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第17話 去りし者、戻りし者

 裂け目からスゥーッと闇煙が伸び広がってくる。

 それは揺らめきながら、妖しげな人影と化した。彼女を背後からやんわりと抱くようにして、その身を包み込む。


《ビギニアよ、そなたは我のもとに戻れ。そなたの杖を折りし愚かなる者に、長々とつきあってやる必要はなかろう。勇者がそなたを討てそうにないとわかっただけでも、朗報というもの。後は、今から放つ者どもに任せればよい》

「あぁ、エンディオ。じゃがのう、おめおめと退くしかなかった精霊二人に何ができるのじゃ?」

《できぬのなら、それまでのことだ。滅びゆく世界とともに果てさせればよい。役立たずはいらぬ故な。クッククッ》


 低い嘲笑い声が響き渡る。

 そんな中で、裂け目から投げ出されるように現れたのは、風精霊ウィンダーと火精霊ファイーレだった。

 二人は、足もとをぐらつかせながら佇む。

 彼らの表情には、いや、全身から漂う気配には、苛まされているかのような疲弊感が滲む。精霊の各郷に姿を見せた時の様相とは、全く雰囲気を違えていた。


「エンディオ様……! 俺の願いを叶えて下さるお約束ではなかったのですか……っ!?」

「この世界が滅んでしまえば、私の望みも無に帰してしまいます……っ!!」

《勇者や精霊どもの前に無様を晒しおった者どもが、己の意だけは偉そうに主張するか? この我に?》

「あ……い、いえ……っ! そのようなことは……!」

「め、滅相もございません……! し、しかし……っ!」

《そうか? ならば、今一度よくわかるように申し渡してやろう。ウィンダーよ、そなたが風精霊の長になるには、弟ウィンローが邪魔であろう? ファイーレよ、そなたが愛する者を得るには、長ファイナが邪魔であろう? さすれば、ウィンローとファイナを滅するのが早いと思わぬか?》

「そのためにも、この世界は滅んでしまえばよいのじゃ。エンディオは、そなたらの切なる希望を手っ取り早く叶えようとしておるのじゃよ。フッフッフッ」

《さよう。我のもとに来たりしそなたらへ、これ以上はない温情であろうが? クックククッ》


 ビギニアと魔王の高笑いが響き渡った。

 その瞬間、ウィンダーとファイーレは絶望にも似た表情へと変わってしまう。もともと疲弊しきった様相であったのに、さらに血の気が失せてしまった。

 ガクッと膝をつきながらも、二人は顔を上げる。縋りつくかのように、ビギニアを包む禍々しい人影を必死に見つめた。


「それでは、しかし……っ。俺達が生きる世界がなくなっては、長になる意味が……っ!」

「この世界をなくして、どうして愛する人と生きられる日々がありましょう……っ?」

《うむ……。我に仕えし分際で、我に異を唱えるとはな。まだまだ罰が足りなかったようだ。今一度、その身に心に教えてやろうぞ!!》

「――――ぐっ、っっ、……あぁっ!!」


 その瞬間、大広間の隅々まで絶叫が響き渡った。

 ビギニアを抱き包む邪悪な人影から、不気味な波動が発されたのだ。またたく間の内に、ウィンダーとファイーレを捕らえ戒める。

 二人の額に色濃く、まるで、消えぬ傷を描くように、闇の紋章が浮かび上がってきた。

 じわりと刻まれた紋章が、次第にはっきりとしたものになる。禍々しい闇が、二人の身も心も痛めつけるのに呼応して。

 ……見ていられない。

 そう感じたのと同時に、ライオネルとルナを防御する四大精霊達の力が大きく揺らめいた。

 燃え盛る火炎と渦巻く烈風が、ひときわにどよめいたのだ。伝わってきたのは、たもとを分かったはずの兄や友への想いか。


《……兄上! ウィンダー兄上!!》

《あぁ、ファイーレ……!!》


 痛ましい悲痛な声が、私の耳を、心を、軋ませ締め付けた。

 反射的に、私は瞳をギュッと閉ざしてしまう。でも、すぐに開き、ライナスを見やった。

 私を案ずる彼に、私はただ頷いて請う。


「お願い、ライナス」

「お前が望むなら、俺はいくらでも。だが、大丈夫なのか?」

「うん、あなたが一緒だもの!」

「わかった!」


 次の瞬間、私とライナスは勢いよく床を蹴った。

 床に這いつくばるようにして苦悶に喘ぐウィンダーとファイーレのもとへ、急ぎ駆け寄る。

 や否や、私達は剣を鋭く振るった。二人を苛む邪悪な波動たる連撃を断ち切るために。

 神剣が輝きを増し、それは、大地の剣にも伝わって光を帯びさせた。

 だからなのか、私達が互いに放つ一閃が魔王による禍々しい波動と、しばし激しく拮抗する。

 圧されるわけにはいかなかった。

 私は両足をグッと踏ん張り、耐えようとする。神剣を掴む両の手に力を込め、ギュッと柄を握り直した。

 そんな私の剣先に、大地の剣が沿い重なるように交差する。そのまま、じわりと邪悪な波動を押し返した。

 ライナスが、私が放つ光の力を後押ししてくれるのだ。私の傍らで、ともに全力を傾けてくれる。

 そのすぐ向こうで、ビギニアを包み抱く邪悪な人影が大きく揺らめいた。苛立たしそうに、忌々しそうに。


《おのれ……小癪な! 我らの力に対抗するなど……っ。何と忌々しき光の力よ……!!》

「エンディオ、ここは退いてもよかろうて。我がそなたの傍らにあるのじゃから、そなたを封じれる者は誰もおらんぞえ?」

《ビギニア……。まぁ、それはそうやもしれぬな。クククッ》

「フッフッ。そなたを護らんとする我を討てる者などおらぬじゃろう。――なぁ?」


 その時、ビギニアが私を意味ありげに見やった。優しいのに、冷たい笑みを浮かばせた瞳を向けてきたのだ。

 私は、私とルナは、彼女の一部なのだと。彼女から切り離された彼女自身だと。彼女が滅せば、それは……と。

 高く低く禍々しい嘲笑い声が響き渡る。

 可笑しげに、けれど、冷酷に笑む音だけを大広間に残して、ビギニアと魔王らしき妖しい人影は裂け目の向こうへ去った。

 私は、無意識に神剣の柄を握り締めたのだろう。その分だけ身を固くした私に、ライナスが案ずるようなまなざしを向ける。

 私の頬に優しく触れてくれた彼の手に、そっと私は手を重ねた。大丈夫、とほのかに微笑みを返しながら。

 それでも、彼は私を気遣わしげに見つめる。

 だからこそ、私は尚も微笑んだ。

 緩やかに頭を振り、大丈夫だと。――それ以外の返答など、できないから。できるはずがなかった、から。


「今は……ほら、ルナとライオネル様を無事に元の姿に戻すのが先だわ。それにね、それに……。――あ!」


 刹那、私の視界に映し出されたのは、清風と業火がウィンダーとファイーレのもとへと急くように流れる姿だ。

 しゃがみこんだままの二人の周囲で、そよ吹く風はウィンローへ、燃え盛る炎はファイナへと変じた。

 居ても立ってもいられなかったのであろう。彼らの気遣わしげな面持ちからも、よくわかる。彼らの瞳はただ、彼らの兄と友に向けられていたのだ。

 しかし、私とライナスが見守っていることに気づいたらしい。ウィンローとファイナは、二人を支え抱きながらも、恭しく頭を垂れる。


「光の王ご夫妻を復活させる大切な刻にあって、申し訳ありません。しかし、今だけはどうか……」

「すぐに、皆のところへ戻ります故、今しばし……私達の我が儘をお許しください」

「謝らないでいいのよ。あなた達にとって大切な人達が苦しんでいたんだもの。あんなにも辛そうな姿を目の前にして、どれだけ心配だったことか……」

 私は彼ら四人の前に膝をついた。

 大切な人が辛苦にある姿を見るのは、私だって辛く苦しい。それをどうにもできないのであれば、尚のこと。

 ましてや、ウィンローもファイナも、大切な人達と対峙せねばならない時間を過ごしてきたのだから。そう、私がライナスと対峙せねばならなかったように。

 そんな刻を経ての、今である。

 だから、私にもわかった。わかるような気がしたのだ。ライナスを取り戻し、彼が再び傍らにいてくれる今の私には。

 ウィンローとファイナに支えられてはいるものの、二人はぐったりとしていた。

 思案するまでもなく、私はライナスへと顔を向ける。


「ウィンダーさんとファイーレさんには、手当てと休息が必要だと思うの」


 その瞬間、ウィンダーとファイーレは息を呑んだ。身動ぎするのも苦しいだろうに、顔を起こして私を見上げる。

 私は二人へ顔を向けた。案ずることはないから、と柔らかに笑む。

 私の瞳には、魔王によって苛まされて疲弊しきった二人が映し出されていた。やはりこのままというわけにはいかなさそうだ。

 脳裏に、私を庇い守って魔王へと囚われてしまったライナスの姿がよぎった。裂け目の向こうへと連れ去られてしまう彼と、その後の冷酷な彼の姿が。

 彼も、この二人も、きっと想像するよりも遥かに邪悪な圧に苛まされたのに違いない。魔王が有する力の強大さに、あらためてゾッとした。

 ましてや、今はビギニアも与している。終焉の魔王たるエンディオに、黎明の賢者と敬われてきた彼女が堕ちたのである。

 そうして、そんな彼女から、私は恐るべきことを告げられてしまった。

 ――私とルナ。私達は、彼女から切り離された彼女自身なのだと。

 いつしか、私の微笑みは泣きそうなものに変わっていたのかもしれない。

 ライナスが心配そうに触れてきた指先は、私の眦の辺りに添えられる。私の瞳の奥にあるものを読み取ろうとしてか、気遣わしげなまなざしを向けられた。


「レナ……?」

「あ、ううん……っ。だから、その、二人に休める処を用意してあげてほしいの……!」

「あ、あぁ。それはもちろんだが……」


 ライナスは片膝をついて、案ずるように私を見つめた。それ以上、問いかけを重ねることはないままに。

 それでも、眦の辺りを名残惜しげに指先で辿る。だが、やがて、彼は大きく吐息をついた。


「では、ウィンダーとファイーレが身を休めることができるよう、控えの間を準備させよう。薬師にも、足を運ぶように伝えるよ」

「そうね、それがいいわ!」


 ホッとした私の耳もとには、その時、掠れたような小さな声が二つ届いた。

 苦痛に耐えながらも、懸命に口を開いたのであろう二人――ウィンダーとファイーレの声である。


「……な、ぜ? 俺達は……魔王のもとへ向かった者なのに。弟を、この手にかけようとさえ……」

「そう……だわ。私は……幼き頃よりの友の生命を。愛する人を手に入れるため……に、私は……」

「でも、今は違う。今はもう、違っているのではないの?」

「…………っ、っっ」


 刹那、二人はグッと唇を噛み締めた。

 私を見つめる二人は、次第に顔を歪めていく。今にも泣きそうに見えた。

 同時に、悔いと苦悩を綯い交ぜにしたような表情にも見える。

 そんな二人に、ライナスは静かに語りかけた。その声音に、彼もまた苦い後悔を滲ませながら。

 それでも、彼の言葉は凛として二人に伝わっていく。


「お前達の心がレナの言うとおりであるならば、もう躊躇うな。今この刻にあっては、もはや迷うな」

「……ライナス殿下」

「俺も、お前達とともに魔王の手先となった日々を過ごしていた身だ。お前達が今、感じているのであろう苦さも悔いも、決して知らぬものではない。レナのもとに戻れた今も尚、俺の胸の内にある。でも、それでも、俺は――」

「…………」


 二人はギュッと瞳を伏せる。引き結んだ唇が震えていた。

 しかし、やがて、戦慄きながらも唇が開かれていく。震えを残した微かな声が、二人から発された。

 ライナスと、そうして、私を見つめる二人の瞳は、潤みを醸しながらも真摯なものを浮かばせている。


「お願いがございます。勇者レナ殿、ライナス殿下、恥を忍んで……もしも許されるのであれば。俺達の愚かさを償うためにも、是非に」

「そうです。お許しをいただけるのであれば、愚かだった私達の身にも宿る力もお使い下さいませ。光の王ご夫妻の石化を解くために、私達も……」

「いいの!? あなた達も、力を貸してくれるの!?」


 刹那、私はパッと両手を広げた。ドレスの輝きが花弁のようにきらきらと床に広がる。思わず、私は彼らを抱き締めたのだ。

 瞬間、ウィンダーとファイーレはひとみを丸く見開いた。

 ふわり、と私に抱かれたからだろうか。


「嬉しい……! ありがとう!」


 二人を抱きながら、そばにいるウィンローとファイナを見やる。

 笑顔で頷けば、彼らもまた表情を和ませた。安堵と感謝を綯い交ぜにした微笑みとともに。


「では、兄上。ともに……!」

「いきましょう、私と一緒に……!」


 ウィンローとファイナは、スッと手を差し出す。その手を取るウィンダーとファイレの顔に、微笑みめいたものがほのかに浮かんだ。

 次の瞬間――。

 颯爽と吹きそよぐ風が二つ。華やかに燃え立つ炎が二つ。

 それらが滑らかに、凛と佇む盾の如き土壁と、絡み溶け合うように流れ舞う清水へと駆けた。

 四大精霊が司る聖なる四つの力が、さらに強くなる。

 ライオネルとルナを守護し、石化から解放せんとする力が、より強く、より増したのだ。

 戻ってきて! お願い!

 私は、ただ祈り請うた。彼らを包む四つの力と、それらをさらに包み込んで輝きを放つ――私とライナスから生じるまばゆい光を浴びながら。

 そして、そうして……。

 ひときわに輝きを増した光に、思わず私は瞳をきつく閉ざした。

 ライナスがグッと私を抱き寄せてくれたのを感じる。

 反射的に、神剣の柄をきつく握り締めた。鼓動か脈動のような光の波動が伝わってくる。

 その狭間で、私は見た。見えたのだ。

 この瞳に映し出された者達の姿を、しっかりと。間違いなく、確かに、彼ら二人であると。

 またたく間に、視界がぼやけていく。止められない。

 気がつくよりも早く、駆け出していた。傍らのライナスとともに、彼ら二人のもとへ。

 だって。何故ならば。


「ルナ……っ!」

「兄上!!」


 そう、ルナとライオネルがいた。

 雪が溶けゆくかのように石化から解放された彼らが、私とライナスへ微笑みかけてくれる。

 ついに、彼らが復活したのだ。

 今、この瞬間――この刻に、光の王と王妃が。

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