第16話 賢者が告げたる事とは
「ビギニア様……っ!!」
「……剣がいるな。おばあさま、俺に剣を! 俺に剣をお貸しください!!」
次の瞬間、キィーンッと神剣の切っ先が、不気味な一閃を弾いた。私の神剣とライナスの手に現れ出でた剣が重なり、その邪悪な一撃を跳ね返したのだ。
でも、その衝撃は凄まじかった。後ろへと圧されてしまう。
ライナスが傍らで支えてくれなければ、そのまま壁まで飛ばされていたかもしれない。
磨き抜かれた床と靴底がこすれ軋み、後方へと押しやられながらも何とか堪えられた。
「大丈夫か、レナ?」
「……え、ぇ。それよりも、あなたの剣……それは?」
「大地の剣――地精霊が扱う剣さ。おばあさまが俺に与えて下さったようだ」
そんな私達を見据えるビギニアの顔には、あざけるような冷笑みがある。こんな表情をした彼女を目にせねばならないなんて……。
でも、退くわけにはいかない。ライオネルとルナの石化が解かれようとする今、退いてしまうわけには。
たとえ、この神剣を向ける相手がビギニアだとしても、だ。
そう、敵対する存在が、養い親たる彼女であっても。
だから、両の手で神剣を構えた。その輝ける切っ先をまっすぐに彼女へ向ける。
心臓が大きく波打った。脈動をやけに早く感じる。……震えていた、かもしれない。
でも、それでも、彼女に向けた神剣の切っ先が逸れることはなかった。彼女を見据える瞳も、だ。
だって、私の隣には、ライナスがいてくれるから。私の傍らで、大地の剣を構えた彼がいるんだもの。私とともに、彼女へ剣先を向ける彼が。
だから、頑張る。頑張れる。絶対に退かない。
「ビギニア様、その杖を退いて下さい。魔王に与するのではなく、私達のもとへ帰ってきて下さい。どうか目を覚まして……!」
「可愛いレナや、目を覚ましたからこそなのじゃ。なればこそ、エンディオの傍らにあろうと、我は策を講じてきたのじゃ……長き刻をかけてなぁ」
「黎明の賢者たるあなたが、何故だ! いったい、いつから!? 俺や兄上が生まれた頃から……? いや、それとも、もっと以前から……なのか?」
「え、どういう……!?」
ビギニアを見据える私の瞳は、期せずして揺らいでしまう。
隣に立つライナスもまた、自らが紡いだ内容に呆然としたものを入り混じらせたからか。
彼や彼の兄ライオネルが誕生の頃からといえば、二十年以上前からのことになる。
それよりも更に以前からというのであれば、脳裏をよぎるのは、彼らの父母――光の女王ダイアナと夫君のグランだ。かつては光の勇者だった光の女王ダイアナと、彼女にとっての神子たるグラン。
もしや、その頃にまでさかのぼるとでも?
私の混乱めいた困惑が深まり、ライナスの表情も次第に険しくなっていく。
反比例するかのように、彼女は冷笑みを増した。まるで、そのとおりだとでも言いたげに可笑しそうに冷たく嘲笑う。
「ダイアナはのう、はつらつとした善き勇者であったぞえ。その眼前で、石化されていた家族皆々が砕け散った時は泣きじゃくったがのう。じゃが、その心は折れんかった……グランがついておったせいかえ? まぁ、後々には、そのグランとともに死んでくれて喜ばしかったぞよ。……代わりに神剣が蘇ってしもうたが」
ビギニアの瞳が、遠く過ぎ去った出来事を懐かしむように細められた。悲劇としか言いようがない過去を、狂気をはらんだ楽しげな微笑みで語る。
私の隣で、ライナスがグッと唇を噛み締めたのがわかった。隣り合い、触れ合う腕越しに、彼が悔しそうに身を固くしたのも。
そうと察したのかどうか、彼女は冷笑い声を噛み殺して面白そうに私達を見やる。
「……それでもなぁ、ライナスには神子として目覚められぬように紋章を刻んでやったぞえ? じゃから、安堵しておったのにのう。まさかルナが……じゃ。まぁ、それさえもライオネルとルナが石化され、これでもはや、勇者の出現はあり得ぬと思うていたのになぁ」
「ビギニア……様……!」
「レナまでもが、まさか勇者として覚醒するんじゃもの。ライナスに施した闇の紋章まで打ち消してしまうとは、忌々しき限りじゃて。……勇者と神子の絆は、ほんにのう」
「ビギニア様、やめて!! あなたが、そんなこと言うなんて……っ」
私は思わず声を上げた。ギュッと神剣の柄を両の手で強く握り締め、両の瞳を閉じて、ただ心を突き刺すような辛い気持ちを声に変える。
ビギニアは一瞬、瞳を丸くした。表情をなくしたかのように私を見つめる。
けれど、それは束の間にも満たない間だけのことだ。すぐに彼女はやんわりと口角を上げた。揶揄するように瞳を細めて。
次の瞬間――。
「……え? あ……」
私はクラッとめまいを起こしたような感覚に襲われた。足もとがおぼつかない。
まるで、不意に床が消えてしまったかのようだった。浮き上がってしまうようにも、落下していくようにも、そのどちらにも感じられるくらいに。
思わず周囲を見渡す。
意識するよりも早く、ライナスの姿を探していた。
私のすぐそばにいた――いてくれたはずの彼がいない。私の視界に映らないのだ。
私の瞳に映し出されるのは、どんよりとした見知らぬ空間。私は今、禍々しい気配で満たされたところにいた。
「な……にが……? ライナス……? ライナス、何処!?」
いったい何が起きた? 私の声でさえも現実感がない。耳に届く自分の声が何だか遠い。
不気味な空間の中で、私がまとうドレスと神剣が放つ光だけが輝いていた。
そんな私を嘲笑うかのように、酷く優しげな声が響き渡る。冷たい笑い声なのに、そう感じられるのに、ゾッとするくらい温かで穏やかな声だ。
《恐れることはないぞえ、レナや。我がなぁ、そなたの魂の内へと来てやっただけじゃ》
「た、ましい……!?」
《そうじゃ。我であればこそ、そなたとルナの魂の内に入り込めるのじゃ。そなたら二人は、我そのもの――我の魂を分かった二つ故なぁ!!》
「――――っ、っっ!?」
瞬間、ピシッと大きく揺らぐものがあった。
私を取り巻く禍々しい気配が、なのか。あるいは……。
あるいは、私自身――私の心そのものなのか。
驚愕を超え、苦痛を超え、悲哀を超え、あらゆる感情を超えた何かが、瞬時に私の心も身も駆け抜けたような気がする。
知らずと見開いた瞳は動揺で揺らめくだけで、まばたき一つできなかった。
その視界に、ゆらゆらとビギニアの幻影を捉えても。そう認識しているのに、少しも反応できない。
彼女は、そんな私に瞳を細めた。慈愛の色をたたえたまなざしで、それなのに、どこか狂気を感じさせながら、私を優しく見つめる。
《さぁ、これでわかったじゃろう? そなたは、我のもとに戻らねばならぬのじゃ》
「……わからないっ! わかりたくないわ、ビギニア……様! 何をおっしゃってるの? いったい何を……!!」
《簡単なことじゃよ。そなたとルナは我の一部じゃて。我がエンディオとともにありたいと望む心を、愚かにも制そうとする我自身――と言えるのやもしれぬなぁ》
「エンディオ――魔王は、この世界を滅ぼそうとしてきた! そんな魔王とともにありたい……!? 何故、ビギニア様がそんな……ことっ!!」
《ほぉれ、そうやって我の意に抗うじゃろう? そんな我自身は要らぬ。じゃから、切り離したのじゃ……念入りに二つに割って、賢者たる力を持たぬ無力な欠片にしたぞえ? 我の目の届くところに置いて養い子とすれば、監視するのも容易いのでなぁ。フッフッ》
「ビギニア……様……。そんな……。そん……な……っ……」
《じゃがな、ルナが神子となりおった! レナ、そなたまでもが勇者じゃと! ようやっと勇者も神子も揃わぬ事態を導けたと思うたのに。忌々しき運命よなぁ……神々の采配じゃとでも言うのかえ? じゃが、まだ間に合う……そなたは我のもとへ来るのじゃ。如何せん、そなたに我は……》
――私に、ビギニアは。
その先の言葉を聞き取れないまま、私は我に返った。両の手に神剣をギュッと握り締めたまま、その切っ先を彼女に向けたまま。
周囲はもとの大広間である。私は、ここにいた。
つい今までの異様な空間で彼女と対話していた時間は、いったい何だったのだろうか。まるで、ごく一瞬の束の間でしかなかったかのようでさえある。
しかし、傍らにいたライナスは違和感を覚えたらしい。そのまなざしは険しく彼女を見据えたままであるが、私への気遣わしさが伝わってくる。
「レナ、どうかしたのか?」
「……あ。……ううん、何でも……ない。というか……わからない、私にも」
わかりたくなかった。
私は――私とルナは、ビギニアという存在の一部だと。彼女から切り離された彼女自身……だった、なんて。
口にすることに戸惑いがあった。私自身が飲み込めていない、飲み込み難いことを、どう打ち明ければいいのか。
想いの淵に沈みそうになる。
けれど、そんな状況ではなかった。知らずとうつむいてしまいそうになった私の視界に、輝けるドレスが映ったから。
光の神剣を持つ私がまとう、勇者だからこその輝ける装束。それが意味することをわかっていたから。
すぐ隣にいてくれるライナスの温もりが、軽く触れ合う腕から伝うものが、私の心を乱す動揺と衝撃を和らげようとしてくれるのだ。
だから、私はグッとあらためて両足を踏ん張った。神剣をしっかりと掴み締める。
「ライナス、私は大丈夫。今は、目の前のことに集中しないとね。――ルナとライオネル様の石化が解けるか解けないかの際だもの」
「確かにな。……じゃあ、今の刻が過ぎたら教えてくれよ? どうしたのかを、俺に」
「――とにかく、今を何とかしなくちゃ。ビギニア様を抑えないと!」
「……レナ」
「ライナス、今はとにかく!」
「……わかった。今は、な」
おそらく、ライナスは心底から納得したわけではないのだろう。
でも、それ以上は重ねて問いたださなかったのは、眼前の状況をどうにかしのぐのが優先されるからだと思う。
ビギニアは黎明の賢者と呼ばれる者だ。神々がこの世界を創造した頃から、世界の移ろいを見守ってきたのだ。繁栄する様も、危機に見舞われた時も、ずっと。
それだけの者が今、この世界を滅ぼさんとする終焉の魔王エンディオに与し、私達へと敵意を向けている。この大広間に開かれた不気味な裂け目の向こうから出現して。
彼女を退かせるか、あるいは、彼女を討ち果たして裂け目の向こうへ足を踏み入れるか。いずれにしても、彼女に剣を向けないわけにはいかない状況だった。
私はスッと身構える。次の一瞬に駆け出さんとして、その瞬発力を貯めるために。
握る神剣の鋭い切っ先が向かう彼女へ、私は瞳を凝らした。まっすぐに、未だ完全には失せない動揺と戸惑いの中で――それでも。
「ライナス、援護してくれる? ビギニア様をこのままにはできない……止めないと。ライオネル様とルナの石化が解かれるのを遮ろうとしてるんだもの。止めなきゃ!」
「わかった。お前は思うように動けばいい――必ず俺がお前を守るから」
「――ありがとう。あなたを信じてる」
刹那、私は強く床を蹴った。ドレスがひときわに輝き揺らめく。
その隣で、ライナスもしなやかな身のこなしで駆け出した。
次の瞬間、ごく僅かな差で彼が私の前に躍り出る。鋭い軌跡を描き、私達の眼前に佇むビギニアの杖へと斬りかかった。
彼女の注意が、不意にライナスへと向かう。
その一瞬を逃さなかった。私はふわりと跳び上がる。輝けるドレープがまばゆい軌跡を描いた。
神剣を握る両の手に力が入る。唇をグッと引き結んだ。
そのまま、神剣を大きく振り上げる。ただまっすぐに彼女を見据えたまま。
その切っ先が振り下ろされるのと、彼女がそれに気づいたのは、ほぼ同時のことだ。
私の心臓が大きく、重く、音を立てる。――けれど、振り下ろす剣先はそのままに。
彼女の瞳が大きく見開かれた。――またたく間に、冷たい嘲笑みが消え失せる。
瞬間、さきほどの不気味な気配に包まれた空間が、私の周囲に満ちた。
《いいのかえ? その神剣を我に向けて放っても?》
――え?
《そなたも消え失せてしまうぞえ? そなたは我の欠片じゃもの》
――えっ!?
《そなたもルナも、我から切り離した我自身じゃて。我が消滅すれば、そなたらも滅するが運命じゃ。フッフフッ》
――――っ、っっ!!
それは音にならないビギニアの声だった。
私の心の中に、直に響いてきた彼女の囁き。とても優しい、けれど、狂気に満ちた凍えてしまいそうな響きだ。
彼女へと剣を振り下ろさんとして跳び上がった身に、衝撃が駆け抜けた。
不気味な空間も気配も無かったかのような中で、私は無意識に息を詰めてしまう。心から、いや、この身から、瞬時に血の気が引いてしまったのだ。
神剣を振り下ろす力は既に止められないのに、それなのに……。
次の瞬間――。
「…………レナ!!」
「あ……っ……」
背後からグッと抱き締められた。私を退避させようと、咄嗟に片腕だけでライナスが引き寄せたのだ。
同時に、彼はもう一方の手に持つ大地の剣で鋭い一閃を放つ。
ビギニアが突き出してきた杖を、そこから放たれようとした禍々しい一撃を、彼の剣が薙ぎ払った。
私を翻弄した束の間の戸惑いと動揺が、彼女に邪悪な一撃を放つ余裕を与えてしまったらしい。
間一髪で、彼が私を防ぎ守ってくれたのだが。
パキンッと耳障りな音を立てて、杖の頭が斬り裂かれた。彼女が握ったところから上部の杖が、鋭い断面と裂け傷を見せながら床へと転がり落ちていく。
さすがの彼女も、パッと後方へと退いた。上部を失った杖を手にしたまま、苛立たしそうに彼を睨みつける。
「ずいぶんと無作法な真似をするものじゃのう、ライナスよ」
「賢者殿に無礼を成すのは本意ではない。だが、レナを傷つけようとするならば、別だ。それよりも、あなたは彼女に何かしたのか? ……何か言ったか?」
「……ほぉ?」
「さっきから、レナがおかしい。原因は、賢者殿ではないのか? だが、いったい……いつの間に?」
ライナスはきつく私を抱き留めたまま、剣先をビギニアに向けている。彼女を貫かんとするように厳しく見据えてさえいたのだ。
彼女は口角をこれ以上はないくらいに上げた。可笑しそうに笑む彼女の面持ちは、とてつもなく冷たく凍てつくようなものと化している。
そんな彼女を、ゆらりと禍々しい闇煙が包み込み始めた。




