第5話 地精霊の郷
「じゃあ、行ってくるね。ルナ」
私は、石像と化したままのルナに告げた。双子の姉とはいえ、今や王妃である彼女へ丁重な一礼をしながら。
それに続いて、同じく石像と化しているライオネルに告げる。その面差しはどこかライナスに似ていて、束の間、息を呑んでしまったけれど。
「この王国を――この世界を守護せし偉大なる光の王よ。必ずや、あなたとルナを元の御姿に戻してみせます」
そうして、ライナスも必ず……! 必ず、救い出してみせる!
私は心の中で誓いながら、恭しく頭を垂れた。この大地の王国を統べる若き王夫妻へと。
ここは、城内の大広間である。本来ならば、謁見の場としても使用される王の間であった。
彫像のように石化された二人を守るための衛士達が佇む中で、私はライオネルとルナへの挨拶を終えたのだ。
そんな私を静かに見守ってくれた重臣達に見送られ、私は今、地精霊の郷へ向かおうとしている。
既に、城門のたもとには、迎えの地精霊達が数名ほど待っていた。
それだけではなく、芳醇な大地の香りが立ち上る緑と花々に満ち溢れた道が創られていたのである。閉ざされた城門の向こうまで、不思議な道が続いている。
精霊達は私を見留めると、恭しく一礼した。
という間も惜しいかのように、彼らは私を創られた道へと導く。私の前後左右をしっかりと護衛しながら。
地精霊の郷は大地の王国領内にある。とはいえ、王都からは遠い辺境といえる処にあるのだ。通常であれば、数日から十日ほどかけての行程を経ねば辿り着けなかった。
しかし、私は不思議な道によって、さほどの時間をかけることなく到着できたのである。
忽然と、視界いっぱいにのどかな野原が映し出された。愛らしい草花の絨毯が敷き詰められた丘陵地帯だ。
「わ……ぁ……」
思わず魅入ってしまう。まばたきする時間さえ惜しいくらいに、のどかな風景に憩うような心地となった。
私のそばに近づいてきた者の気配に、一切気がつけないくらいに。
「ようこそ、我らが地精霊の郷へ。待っていましたよ、レナさん」
「え!?」
「私はグラディア。この郷の長を務めております。……初めまして?」
驚く私の前には、穏やかな微笑みをたたえる壮年に見える女性が佇んでいた。その背後に同年齢くらいの男性と、護衛らしき数名が控える。
黎明の賢者たるビギニアほどではないが、長い歳月を生きてきたのであろう気配が感じられた。四大精霊の長達の中でも、もっとも長としての暦が長いとの噂も頷ける。
ただ、その微笑顔には、何故か見覚えがあった。
いや、そうではない。まとう雰囲気、伝わってくる気配を、私は知っているような気にさせられたのだ。
脳裏をよぎった者の姿が、そうさせたのだろうか。胸を締めつけるほどに、切なさを湧かせる者の姿だ。
――ライナス。
そうだ、ライナスとライオネル。そして、彼ら二人の父グラン。彼らを思い起こしてしまった。
私はつい、挨拶を返すのを忘れてしまう。ひたすらに、グラディアを見つめていたからだった。
我知らずと、ライナスを探していたような気がする。……ここにいるわけがないのに。
そう思い至り、ハッと我に返った。
私は慌てて頭を垂れる。目の前にいる女性は、この郷の長なのだ。
「ご挨拶が遅れて、お恥ずかしい限りでございます。この郷の風景に目も心も奪われておりました、グラディア様」
「気に入っていただけたのならば光栄ですよ。きっと、この場にいたら喜ぶことでしょう……ライナスも」
「…………っ」
瞬間、私はお辞儀をしたまま、身を強張らせた。反射的に唇をきつく引き結んでしまう。
けれど、次の瞬間、グラディアは柔らかにそっと私を抱いてくれた。ここを訪れた私を労うように。そうして、慰めるかのように。
変な強張りがスッと溶けて、おずおずと頭を起こした。さきほどと変わらない慈愛に満ちた面持ちのグラディアが私を見つめている。
「あなたのことは、たくさん聞いているのですよ。ここへよく遊びに来ていたライナスから、多くのことを。そうそう、ライオネルからは、ルナさんのことをね。時折に、息子のグランはダイアナと孫達を連れて訪れてくれましたから」
「グラディア様……」
「だから、レナさんには初めてお会いするのに、初めてではない気がします。……ルナさんもね、婚儀を挙げたら連れて来るのだとライオネルと約束していました。とても楽しみにしていたのですよ」
グラディアは優しく語りかけてくれた。しかし、その表情の中に、悲しみにも寂しさにも感じられる気配が漂う。
たまらなくなって、私は思わず身を乗り出した。彼女の両腕に包み抱かれたまま。
「会えます! きっと、ルナはライオネル様に連れられて訪れるはずです!! 私、頑張りますから! ちゃんと二人を元の姿に戻してみせますから!! それに……!!」
「……それに?」
「それに……それに、助け出しますから! ライナスを絶対に救い出してみせます!! だって、だって……!」
「レナさん……」
私は無意識に俯いてしまった。
あの日あの時、ほんの束の間だけ、触れ合った互いの指先を思い出す。その指先をグッと握り締めた。
それでも、懸命に紡ぎ出した声は震えてしまうのだ。
「……ごめん、なさ……い。ライナスは、私を庇ってくれたのです。そのせいで、彼は……。ライオネル様もルナも助けられず、ライナスまで……。ごめんなさい……っ」
「……レナさん、あなたが謝ることではありませんよ。だから、どうか……どうか、そんなにも自分を責めないで下さい」
「でもっ!」
「私はね、思うのですよ。あなたがこうして無事でいることは、あの子の望みだったのだろう、と」
「ライナスの……? 私が無事なこと……が、ライナスの望み?」
「えぇ。きっと、そうですよ。……きっとね」
「…………っ、っっ」
私は俯いたまま、顔を上げられなかった。
脳裏を、胸の内を、ライナスの姿がよぎる。彼が向けてくれた笑顔も、必死な面持ちも。私が知っている彼が、浮かんでは消え――消えては浮かぶのだ。
そんな私を、さらに温かく優しくグラディアは抱き締めてくれた。
「なればこそ、今はただ、訪れしあなたの手助けをいたしましょう」
グラディアの微笑みが、不意に真摯なものへと変わる。穏やかな雰囲気はそのままだけれど、凛とした空気が生じた。
刹那、彼女の後方で、ザザァーッと地中へ向かう大階段が出現する。
土で造られたのであろう階段の一段ごと全てに美しい紋様が彫り込まれており、壮麗な階段の層と手すりを形作っていた。
手すりたもとには蝋燭台が一段ずつ置かれており、地中を幻想的に照らすのだ。
グラディアがそっと私を手招きした。
驚きでいっぱいになった私を、彼女は静かに見つめる。先ほどまでの優しいだけの微笑みではなく、長としての凛然とした面持ちで。
「さぁ、おいでなさい――光の勇者よ。あなたを、地の神珠のもとへ案内しましょう」
「……は、はい!」
私は、既に階段へと足を踏み出していたグラディアを追うように、彼女に導かれるように、階段へと降り立った。
彼女の傍らで控えていた男性は、彼女と並び立って降りていく。私はその後ろを歩み、その後方を護衛達が付き従った。
程なくして、地底の広き空間まで辿り着く。
いや、空間というよりも、城や離宮の大広間のような造りだった。感嘆の溜め息をこぼすほどの、美しく豪奢な地中の空間である。
しかし、私の気持ちを捉えたのは、ただ一つ――中央の空間に浮かび上がる神珠だった。淡い黄金色に煌めく美しい大珠である。私が両手を広げても包み込めないほどの。
知らずと、息を呑んだ。
地の神珠を見上げまま、目を離せない。黄金色に煌めく光に引き寄せられるかの如く。
ふと、神剣の鞘に指先が触れた。ガチャリと鞘の中でぼろぼろの剣先が音を立てる。
輝けるドレスが唐突に揺らめいたのは、私が我に返ったからなのか。
今、この瞬間に私がせねばならないことは、ぼろぼろの神剣を地の神珠に捧げることだったから。大地の力を神剣に注ぎ込まねばならなかったから。
私は、あらためてしっかりと神剣の鞘を掴んだ。瞬間、トクン、と鼓動がひときわに高鳴る。
ふわっと、ルナとライオネルを想った。そうして、誰よりも何よりも……ライナスのことを。
知らずと鞘を掴む手にグッと力が入る。
助ける、絶対に。救ってみせる、必ず。
心の中で強く、強く願うように誓った。
その想いが導き手であるかのように、この場で私がどうすればよいか理解できる。不思議なことに、次なる動きを悟れたのだ。――本当に不思議だった。
ごく自然に、ごく当たり前のように、私は鞘から神剣を静かに抜いた。
その神剣を片手に、地の神珠のすぐ近くまで歩む。
近づいてみると、神珠の大きさにあらためて感じ入った。
威圧感は一切ない。包み込んでくれるかのような気配に満ちていた。黄金色の煌めきに照らし出されて。
私は神珠を見上げたまま、両の手で神剣を捧げるかの如くに頭上高くへと掲げた。
今はまだ、輝きが一切無いどころか、くすみ、欠けて、剣としては扱いようのないぼろぼろの剣なのだが。
スゥッと深く息を吸う。瞳をゆっくりと閉じ、口を開いた。
清き流れのように、神珠へと語りかけるように宣する。今の今まで知らなかった言葉を、私はすらすらと紡ぎ出せた。
「今この刻において、我に託されし剣を地の神珠に捧げん。神々の聖なる大地の力を、我が剣に注ぎ給え。悪しき闇を封ずるまばゆい光を我が剣に宿らせ給え」
その瞬間、私を見守ってくれる地精霊達の間から感嘆の声が上がった。
けれど、私の耳には入らない。私の意識はただ、地の神珠と光の神剣だけに向いていたからだ。
その時、私は淡い光に包まれていたらしい。
身の内から生じたほのかな輝きをまとうが如く。輝けるドレスと相まって、神々しくさえあったという。
もっとも、ごく一瞬のことだったみたいだ。束の間だけ、ふわりと。
何故なら、輝けるドレスは、私の手から神剣が離れた途端にかき消えたからだ。ごく普通のドレス姿へと戻ったからである。
ただ、それが合図であったかのように、神剣はそっと浮き上がった。私の両手をゆっくりと離れ、神珠へと緩やかに昇っていく。
まもなくして、神剣は神珠の内へと吸い込まれるように収まり、剣先を上にして神珠の中でふわりと浮いた。
そうして、神珠の中では、黄金色の煌めく流れが神剣へと舞うように注がれ始めたのである。
私はひたすら、その光景を見つめていた。いや、見つめているという意識さえなく、けれど、神剣に注がれる大地の力――その気配に、言うなれば無我夢中になっていたのだ。
だから、グラディアに呼ばれていることに気がついたのは、もう何度も名を呼びかけられた後のことだ。
「……レナさん?」
「え……? あ……。あ、は、はい!?」
「しばし時間がかかるでしょうから、待つ間、私達とお茶でもいかがかしら? この郷は地の神珠を祀る聖域――闇の眷属達が容易に足を踏み入れられぬ処。しばしの間だけでも、ゆるりと憩うて下さいな」
「ありがとうございます! ……あ、でも。でも、私……」
私は、慈しむように見守ってくれていたグラディアから神珠へと顔を向けた。
神珠に、というよりは、その内にある神剣に、どうしても心を引き寄せられてしまうのだ。少なくとも、そんな気にさせられる。今、再びの輝きを取り戻すための一歩を踏み出した神剣を見守りたい、と。
そんな想いが、神剣へと大地の力が注がれるにつれて強くなる。じわじわと、でも、確実に。
それは、私自身にもよくわからない不思議な感覚だった。
しかし、グラディアは察してくれたようだ。微笑みながら頷き、そばにいた地精霊達とともに地上の美しい野原へと戻っていった。
彼女達を見送ると、私は再び神珠へと向き直る。
淡い黄金色に煌めきからは、グラディアのように包み込むような温もりと慈しみを感じられた。どれだけ長く見上げていても、飽きるということがない。
だが、次の瞬間――。
突然に、頭上高くから不気味な圧がのしかかってきた。あまりにも不意に、何の前触れもなく。微かな音さえも響くことなく。
クラッとめまいのような感覚が駆け抜け、思わず膝をついてしまった。鼓動が早くなる。危急を知らせるかのように。
「な……に……!? ううん、これは……。……でも、まさか!?」
私は高い天井を見上げ、そうして、地上へと続く壮麗な土造りの大階段に顔を向けた。
外から届くのは、おそらく地精霊達が緊急事態に陥ったらしき声。そして、もう二度と耳にしたくない不気味な咆哮めいた声――闇の眷属達の。
私はすぐに立ち上がった。大階段の向こうを、夕暮れ時であろう頃合いを示す大空が垣間見える地上を、強いまなざしで見据える。
だが、私は両の手を握り締めた。今、私の手に神剣はない。他の武具さえもなく、無防備だ。
咄嗟に、神珠のほうへ振り返った。
神剣は今も、大地の力を注ぎ込まれているようだ。ということは、まだ時間が要るということだろうか。注ぎ込まれる力の流れの早さも量も緩やかになりつつあったけれど。
私は真摯に神珠の内にある神剣を見つめた。知らずと唇を噛み締めながら。
瞬間、私はさらにグッと両の手を握り締める。神珠から地上へと向き直った。
「……やっぱり行かなくちゃ。剣は無いけど、でも放っておけない!」
剣の稽古をつけてもらう時に、護身の心得も習ったことを思い出す。相手の攻撃から身をかわす方法、かわしざまに相手へ繰り出す一手。それらは攻撃ではなく、防戦しつつの身のこなしである。
全ては、ライナスが教えてくれたことだった。
もちろん、ただのドレス姿の私に、どこまで身軽な動きができるかわからない。神剣を手にする時の輝けるドレス――その軽やかさやしなやかさとは全然違うから。
でも、私を迎え入れてくれた地精霊の郷が今、ライオネルとルナの成婚を祝う場を急襲した闇による脅威と似た事態となっているならば見過ごせるわけがない。
ドレスの裾が足先にまとわりつくのが気になりながらも、大階段へと脚を踏み出した。否、踏み出そうとした。
その瞬間。
「あぁ、お前か? 光の勇者――レナ、という名だと教えられたが」
「……この、声!?」
耳もとに届いた声に、私は身を固くする。
よく知っている声。耳に馴染む、私をホッとさせてくれるような声。
それなのに、ゾクリとした。背筋が凍りつきそうなほどに。
聞き間違いであるはずがない。私が聞き間違えるなんてありえない。それなのに、あまりにも冷たい響きが鼓膜を震わせた。
知らずと胸もとで重ねた両の手をグッと握り重ねる。その手が震えてしまうのを止められない。
大階段からゆっくりと降りてくる者の姿に、私はまばたき一つできなかった。瞳を大きく見開くしかない。
あの日あの時と同じ装束なのに、禍々しい闇色に染め上げられた装束と化したものをまとう――彼の姿に。
彼の冷酷な瞳に、私は射すくめられたかのようだった。一歩も動けない。ただ冷たく、ただあざけるようなまなざしに。
私のほうへと、まっすぐに差し向けられた闇色の剣にさえ、私は僅かにも身じろげなかったのである。
「ラ……イナス……? 本当……に? 魔王……は? エンディオから……逃れられた!?」
「あの御方を呼び捨てにするとは……無礼な奴だな」
「……え?」
「エンディオ様からは挨拶程度にしておけと命じられたが、お前の不敬を見過ごすわけにもいくまい。――お前の生命、ここで討ち取ってやろう」
「討ち取……る!? 私……を!?」
「他に誰がいる? さぁ、お前の生命でエンディオ様への不遜な振る舞いを償うがいい。……覚悟せよ!!」
「…………っ!?」
次の瞬間、私は咄嗟に飛び退いた。
輝けるドレスの軽やかさとは違い、動きにくい中で。けれど、瞬時の、無意識にも似た反射的な身動ぎでもって。
それは、ライナスから剣の稽古の合間に教えてもらった護身の心得があってこそだ。それ故にこその、間一髪の回避だった。
つい今まで私が佇んでいたところに、シュンッと鋭い刃音が鳴る。邪悪な剣の残像の如く、闇色の気が霧のように立ち上った。
私は両の肩を上下に揺らして、息を弾ませる。緊張と戸惑いと、そして、泣いてしまいそうなくらいの衝撃の深さで。
意味がわからない。どうして、ライナスが私に剣を向けているのか。
私の視界に映し出される彼は、冷たくも鋭いまなざしを私に向けたままだった。嘲笑う声さえも凍りつくほどの冷酷さに満ちている。
それだけではない。続けざまに、剣の刃がひたすら私に向かってくるのだ。
私はただ、必死で避けることしかできなかった。
視界の端に神珠の内にある神剣が映るが、まだ……あとしばしの時間が必要だと察する。神剣へと注がれる大地の力の流れは、また続いていたからだ。
クッと唇を引き結び、ドレスの裾を持ち上げて懸命に避け続けた。いつものドレス姿では、やはり動きが万全とは言い難いけれど。
床を蹴るにも、着地するにも、体勢を崩しかけてしまうのだ。すんでのところで、何とか彼の剣撃をかわすものの――どれだけ持ちこたえられるのだろう。
息を弾ませながら、必死で彼に呼びかけた。どうにか、何とか、ただひたすらに。でも……。
「ライナス……っ。ど……うして……っ? 私が……私のことが、わからない……の!?」
「わかってるさ、もちろん」
「ライナス……!」
「わからないはずがないだろう? お前が光の勇者だと、な。だからこそ、俺が討ち果たしてやる――エンディオ様の妨げになるものはな!!」
「…………っ!?」
心臓がギュッとなった。胸もとから全身へと、声にならない悲鳴が広がる。
今のライナスにとって、私は単なる勇者という存在でしかないのだ。何故、こんなことになっているのかわからないけれど。
だけど、こんなライナスは……知らない。
こんなふうに私へ鋭い切っ先を向けてくる彼なんて、知らない。
こんなにも冷たい、冷酷な瞳を向けてくる彼なんて――知るわけがない。
泣きたいのに、泣く余裕の隙間すら得られず、私は、ただ避け続けた。彼からの幾度目かの一閃を。
彼から冷たくも鋭いまなざしを向けられたまま、私を嘲笑う声がじわりとこの場に響く中で。




