第7話 風精霊の郷
一旦、離宮に戻った私は、それからしばらくの間は留まらざるを得なかった。
ビギニアが臥せっていたからだ。私が地精霊の郷へ発った後、倒れたらしい。
とはいえ、私が戻ってきてからは、体調が戻ってきたようだ。賢者たる彼女の智慧や忠告を得るために訪れる各王国の使者や各精霊の郷からの使いと謁見もこなしている。
しかし、滞りなく謁見を済ませると、彼女は疲れた様子で自分の部屋に戻ることが多かった。
そんな一週間ほどを過ごしているため、彼女とゆっくり話をする機会もとれない。
もちろん、神剣に大地の力が注がれて、ぼろぼろだった剣身がそうではなくなったことくらいは報告したけれど。
――それと、ライナスのことも伝えた。できることならば、知らせたくなかったけれど。闇に、魔王のもとに堕ちていたなど。
ふぅ……と深い吐息をつきながら、私は回廊端の段差に腰を下ろす。頬杖をついて、中庭の風景を見やった。
どんよりと重苦しい曇り空のもとにある中庭を。
常であれば、彼女の大いなる力によって、世界の外にあっても離宮の領域には美しい佇まいの風景がある。昼には陽光が柔らかに降り注ぎ、夜には煌めく星々と月が浮かび、離宮を優しく彩るのだが。
ライナスがこの離宮を訪れた時には、この中庭でよく剣の手合わせをしてもらっていた。
ルナやビギニアを守りたくて、大地の王国内でも優れた剣の使い手と評され始めていた少年時代の彼に剣技を習い始めたのだ。
彼は王族で、私は半ば遊び相手として許されたようなものだったのだろう。黎明の賢者ビギニアは世界の見守り手――その養い子であれば、王族の子弟が交流するのに差し支えはなかったということだ。
いずれにしても、彼と一緒に、彼のように剣を振るえるようになりたかった。だから、私は一生懸命に頑張ったのである。少しでも彼に追いつきたくて、彼の隣でともに、と。
「ふふっ、懐かしい……。稽古を始めたのは確か、私がまだ八歳くらいの頃よね? あ、そうか……ライナスは十歳くらいには剣の腕前、評判になってたんだ。凄いな、やっぱり!」
今、目の前にはいないライナスの姿が思い浮かぶ。
記憶の中にいる少年の頃の彼が、つい先日までの一緒にいた彼の笑顔へと変わりゆく。私の剣の稽古につきあってくれた、快活な表情の彼。
それに誘われるように、スッと私は立ち上がっていた。中庭へと踏み出す。
記憶を辿るように、私は剣を構えるふりをした。
眼前には、記憶の中の彼が佇む。私を朗らかに見つめながら、剣術や身のこなしを教えてくれる彼が浮かび上がっていた。
もちろん、現実のものではないとわかってる。ドレスがまとわりついて、上手く動けないから。ごく普通のドレス姿で稽古したことなんてないのだから。
あらためて、あの日の城の庭園で闇の眷属と対峙したのは無謀だったと感じる。
それでも、あの時は必死だった。何よりも誰よりも、ライナスと一緒だったから怖気づかずに済んだ。故にこそ、動きにくくても戦えたのである。
不意に、戦慄きそうになる唇を引き結ぶ。ふとした瞬間に喉もとに込み上げてくる想いがあるけれど、堪える。
両の頬を軽く叩いて、気持ちを切り替えようとした。
その時、私の背後のほうで回廊をパタパタと急ぐ侍従長の足音が近づいてきたのだ。
侍従長は、私の姿を見留めると立ち止まって一礼する。
私はドレスを軽くはたいて、侍従長のほうへ近づいた。
「どうかしたの? ビギニア様は部屋で休んでおられるわ。危急ではないのなら、後にしてさしあげて?」
「えぇ、そのつもりでございます。ただ、風精霊の郷より伝令鳥が参りましたので、文だけはお渡ししておこうと」
「……風精霊、の郷ね」
「さようにございます、レナお嬢様。では、私めはビギニア様のもとへ参ります」
侍従長は再び一礼すると、ビギニアの部屋のほうへ立ち去ってゆく。
その姿を見送ってから、私は部屋に戻った。
パタンと扉を後ろ手に閉めると、中央付近のテーブルに自然と視線が向かう。
剣座に納められた神剣が、ただ静かに私を出迎えてくれた。その鞘にそっと触れる。
途端に、私がまとうドレスは輝ける光を放つものへと変じた。まばゆくも清楚な煌めきに裾が揺らめく。
知らず知らずと、私は瞳を伏せた。触れた指先から微かに伝わる光の息吹のようなものに感じ入る。その心地よさに、しばし漂ってしまう。
やがて、ぽつりと。無意識のうちに、私は呟き漏らした。中庭で侍従長から聞いた、風精霊の郷――その言葉が脳裏を何度となくよぎったからかもしれない。
「……行きたいな、風精霊の郷へ」
「なれば、ちょうどよかったのう」
「……ビギニア様!?」
何故、私の部屋にいるのだろう? いつの間に入ってきたのだろう? そう思うくらいの時間を、私は神剣から感じられる光に浸っていたらしい。
まだ大地の力が注がれただけではあるが、それでも、息を吹き返したかのような瑞々しさが神剣にあるからだろうか。少なくとも私は、そう感じていたのだ。
とはいえ、私は扉の前に佇むビギニアへと駆け寄る。神剣から手を離したため、ドレスは瞬く間に普段のものへと戻った。
そんな私に、彼女はやれやれと言いたげに苦微笑う。その表情からは、顔色の悪さが薄れているように見えた。
自室で休息を取ることができたからだろうか。謁見を終えた後のぐったりとした姿に比べると、ずいぶんと体調が回復したようである。
ホッとした。
「ビギニア様、もう大丈夫なのですね?」
「良き報せをもろうたからじゃろうか。そなたにも伝えねばなるまいと思うてな」
「良き……報せ?」
「風精霊の郷で開かれる風鈴祭に招待されたのじゃよ。それでな、此度はそなたが我の代理として行ってみてはどうかのう?」
「風精霊の郷へ!? 本当に!?」
「そうじゃよ。今年は闇の脅威が増す中じゃが、なればこそ、祭を開催して皆々の心を癒し励ましたいそうじゃ。まったく見事な心意気じゃて、我も駆けつけたいところじゃが……今の我は無理せんほうがよかろう?」
「……だから、私を?」
「我を案じて、離宮を離れようとせんかったのじゃろう? さて、どうじゃ? 訪れてみるかえ?」
ビギニアは意味ありげに問いかける。私の本心など全てお見通しだと言いたげに見つめながら。
それは、私に是という返答しか求めていないような気がした。いや、私が頷くに違いないと察していたように思える。
かくして、私は瞳に嬉々とした色を浮かばせて大きく頷いた。
ビギニアへと勢いよく抱きつき、抱き締める。さすがに瞳を丸くした彼女に、この上なく喜びにあふれた笑顔を向けた。
「行きます! 行ってきます、私!! ありがとうございます、ビギニア様!!」
こうして、私は離宮を発ったのだ。ビギニアと召使達に見送られ、離宮の大門をくぐり抜けた。
意気揚々とした私の後ろ姿に、ビギニアが苦微笑したのを私は知らない。
ともに見送ってくれた侍従長達へ向けた彼女の面持ちには、やがて、陰りを見せたことも。
「新たな力が注がれれば、神剣には少しずつ輝きが戻るじゃろう。じゃが、それだけでは……。神子に巡り会えねば、闇封じが叶うほどの強き光の力は放てまいて」
「ご心配でありましょうな。ですが、レナお嬢様はきっと神子様に巡り会えますとも。何しろ、ライオネル様もずっと神子様がいないままでございましたよ。二年前の闇襲来でようやく、ルナお嬢様が……」
「……あぁ、そうじゃったなぁ。まさかルナが……。あれは、思いもよらぬことじゃった。はたして、レナはどうじゃろうか。あの子が己の神子を見い出せねば、この王国どころか世界が……」
刹那、ビギニアは辛そうに表情を歪めた。彼女の周りにいる侍従長を始めとする召使達の顔に、不安げな気配が立ち上ったからであろう。
彼女はやるせなさげに頭を振り、曇り空から薄陽が差しこむ頭上高くを見やった。もっとも、その瞳はすぐに伏せられたのだが。
「すまんのう、言い過ぎてしもうた。……じゃが、この世界をな、我は永い――永い歳月を見守ってきたが、このような不穏な事態は初めてのことじゃて。我としたことが、つい……」
ビギニアが心もとなげに呟き漏らしたことも知らず、私は風の王国へ到着していた。
彼女の大いなる力によって、離宮の大門と城門が溶け合うように繋がっているためだ。彼女が拒絶しない限り、自在に行き来ができた。
それだけではない。彼女が早々に送ってくれた伝書鳥のおかげで、国王への挨拶も滞りなく即座に済ませられた。
そうして、私を出迎える風精霊達のもと、清かなる風がそよぐ森の小道のような不思議な通路から郷へ、そつなく移動ができたのだ。
風精霊の郷は、森の中にあった。やはり、王都からはかなり離れた小さな森にあるようだ。
濃淡様々な緑溢れる森を吹き抜ける風が気持ちいい。森に満ちる大気の香りを、清風が郷のそこかしこに伝えるのだ。
しかも、今は風鈴祭の時期。
頭上からは軽やかで清楚な鈴の音が舞うように降っていた。思い思いに伸びる枝葉にのあちらこちらに飾りつけられた鈴が、そよぐ風に愛らしい音を奏でている。
「何だか、とてもスゥーッとする。心が洗われるって、こういうことなのかしら……?」
「そう思っていただけたならば、私達にとっても喜ばしいことです。祭を開催した甲斐がありますよ、レナ殿」
「こちらこそ、ウィンロー様! とても素敵ですもの!! ……あぁ、ビギニア様にもお見せしたかったなぁ」
「賢者殿の具合は、あまりよろしくないそうですね? 此度の、本来ならばあり得ない闇の侵攻を案じておられるのでしょう」
「……はい、きっと」
そうなのだと思う。
私と同じ養い子だったルナが、ライオネルとともに石化されてしまったのだ。それに加えて、ライナスが闇に堕ちてしまった現状である。私が辛いと感じているように、ビギニアも深い憂いを抱えてしまったのに違いない。
しかも、私が光の勇者――闇の頂点とも言える終焉の魔王エンディオと対峙せねばならなくなった。その道を歩むことを私が選んだことも、彼女の心労を深めたのではなかろうか。
私は両の手を握り締め、ドレスを掴んだ。既に神剣を風の神珠に捧げており、今は普段のものと変わりないドレスなのだが。
キュッと唇を噛み締める。そうとは自覚のないままに。
そんな私へと、静かに一振りの剣が差し出された。細身の鞘に収められた剣だ。
丁重に私へ剣を渡そうとするウィンローのまなざしは、涼やかな優しさに満ちている。
「これなるは、我々がよく使っている風の剣です。地精霊の郷で闇の眷属達が出没した旨を伝え聞いておりましたので、ご用意したのです。念のため、御身を守るための武具をと」
「わぁ、ありがとうございます! ――とても軽いのですね。初めての剣ですが、扱いやすそうです」
「えぇ、この剣は風のように軽いのが特徴なのです。もちろん、あなたが使わねばならぬ事態が起きぬよう、警戒を強めています。眷属が郷に入り込むことがないように、幾重にも結界を張っていますから」
「よろしくお願いします。せっかくの風鈴祭、皆が楽しく笑顔で過ごせるといいですよね。こんなにも綺麗で、気持ちよい鈴の音に包まれているのだから」
私は受け取った剣を腰もとに装着し、緑豊かな頭上高くを見上げた。木漏れ陽の中で軽やかに響く鈴の音は優しくて、瞳を細めて微笑顔になる。
ウィンローは涼やかな微笑みをたたえ、郷でもある森の中を案内してくれた。
数日続くという祭を楽しむ者達の中には、風精霊だけではなく人間もいるそうだ。
特に今年は、闇の眷属が襲来する不安から、この郷へと避難してくる者もいるらしい。郷では結界が張られているからだ。
同様の理由で、王都へも避難民が流入していた。国王による風の加護がある故に。
しかし、光の王が石化されている今は、風の王国だけではなく各国の王達も、王都の守りには苦労しているのだ。彼らが自らの王国を守護するための土台であり支えとなっていたのは、輝ける光の力だから。足もとの大地を通じて光の王がもたらす強き守護を宿す力が、今は危うい状況であるが故に。
「光の加護が、徐々に弱まりつつあるのを感じるのです。光の王たるライオネル陛下が宿す光の力はもとより、その生命にかなり負担がかかっていると思われます。このままでは……」
「そんな……」
ウィンローは気遣わしげに眉をひそめ、溜め息を漏らした。
そよ吹く風は心地よく、鈴の音も軽やかなのに、重苦しい空気が生じる。彼も私も、痛切なる想いに胸を痛めた。
でも、だからこそ。
「私、頑張ります! ライオネル様やルナを必ず助け出します。あの石化……解いてみせます、絶対に!」
そうして、ライナスを取り戻すのだ。元の彼を。朗らかに笑む彼を。私に微笑みかけてくれる彼を……!
私は風の剣の柄をグッと握り締めた。
諦めない。諦めたくない。――諦められるわけがないのだから。
ウィンローを見つめる瞳に、強い輝きが灯っていたのだろう。束の間に彼は息を呑み、すぐに表情を和らげた。
「あなたを信じます。ライオネル陛下は、我が友であったグランの愛し子――どうかよろしくお願いします。陛下とライナス殿下が無事に元の彼らに戻れるよう、願わずにはいられませんから」
「――はい。……私もです。だから、必ず!」
「あなたの、その想いは神珠にも伝わっていることでしょう。あなたの神剣へと風の力が注がれて、さらなる光を取り戻せるはずですよ」
ウィンローの温かな、そして、力強い言葉に、私は大きく頷いた。
そんな私の周りに軽やかな鈴の音と爽やかな風がそよぐ。励まされているような心地になる。
そこへ、風精霊が現れた。長である彼に挨拶したいという者達が訪れ来たという報せをもたらす。どうやら、近隣の村から郷へと避難してきた一行がいるらしい。
彼は私に一礼して、その場を立ち去る。
彼の姿を見送ると、私は再び郷の中を――つまりは、森の中を散策し始めた。
郷の端辺りまで至ると、頭上高くの枝葉の間で鈴を取り付けているらしい風精霊の姿を時折に見かけるだけとなる。
結界の外に踏み出さぬよう、私は傍らの大樹にそっと背を預けた。
ひと休みする私の視界に、軽やかな音を響かせる大小の鈴と鮮やかな緑が映し出される。気持ちよくて瞳を閉じれば、頬を撫でていく風の柔らかさに感じ入った。
郷を構成する森の外れでもある場で、和やかな静けさに満たされて憩う。しばしの間、心を洗い休息の刻を過ごすかのように。
でも、次の瞬間――。
冷たい笑い声が微かに耳もとで響いた。首もとに不気味な気配が漂う刃をスッと添えられる。
「見つけたぞ、こんなところにいたのか……光の勇者」
「…………っ!?」
咄嗟に腰もとの鞘を掴む。や否や、もたれていた大樹から駆けるように退いた。
首筋ぎりぎりのところに添えられていた鋭い刃の感触が生々しく残る中、風の剣を抜いて構える。
眼前には、冷たいまなざしをしたライナスがいた。
私が今まで背を預けていた大樹に、軽く身を預ける彼が。闇色の禍々しい剣を構え直し、私へと突き刺すように刃を向ける彼が。
何故、ここにいるの? どうやって、風精霊達の結界が張られた郷の中に?
そんな疑問を断ち切らんとしてか、ライナスは私へと向かってきた。柔らかな草地を蹴り、即座に。
邪悪な気をまとう剣先が、まっすぐに私に向けられる。それも、私の心を凍りつかせそうな冷たい笑みを浮かび上がらせながら。
……泣き出しそうになった。
でも、唇を噛み締めて堪える。
両の足をぐっと踏み締め、構えていた剣を斜めに振り抜いた。間一髪、彼からの一閃を弾き交わす。
だが、ドレスがまとわりつき、足もとまで上手く捌ききれなかった。鋭い一撃を上手くかわせたものの、踏みとどまりきれない。
咄嗟に、そこかしこに根付く大樹の幹へ手を伸ばした。それを支えにし、体勢を大きく崩してしまうのを避ける。
何とか体勢を立て直し、グッと風の剣を握り直した。
ここで彼に討たれるなんて、できない。彼に私の生命を奪わせるなんて、絶対に嫌だ。
そんな想いが胸の内を駆け巡る。その気持ちのままに、懸命に彼を見据えた。
けれど、ライナスは私を嘲笑うかのように口角をスッと上げると、再び駆け出す。
同時に、私もまた、彼の一撃を避けようと駆けた。
普段のドレス姿では、思うような素早さも身動きもできないけれど。その代わり、森の樹々が自然の盾になってくれる。
とはいえ、優勢なのはライナスだった。私は必死で彼からの禍々しい一閃を剣で受け流すのが精一杯だ。
それでも、今の彼には予想外だったのだろう。意外そうに冷笑む彼の表情には、面白そうな、いや、ある種の感嘆を覚えたような、そんな雰囲気が浮かぶ。
「凄いじゃないか。ここまで俺とやりあえるとは……。さすが勇者ということか。誰に教わった?」
「……そ……んなのっ!!」
「何だ? 言えないような奴なのか?」
ライナスは揶揄するように冷笑う。私に受けられたのは笑顔に間違いないのに、心が凍りつくような笑みだ。
声にならない悲鳴を上げそうになった。胸が痛くて。ただ、辛くて悲しくて。とても苦しくて。
今、たった今、私の眼前にいる彼が――彼こそが、私に剣を教えてくれた人なのだ。
それなのに、私に向けられる言葉も表情も、あまりに違いすぎてたまらなくなる。ギュッと両の手で剣の束を握り締めた。
ドレスの下で柔らかな草地をグッと踏み締める。ただただ、苦しくて辛い気持ちのままに彼だけを見据えた。
「どうして、わざわざ言わなくちゃならないの!? あなたに!! 何故、そんなことを訊くの!? あなたが!!」
すぐには止められない。口をついて出てしまった言葉は、想いは、急には。
だから……。
その瞬間、私の心にパァッとまばゆい光が広がった。――ような錯覚を覚えた。
「ライナス!!」
「な……にを言ってる……? ――っ、痛!?」
咄嗟に、ライナスは額を押さえた。その表情が歪む。
私は、そんなライナスを知っていた。城の庭園で闇の眷属が出現した時、あの日にも、彼は忽然と頭痛に襲われていたのだから。
不意に郷をそよいでいた風が、ふわりと彼の額にかかる髪を揺らす。
私は再び目にすることになった。
彼の手の間から垣間見える不気味な紋章を。闇の、それを。
刹那、私は手を差し伸ばしてしまう。愚かなことかもしれないけれど、我知らずと彼へ――その額へ。
ふらり、と彼のほうへ歩を踏み出してしまった。
自分でもわけがわからない。
ただ、胸が締め付けられる心地だけを感じていた。
でも。けれど。
次の瞬間、差し伸ばした手の指先に、ピリリとした何かが伝わってきた。まるで、反発するかのような、いや、抗いつつも引き合うような。とても不思議な感覚に襲われる。
「え……?」
「あ……っ……!?」
ライナスはパッと後方へと退いた。驚いたように、戸惑いが生じたかのように、額を押さえながらも。
もしかしたら、彼にも何かが伝わったのだろうか。この不思議な感覚が、彼にも?
しかし、そんな私達の間を割って入るかのように風精霊達の声が響いた。そうだ、闇の眷属ではない、風精霊達の。
「レナ殿! 大丈夫ですか!? 闇の眷属が侵入したとの危急の報せが入りました!!」
「ライナス様、神珠の周囲は結界が厚く――眷属達はいずれも突入できぬまま霧散する一方になっております!!」
ほぼ同時に発せられた声。どちらも風精霊である。
もちろん、その一方はウィンローだった。だが、もう一人は……どことなく彼の面差しに似ている誰か、だ。
彼ら二人ともに、ハッと息を呑んだ。それぞれの方向から現れて、方や私のそばへ、方やライナスのそばへと駆け寄る。
彼らは私達を柔らかな風に包むようにして、互いから引き離した。そのまま、私達を庇い守るように佇む。
だが、ともに瞳を大きく見開いていた。互いの姿を映したまま、方や驚愕を色濃く、方や憎悪を色濃く浮かばせながら。
「ウィンダー兄上……? その額……その紋章。まさか!?」
「ウィンロー、か。きさまに兄と呼ばれたくもない。俺を差し置いてよくも……!」




