第18話 覚悟を決めし勇者
石化を解かれた二人へ駆け寄る。
神剣を鞘に収め、私は急くようにルナへ抱きついた。
「ルナ! あぁ、よかった!!」
「ありがとう、レナ。……ごめんなさい、あなた一人に負わせてしまった」
「レナ……。ううん、そんなことない。戻ってきてくれて、嬉しいわ」
私はギュッとルナを抱き締める。
私の肩口に顔を伏せるようにして、彼女はそっと私の背に両腕をまわした。私を労るように、私の心を気遣うように。
私の耳もとにようやく聞こえるくらいの小さな声が届いた。そのか細い響きの内に、私への優しさをたたえて。
「あなたの声――想い、ちゃんと聞こえていたわ。だから、迷わなくていいの。気にしなくていい、私もあなたと同じ気持ちだから」
「……ルナ」
束の間、ルナは私をグッと抱き締めた。
それから、顔を起こして優しく微笑う。どこか泣きそうにも見えるやんわりとした微笑顔で、コツンと互いの額に触れ合わせたのだ。
その温もりが、じんわりと心に、身体中に広がっていく。
彼女から伝う想いに促されるように、私は呟き漏らした。
「ルナ、あのね……。私……私は……」
「うん」
「ライナスが好き」
「うん」
「だから……かな? ライナスが生きる世界を守りたいって思うの。大好きな人が生きてゆく、この世界を――守りたい!」
その瞬間、私はルナを強く抱き締めた。
胸の内で激しく葛藤する想いがあったからだ。
自らの想いを叶えるためには、魔王を守り庇うのであろうビキニアを討たねばならないから。育て親の彼女を。
そうして、それをおこなえば、同時に私は――私とルナは消え去ってしまう。
「それでもね、私はやっぱり守りたいの……ライナスを。彼がこの先もずっと生きてゆく世界を。私……は」
「うん……うん、それでいいのよ」
「でも……」
「私もあなたと同じよ? ライオネル様を愛してる。あの御方が生きる世界を守りたいわ。だから、いいの」
「ごめんね、ルナ」
「私こそ、ごめんなさい。あなたに辛いこと……させてしまう」
ルナはそっと私の背を何度も撫でた。痛ましそうに、労るように。――そうして、辛そうに。
彼女の優しく切ない想いを感じ取りながら、私は緩やかに顔を起こす。
彼女を安心させるように微笑って、それまでの囁くような小声ではなく朗らかに告げた。あえて大広間の皆々にも届くように、はつらつとした響きで。
「大丈夫よ、ルナ。これは私の役目だわ。光の勇者たる私が果たさねばならない……闇を封じなくてはね」
私はにっこりとルナに微笑みかけ、ライナスへと顔を向けた。
彼はライオネルと互いに労いの抱擁をした後、今までのことやこれからのことを話していたらしい。もちろん、私とルナの再会を慈しむように見守りながらであったようだ。
故に、彼はすぐに軽く頷いてくれる。
そのまなざしに、その表情に、どれだけ勇気づけられたことか。彼が私とともにあってくれることに、どれだけ……。
刹那、ズキッと胸が痛んだ。
《そなたもルナも、我から切り離した我自身じゃて。我が消滅すれば、そなたらも滅するが運命じゃ。フッフフッ》
脳裏をよぎったビギニアの声が、私の胸を締め付けた。
でも、それは一瞬のこと。たとえ、胸の疼きはあっても、もはや、それに囚われることはない。
だって、今、私の瞳にはライナスの姿が映し出されていたから。
ルナとライオネルが無事に復活し、ライナスが私の傍らにいてくれる今は、それが全てだ。
だから、私は彼に凛として告げられた。
「ライナス、離宮へ向かおうと思うの。ルナとライオネル様が戻ってきた今こそ、私は闇を封じに全力を尽くしたい……!」
「あぁ。もちろん、俺はお前と一緒に行くよ」
「えぇ!」
ライナスへ向けた笑顔は朗らかなものだったはずだ。
それなのに、彼は、私をくるむように抱き締めた。いや、強くかき抱くように。
彼からそっと囁くように問われる。抑えた声音には、私を案じてならない心が重ねられているように感じられた。
「ルナと何を話していた?」
「え?」
「何か……辛そうな、悲しそうな気配を感じたんだ。俺の気のせい、とも思えなくてな」
「……それは。うん、気のせい……だわ。ルナが戻ってきて嬉しいのに。――あ、でも、ビギニア様が魔王のもとに……だからかな。そのせい、よ」
それは嘘じゃなかった。全てを口にしたわけではないけれど。
ライナスが、ほんの少しだけ抱き締める両腕を緩めた。私をじっと見つめる。
「……それだけか?」
「え、えぇ」
彼の気遣わしげなまなざしから、思わず顔を反らしそうになる。
でも、何とか堪えた。笑顔で頷くことができた――と思う。
それでもしばし、彼はまっすぐに私を見つめていた。私の笑みが醸すものの向こうを感じ取ろうとするかのように。
けれど、私をもう一度だけ強く抱き締めると、是非もないとばかりに吐息をついた。私の背にポンポンと優しく触れる。
「わかったよ、レナ」
「……ライナス」
「何はともあれ、俺はお前とともに行く。お前を守る――絶対に」
「うん、信じてるわ」
そう、信じている。わかってる。
ライナスは絶対に私を守ろうとしてくれる。彼はそういう人だもの。
だから、私の心は彼に向かう。想いの全てが、彼に向かわずにはいられなかった。
故にこそ、私は闇封じを成さんとするのだ。魔王を封じせてみせる。――たとえ、養い親たるビギニアに刃を向けることになっても。
そのために、私自身の生命を懸けることになったとしても。……そうだ、私自身が消え失せてしまう運命だとしても。
ライナスの両腕に抱かれたまま、私は彼を見つめた。ただ一途に。
そうして、私と彼は大広間を辞した。ライオネルとルナに、恭しく退出と出立の礼を尽くして。
私達を見送った後、彼らは直ちに自らが宿す光の力を世界中に向けて注いだ。
大地を通して、魔王とビギニアによる邪悪な侵攻を抑え込むために。悪しき意を受けた闇の眷属から、各王国を守護するために。
その狭間で、彼ら二人の間で交わされたやりとりは、私に知るすべはなかった。でも、それは、どこか私達二人が交わしたものに似ていたようだ。
「ルナ、レナと何を話し込んでいたのだい?」
「……特別なことは、何も。ただ、お互いの無事に安堵して、労っておりました」
「それだけかな? 何やら辛そうな……悲しそうな気配が取り巻いているように感じられたのだよ?」
「……そ、うでしたか? でも、そんなこと……は……」
「ならばいい。けれどね、覚えていてほしい。私の心は君に向かっている、いつも。私が歩む道に、ともにいてほしいと。君以外の誰もね、代わりになれる者はいないのだよ」
「それは……! それは、私もです! 私も、ライオネル様と一緒にいたいです!!」
「うん、それを聞いて安堵した。――では、私達にできることを成すとしよう。ライナスとレナが戻ってくるまで、私達の力を尽くして成すべきことをね」
「は、はい……! もちろんです、ライオネル様」
ルナはこみ上げてくるような胸いっぱいの想いを堪えつつ、凛として頷いた。
ライオネルは愛おしそうな微笑みを彼女に向ける。そのまなざしは、彼女の心を推し量ろうとする静謐なものでもあったのだが。
それも束の間、若き光の王と王妃たる彼らは、この世界を滅しようとする邪悪な闇の脅威を少しでも抑えようと全力を尽くすことに専念したのである。
そんな彼らのやりとりを知らぬまま、私とライナスは急ぎ離宮へと向かった。
私達がよく知っている神聖なる美しさをたたえた離宮の風景は、完全に失せていたけれど。
眼前に見えたのは、陰鬱で禍々しい闇色に染まった離宮の姿であったのだ。
「……何てこと。こんな……酷いわ」
「出迎えてくれるのも、闇の眷属達のようだな」
私達に気づいたのか、大門の辺りにひしめく眷属達の数が徐々に増えていく。邪悪な気配が強まってきた。
私のすぐ前に歩み出たライナスは、静かに大地の剣を構える。彼の瞳に険しさが灯されゆく。
そのすぐ後ろで、私も神剣を鞘から抜いた。輝ける光の波動のようなものが、柄を握る手から全身へと広がる。無論、まとっているドレスの輝きも、さらに増していった。
グッと両の手で柄を掴み、神剣を構える。私はただ、前方を見据えた。
とはいえ、大門の辺りで闊歩する眷属達を見ていたのではない。確かに瞳に映るのは、それらであったのだが。
私の意識は、そのさらに奥――離宮の中にいるはずの魔王とビギニアに向けられていた。
その二人を何とかしないと、この世界は滅んでしまうから。そんなこと、絶対に望まないから。
よって、今は眼前の眷属達を斬り払い、先に進まねばならなかった。
たとえ、それが――私が消滅に至る道筋だとしても。
「ライナス、ここで立ち往生するなんてできないわ。行かなきゃ……!」
「……本当に、大丈夫なんだな?」
「うん。だって、あなたと一緒だもの!」
私は、あえて声を弾ませる。
と同時に、ライナスのすぐ隣から大門へと駆け出した。いや、躍り出たといったほうが正しいかもしれない。
彼のほうへ、朗らかな笑顔をちらりと向けた。
そんな私の様子を、彼はどう捉えたのだろうか。
私にわかったのは、彼が地を蹴って駆け出した姿だけだ。
この王国随一と謳われる剣技を繰り出す、しなやかで鋭い身のこなし。その無駄のない俊敏な動きの一つ一つに、思わず魅入ってしまう。
彼は、私に剣の使い方を教えてくれた人でもある。やはり凄いと実感した。その一挙一動に無駄がない。
とはいえ、束の間、私は動きが止まっていたらしい。彼の挙動に遅れを取ってしまった。
前方でライナスがスッと立ち止まる。大門の辺りを徘徊する眷属達を睨みつけたまま、私を律する声が届けられる。
「レナ!! 臆したのか? 気を緩めるなよ、ここで手間取るわけにはいかないんだろう?」
「……あ、は、はいっ! もちろん!!」
「じゃあ、行くぞ! 深追いはしなくていい。目指すは魔王と賢者殿だからな!」
「――うん!」
大門から寄せてきた眷属達をまっすぐに見据える。自ずと瞳を凝らし、表情を引き締めた。
不思議と恐怖感はない。
傍らにライナスがいてくれるからだ。ともに戦ってくれる彼が、そばにいてくれるから。
前へと踏み出す間際に、どちらからともなく顔を見交わした。
互いの瞳に、互いの姿が映る。気を張り詰めた、だが、怯むことのない凛とした互いの姿が、そこにある。
次の瞬間、私達は地を蹴った。輝けるドレスをひらめかせる私の隣で、彼が颯爽と駆け抜ける。
彼は右手から、私は左手から、眷属達を薙ぎ払うように斬り抜けていく。互いに弧を描くようにしながら、大門の向こうを目指した。
程なくして、何とか離宮の中へと足を踏み入れる。無論のこと、眷属達はまだまだ残されている。怒号とともに忌々しげに私達を追ってきた。
しかし、不意に状況が変わる。
眷属達が迫りくる後方から、阿鼻叫喚が生じたのだ。恐怖とも悲鳴ともつかない、ひしゃげた声が上がる。そうして、それが次々と沸き起こっては消えていった。
気がつけば、私達の足もとはほのかな光を帯びている。きっとライオネルとルナが放つ光の片鱗なのだ。
もっともそれは、前方の辺りで火花を散らすようにかき消されてしまうけれど。何かに遮られ、それ以上の拡散を許されぬかのようだった。
そこには、常であれば、謁見の間として使われるはずの大広間への大扉がある。
今は堅固に、そして、不気味に閉ざされていたのだが。
「きっと、あそこにいらっしゃるのよ……ビギニア様は」
「魔王とともに、な。さすがに、兄上の御力でも、あそこまでは突き崩せない……か」
「そうみたい。やっぱり、この神剣で魔王を封じなければ……」
ライオネルの光の力は、傍らにルナがいることで強さを増す。だからこそ、その輝きが大地を伝い広がって、私達を追う眷属達を消し去ってくれた。
けれど、眷属達を創り出し使役する魔王が顕在する限り、いずれまた、眷属達は出現してしまう。
それに、ライオネル達が最大限の光の力を行使し続けるというわけにはいかなかった。限りなくずっと放ち続ける、というわけにはいかないはずだ。さすがに、その身が持たないだろう。全力を尽くすからこその疲労は、確実に蓄積されていくのだから。
だからこそ、と私は神剣の柄をさらに強く握り締める。剣先を水平に掲げ、その輝ける切っ先へと指先でそっと撫でるように触れた。
その向こう――回廊の奥に見える大扉を見つめながら。
「……闇を封じるわ。ビギニア様を――あの御方を討つことになっても、それでも、私……は」
「お前だけじゃない。俺もいるよ」
「ライナス……?」
「お前が闇封じを成す時も、お前が――賢者殿と相対する時も。俺は、お前を一人きりにするつもりはない。そばにいる」
「…………っ!」
頷く言葉も、ライナスの名を呼ぶ声も、咄嗟に失う。
彼の声が、言葉が、私の耳もとに優しく響いていた。そのまま全身を伝い、心の内深くまで広がったのだ。
胸がいっぱいとなった。喉もとをせり上がってくる感極まった想いに、呼吸することさえ忘れてしまう。
彼はそばにいてくれる。私の傍らにいてくれる、この今という刻。
それが、どれだけ私を勇気づけてくれることか。
だからこそ、私は魔王を封じる。闇封じを成して、彼がいる世界を守ってみせる。
たとえ、ビギニアを……。それが、私の……。あぁ、それでも。
私は彼に微笑みかけた。ただ朗らかに、ただ明るく。私の心にある想いを微笑顔に乗せて、ただひたむきに。
「……あなたが好き。ライナス、だから私、頑張る。頑張れるの!」
「……今、言うのか? ここで、今?」
「今、ここ、だからよ。フフ、じゃあ、行こう!」
「ち、ちょっと待て」
ライナスは、虚を突かれて少しばかり呆然としていた。けれど、すぐに真顔へと変わり、私の手を咄嗟に掴む。
そのまま、私を見つめるまなざしは真剣なものだった。
「ならば、俺も今、ここで言っておく。俺も、お前のことが好きだよ。だから……」
「ライナス……?」
瞬間、彼は私の手をより強く掴み直す。痛くはないが、でも、強く。
私を映す瞳の色が、不意に濃くなったような気さえした。私へと向けられる彼の想いの分だけ。
「……だから、覚えておいてくれ。俺はいつだって、お前のそばにいると。お前の傍らに、必ずいる。――この手を離すつもりはない、と」
「ラ……イナス……」
「愛してるよ、レナ」
「…………っ」
面と向かって、それも、真摯なまなざしで告げられた。
その言葉に、私は真っ赤になってしまう。鼓動がこれ以上はないくらい、大きく波打った。
そんな私を、ライナスはギュッと抱き締める。
反射的に瞳を丸く見開いた私の耳もとには、彼の絞り出すような声が切なげに響いた。
「そう伝えても、お前は話してくれないんだろうけどな。……賢者殿に何か言われたんじゃないか? 俺が気がつけないまま、何かされたのでは?」
「そ……んな、こと……っ」
「賢者殿が魔王と与した衝撃――だけじゃない気がするんだ。どうしてだろうな、そう感じられてならない」
「……あ……っ、っっ」
刹那、私の脳裏にビギニアの声が蘇る。あの時――そう、彼女が私の魂の内側へと足を踏み入れた時だ。
あの時の、彼女が私に放った冷酷な言葉が浮かび上がってきた。
《そうじゃ。我であればこそ、そなたとルナの魂の内に入り込めるのじゃ。そなたら二人は、我そのもの――我の魂を分かった二つ故なぁ!!》
《簡単なことじゃよ。そなたとルナは我の一部じゃて。我がエンディオとともにありたいと望む心を、愚かにも制そうとする我自身――と言えるのやもしれぬなぁ》
心が引き攣れそうになる。
ライナスに抱き締められ、確かな温もりを間近にしているから、何とか耐えられたけれど。
でも、やっぱり彼に伝えることはできない。
ただ、彼の胸もとに身を寄せるのが精一杯だった。彼にすがりつき、しがみつくかのように、彼の温もりに包まれようとした。
あぁ、そうだ。
この温もりを失いたくない。彼が喪われるなんて嫌。そんなの、絶対に嫌だ。
知らずにきつく閉ざしていた瞳を開く。静かにそっと息を吐き出した。
彼の両腕に抱かれたまま、顔を起こして彼を見つめる。
私と彼の瞳が交錯した。トクン、と胸の奥で鼓動が小さく響く。
「……全て成し遂げたら、話すわ。ビギニア様を制して、魔王を封じた後に」
「闇封じを成した後に?」
「うん、そう」
私は微笑み頷いた。
もしかしたら、嘘をついてしまうかもしれない。ライナスに話せる――打ち明けられる時間が、私に残されるかどうかわからないから。
でも、それでも、彼にはそう応えたかった。叶わなくなっても。
ビギニアを制するとは、おそらくは、彼女を討つということだろうから。そうであるならば、私は――。
でも。
「闇封じは、絶対に成し遂げるわ。この世界が滅んでしまうなんて、絶対に嫌だもの!」




