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第2話 魔王の脅威と光の神剣

 その瞬間、私は見た。

 庭園の向こう――ちょうど闇の眷属達が這い出てきた辺りの上空に生じた裂け目を。

 その裂け目から、じわりと不気味な城が全景を見せつつあるのだ。どす黒い闇色の煙幕をまとっている城だ。

 ライオネルとルナが敷く光の結界内に避難した皆々から、悲鳴とも驚愕ともつかない声が上がる。不安げな色を忍ばせてざわめき立った。

 私はライナスを支えるようにして立ち上がりながら、瞳に飛び込んできた見知らぬ城の姿に戦慄する。とてつもなくゾッとする気配が伝わってきたからだ。


「な……に、あれは?」

「あまり考えたくはないが、まさか……な」

「ライナス、わかるの? あれが何か?」

「いや、全然。でもな、闇の眷属があの城からのものだとしたら、推測くらいはできる。おそらく、兄上もな」

「え?」

「だから、兄上は結界を解かなかった――闇の眷属を全て払ったのに。解けるはずがないさ、あの城が推測どおりなら」

「どういう……こと? ……あっ!」


 私はようやく思い至った。治まらないらしい頭痛を堪えながらも険しい面持ちのライナスと不気味な城を、交互に見やる。

 そうして、私達を守る光の結界を保持し続けるライオネルとルナへ振り返った。

 彼ら二人ともに、上空に浮かぶ不気味な城を見据えていた。凛とした表情ながらも、どこか疲労感を徐々に滲ませながらも。

 そうだ、二人のこめかみには汗が伝い始めていた。かなりの圧がかかっているのだろう。彼らが懸命に敷いた光の結界を圧しようと、砕かんばかりの強い闇の力が放たれているのに違いない。

 光の王となるまでは勇者であったライオネル。そんな彼の光の神子たる存在であるルナ。二人が行使する輝ける光の力は、この王国ばかりか世界全てを守護する大いなる力である。

 それほどまでの二人によって闇封じが成された後である今、彼らがこんなにも圧されている状況なんて、到底あり得ない。

 それなのに、このような事態になっていた。いや、このような事態を引き起こせた者がいるとすれば――。

 否、それさえもあり得ないのだが。でも。


「そなたらにも察せられるようじゃな。……当たってほしくないことであろうがのう」

「ビギニア様!」

「賢者殿。それでは、やはり?」

「うむ。あり得んことじゃが、復活してしまったようじゃな。終焉の魔王エンディオじゃよ。それも、居城たる闇の城ごとじゃとは……ありえぬ仕業じゃ。ようも、この世界に入り込みおったわ。ついに――かのう。……あぁ、何たることじゃ」


 ビギニアは食い入るように闇の城を見やる。手に持つ杖をきつく握り締める姿には、強い緊張感があった。

 彼女がここまで深刻な面持ちを見せるのは、初めてのことだ。少なくとも、赤子の頃から彼女に養育された私には初めてのことだった。

 知らず知らずと彼女のローブを、その袖をそっと掴んでいた。よほど不安げな表情をしていたのだろうか、私は。

 ビギニアは、ハッと我に返ったように私を見つめる。が、すぐにほのかな微笑みを滲ませた。やれやれ、と言いたげに。


「我は黎明の賢者ビギニア――この世界を見守る役目を神々から授かりし者じゃ。よって、この世界の良きも悪しきも関わってはならぬのじゃがな。まぁ、これくらいなら……許されようて」


 次の瞬間、ビギニアはローブを大きく翻すようにして闇の城に背を向けた。

 刹那、大きく杖を振りかざし、その先をダンッと強く地面に打ちつけたのである。

 と思うや否や。

 私の視界は、所々が石化され始めていた美しい庭園ではなく、荘厳な大広間が映し出された。足もとには磨き抜かれた床が美しく広がり、大扉から敷かれた細身の絨毯が玉座まで続く。

 そうして。

 私は瞳を丸く見開いた。その隣で、ライナスも瞳を丸くしている。

 玉座の後方に、その壁高き処に丁重に掲げられた一振りの剣を見い出したからだ。光の勇者だけが鞘から抜くことができるという神聖なる剣を。


「光の神剣だわ……!」

「……王の間に皆を移動させたのか!」

「そうじゃよ、レナ、ライナス。庭園よりも、ここのほうがこぢんまりとしとるじゃろう? さて、ライオネルよ。我がしてやれるのはここまでじゃ。結界の領域を狭めるがえぇぞ。そなたもルナも、少しは楽になるじゃろうて」

「賢者殿、ご厚意に感謝申し上げます!」

「ビギニア様、ありがとうございます!」


 ライオネルとルナは疲労が見え隠れする瞳に嬉しそうな微笑みをたたえ、ビギニアを見つめた。

 そうして、二人は互いに見つめ、頷くと、即座に光の結界を大広間を包むまでに収束させていく。

 庭園で結界内へと逃げてきていた皆々は、ほっと一安心といった様相だった。この大広間にてライオネルとルナが力を尽くしてくれており、黎明の賢者たるビギニアもいたからだ。

 だが、そんな安堵感を一蹴する嘲笑い声が響き渡った。ぞくりとするほどの低い響きが空気を震わせる。光の結界の内側にまで、はっきりと。


《小癪なことをしても無駄なことだと教えてやろう。戻ってきた我からの挨拶代わりと思え。……そぉら!》


 刹那、大広間に激震が走った。

 ミシミシと壮麗な天井も柱も壁も嫌な音を立てる。破片か埃か、ハラハラと降ってきた。足もとからは不気味な震動の名残りが伝わってくる。

 かなりの負荷が、大広間に敷かれた結界にのしかかっているのに違いない。

 玉座の後方に掲げられた光の神剣が、ガタガタと揺れている。今にも落ちてきそうなほどの危うさだ。

 私の意識は、その瞬間、神剣へと向いた。

 ライオネルが光の勇者として闇封じを成して以来、役目を終えたかのように輝きを失いぼろぼろとなった神剣へと。彼が光の王として即位してからは、誰も鞘から抜くことができない聖なる剣へと。

 刹那、聞きたくないパリ……ンと砕け割れる嫌な音が耳に入った。瞬間、光の砂塵が淡く振り注ぐ。

 ドキリと心臓が不穏に大きく鳴った。

 ――破られたのだ。輝ける結界が溶けるように消え去る。邪悪な気配が代わりとでも言いたげに増す中で。

 そうだ、再び闇の眷属達が一体……また一体と出現し始めたのである。結界が敷かれていたはずの際からにじり寄ってきた。

 そこかしこから悲鳴が上がり、衛士達や腕の立つ者達が飛び出して剣を振るう。

 無論、私も――と駆け出そうとした瞬間、ガタン! ガチャン! と重々しい金属音が後方から届いた。

 玉座の後ろで、壁に掲げられていた光の神剣が落下したのである。さきほどからの激震に、留め具が耐えられなかったのだろう。

 床に転がる剣の鞘にも柄にも大事なさそうだ。闇封じの後で剣身が輝きを失ってぼろぼろになったままであろうこと以外は、その外観に変わりない。

 だが、ホッとすることはできなかった。

 闇の眷属達の注意が神剣へ向けられたからだ。まるで、そう命じられているかのように、一体……また一体と神剣へと這い寄り始める。

 いけない、と私は無意識に強く感じた。咄嗟に、床に転がる神剣へと身を翻した。

 けれど、埃と土まみれのドレスをふわりと揺らしただけで、一歩も踏み出せない。

 ビギニアが半ば叱りつけるかのような面持ちで、私の手を掴んでしまったからである。


「このような状況で、いい加減にせぬか! 少しはおとなしゅうしとるのじゃ!」

「こんな状況だから、じっとしてられないの! 見て、ビギニア様! 光の神剣を狙ってるのよ、闇の眷属達は!!」

「しかし、そなたはどう見ても戦装束ではなかろう? 違うかえ!?」

「違わないから、動きにくくて困ってるわ。でも、私だって剣の心得はあるもの!」

「レナ、いい加減に……」

「レナ、神剣を頼む!!」

「え!?」


 刹那、私とビギニアの間に割り込むように、光の神剣が滑るように転がってきた。私達の口論めいた会話を断ち切るように。

 埃まみれのドレスの裾辺りに辿り着いた神剣は、くるくると回って緩やかに静止する。

 その剣が来た方向に顔を向ければ、玉座付近でライナスが数体の闇の眷属と対峙していた。見事な剣さばきで、神剣を狙って這い寄ってきたのであろう眷属達を次々と斬り倒していく。

 私とビギニアのほうへ、神剣を足で弾いたようだ。

 さすがは、この大地の王国内でも優れた剣の使い手と噂されるだけのことはある。そんなライナスから剣を習っている私は、ほんの一瞬、魅入ってしまった。何と鋭い、閃光のような一撃を繰り出すのだろう、と。

 優雅にも苛烈にも見える身のこなしで眷属達を討ち取りながら、私達のほうへとライナスは近づいてくる。その厳しいまなざしは倒すべき眷属達に向けられていたが、私達を気遣ってくれているのがわかった。


「レナ、賢者殿、大丈夫か!? ひとまず、神剣を奪われないように頼む。すぐにそこまで行くから!」

「あ、は……はい! わかったわ!」


 私が足もとを見やれば、一足先にビギニアが高齢の身を深くかがめて光の神剣を取ってくれようとしていた。でも、養い親たる彼女に、そんなことをさせられるわけがない。


「大丈夫よ、ビギニア様。私が拾うわ。取ってあげるから」

「……年寄り扱いしおってからに。我は賢者なるぞ?」

「はいはい」


 私はサッとしゃがむと、剣の鞘と柄をしっかりと掴んだ。そう、しっかりと。

 さきほど庭園で手にした剣みたいな、ごつごつとした重みを感じない。鞘にも柄にも繊細な装飾が施された美しい神剣だからだろうか? 初めて手にしたのに、何だかしっくりくる。手によく馴染むのだ。

 と思った瞬間だった。

 私は自らの周囲がキラキラと煌めく感覚に、瞳を瞬かせる。何が起こっているのか、すぐには理解できない。

 何故なら、自らがまとうドレスが輝ける光を放つものに変じたからだ。

 そんなことが生じるなんて、咄嗟に気づけるはずもなかった。一瞬、頭の中が真っ白になる。

 しかも、それだけではなかったのだ。

 自らの瞳に入った光景に、いや、光の神剣に、我が目を疑う。神剣の鞘と柄を掴んでいる両の手がふるふると震えるのをどうにもできなかった。

 まさにその瞬間、鞘から神剣が抜けたのである。

 スッと、ごく自然に。ごく当たり前のように。掴んでいた神剣の柄を動かしたつもりなど、全然ないのに。それなのに、ぼろぼろになった剣身が半分ほど鞘から姿を見せていた。


「嘘……でしょう? どうして、私……。何故、私……が?」

「レナ……。そなた……が? そなたが、まさか!?」

「ビギニア様、私はいったい……? 神剣を抜くことができるのは光の勇者だけ……なのに?」

「あぁ……レナよ。まさか、そなたが……? あぁ、何という……」


 ビギニアがこんなにも驚き動揺している姿を目にすることになるなんて、思いもしなかった。

 でも、そんなふうに感じる余裕は、今の私にはなかった。私自身が、ビギニア以上に動揺し戸惑っていたからだ。

 それでも、赤子の頃から私をずっと育ててくれたビギニアに、知らずとすがろうとする。よろりと立ち上がり、一方の手に鞘を、もう一方の利き手に聖剣の柄を握り締めて。

 身じろぐたびに、キラキラと眩く輝けるドレスのドレープが揺らめいた。

 いったい何が私に起こっているのだろう?

 あまりにも大きく深い驚愕は、不安を呼び覚ますかのようだ。ビギニアを見つめる瞳がだんだんと滲み始めた。

 しかし、ビギニアがそっと優しく広げてくれた両の腕に、私がふわりと飛び込むことはなかった。

 次の瞬間、私はライナスの片腕にしっかりと引き寄せられたからだ。私を見つめる彼の瞳は真剣そのもので、気を張り詰めているのがよくわかる。


「レナ、呆けてる場合じゃない! 闇の眷属はまだこの場にいるんだぞ!!」

「……ライナス!?」

「気持ちはわからないでもないが、しっかりしろ! あとでゆっくり呆けていいから!!」

「でも、ライナス。私……っ」

「あぁ、そうだな。光の神剣は抜かれている状態で、今のお前は勇者だった頃の母上を描いた肖像画にそっくりな格好だよ」

「あなたのお母様……ダイアナ様、に私が?」

「レナ、とりあえず、それでよしとしよう。今は、この場を切り抜けるのが先だからな」


 輝けるドレスが軽やかに揺れ舞う中で、私は彼に庇い守られる。周囲にまだ残されている闇の眷属達に注意を払いながら。

 そのまま彼は、すぐ間近に迫り来ていた闇の眷属を斬り払った。続けざまに、ビギニアの近くにいた眷属をも討ち取る。

 私が無事なことに、あるいは、ライナスが間一髪でかけつけたことに、ビギニアは安堵の深い吐息をついた。


「あぁ……あぁ、そうじゃ。ライナスの言うとおりじゃとも。今は、この場をしのがねばなるまいて。……ライオネルとルナは? あの子らに踏ん張ってもらわねばどうにもならぬのじゃが……」

「兄上達なら、ずっと光を……。…………っ!? 兄上!? ――兄上達が!!」

「そ……んな!? ルナ……!! ライオネル様!!」

「……何と! 何たることじゃ! これはいかん! あの子らは己の身を盾にするつもりかえ? それを選びおったと!?」


 ビギニアは険しく眉をひそめた。

 その隣で、私とライナスは愕然とする。信じられない、信じたくない、そんな二人の姿が視界に飛び込んできて立ち尽くした。

 ライオネルとルナは必死で光の力を行使していたのだ。一旦は砕かれてしまった光の結界を立て直そうと、二人の全身が煌めく光の如く輝きをまとっていた。

 だが、しかし。

 足もとから徐々に石化が始まっていたのだ。

 それでも、ライオネルとルナは、私達に微笑みを向けた。懸命な面持ちの中に、私とライナスへ凛とした微笑顔を見せてくれた。


「……ライナス、レナのことを頼むよ。どうやら彼女が次なる光の勇者のようだ――此度の闇を封じられる者。でも、きっと戸惑っているだろう。お前が支えてやってくれ」

「兄上……っ!!」

「私は、私の身に宿る光の全てを放とう。たとえ、この身を封じられても、この光を我が王国とこの世界を守るために」

「そうよ。この王国と世界を守るために、私はライオネル様とともに。だから、レナ……お願いね」

「ルナ!? 待って、ルナ……! ライオネル様、そんな……っ!!」


 次の瞬間、凍りつくような衝撃が私の全身を駆け抜けた。まるであらゆる刻の流れまでもが、フッと止まったかのように。

 瞬き一つさえできない。忘れてしまった。ただ、大きく瞳を見開いたまま強張ってしまう。決して映したくない光景を捉えたまま。

 物言わぬ彫像のように石化されたライオネルとルナの姿を。

 そうだ、彼らは全てを懸けたのだ。己の全てを、己の身に宿る光の全てを、この大地の王国とこの世界を守るために彼ら二人は。


「い……や……。嫌ぁーーーーーっ!!」

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