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第9話 火精霊の郷

 闇の城では、魔王が未だ私が訪れてない火精霊と水精霊の各郷へ至るための裂け目を創り出そうと蠢いていた。

 と私が知ることもなく、この数日はビギニアの傍らにいる。彼女が寝込んでしまったからだ。

 でも、今日はどうにか起き上がれたようで、彼女は離宮内を忙しく動き回っていた。

 そうして、私は、そんな彼女のそばをつかず離れず、である。彼女から、やれやれと言いたげな顔を向けられても。


「もう大丈夫じゃと言うておるのに……」

「だって無理をしてほしくないのです。それに、私が出立するまでには、まだ少しは時間があるわ!」

「……元気なことよのう」


 ビギニアはどこか困ったかのような微笑顔で、私の頬へと優しく手を差し伸ばす。

 けれど、その指先が頬に触れることはなかった。ふと表情が翳り、彼女はスッと腕を下ろしたのだ。

 ただ、私をしみじみと見つめる。神剣を腰もとの鞘に収め、輝けるドレスをまとう姿の私を。


「ルナが神子となり、そなたは勇者になるとはのう。そなたらに、このような苦難の道を歩ませる気はなかったのじゃが……。何ともまぁ、思うようにはならんものじゃて」

「苦難だなんて、そんなことないわ。だって、私もルナもビギニア様に育てられたのよ? この世界を守るために頑張るのは、苦難じゃないもの!」

「……なかなか言うようになったのう。困った子じゃ……本当に」

「だって……!」


 私が今、頑張ることをやめてしまうなんてできない。そんなことをするつもりもない。

 私が諦めて勇者としての自分を捨ててしまうのは、そのまま、世界が闇に呑まれてしまうことを意味するのだ。この世界が、この世界に生きる生命もろともに、滅されて闇と化してしまうのだから。

 そんなのは嫌だった。

 この世界は、ライナスが生まれ育った処。私が彼と出会えた世界なのだ。

 そう、ライナスがいる――彼が生きていく世界だ。

 この世界に、彼を取り戻したい。私がよく知っている、私に朗らかな笑顔を向けてくれていた彼を、私の――そばに。

 だから……。


「諦めたくないの、私。取り戻せると信じたい……信じてるの。だから、守る。守って見せるわ、この世界を。私は、絶対に!」

「その強い意志、固い決意は褒めてやりたいのじゃが……」


 ビギニアは是非もないとばかりに瞳を細めた。私を見やるまなざしには優しさだけではなく、苦り切ったものが入り混じっている。

 複雑そうな、気遣わしそうな。そして、諦念めいたものさえ感じさせるのだ。

 やがて、ビギニアはやるせなさそうに天井高くを仰いだ。その瞳は深い思惑を滲ませながらも緩やかに伏せられたのだが。


「ライナスを諦めきれんのじゃろうが、そなたの生命を奪おうとまでしとるのじゃろう? 加えて、そなたは神子にも巡り会えておらぬままじゃ。楽観したくとも難しいとは思わんのかえ?」

「そ、それは……。でも……っ。でも、ビギニア様! 私は!!」

 すぐに私は反論した。

 いや、反論にはなっていないけれど、声を上げる。沈黙してしまうことはできなかった。

 決して諦めない、諦めたくないのだという想いが、私の身の内で渦巻いていたからだ。

 必死な私に呼応するように、ドレスの輝きが尚のこと増したように思えた。腰もとの神剣が鞘の中で揺らめく音を奏でる中で。

 その輝きを、音を、ビギニアは察したのだろう。ぴくりとした身動ぎともに、閉じていた瞳を開いて私を見やる。

 けれど、それは一瞬のことだった。ふぅ、と嘆息めいたものを漏らした彼女は、ただ静寂のうちにそっと私に背を向ける。

 とはいえ、離宮を発とうとする私を送り出す声には、気遣わしげな温もりがあるように感じられた。


「……今のそなたには、何を言うても止まらぬのじゃろうな」

「ビギニア様……」

「さて、そろそろ発つ頃合いかのう? 火精霊の郷じゃったな、行っておいで」

「……はい、ビギニア様」


 私は、彼女の後ろ姿へ恭しく一礼すると、火の王国へと向かった。

 登城した私が王との謁見を済ませると、待ってくれていた火精霊達が郷へと導く。

 篝火が形作る砂地の回廊から、砂漠の雄大な風景のもとにある郷へと足を踏み入れた。

 中央に湧き出づる泉があり、その周囲にいくつかの石造りの家屋らしきものが点在している。

 あちらこちらで空中にふわふわと浮かぶ火炎が、時折に人の姿へと変じていた。無論、その逆も然りだ。おそらく皆、火精霊達なのだろう。

 私は柔らかな砂地を楚々として歩みながら、泉の前辺りに佇んでいた若き女性と火精霊達のもとまで辿り着いた。

 はつらつとした華やかさが漂う女性が快活な笑みを向けてくる。


「ようこそ、新たなる勇者様。私はファイナ――この郷の長を任されております。あなたの到来を楽しみにしていましたわ」

「ありがとうございます。レナと申します」

「では、勇者様。さっそく、神珠のところまで案内いたしましょう」


 ファイナの導きで、郷の奥にあるいくつもの松明に囲まれた聖域のような処へと歩む。

 道すがら、火精霊達は私へ丁寧なお辞儀をしてくれた。皆々の笑顔から、歓迎してくれているのがわかる。

 ファイナは華のある明るい笑顔で、私の目に映る郷のあれこれを語り聞かせてくれた。


「ご承知かと思いますが、私達の本性に現身はありません。こうして、あなたと同じ人の姿をまとい、人として生きることもできますけれど」

「はい。化身したグラディア様には、危ないところを守っていただきました」

「伝え聞いておりますわ。信じ難いことに、闇の眷属達が地精霊の郷にも風精霊の郷にも襲い来たとか。……ライナス殿下とともに」

「あ……」


 瞬間、私の脳裏にはビギニアの憂いに満ちた声がよぎった。


『ライナスを諦めきれんのじゃろうが、そなたの生命を奪おうとまでしとるのじゃろう?』


 ズキンと胸に突き刺さるものがあった。

 咄嗟に胸もとをキュッと掴む。思わず立ち止まってしまった。

 世界の行く末を見守ってきた黎明の賢者であり、養い親でもあるビギニアからの言葉は、私にはとても重い。

 わかっているはずの現状をあらためて突きつけられた言葉に、耳の奥に刻まれた彼女の声に、予期せぬ動揺に襲われたのだ。

 歩みを止めた私に、ファイナが気遣わしげに寄り添ってくれる。つい今まで華麗な笑みを浮かべていた美しい相貌には、心配そうな感がたたえられていた。

 すぐに私はふるふると頭を振る。

 努めて、微笑みを彼女へ向けた。どこか固いものだったかもしれないけれど。


「大丈夫です。私、もうちゃんと決めていますから」

「決めて……?」

「はい。決めたのです、絶対に諦めないと。決して挫けないって決めているのです。――取り戻したいから。必ず、と」


 そうだ、諦めない。挫けない。大切な人達を取り戻すために。

 ライナスを、元の彼を取り戻すためにも。

 私は胸もとの手を、今度はグッと握り締める。

 胸の痛みからではなく、私自身の心にある強い想い故に。いや、胸に刺さる痛みを抑えてしまうほどの強い決意だからこその。

その手に、そっとファイナの手が重ねられた。私を見つめる彼女の顔に、安堵したような笑みが広がる。


「その心意気は称賛に値しますわ。きっと、あなたが歩む道を照らしてくれるでしょうから。明るく、強く、燃え上がる炎のように。愛する人を取り戻そうとする固い決意は、きっと」

「……あ、愛す……る……っ、っっ」

「あら? そうなのでしょう? あなたの瞳にある強い光――鏡に映る私の瞳にもあるものと同じだと思ったものですから」

「え、あ、あの……あの、えーと」

「フフ、私にも愛する者がいます。あなたの背後を警護しているファルは、婚約者なのですよ」


 ドギマギとしてしまった私の後方を警護してくれていた火精霊の青年ファルへと、ファイナは目線を送った。

 パッと振り返った私に、ファルは恭しく一礼する。

 が、お辞儀をして顔を起こした彼の表情が、瞬く間に驚愕と不審げなものへと変わった。

 その様子に、ファイナはハッと険しいまなざしで後方の聖域辺りを見据える。


「……結界を、破られた? まさか……? まさか!?」

「とにかく、あそこにいる眷属達を討たねば。私は先に行こう、ファイナ」

「いいえ、ファル! 私も行くわ!! 勇者様、しばし、ここでお待ち下さいね!!」


 ファイナは私を見つめ、次いで、ファルと互いに瞳を交わした。

 二人の面持ちに厳しいものだけではなく、どことなく寂しげにも悲しげにも見えるものがあったのは何故だろうか。

 と思う間もなく、彼ら二人は腰もとの剣を抜いて駆け出したのだ。険しい面持ちで。私達が向かっていた聖域のほうへと。

 煌々と燃え盛っていた松明が無惨にいくつも倒され、足を踏み入れられぬはずの闇の眷属達が火の神珠らしきものの下方で闊歩していた。それを迎え撃つ火精霊達との混戦状態だ。

 私も腰もとにある神剣を抜こうと鞘に手をかけた。聖域の辺りにいる眷属達をキッと見据える。


「私も行きます! ただじっと見ているだけなんて……できない!!」

「し、しかし、勇者様! 長が待っているようにと! あ、お待ちを!! 我々も参ります故!!」


 私が急ぎ駆け出したのに驚き、慌てて即座に周囲の火精霊達も駆け出す。

 だって、視界に映る前方で守るために戦っている火精霊達がいるのだ。邪悪な眷属達の侵入を抑えようとする者達が。

 輝けるドレスをひらめかせ、腰もとの鞘から神剣を抜いた。きらきらと輝くドレスは、私の動きに沿って優雅に揺らめく。まるで私の身動ぎ一つ一つに、ドレスのほうが合わせてくれているみたいに。

 とても動きやすい。むしろ、身がひときわに軽やかになったようにさえ感じられた。

 火の神珠が浮かび上がる聖域。松明の列に囲まれ護られしそこは、いつもならば、このような乱戦混戦の音とは無縁であったことだろう。

 火精霊達が炎の剣を振るうたびに剣先から激しい火炎が立ち上る。その鋭い苛烈な火刃が眷属達を霧散させていく。

 そんな中で、唯一、違和感のある戦いがあった。

 信じられない光景に、私は瞳を見開く。あってはならない戦いが繰り広げられていたからだ。

 火精霊達が愛用する炎の剣が二振り――互いへと鋭い一閃が繰り出されている。そう、互いへ、と。ともに戦っているのではないのだ。

 ひときわに華やかで強い火刃が振るわれた。や否や、それを弾き返す強く艶めいた火刃があるのだ。


「邪魔をしないでほしいわね、ファイナ。せっかく神珠を砕けそうだったのに!」

「私達が守護せねばならぬものを砕こうなんて、正気の沙汰ではないわ! ファイーレ、いったいどういうこと!?」

「こういうことよ、わ・か・る?」

「――紋章!? 闇の!?」


 神珠を背後に剣を構えるファイナの表情から血の気が引いていく。悲しい驚愕に彩られたままに。

 そんな彼女を、相対する者――ファイーレは冷ややかな嘲笑顔で見つめた。いや、ちらりと見せた額の紋章を誇らしげに見せつけながら。


「そうよ、ファイナ。だって、エンディオ様はね、私にファルを与えて下さると約束してくださったもの。フフフ」

「ファル……を!? あなたは……やっぱり、ううん……あなたも、彼のことを? だから、郷を出たの? あなたがいなくなって、ずっと探してた! 闇の侵攻が始まって、あなたが無事かどうか心配……」

「やめて、偽善も戯言も耳障りなだけよ」

「違う……っ」

「どうでもいいわ。私の邪魔をしないでくれればね。その神珠は砕かねばならないのだから!」

「やめ……っ」


 刹那、火炎を立ち上らせた剣が一振り、虚空を舞い上がった。激しい金属音を響かせながら。

 次の瞬間、柔らかな砂地へと力なく転がり落ちた剣が、砂埃を巻き上げる。

 剣を持っていたほうの手首の辺りを抑えるのは、ファイナだった。その表情が、懸命に痛みに耐えている。

 ファイーレの次の一撃はかわしたようだが、利き手を痛めてしまったようだ。出血した様子はないものの、苦痛のせいか眉をひそめる。


「ファイナ様っ!!」


 私は思わず駆け出した。否、駆け出そうとしたのである。

 だが、しかし。

 私は即座に足を止めた。……止まらざるを得なかったのだ。

 両の手でしっかりと神剣を握り締め、剣先を向ける。私の眼前に忽然と現れた者へ。

 ともすれば、震えそうになる両の手に力を入れた。ドレスに隠された両の足で、柔らかな砂地を必死に踏み締める。

 ただ、まっすぐに、逸らさぬように、見据えた。――彼、を。


「ライナス……!」

「お前が来る前に済ませておきたかったが、まぁ仕方ない。火の神珠は奴に任せ、俺は――お前を終わらせてやろう」

「嫌よ! 絶対に、あなたにはさせない!」


 そう、ライナスの手にかかるなんて嫌だ。彼にそんなことをさせたくない。させるものか、絶対に。

 だから、私はさらにグッと剣の柄をきつく握り締めていく。

 冷たすぎるほどのまなざしで私を見据えて薄く冷笑う彼を、凛として見つめた。禍々しい闇色の剣を鞘から抜いて私へと剣先を向けた彼を、ただ見つめる。

 私を討とうとする彼の身動ぎを、一挙一動を見逃さぬように。彼の一撃が、その一閃が、私の身を貫くことがないように。

 そんな私をどう思ったのか、ライナスの表情からフッと一切の感情が失せた。と思う余裕さえなかった。

 次の瞬間、彼が俊敏に踏み込んできたからだ。

 砂塵が彼の足もとに立ち上り、邪悪な気配をまとう鋭い刃が私へと迷いなく突きつけられる。

 刹那、私は禍々しい一撃を神剣で弾いた。砂地を蹴り、身を交わす間際に。


「……くっ!」

「見事だ、と言ってやりたいが……。その体勢で、次はかわせるのか?」

「もちろん……よっ!」

「……そうか。では、証明してもらおうか?」


 彼は揶揄するように口角を上げる。

 だが、私を見据える瞳には、如何なる笑みもない。苛立ちとも怒りともつかない、いや、あらゆる感情を排したかのようなまなざしがあるだけだ。

 ただ一つ、私の息の根を止めんとするかの如き視線だけがあったのだ。

 悲しい。辛い。

 そう感じる時間も余裕も、今の私にはなかったけれど。

 一息つく間も惜しげに、ライナスは剣を繰り出してくるのだ。素早い身のこなし、その瞬発力は、さすが王国随一と評されていた彼だけのことはある。

 私は、それを必死で回避しつつ受け流すしかなかった。彼の間合いに飛び込めるだけの余裕を生み出せない。

 ただ、息だけが弾み、乱れていく。

 でも、彼の剣撃を、この身に受けるわけにはいかなかった。彼の手になんて、かかりたくない。

 何故なら、私は……。だって、私は……。


「諦めたりしない! 絶対に! 取り戻したいんだもの!!」


 ――あなたを。ライナス、あなたを!!

 胸の内を、いや、身の内を、その想いが駆け巡った。

 彼を――彼がそばにいてくれることを、それが当たり前だった日々を、願ってやまない。

 まっすぐにライナスを見つめた。私の生命を奪わんと冷酷なまなざしを向ける彼を、ひたすらに。

 両の手でしっかりと掴んだ神剣を、スッと彼に向けながらも。それでも。

 ライナスは、何故か動きを止めた。

 まばたきすることもなく、私を映す瞳を見開いたまま。まるで息を詰めたかのように。

 その一瞬、束の間だけ……だったけれど。でも、確かに。

 しかし、彼の額にじわりと浮かび上がる紋章が、彼の意識を苛む。――ように見えた、私には。


「……ライナス?」

「…………っ、っっ」


 刹那の痛みを覚えたのか、彼は表情を歪めた。浮かび上がる紋章のせいか、私が思わず名を紡いだせいか。

 いずれにしても、私を見据える瞳に剣呑としたものが灯る。

 と認識する間もなかった。彼は剣を俊敏に振るったのだ。無意識に彼へと歩み寄ろうとしていた私を薙ぎ払うかの如く。

 咄嗟に、私は後方へと退いた。

 私の動揺が伝わったのか、ドレスの輝きが不規則な揺れを描く。淡い光を灯した神剣を何とか手にしていたものの、体勢を崩しそうになった。


「あ……」


 どうにか踏みとどまろうとする。

 脳裏には、何故!? こんな状況でどうして!? と迂闊な自らへの動揺が駆け巡っていた。気を抜いてはいけないのに。そんな場合ではないのに。

 けれど、眼前のライナスの様子に、思うよりも早く手を差し伸べようとしてしまった。

 焦りと戸惑いが身の内を満たし、柔らかな砂地を踏み締めるはずの両の足裏にズルリとした感覚が生まれる。


「……駄目、堪えない……と……っ」

「――遅い、な。油断したか、勇者よ」

「え……!?」

「もらったぞ。お前の……生命!!」


 瞬間、ライナスの冷たい瞳が視界いっぱいに広がった。頭痛を堪えながらも、私を討ち果たそうとする凍れるようなまなざしが、私の視界を占める。

 もう、声一つ上げられない。そんな余裕はなかった。

 鼓動が動揺で乱れ打つ中で、ドレスの裾に隠された両の足は心もとなく砂地を滑ってしまう。体勢を大きく崩してしまい、立て直せなかった。

 彼を映し出す瞳は、きっとこれ以上はなく大きく見開かれていただろう。泣いてしまいそうだったかもしれない。

 でも、涙よりも切なく、ただ必死に彼だけを映し出すことに懸命なまなざしを向けていた。

 刹那の瞬間に、そう思った。

 次の瞬間、背に柔らかな砂の感触を得る。

 反動で、神剣を握る手から力が抜けそうになった。柄に触れてはいるものの、掴み直せない。

 同時に、私の周囲に砂埃がふわりと立ち上った。その手にも砂塵が積もる。

 と感じる余裕もなく、禍々しい色と気配をまとった鋭い剣先が近づいてくる。私を貫こうとする冷酷な一撃が。

 そのすぐ先には、私の心を闇色の剣よりも先に貫くような面持ちの彼がいた。

 私を討つことに、この生命を奪うことに、何の躊躇いも疑問もない彼の姿が、私の心を締め付ける。

 けれど、しかし。

 何故だろう。

 頭痛に耐えているからなのか、氷のような瞳の奥に、私の心を震わせる何かを感じた。冷たい瞳の奥深くが、揺らめいているような気がしたのだ。

 この刹那の刻に、錯覚かもしれない。でも、確かに。

 だから……だろうか。


「ライナス……! ライナス!!」


 期せずして、私は彼を呼んでいた。

 彼の名を、ただ、彼のことを呼んでしまった。知らず知らずに、でも、心のままに。

 瞬間、彼は瞳を見開いた。

 ほんの束の間にも満たない、ごく一瞬だけ、彼の動きが止まった――のは、気のせいなのか。

 その時、私のすぐ横で、柔らかな砂地が鋭く抉られる。

 闇色の剣先が砂地に突き立てられていた。

 周囲で、僅かに生き残っている眷属と郷を懸命に守ろうとする火精霊との戦いが続いている中でだ

 その最中であるにもかかわらず、その時の私は、全ての喧騒が失せたかのような感覚に囚われていた。

 いったい、何が?

 どう見ても考えても、私の身は彼に――その剣に貫かれていたはず。それなのに何故?

 私は……生きてる? 無事なの?

 息を呑み、まばたきすることすらできず、私はライナスを見上げるしかなかった。

 呼吸を荒く弾ませ、私へ馬乗りになったまま、彼は呆然としている。私の顔のそばに突き立てたままの剣の柄を握る彼の手は、我を忘れたかのように震えを醸していた。

 私を見据える瞳には、冷たさよりも激しい動揺が滲んでいるのだ。


「……何故? ……どうして?」


 その呟きだけがこぼれ落ちた。

 どちらからともなく、けれど、私と彼の唇から――知らずと。

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