第1話 来襲せし闇の眷属
晴れやかな陽光が注がれる城内の庭園で催されているきらびやかな宴。
この日のために新調してもらったドレス姿で、私はテラスの大柱へトン、と軽く背を預けた。
隣には、同じように大柱へ軽く背を預ける青年が一人。貴族どころか王族がまとうような豪奢な正装姿で。
「まさしく佳き日になったな、レナ」
「うん! ルナの大事なお祝いの日だもの、お天気が良くて嬉しい! あなたも嬉しいでしょう、ライナス?」
私ことレナは朗らかに笑む。くるりとドレスのドレープを揺らして、おどけてみせた。
眼前のライナスは、そんな私の腰の辺りを引き寄せる。彼の手で優しくもう一度くるりと回ると、ドレスは尚のことふわりと揺れ舞った。
「もちろん、嬉しいさ! 兄上の婚儀を祝う宴だ。見事に闇を封じた光の勇者と光の神子の晴れなる日だからな」
「えぇ!」
「……あぁ、そういえばな」
「ライナス?」
「母上と父上の婚儀も、晴れやかだったらしい。母上は兄上の先代にあたる光の勇者だっただろう? 参じた皆々は感嘆したそうだ、勇者だった御方と光の神子が結ばれる日に何と相応しい日和だろうかと」
「素敵ね! 今日のライオネル様とルナも、そうだもの。あなたのお母様とライオネル様は、ともにそれぞれの神子とともに、この大地の王国を――ひいては世界を闇の侵攻から救った英雄だわ」
「闇の城が出現しかねない闇穴を封じたからな。兄上も……そして、母上も」
「偉大なる光の女王であられた御方だもの。……あ、でも、ごめんなさい。辛いことを思い出させてしまったわ」
言いながら、私の語尾は小さくしぼんでしまった。ライナスの顔を見られない。
彼の母である光の女王ダイアナはニ年ほどまでに亡くなったからだ。それも、起こり得るはずのない闇の侵攻が始まり、夫君である光の神子グランとともに生命を投げ打ったのである。
まだ、たったのニ年前のこと。記憶が薄れようはずもないのだ。
しゅんとしてしまった私を、温かな両腕が包み込んだ。トントンと背に回された手が優しく私をなだめる。
「変に気を遣ってくれるなよ。ニ年前のあの時は突如として、この城に闇の眷属が大挙した。だから、それしか方法がなかったんだ。光の勇者だけが扱える光の神剣に輝きを復活させるためにはな。母上と父上の生命が、兄上の手に輝ける神剣をもたらした」
「ライナス……」
「俺はな、勇者としてニ年前の闇封じを成した兄上を誇りに思ってる。そうなるべく、己の全てを懸けた母上と父上のこともさ」
ライナスの声が、彼に抱き締められた私の耳もとに優しく伝う。
どこかやはり切ない響きだけれど、彼が兄ライオネルと両親をどれだけ大切に想っているか感じられる温かな響きでもあった。
私はそっと、ライナスの背に両腕を回す。私を抱く温もりをそのまま贈り返すかのように、彼を抱き締めた。
「そうね、ライナス。だからこうして、今日この日を迎えられたんだものね。ライオネル様が王位を継ぎ、ルナを娶った。ライオネル様にとっての大切な光の神子を」
「あぁ、そのとおりだ。まぁ、闇の爪痕から各国各地が平穏な日々を取り戻したのを確かめるまで婚儀を延ばすとは思わなかったが……兄上らしいけれどな」
互いにやんわりと両腕を解いて、互いの顔を見つめ合う。自然と浮かび上がる微笑顔が、柔らかに差し込む陽光に煌めくかのようだ。
とても幸せで、ただ幸せで、私はライナスとふんわりと額を触れ合わせて、クスクスと微笑み合う。
もっとも、宴の主役たる新しき光の王ライオネルと王妃ルナの輝ける笑顔のほうが、今日この日の一番であったのだけれど。
宴に参じている皆々に声をかけてまわるライオネルとルナの微笑みは、まさに光そのもののように見えた。
そんな二人が、程なくして私とライナスのもとまでやって来る。
私達は襟を正すかのように、恭しく頭を垂れた。
私はルナにとって双子の妹だけれど、ルナは今や王妃である。また、ライナスは今や王弟殿下と呼ばれる身だが、眼前に佇むのは実兄とはいえ光の王ライオネルなのだから。
けれど、ルナもライオネルも以前と変わらぬままの、ざっくばらんな親しい笑顔と振る舞いで応じてくれた。
「来年辺りは、再びこの庭園にて宴を催せそうだな。そう思わないか、ルナ?」
「思いますとも、ライオネル様。今から婚礼のドレス作りを始めないといけませんわ。ね、レナ?」
「え? えっ!?」
「……気が早すぎるよ、兄上」
思わぬことを言われて、私は真っ赤になった。鼓動が大きく跳ね上がり、反射的にライナスのそばから離れようとする。
しかし、ぐいっと逆に引き寄せられてしまった。私に負けず劣らず赤くなった顔のままのライナスに。
そんな私達二人を、ライオネルとルナは微笑ましそうに見つめる。
こうして、幸福な輝きに満ちた宴のひとときは何事もなく続くはずだった。
だが、しかし。
「……闇じゃ!! 闇の眷属が来おった!!」
「ビギニア様!?」
「おぉ、レナかえ? ライオネルに早う結界を敷いてもらうのじゃ!! ライオネル、そこにおるのかえ? 光の結界を早う!!」
それは、黎明の賢者ビギニアが発した危急を告げる声だった。私とルナの養い親たる彼女の老いた声が、庭園内に響き渡る。
杖をかかげ、庭園の端から逃げてくる宴の参加者達――主だった貴族諸侯達の背後に輝ける大盾を生む姿が見えた。その大盾に遮られ、衝突しては霧散していく闇の眷属達の姿も。
ライオネルは信じられないと瞳を険しくしながらも、急ぎ輝ける光の結界を敷いた。渾身の力が込められた両の手を前方に差し出せば、その足もとから清らかなる光がサァっと庭園の地面を伝い広がっていく。
彼の腕にそっと両の手を添えたルナが、凛としたまなざしで彼と同じ方向を見据えていた。退避する皆々の後方からぞろりと這い寄る闇の眷属達を。
結界は半円球状に広がり、ライオネルとルナを中心に聖なる結界を創り上げる。
だが、拮抗しつつも徐々に結界が圧されていた。あり得ないことに。
勇者だったライオネルの光の力は強い。それは、王となってからも変わりない。それどころか、強さは増したはず。
だが、闇の眷属達が多すぎるのか。あるいは、一体一体の邪悪な力が強すぎるのか。
いや、それ以前に妙だった。あまりにも。
ニ年前に、ライオネルは光の勇者として光の神子ルナとともに闇封じを成したはずなのだ。世界の外へと封じられていた終焉の魔王エンディオが闇の城とともに出現しようとしていた闇穴を、確かに。
ビギニアによって、しっかりと闇封じが成功していることも確認されていたはずなのに。
「どうして? 闇の眷属が現れるなんて……!」
「現れたものは仕方ない。とにかく、一体でも多く討つ。兄上の負担が軽くなるからな。衛士達よ、俺に剣を貸せ! 何でもよいから早く!!」
ライナスの檄で、衛士達が急ぎ剣を何本も持ち運んだ。
宴に参じていた者達にも腕の立つ者がいるからだ。次々と剣を手に、闇の眷属へと立ち向かう。
その間を縫うように、庭園のあちらこちらから結界の中央へと皆々が避難してきた。
私は、持ち運ばれた剣の最後の一本を取った。剣の稽古で使う私専用の剣とは違って、ゴツゴツとした重みを感じる。でも、気にかける余裕はなかった。
ドレスをふわりと揺らして、駆け出そうとする。
けれど、ビギニアに腕を掴まれてしまった。いつのまにか、私の近くまで退いてきていたらしい。怒れる面持ちで。
「何を考えておる! そなたはドレス姿で動けまいて!!」
「でも、剣の腕前はライナスの折り紙付きだわ! ビギニア様だって、ライナスの剣技が素晴らしいことはご存知のはず。私は、その彼に剣を習ってるのよ!」
「愚か者めが! これは剣の稽古とは違うぞえ!!」
「わかってる! でも、かつて女王陛下――ダイアナ様は光の勇者として輝けるドレス姿で剣を振るわれたのでしょう? 私も頑張る!!」
「甘いことを申すでない! あれはな、光の勇者だけがまとえる輝きを放つ装束じゃぞ? ダイアナはドレス姿であったが、普通のドレスではないぞよ――戦いの場でも動きやすく、あ、こら!! 待つのじゃ!! レナ!!」
「待てないわ、ビギニア様! ライナスだって戦ってるのに!! ルナやライオネル様だって頑張ってるわ、二人の負担を減らしたいの!!」
私はビギニアを振り切った。きっと後で、たんまりと叱られるに違いないけれど。
でも、放っておけるわけがない。
ちらりとルナとライオネルを見やる。遠目にも必死さが感じられた。
光の勇者から光の王となったライオネルでさえも、あり得ない闇の眷属の多数出没を遮るための光の結界を広範囲で保ち続けるのはかなりの疲労を伴うのだろう。それを支えるルナの懸命な面持ちからも伝わる。
私はタンッと地面を蹴った。ドレスがひらりと揺らめくのが、実は厭わしいくらいに動きづらい。
けれど、気合一閃。目の前にいた闇の眷属を斬り払った。反動で返す刃でもう一体、斬り倒す。
ライナスとの剣の稽古では考えられないくらい、呼吸が荒くなる。優美なドレスのドレープは、やはり戦いには向かないと思う。
でも、ホッと一息つく間もなかった。
私のすぐ背後で、鋭く空を割くような剣撃を感じたのだ。――ライナスだ。
「レナ、下がれ! その格好ではさすがに無茶すぎる! 母上の輝けるドレスとは違うんだぞ!!」
「でも、ニ体は倒せたわ!」
「お前な……。――っと!!」
ライナスは呆れるが、そんな余裕さえ今は無いくらいだ。背後から這い寄ってきていた闇の眷属達を続けざまに斬り払う。
広い城内の庭園の端々からライオネルのほうへ、輝ける結界の中で逃げてくる皆々。そんな彼らを追うように這い寄る闇の眷属達。
どこから這い出てきているのか? とにかく少しでも多く眷属達を討たねばならない。
何故なら、闇の眷属が出現した付近から少しずつ、庭園の景色が悪しき変化をしていたからだ。生命あるものの生き生きとした姿が石化され始めたからだ。邪悪な闇に冒され、瑞々しい緑も可憐な花々も、さえずる小鳥や庭園の樹木に住まう小動物達でさえ例外ではない。
輝ける結界の内側へと避難した皆々からも、不穏な景色の変化に悲鳴が上がり始めていた。
ライナスとともに、互いに背を預ける形で闇の眷属達を討ち払っていく。眼前で霧散する眷属達はもう何体になるだろうか。
トン、と呼吸を弾ませながら、私は知らずとライナスの背に身を預けてしまった。いつもの剣の稽古なら、ここまで呼吸を乱すことはないのに。――しかもドレスは埃だらけ。加えて、本当に動きにくい。
「はぁ、はぁ。……この眷属達、どこから出てきたのかしら? 這い出てくる何処かがあるはずよ」
「あぁ、そう――だな」
「ライナス? え、ライナス!?」
私の瞳に愕然としたものが浮かび上がる。
ずるりとライナスが片膝をついたのだ。何とか自らの剣を杖代わりに地面に突き立ててはいものの、額の辺りを抑えて酷く苦しげだった。
こんなライナス、見たことがない。
慌てて、彼へとしゃがみ込もうとしたけれど、彼自身に止められた。辛そうな声音で、制される。
「……後ろ、だ! 気を抜くんじゃない、レナ。 眷属は、まだいる……っ」
「は、はい!」
瞬間、反射的に私は背後を振り返った。手にする剣を鋭い風のように斬り払いながら。
でも、ライナスのことが気がかりで。
近くから這い寄ってくる闇の眷属達を数体討つと、私達の近場には眷属達の姿はひとまずいなくなったのを見計らって、ライナスへとかがみ込んだ。
どうやらライナスは負傷したのではなく、急に酷い頭痛に見舞われたらしい。額の辺りを片手で抑えている。
しかし、私が心配そうに顔を覗かせると、ポンポンと優しく頭に手を置いてくれた。辛そうな面持ちに微笑みを浮かべて。
「その格好で、よく頑張ってる。でも、この状況で他に気を取られるのは良くないな。注意散漫は駄目だぞ」
「でも、ライナス……!」
「俺は大丈夫だから。こんな時に頭が痛くなるなんて、情けない限りだ。全く……」
「本当に大丈夫なの?」
「あぁ、頭を打ったわけではないし、斬りつけられてもないよ」
ライナスは、それでもまだ頭痛が続いているのだろう。額に手の甲を押し当てたまま、剣を支えにして立ち上がる。
私も彼を支えながら、周囲を見回した。
どうやら闇の眷属達は掃討できたらしい。衛士達も剣を取ってくれた者達も、ひとまずの一息をついている。中には負傷している者もいるようだが。
けれど、何故だろう。私は、無意識にギュッとライナスの腕を掴んでいた。
「ライナス、何だか……。何だか、変じゃない?」
「あぁ、おかしいな。兄上がまだ結界を解いていない。むしろ、闇の眷属が失せたのを活かして結界の範囲を広げてきたようだ。……ほら、俺達のところまでも」
「本当だわ! でも、どうして?」
私達は、ライオネルが懸命に敷き詰める光の結界の内側へと入った。まるで、未だに危うい状況から脱していないかのように。
刹那。
私は信じられない光景を見た。あり得ない――こんなことは、と大きく見開いてしまった瞳が揺らぐ。
その瞬間、バリバリッと光の結界を砕かんばかりの圧がかかったのだ。突如として、輝ける結界のそこかしこに閃光のような亀裂が走る。
「兄上!?」
「ルナ!?」
ライナスと私は、急ぎライオネルとルナのもとへ駆け出そうとした。
しかし、ライナスが立ち止まってしまったのだ。いや、再び額を抑えて片膝をついてしまった。忽然と、再び激痛が生じたらしく、崩れ落ちるようにしゃがみこんでしまう。
「……くっ! な……んなんだ、いったい?」
「ライナス!!」
私は即座にライナスのもとへ駆け寄る。
かなりの激痛なのか、ライナスはまるで苦悶するかのようにきつく瞳を閉ざしていた。
そんな私達の耳もとに、地の底から這い上がってくるような、否、この世のものとは思えぬほどの怨嗟に満ち溢れたどす黒い声が響き渡ったのである。
《ようやく、やっとようやく、舞い戻ってきたぞ。幾度も……幾度も我の帰参を邪魔しおった者どもよ。もう二度と邪魔できぬよう、闇に染めてやろうぞ! そなたらの全てを闇に沈め、そなたらの全てを滅ぼしてくれる! 覚悟せよ!!》




