第19話 闇封じがもたらすもの
――ライナスが生きる世界だもの。絶対に滅ぼさせたりしない。
だから、どうか私が消えてしまうのは、魔王を封じた後でありますように。ビギニアを討ち、私が消滅してしまうのだとしても。それでも、どうか……と願い祈る心地だった。
ライナスを見つめる。
彼の頬を両の手でそっと包み込み、朗らかに笑んだ。私に勇気を与えてくれる彼に。
「……一緒にいてね、私のそばに。ビギニア様にも、魔王にも、打ち勝つから。私、頑張るから」
「あぁ。一緒にいるさ、もちろん。だが、レナ……」
「大丈夫よ。ライナス、あなたが一緒だもの。ね?」
戸惑いと気遣わしさを隠しきれないままに、それでも、彼は頷いてくれた。私の両の手に、自分の手を重ねながら。
そうして、私達は大扉の前に佇む。何者の来訪も拒んでいるかのような不気味さをまとう大扉を眼前にした。
ここまで来たのだ。臆するわけにはいかない。
私は意を決して大扉を開いた。
重々しい音とともに開きゆく大扉は、いつになく鬱々とした感に彩られている。その向こうから、不吉なものがじわりと漂い出てくるような気がした。
ゾクリとしたものが背筋を駆け抜ける。
だが、それを確かに感じ取れる余裕はなかった。
大扉が開くのを待ちかねていたかのように、禍々しくも鋭い矢のような一撃が向かってきたからだ。それも、続けざまにいくつも。
「な……っ、っっ?」
「レナ!」
瞬間、ライナスが私の前に駆け出た。
矢継ぎ早に迫る闇の一撃を斬り払う。無駄のない素早い動きで、しなやかに大地の剣を振るっていく。
たった一閃でさえも、私の身を掠めることはできなかった。彼の剣技が、私を守ってくれるからだ。 私達の生命を奪おうと迷いなく放たれる邪悪な闇色の一閃を、ことごとく彼が遮る。
玉座に悠々と座する魔王の傍らで、ビギニアは狂気に染まった微笑みを忌々しそうに歪めた。
折れたままの杖から、それでも禍々しい連撃を打ち込めるらしい。しなだれるように魔王へと軽く身を委ねたまま、彼女は私達へ鋭い矢の如く放ってくる。
「我らの邪魔立てをするなど、許さぬぞえ。早う、去るのじゃ」
「そうだとも。ビギニアの養い子なれば哀れとも思い、情をかけてやってもよいぞ」
「フッフフフ……。ほぉれ、出ていかねば、我の餌食になるぞえ?」
「クッククク……。餌食になるのが望みかもしれぬな」
ビギニアも魔王も、酷く愉快そうだった。
一向に攻撃の手を緩める様子もなく、私達への言葉とは裏腹に禍々しい連撃は続く。僅かな間さえも惜しげに、次々と放ってくるのだ。
「退かせてくれそうにない……のに……っ。退くつもりもない、けど!!」
「もう少し、堪えられるか? これだけ続けざまの攻撃なら、必ず間ができる――僅かな隙が、必ずな!」
「うん!!」
私はライナスとともに、矢継ぎ早に繰り出される邪悪な連撃を斬り払っていく。
私よりも前に出て大地の剣を振るう彼は、グッと踏み堪えようとしていた。靴底から床を軋ませるような音を響かせながらも、耐え忍ぶ。じりじりと後退を余儀なくされながらも。
もちろん、ただやみくもに禍々しい猛攻を耐えていたのではない。
彼も、そうして、私も、ただ一瞬の刻を待っていた。私が、撃って出ることができる刹那の瞬間が巡り来るのを。
そうして、次の瞬間。
「レナ! 今だ!!」
「えぇ!!」
私は、ふわりと跳び上がった。
ひときわに大きく鋭い一閃を描いたライナスの剣刃を、彼を、さらりと飛び越えて浮き上がる。
両の手に持つ神剣を大きく振り上げると、ドレスのドレープがひらひらと輝きながら舞い揺れた。
今や禍々しいだけの大広間の中で、神剣とドレスが生み出すまばゆい光だけが清らかなる空間を生み出す。
その合間にも、私の瞳はビギニアを捉えていた。
さすがの彼女も、虚を突かれたような面持ちとなっている。
そんな彼女へと、私はまっすぐに降りていく。輝ける神剣を彼女へ向けたまま。揺らぐことなく、まばゆい光の刃を彼女へと。
覚悟はできてる。そう、覚悟ならば、もうしっかりと。
「ビギニア様! そこをおどきください!! そうでなくば……っ」
「……我を討つのかえ? 愚か者じゃのう、レナや」
その瞬間、ビギニアの表情から一切の情が抜け落ちた。折れた杖を私のほうへ向けるまなざしの、何と冷徹なことか。
彼女は私のほうえ杖の折れた切っ先を向けたまま、邪悪な気配を強ませる。
それはそのまま、禍々しい闇色に染め上げられたかのような大盾と化していった。妖しい魔法陣の如き大きな盾である。
と思う間もない。
タンッと私が着地した瞬間、キィーンと耳障りな硬い音が響き渡ったのだ。大広間の隅々まで深く反響するくらいに。
私の神剣とビギニアの大盾がぶつかり合ったからだ。激しく、強く。
ものすごい抵抗感が両手にのしかかってきた。
振り下ろした神剣がまとう光が、大盾の禍々しい気と拮抗していた。激しい雨のように輝きが弾け散り、煙のような闇の気配が荒く揺らめく。二つの力が接する一点で。
私は歯を食いしばった。押し負けたくない。
でも、押し勝てない――押し返されてしまった。
じりじりと抗うように靴底が床をこする。や否や、後方へと弾き飛ばされた。
刹那、がっしりと背後から抱き留められる。
「大丈夫か?」
「平気よ、これくらい……!」
ライナスのおかげで、どこも痛くない。抱き留めてくれた温もりが、私を勇気づける。
彼の傍らで、私は体勢を整えた。再び神剣を構え、ビギニアを見据える。彼女へと剣先を鋭く向けながら。
ゆらり、とビギニアは身を起こした。しなだれていた身を立たせ、魔王を庇い守るように折れた杖をついて佇む。
私を見据える瞳の冷酷さに、そこはかとない憐れむような嘲笑みが灯された。背筋がゾクリとするような冷笑みを含むまなざしである。
でも、私は退かない。一歩も、半歩さえも、揺らぐつもりはなかった。すぐそばに、ライナスがいてくれるのだから。
私からのまっすぐな視線を、彼女はどう捉えたのだろうか。ただ、フッと冷笑みにも満たない吐息を漏らしただけである。
「本気で我を討ちにかかるとはのう。……そなたには無理じゃと思うておったのになぁ」
「無理じゃありません! 私は光の勇者なのだから。この世界を滅ぼそうとする闇を封じてみせる!!」
「……ずいぶんと偉そうなことを申せるようになったのう。あくまで我に逆らうつもりかえ?」
「えぇ、いくらでも。だって、私は、この世界を守りたいもの。ううん、守ってみせるわ!!」
「殊勝な物言いよなぁ。じゃが、それを成さんとすれば、そなたは……」
「ライナスが生きている世界なの!!」
私はひときわに声を上げた。意識するよりも早く、口をついて出たのだ。
澄んだ響きが、大広間を満たす禍々しい淀みを駆逐するかのように広がっていく。
ビギニアの言葉を期せずして遮ったのは、無意識のことだったけれど。
でも、動揺はしない。
私の心に息づく強く固い想いは、決して消え失せてしまうものではないから。揺らぐことのない確かな決意であり、覚悟だったから。
ライナスがいる世界を、この世界を守りたい。
滅されたくなどない。滅ぼすわけにはいかない。絶対に守り抜く。
何を懸けることになっても。如何なるものと引き換えになっても、だ。
「私の大好きな人が生きてる世界だわ! 私の大切な人が生きる世界なの! だから、絶対に守ってみせる!!」
瞬間、ビギニアは息を呑んだ。
私を見据えていた瞳が、揺らめきながら大きく見開かれゆく。酷く驚き、深い戸惑いを覚えたかのように。
その瞬間、彼女に何が生じたのか、私にはわからない。
ただ、我知らずと彼女がこぼした呟きだけが、私の耳もとに微かに届いた。
いや、そのまま胸の奥にまで落ちたのだ。ドキリともツキンとも言い難い感覚を湧かせる声が、小さく。
「……私、の……じゃと? 大好き……大切……。私……の……?」
「ビギニアよ、そなたの心が波立っておるのがわかるぞ」
「エンディオ……」
「そなたの心を乱すとは、やはり勇者は忌々しき者――許せぬな。そなたが手を汚す必要もあるまい、我が仕留めてやろうぞ!」
次の瞬間、魔王は鋭い刃のような邪悪な一撃を放ってきた。
玉座から立ち上がり、ビギニアに寄り添うように抱き留めながら。もう一方の腕は私に向けて鋭く差し出しながら。
凍りつきそうなくらいゾッとする感覚に襲われ、咄嗟に床を蹴って跳び退く。ふわりとドレスが輝き揺らめいた。
だが、続けざまに放たれる禍々しい一撃は、私が降り立とうとする床を乱雑に抉り削っていく。
抉られた床に着いたつま先がぐらついてしまった。しかし、何とか踏み堪える。
そんな私の前に、ライナスが駆け寄った。魔王から放たれた続けざまの一閃を薙ぎ払い、大地の剣を構える。
その狭間で、私は体勢を立て直せた。すぐさま神剣を構え直し、彼の隣に並び立つ。
「ごめんなさい……っ。ありがとう、ライナス!」
「レナ、怪我は?」
「大丈夫、ここで押し負けてしまうわけにはいかないわ。必ず魔王を封じる!」
ビギニアと魔王に視線を合わせたまま、私とライナスは言葉をかわした。
それだけで安心できる。立ち向かう気力を保つことができた。いや、尽きることなく立ち向かう力が湧いてくるのだ。
だが、魔王は私達を忌々しげに睨みつける。無論、ビギニアも――いや、でも。
何故だろう。
彼女のまなざしにも表情にも、魔王とは異なるものであるような気がした。どう表現すればいいのかわからないけれど。
例えるならば、困惑なのか。とても複雑な、言葉にし得ない何かが、彼女の内で渦巻いているように感じられたのだ。
その瞬間、私の魂の内なる何処かで、彼女の想いが伝い降りてきた。ほんの僅かだけ、とてつもなく微かに。
明確な感情ではない。はっきりとした言葉にもならない。ごく僅かな、一片にさえも満たない何か。
だから、私の耳もとに届いたのは、呆然とした彼女が吐息のように漏らす声だけだった。
「大好きな……。大切な……。そうかえ、レナや……。私の――と、そう申すのじゃな。我とて、我にも、おるというのに。……それなのに、レナや。あぁ、そうかえ……そうなのかえ?」
「ビギニア……様?」
「そなたの……。我の……。……世界、のう。そなたが守りたい……世界なぁ。……我はもう、見守りたくなどないぞよ。もはや、のう……。じゃが、そなたは……。フッフフ……そうかえ。そうなのかえ……?」
「え……っ?」
その時、私は瞳を大きく見開いた。ビギニアの身じろぎに、思わず息を詰めてしまう。
咄嗟に、隣のライナスへと顔を向けた。彼もまた息を呑み、まばたきを忘れたかのように瞳を強張らせる。
私と彼には、ビギニアが見せた行動の真意が読みきれなかったのだ。
彼女がくるりと私達へ背を向け、無防備な後ろ姿を見せたのも。
向かい合った魔王の頬に、片手を愛おしげに添えたのも。
私達へ向けられていた魔王の手をそっと包み込み、下ろさせたのも。
いったい何がどうなっているのか、わからない。
「……ビギニア、様!?」
「いったい、どうして……賢者殿?」
私とライナスは思わず、呆然となった。
その声も、その言葉も、聞こえているだろうに、ビギニアが振り返ることはない。
その代わりとでもいうように、疲れ切った声音が届いた。静かで穏やかだが、疲弊感に覆われているかのような呟きが。
それは、誰にともなく、いや、彼女の傍らにいる魔王に向けての囁きのようでもある。
「我はもう、そなたから離れたくはないのじゃ。じゃから、レナの想いが理解できぬ……どうして我と異なるのじゃ。何故かのう? この世界は慈しまねばならぬのかえ? 何故じゃ!」
「世界を慈しむなど、あり得ぬ。気が遠くなるような刻が過ぎゆく中で、そのような情は抜け落ちてしまったのだからな。我に残されたのは、さしずめ、憎悪だけだよ。我からそなたを切り離した世界への、な」
「我もそうじゃ。ともに創られし我らを引き剥がした神々の御業――何と残酷じゃったか。我には始まりを。そなたには終わりを。ともにあることが許されぬ役目を負わせてなぁ」
「だが、ようやく再び我らはともにある。そなたは我のもとに戻り、我は再びそなたとの刻を得られんとしておるのだ。もう離すまいぞ――決して分かたれまいぞ」
「我もじゃよ。我は神々に命ぜられし黎明の賢者には、もはや戻らぬ――戻れぬのじゃ」
そう宣するように呟くと、ビギニアは私とライナスへ顔を向けた。魔王に身を委ねたまま、私達をちらりと見やる。
まるで幸せな夢を見ているかのようなまなざしだった。でも、やはり狂気めいたものが混ざっている。
それでも、冷笑みめいたものよりも温もりを感じられた。そんな気がしただけなのだが。
私を映す瞳がゆるりと細められていく。諦念と慈愛とが複雑に入り混じった表情が、ビギニアの顔に浮かんでいた。
「レナや、そなたが成したいことを成せばよいぞえ。――そなたが、こうも我の心を揺さぶるとは思わなかったのう」
「ビギニア……様……」
「今この刻、我らは分かたれたくない想いでいっぱいなのじゃ。さすれば、今だけはエンディオも荒ぶらんじゃろうて。じゃがのう、レナや。全ては終わる――終わってしまうぞえ、全てがなぁ。……それでも、成したいのかえ?」
この期に及んで、ビギニアの瞳にも口もとにも嘲笑みが滲む。慈しみめいた感が一切かき消え、残酷な冷たさだけが浮かび上がった。
不意に、鋭い痛みが私の胸を貫く。満ち溢れそうなくらい、ライナスへの想いがさざ波立った。
でも、だからこそ、私は両の手で神剣を握り締める。まとうドレスと同じくらい輝きを匂い立たせる剣身を見つめた。
そうして、あらためて魔王とビギニアへと顔を向ける。
互いに顔を寄せ合い、互いを抱き締める二人の姿は、まるで恋人達のようだった。永い永い刻を生きてきた歳月の重みがあるとはいえ、二人の姿はこの世界に生きる愛する者同士の姿と変わりなかった。
けれど、動じない。迷わない。私の心は既に定まっているから。
覚悟しているのだ――全て、何もかも。
だから、一歩、踏み出す。いや、踏み出そうとした。
その時、剣の柄をギュッと掴んでいる私の手に、ライナスの手がそっと重ねられた。添えるのではなく、牽制するかのように。
反射的に、ギクリとしてしまう。彼のほうへ顔を向けられなかった。
私を案ずるような、同時に、不穏なものを察したような、彼の気配を感じる。あえて静かすぎるほどのまなざしを向けられたのも。
「え……? あ……っ……」
「全てが終わる、とはどういうことだ? 賢者殿はいったい何を?」
「そ……れは……。だから……っ……」
「闇封じを成し終えたら、そうすれば、お前は話してくれると言ったよな。……その話と関係あるのではないか? 成し終えるまでは、どうしても話せないことなのか?」
「だ……って、私は勇者だもの。この神剣で闇封じを成し、この世界を脅かしている全てを終わらせる――それだけよ。それだけ……だわ」
「違う。それだけではないだろう? レナ、お前は何を隠して……。おい、レナ!?」
「ライナス、ごめんなさい! ごめんね……っ、っっ」
「レナ!? 何故、謝る!? 何を!?」
ライナスを振り切って駆け出した。
後ろ髪を引かれる想いとは、きっと今の私の心かもしれない。
タンッと勢いよく床を蹴る。高く舞うように跳び上がった。
ライナスがそばにいてくれるから、傍らにいてくれるから、私はこんなにも全力を尽くせる。これまでにないくらい、強く輝ける光の力を感じられた。
両の手で振り上げた神剣から、身にまとうドレスから、まばゆいという言葉では言い表せないほどの輝きが満ちていく。
そして、そうして――。
振り下ろした神剣から迸った強烈な光は、幾筋もの閃光を放った。数え切れないほどの光雫が、鮮烈ながらも清らかに舞い広がる。
私が見据えていた二人――終焉の魔王エンディオと黎明の賢者ビギニアに向かって。彼らの姿が見えなくなるくらいに覆い尽くさんとして。
大広間の隅々にまで拡散されたまばゆい輝きは、やがて収束していった。私の手にある神剣へと、速やかに。
私が大きく両肩を上下させるのとは対照的に、粛々と光は鎮まりゆく。
神剣からも、まとうドレスからも、間もなくして輝きの一切が失せてしまった。
同時に、大広間から陰鬱な気配が消え失せ、静謐な空気が蘇った。常どおりの離宮にある神聖さが戻ってくる。
その代わり、魔王とビギニアの姿はなかった。玉座にも何処にも、彼らの姿はない。
二人は喪われたのだ。――まばゆい輝きに包まれたまま。
と同時に、カラン……と神剣が私の両手から滑り落ちていく。
いや、そうではない。
私の両手は変わらず剣の柄を握っていたのに、すり抜けてしまった。
「……そう、ね。こうなる……よね。うん、わかって……た」
呟く声でさえ、もはや音になっているのかどうかもわからない。
身体の重みも、実感さえも、失われていくのを感じたから。
立っていられない。体勢を保てなかった。ふらりと崩れ落ちる我が身を、どうすることもできない。
ライナスが即座に駆け寄ってくれた。彼が急くように両腕を差し伸ばしてくれる。
それらは、どうにか感じ取ることができたけれど。
しかし、もはや……。
そう、私はすり抜けてしまった。私をいつも守ってくれていた彼の、その温かな優しい腕を。
刹那、ライナスの悲痛な声が響き渡った。
「レナ!? レナーーーーーっ!!」




