第十三話 乙守島【二日目】「嵐の前の静けさ」
「……ん――」
窓から差し込む光で目を覚ます。
木でできた見慣れぬ天井。そうか、ここは乙守島の狭霧さんの家。合宿二日目の朝だ。
隣のベッドでは幹史が、その向かいには竜也さんが寝ている。ここに、先生と瀬名さんの姿はない。先に起きたのだろう。
「おっはよう!」
音を立てて開いたドアに、響く大きな声。
そこに立っていたのは、
「瀬名さん……」
「おはよう、千界。いい寝起きかな?」
今ので、良くない寝起きになりました。
仁王立ちしている瀬名さんはなぜかエプロンをしている。きっと自前だろう。
「ほら、宇田ちゃん。起きた、起きたー」
竜也さんの寝ているベッドに近づいた瀬名さんは、うめき声をあげている竜也さんのタオルケットを無理やり剥いだ。
「……うう――」ゆっくりと体を起き上がらせた竜也さんは、隣で朗らかに笑っている瀬名さんに睨みを利かせる。いつにもまして鋭い目つき。こどもが見たらきっと泣いちゃうな。ああ、睨まなくても泣かれていたっけ。
竜也さんの睨みに物ともしていない瀬名さんは、次に幹史の寝ているベッドに近づいた。
「幹史くーん、朝だよー。起きよう、ほら」
タオルケットは剥がずに音が鳴るほどの強さで肩辺りを叩く。二回、三回、四回……
いや、起きろよ。
こいつ、全く起きる気配がない。それとも、起きていながら無視をしているのか。
「ふーん。じゃあ、僕が一緒に寝――」
「起きたー!」
叩くのをやめてタオルケットをめくった瀬名さんの言葉を遮り、幹史は飛び起きる。
どうやら、後者だったようですね。
「それは残念」
と、肩をすくめる瀬名さん。
本気なのか冗談なのかわからないところがこの人の怖いところ。
身の危険を感じ自分を抱きしめ震えている幹史は、瀬名さんと距離を取ろうとベッドの上で後ずさった。当然、ベッドから落ちる。ちょっと痛そう。
僕とのベッドの間でしりもちをついている彼からの視線を感じる。何かを必死に訴える瞳。
もう、仕方がないな。ため息をついた僕は、ベッドから降りて彼の腕を掴み引っ張る。立ち上がった彼は、すかさず僕の後ろへ回り瀬名さんとの壁をあろうことか僕で作った。後ろから掴まれている肩にも手のひらを通して震えが伝わってくる。
狸寝入りなんかするから。自業自得だ。
僕は無慈悲にも肩を掴む彼の両手をどかし、先にドアへ移動している竜也さんを追う。
「あ! 待て、千界!」
呼び止める声が聞こえるけれど無視しよう。そうしよう。
すれ違う瀬名さんの手にはいつの間にかエプロンが握られていた。それも、フリフリのレースやリボンがたくさんあしらわれたとてもかわいいもの。
あー、まあ、ドンマイ。
「いやだっ――くるな、うわあああ!」
幹史の叫び声を差し置き、竜也さんと共に寝室を後にする。
ダイニングのドアを開けると、椅子に座り足を組んで小説を読んでいる先生がいた。
「やあ、おはよう」
小説から視線を上げ挨拶をしてきた先生に挨拶を返す。
この部屋に先生以外はいない。聞いたところ、狭霧さんは朝一で井戸からの水汲みと庭の畑の収穫に行ったらしい。起きたナナも手伝いに行っているとのこと。
テーブルには人数分の湯呑みと中央には急須。自由に飲んでということだろう。
小説に栞を挟みテーブルに置いた先生は、自分の前に置かれている湯呑みに茶を注いだ。こちらを見つめてくる先生に頷いた僕たち。先生は僕たち二人分の湯呑みにも茶を注いでくれた。今日はほうじ茶らしい。
この家に時計はない。おそらく、島自体に存在しないのだろう。正確な時刻は分からないけれど、太陽の位置的に七時から八時頃だろうか。
湯呑みを持ち、ほうじ茶を一口飲む。今日のも美味しい。
部屋と違って騒がしい外。瀬名さんやナナの笑い声に、恥ずかしがる幹史の声。
畑仕事を手伝うためにエプロンを着ていたのか。にしても、あのエプロンで畑仕事ねぇ。彼の尊厳のためにも、どうか他の島民に見つかりませんように。
一杯のほうじ茶が飲み終わろうとしたころ、外にいた四人が返ってきた。その手には籠いっぱいの新鮮な野菜たち。意気投合したらしい瀬名さんと狭霧さんに、幹史のかわいいエプロンの裾を掴み笑っているナナ、紅潮した顔で瀬名さんに不満をぶつける幹史。静かだった部屋は途端明るくなった。
「ぶふっ、似合っているぞ、幹史」
フリフリにリボンのかわいい彼を見て竜也さんは吹き出しながら褒める。
「うん、似合っているよ」
僕も乗っておこう。
「幹史くん、君、そういうのが好きなのかい?」
「――な、なわけあるかー!」
とうとう、彼は怒り心頭に発した。エプロンを乱雑に脱ぎ捨て寝室へと逃げ込む。
「あーあ、似合っていたのに」
捨てられたエプロンを拾った瀬名さんは心底残念そうに呟いた。
改めて思う。この先輩に目をつけられたのが僕じゃなくて良かった、と。
「……じゃあ、千界に着てもらおうかな」
前言撤回。この人、すでに僕にも目をつけている!
「ほらほら。君は、もーっと似合うだろうねぇ」
フリフリエプロンを持った悪魔が近づいてくる。
「い、いやだ……」
助けを求めるように竜也さんに目で訴える。けれど、顔を逸らされてしまった。
薄情ですよ、先輩! かくなる上は――
「せ、先生がさっき着たいって……」
ごめんなさい、先生。でも、こうするしかなかったんです! ちょっと無理あるかな。
「えー、僕が来てもいいのかい?」
あー、乗り気だったー。いや、振ったのは僕だけども。
「着ます? いいですよ」
僕へと近づいていた悪魔は先生へと方向転換し、エプロンを贈呈する。
何のためらいもなく笑顔でエプロンをつけた先生。
「どう? 似合う?」
「あははー、まったく似合わなーい」
笑う皆をよそに、今寝室で震えているだろう幹史に思いを馳せる。
ごめん、幹史。これからは協力してあの悪魔から逃れよう。もう、君一人を差し出したりしない。誓うよ。でも、そんな茅ヶ崎 千界の思いは、近本 幹史には届かなかったのである。
朝食は、採れたて新鮮な野菜のサラダ、ふわふわオムレツ、ハム、そして、ホテルのビュッフェでよく見かける丸いパンであった。
どれも美味しかったけれど、パンが本当に美味しかった。高級レストランに出されても遜色ないほどに。おかわりもあるみたい。無意識にでも手が伸びちゃうよ。
食後のほうじ茶を飲み、一息ついた狭霧さんが提案してきた。
「皆さんも朝礼に参加しますか? 七日に一度行われていまして、本日がその日なのです」
「朝礼ですか。それはぜひ参加したいですね!」
無造作な髪から覗いた目が光ったような気がした。鼻息も心なしか荒いような。
「では、行きましょうか。ナナはここから出ないように。いいですね?」
「うん」
と、頷いたナナ。
そうか。ナナは集落に入ることができないから朝礼にも参加できない。
「……俺、残りますわ」
どこか寂しそうなナナを見て、手を挙げた幹史。
「ほんと?」
ナナは嬉しそうに幹史を見上げる。
「そうか。なら――」
そう言い残した先生は、荷物が置いてある部屋へと向かっていく。数秒後戻ってきた先生は、幹史に三冊の絵本を手渡した。
「これがあれば部屋の中でも楽しく過ごせるだろう」
「……あざっす!」
「なあにそれ?」
幹史が受け取った絵本に興味津々なナナ。目線を合わせるためにしゃがんだ彼は、ナナに絵本を掲げて見せる。
「これはな、絵本だ」
「えほん?」
初めて見たようだ。幹史から一冊の絵本を受け取ったナナは表紙の絵を見て目を輝かせている。早速、椅子に座って二人で絵本を見始めた。
楽しい時間になりそう。
幹史とナナに送り出された僕たちは狭霧さんを先頭に集落へと向かった。集落に入る前に通った畑には様々な作物が実っている。島民総出で心血を注いでいることが伺える。
ほどなくして居住区を抜けた。昨日はこのまま道に沿ったけれど、今回は逸れて広場に向かうようだ。広場には島民の姿があった。居住区に人の姿はなかったので、全員ここに集っているのだろう。
狭霧さんは島民たちから少し離れた位置で止まった。
「ここなら全体が見えるでしょう」
「お気遣いありがとうございます」
整列しているわけではないけれど、一か所に集まる様はとてもまとまりがあるように見える。前方には小学校にあるような朝礼台(木製)があり、島民の意識はそこに向いていた。
理由はすぐに判明した。朝礼台に昨日挨拶した当主代理・絹さんが登壇したからだ。
「皆さん、おはようございます」
絹さんの挨拶に島民たちは一斉に挨拶を返す。
その揃い具合から頻繁に行われていることの片鱗を見た気がした。
「それでは、黙祷」
絹さんの号令を合図に、島民たちは手を胸の前で組み目を瞑った。僕たちと一緒に離れた位置にいる狭霧さんを見れば、同じ姿勢で黙祷をしている。先生も狭霧さんに倣い黙祷を始めた。僕も慌てて黙祷をする。郷に入っては郷に従え。この島で黙祷をするなら、今この島にいる僕たちも黙祷をするべきだ。
「――やめ」
二分程だったかな、絹さんの号令で皆は黙祷を終える。
「……九十九人」
唐突に呟いた瀬名さん。
「今この場にいるのは九十九人。狭霧さんも含めてね。後の一人は――うん、当主と見た。でも、この場にいないのはなぜかな?」
僕たちが黙祷をしている間かその前かは分からないけれど、瀬名さんはこの場にいる人数を数えていたらしい。
「そういえば、昨日も、もてなされたのは当主代理からだったな」
思い出したように呟いた竜也さんに、頷いて同意を示す瀬名さん。
「当主が表立って出られない何かがありそうだよね」
瀬名さんは目の付け所が卓越している。皆が見えず落としてしまった小さなものも、彼は後から丁寧に両手で掬い上げる。
「だから、僕はこう考えた。あくまで推測だけど……」
言葉を切った瀬名さんは、先生を挟んで狭霧さんへと頭を傾け視線を送った。
「当主は、狭霧くんだったりして?」
ご高覧いただき感謝の至りでございます。




