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第十五話 乙守島【二日目】「一を以って万を知る」


 帰った狭霧(さぎり)さんは、配給のニンニクと今朝採ったナスを使って、ナスのニンニク焼きを作ってくれた。とろとろのナスにオリーブオイルとニンニクの香りが絡みつき、病みつきになる。ナナも美味しそうに食べていた。


「私は庭の畑の水やりをしてきますね」

 食べ終わった全員分の食器を水の張った桶につけた狭霧さんは、椅子に掛けていたエプロンを身につけながら言う。


「僕がやりますよ。狭霧さんは大きい方の畑の監督があるでしょう?」

 そう言って立ち上がったのは瀬名さん。同じく椅子に掛けていた自分のエプロンを手にしている。


「……では、お言葉に甘えて」

 優しく微笑んだ狭霧さんに瀬名さんも微笑み返した。


「僕も手伝います」

 立ち上がり、エプロンをつけている瀬名さんに声をかける。


「ほぉ、千界(せかい)くん。やっとあのエプロンつけてくれる気になったようだね」


 先生の座っている椅子に掛けてあるかわいいエプロンに近づきながら、いやらしい笑みを見せてきた。


 でたな、この悪魔。

「違いますから」


 なんて意地悪なんだ。自分は紺色の至って普通なエプロンをつけているくせに。


 この人なら助けてくれるかな? こちらの様子を微笑んで見ている狭霧さんに目で訴えてみる。


「……エプロン、貸しましょうか?」


「はい……!」


 通じた……! 渡されたのは狭霧さんがつけていたものと同じクリーム色のエプロン。しゃれていないこのシンプルさが今はとても嬉しい。


「留守をお願いいたします」


 家を出た僕たち三人。狭霧さんから水やりの仕方やコツを教わり早速取り掛かった。手桶と柄杓での水やり。趣のあるやり方だ。僕は少しテンションが上がっていた。


 様子を見ていた狭霧さんは、大丈夫だと判断したのだろう。感謝の言葉を伝えてから、広大な畑に向かっていった。


「……そうそう、家の裏手にもう一つ畑があるのですが、そこには立ち入らないようお願いいたします。危険な植物がありますので」


 立ち止まって振り返った狭霧さんが忠告を入れる。


「危険な植物って、毒草とか?」


 ずけずけ聞きますね。毒草を育てているか聞かれて狭霧さんも困っているんじゃ?


「ええ。ですから、〝絶対に〟立ち入り禁止ですよ」


 困る様子はなく微笑んだまま肯定した狭霧さんはもう一度忠告を入れると、手を振って今度こそ広大な畑に向かっていった。僕たちも手を振り返し、彼を見送る。


「……毒草を育てているって本当ですかね」


「そうだねぇ、五分かな。近寄らせないための体のいい嘘かもしれないね。あの様子だと僕がなに言っても肯定していたよ」


 狭霧さんの謎は深まるばかりだ。


「実は、毒草よりもーっとやばいものを育てていたりしてぇ」

 柄杓を手桶の中に入れると、空いた両手をお化けの手にして僕を驚かそうとする瀬名さん。


「もーっとやばいものですか。例えば、――食人植物とか?」


 自分で言っておいて笑える。食人植物なんて伝説上のものだ。実際に存在はしない。


「いや、食人植物はないね。架空のものだし」


 ですよね。


「でも、食虫植物はある。巨大になった食虫植物は人間をも食らうとか。諸説あるけどね」


「そんなこと不可能じゃないですか?」


 発見された食虫植物で最も大きいのはたしか、五十センチほど。とてもじゃないけれど、人間を食らうことはできそうにない。


「食虫植物は成長するために獲物を食らっている。土壌から十分な栄養が届かない分、食べることで補っているんだ。食虫植物が人間を食べられるほど大きくならないのは、単に栄養が足りないから。でも、栄養豊富な土壌で育ったなら、栄養が行き届くため食べる必要がなくなる。うまくできているのさ」


 へぇ、食虫植物にそんなサイクルが。


 瀬名さんは物知りでもある。竜也さんが以前、「あいつは暇さえあれば文献を読み漁っているぞ。本人曰く、僕は探偵のようなことはできないけど、過去の事象や事例を参考にして考えることはできる。らしい。つまり、ただの変態だ」と、云っていた。


 瀬名さんは先生に負けないくらい好奇心が旺盛。でも、両者には決定的な違いがある。


 先生は、興味のあるものの渦中に行き徹底的に調べたい。瀬名さんは、興味こそあれど渦中には行かず客観的に調べたい。この合宿に乗り気でなかったのはこのためだろう。


 来てしまった以上、興味がわいたものに飛び込まずにはいられないのだろうけど。


「でもさ、思わない? 豊富な土壌で育ち且つ食虫するならどうなるのかって」


 顔を見なくても声から楽しそうなのが伝わってくる。いたずらをする時とかそっち系の。


 確かにそれが可能なら大発見かもしれない。でも、環境的に不可能だから今までも見つかっていないのであって……。


 そこで、僕は彼が言わんとしていることに気が付いてしまった。

 植物がよく育つ環境に、多彩な品種改良……。


「ああ、気になる。ちょっと覗いちゃダメかなぁ?」


 家の裏手に今にも向かいそうな瀬名さんの腕を自分の腕でホールドする。


「興味があるのは分かりますけれど、まだ大きい食中植物があるとは決まっていないんですよ?」


「――あ、そうだった」

 一気に興味が失せたらしい。本当にこの先輩は……。


「なぁんだ」

 なぁんだって、瀬名さんが勝手に想像していただけでしょうに。


「じゃ、水やり再開しますか」

 落差がすごい。もう鼻歌交じりで「えーい」と柄杓で水を撒いている。


 はぁ、僕も水やりしようっと。


 豊富な土壌且つ食虫ができたら――。家の裏手へ視線を送る。例の畑の姿は見えないけれど、何か異様な雰囲気を感じる。


 いや、まさか、ね……。


 それからしばらくお互い無言で水やりをしていた。彼が何を考えているのかは皆目見当もつかない。分かるのは、ただ鼻歌交じりに水やりをしているということだけ。


 そこで、僕はもうひとつずっと気になっていたことを瀬名さんに問いかけることにした。今朝の朝礼でのことだ。


「瀬名さん。珍しく引き下がらなかったですね」


 瀬名さんは飄々としているけれど、人の話はしっかりと聞いてくれる人だ。それなのに、狭霧さんが否定したことに納得がいっていない様子だった。


「いつの話? 思い当たる節がたくさんあってね」


 ああ、あのエプロンもそうでしたね。


「朝礼でのことです。狭霧さんが否定していたのに納得がいっていないようだったので」


「なるほど。いやぁ、ね、立てた一つの仮説に生じていた穴がうまい具合に埋まってしまってね。本人は否定していたけど、僕はまだ疑っているよ」


 表に出ない当主、百一人目のナナ、それから『狭霧』という人物。


「僕にも教えてください」

 こんなもやもやしたまま過ごすことなんてできない。


「うーん、気は乗らないけど、まあいいかな。君だし。顔には出さないようにね」


 頷く僕に、彼はこう問うた。

「当主がただの偶像だとしたら?」


「……え?」


 瀬名さんは自身の仮説を僕に教えてくれた。聞いた途端、身の毛もよだつ思いがした。もし、そうなのだとしたら……。


 頭が混乱している。まだ整理ができていない。柄杓を振る手はいつの間にか止まっていた。隣の手桶の水はかなり減っている。僕のように手が止まったりはしない。


「顔に出さないで、って言ったでしょう?」


 彼は微笑んだまま僕に呟く。こんな仮説に至っても瀬名さんは平常心を保っていた。崩れたのはあの一瞬だけ。


 大きく深呼吸をする。心が落ち着いてきた。


 本当に忘れることなんてできないけれど、杭を打って閉じ込め忘れたかのように錯覚させることはできよう。そして、素知らぬ顔で僕はまたあの輪の中に飛び込むのだ。その時が来るまでは……。


「それでいい」

 背中に優しく暖かな手が置かれた。


ご高覧いただき感謝の至りでございます。

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