傾げている島民。やっぱり、本屋や図書館はないのか。
「本屋じゃなくてもいいですよ、なにか本はないのかな?」
竜也さんの後ろから顔を出した瀬名さんが問いかける。
「ほん?」
まさか、本も知らない?
「別の名前で呼ばれているのかも」
小さく呟いた瀬名さんはその場にしゃがむ。そして、落ちている石を拾うと、地面に本の絵を描いた。
「こんな形のもの。紙の束に字が書いてあってー、絵が描いてあるものもあるけど」
瀬名さんの描いた絵を見ようと島民もしゃがんだ。絵をじっくり見て少し考えるも、該当するものはないようだ。
「……まさか、本がないなんて――。はは……」
項垂れた瀬名さんから乾いた笑い声が漏れる。
「……しかし、これはなんだ? ミミズの集合体みたいな」
本の絵を見ていた島民は、ページに書かれている『あいうえお』の字を指さして、瀬名さんに問いかけた。
「ミミズの集合体……。もしかして、文字が読めない?」
そんな瀬名さんの呟きに、僕と竜也さんは顔を見合わせた。
辺りには野次馬ができていて、しゃがんでいた島民が立ち上がって説明すると、皆こぞって『あいうえお』を見ては首を傾げる。しまいには、「なに、この気持ち悪いの!」と気持ち悪がったり、離れたりする人もいた。
瀬名さんが趣向を変えて、数字や漢字、ローマ字も書いて見せたが、分かるものは誰一人いない。
また新たなことが判明する。この島の住人は読み書きができない。思い返してみれば、この島に着いてから一度も文字を見ていない気がする。ナナも絵本を初めて見るようだった。まだ幼いにしても、あの年で絵本が初めてなのは本土ではかなり珍しい。でも、絵本もとい文字がないのなら合点がいく。それに、時計もなかったしね。
「なるほどね。この規模の島で、この少人数。文字がなくても生活に支障は出ないのか」
立ち上がった瀬名さんは両手に着いた砂をはたいて落とし、いまだ本の絵を囲んでいる島民たちに視線を向ける。島民たちは、石や指でその字を真似していた。しかし、うまく真似はできなかったもよう。
「はいはい、もうおしまーい」
つまらなそうに言った瀬名さんは、島民を下がらせると靴で地面を擦り、絵を消した。島民たちからブーイングが飛び交うも、瀬名さんは島民たちが真似したものも含めて消す。さらに大きくなったブーイングなど意に介さず、「じゃあね、ありがとー」と、手を振って背を向けると歩き出した。
「おい、いいのか?」
残念そうにしている島民を肩越しに見ながら、瀬名さんに問いかける竜也さん。
二人を追いかけた僕も島民たちを見る。あんなに文字に興味をもっていたのに。
「いいの」
両手を後ろに組んだ瀬名さんは満足そうに言った。
「いいの。文字がなくても快適に過ごせているんだから。……いいの」
僕たちに微笑んだ瀬名さん。
文字が流通すると生活は変わる。それは、良い方にも悪い方にも。部外者である僕たちが干渉していい問題ではない。だから、瀬名さんは島民たちが文字を覚えてしまう前に消した。
口承文化は先生も絶賛する素晴らしい文化だ。大切にしてほしい、瀬名さんもそう思ったのかもしれない。
「次はどこ行こうかね」
そう言って辺りを見回す先輩の顔は、少し、しゃもじに残る米粒ほど少し、先生の面影を感じさせた。
ご高覧いただき感謝の至りでございます。




