第14話 目覚めし神子と駆けつけし賢者
私は混乱した。動揺してしまう。
そんな私のどよめく想いを察したのだろうか。ライナスは咄嗟に私を抱き支えてくれた。
彼がいなければ、私はしゃがみこんでいたのに違いない。神剣を握る力さえも心許なくなってしまったのだから。
所在なくカランと転がる神剣に、私とビギニア――そうして、ライナスの視線が集まる。
と思う間もなく、彼は私を抱いたまま、もう一方の腕を神剣へと伸ばした。ビギニアがよろけながらも急ぎ駆け寄るよりも早く。
機敏な身動ぎで、彼は神剣の柄を掴み取った。意図してなのか無意識なのか、ふぅ、と安堵の一息をつく。
すぐさまに、ビギニアへ険しいまなざしを向けたのだが。
「この神剣は、レナのものだ。賢者殿が急いて拾い上げることはない。それに……」
「……それに、何じゃろうか? 今のレナは握ることも難しいようじゃがのう。そなたとて、頭が酷く痛むのであろう? さぁ、その神剣を我に渡すのじゃ。我がしかと抱いておいてやるぞえ」
「それはできない。賢者殿に預けるわけにはいかない。神剣はレナの手にあるべきだ、いずれにしても」
「ライナ……ス?」
瞬間、ライナスは私に神剣を掴ませた。力が上手く入らない私の手に、ぐっと彼の手が支えのように重なる。
や否や、彼に抱き締められたまま、私は再び煌めくドレスをまとう身となった。
それだけではない。
神剣を掴む私の手に重なる彼の手から、ホッとするような温もりが満ちてくる。輝ける力としか言い表せないものが湧いてきたのだ。
ぐったりとした身に、優しい光が注がれゆく感覚が強くなる。私の内なる光が、さらに深く増していくような。
私達の重なった手から広がる輝きの波紋が、そよぎ舞う風のように私達を包み舞った。
私は自らの剣を持つ手を見つめる。
まばたき一つできないまま、ふと、そのまなざしを彼へと向けた。ごく自然と、私の瞳は彼の額の辺りへと向かう。
「……消えて……る? あなたの額、紋章……消えてる……!」
「そう、なのか? 確かに、痛みが和らいだ気はするが」
柔らかな、けれど、まばゆい光の風に包まれているかのように、互いの髪が揺れ舞う。
何が起きているのかわからなかった。
でも、私の身に力が戻り、ライナスの額から妖しい紋章が失せたのは、本当のことだ。間違いない。
私の瞳に映る彼が、まばたきを忘れたかのように私を見つめている。そんな彼の瞳に映る私もまた、瞳を大きく丸くして彼を見つめるしかなかった。
四大精霊が司る聖なる四つの力を注がれた神剣が放つ輝きなのか。私とライナスの重なり合う手から生じた光のまばゆさなのか。
ただ、清らかな心地よい煌めきに包まれる中で、私達は互いだけを視界に捉える。
そんな私達のせい――だったのだろうか。ビギニアはローブの衣擦れ音をさせながら後ずさりしたのだ。
眩しげに瞳を細めながら。両の手に持つ杖を震わせ、我が身を守る盾のようにしながら。――その表情は、酷く辛く苦しそうだった。
「何たることじゃ……。あともう少しであったというに、何という……」
「ビギニア……様?」
「賢者殿、さきほどからの物言い――不穏極まりないことを自覚しておられるか? 俺が知る賢者殿とは何かが違う。まるで……。――まさか、いや……まさか、な」
「ライナス? ……何? 何なの?」
私の胸に広がるのは不吉な予感めいたもの。波紋のように広がっていくのは、何かとても嫌な感覚だった。
ライナスとビギニアを交互に見やる。
ライナスは、ビギニアを不審げに見つめていた。いや、射るかの如く見据えているのだ。その瞳に厳しくも険しい光が宿して。
ビギニアは、彼の言葉にハッとしながらも――その表情に妖しげなものを滲ませ始める。一度たりとも見たことがない冷笑みがあったのだ。
二人が醸し出すピリピリとした気配が、私の背筋に冷たいものを走らせる。そうと自覚することもなく、彼へと身を寄せてしまうくらいに。
それほどまでに、彼女の変容していく面持ちが怖かった。とてつもなく嫌な感じの、まさに邪悪めいたものに変じたせいだ。
でも、それなのに、私を見つめる彼女からは慈愛が感じられた。私を愛おしむ情が伝わってくる。
ただし、狂おしいほどの――まさに狂気に満ち溢れた色が濃く滲んでいたのだが。
こんな彼女なんて、知らない。
「ビギニア……様……!?」
「あぁ、レナや。今ならまだ間に合うやもしれぬぞえ? 何せ、そなたは――そなたとルナは、我の……」
「何を……おっしゃって……?」
「そうじゃ、そなたらは我のもとへ戻ってくるがよいぞえ。その手の神剣なぞ手放すのじゃ。そなたは我のもとにあるのが必然じゃて。さぁさぁ、ライナスではなく我のもとへ戻るのじゃ。早う、光の神子から離れ……、っ、っっ!!」
その瞬間、ビギニアは口もとを押さえた。顔面が一気に蒼白となり、気まずい焦りに染まる。
寸分違えずして反射的に、私はライナスを見つめた。彼が息を呑む姿が視界に飛び込んでくる。
「俺……が、光の神子……だと?」
「ライナスが、私の? 私の――神子! あぁ……!!」
あぁ、やっぱり、と意識するよりも早く理解した。いや、ごく当然の事実であるかのように自覚できた。
心の中にストンと、何かが上手くはまり込んだような感覚が生まれたのだ。
こうしてライナスが私の傍らにいてくれる今。私を抱き締めてくれている今。たった今――この刻に。
気がつけば、グッとさらに強く彼に抱き締められていた。その片腕と、神剣を握る私の手に重なる彼の手の温もりとともに。
その時だ。いっそうのこと強く、私と彼を包む輝きが増したように思えた。
しかし、そのまばゆさを断ち切らんとするかの如く、ビギニアの声が叱責のように響き渡った。
それだけではない。ビギニアから立ち上る禍々しい気が闇煙のように揺らめき始めたのだ。まとうローブの色までもが、邪悪な闇色に染まりゆく。
「レナ!! おやめ!! エンディオの邪魔をするのは、もはや誰にも何にも許さぬぞえ!!」
「ビギニア様……? ビギニア様、何を言って……!?」
「今度は、賢者殿が闇に堕ちられたか? さきほどから漂う――その気配に覚えがあるんだが」
ライナスは、ようやく消え失せた闇の紋章が刻まれていた額の辺りを押さえる。ビギニアを見据える瞳に、一層のこと剣呑さが増した。
そんな彼を見やるビギニアは、禍々しく口角を上げていく。
それは、見たことがない妖しく不吉な微笑みだった。私の記憶に一切ない、しかし、とりわけ優しく――ゾッとするような微笑顔を見せたのである。
「もう一度、刻みつけてやろうかのう――我からの祝福をなぁ。そなたが誕生せし折に与えた闇の紋章が消し去られるとは思わなんだ。勇者と神子――まことに忌々しき限りじゃて。勇者の真なる光は強大じゃが、神子が傍らにおらねば生まれ得ぬものじゃのに」
「……ビ、ギニア……様!?」
「レナ――我が育みし者よ、勇者などやめてしまうのじゃ。神剣ではなく、我の手を掴めばえぇぞ。この世界は滅びねばならぬが、そなたとルナは愛しい養い子じゃて、我が温情を与えてやるぞえ?」
「何を言われ……っ……!?」
「ようやく至った今の刻じゃて、エンディオの願いを邪魔してはならぬぞえ? 我らの切なる望みが叶う刻が来たらんとしておるのじゃ。それを邪魔立てしてきた勇者は、もはや要らぬ! さぁ、我のもとへ帰っておいで!!」
「わ……からない……っ。ビギニア様、どうしてそんな……!?」
「さぁ、我の手をお取り? 我のもとへ戻るのじゃ。――さぁ!!」
刹那、私はふわりと後方へと跳び退いた。ライナスが私をグッと強く抱き寄せ、後ろへと駆け跳んだのだ。
私達がつい今までいた葉上の一角に、ビギニアの杖から発された毒々しい一撃の痕がくすぶる。黒々と焼け焦げ、プスプスと重苦しい煙がうっすら立ち上るほどだった。
タンッと後方に着地したライナスは、私を後ろに庇うようにして佇む。まっすぐにビギニアを見据える瞳には、憤りを綯い交ぜにした険しさが滲んでいた。
「賢者殿、さきほどの言い様からすると……俺が生まれた頃には、既に裏切っていたのか? 俺達――皆々を? この世界を!?」
「裏切る、とな? ホッホッホッ、なるほどのう。そなた達からすれば裏切りやもしれぬなぁ。じゃが、それは正しい言葉ではないぞえ?」
「何だと?」
「我はただ、我が心のままに在ると決めていただけじゃ。この世界の者達には、わからぬのであろうがなぁ。あぁ、レナやルナにも理解できないことじゃて。とはいえ、この子らだけは、我のもとに戻らせねばのう」
ビギニアはちらりと私を見やった。ライナスの肩越しに、彼の背に庇われる私を意味ありげにじっと見据える。
私はキュッとライナスの装束を掴み締めた。悲しい驚愕のせいか、胸の奥にずしりと重苦しいものがのしかかって唇さえも噛み締めてしまう。
それを背に感じ取ったのであろう彼が、束の間に私へと顔を向けた。そのまなざしに気遣わしげな色が灯される。
今にも泣いてしまいそうな表情となっていたのだろう。それとも、彼の装束を握った手が小刻みに震えていたからだろうか。
だって、信じたくなかった。
今のビギニアを信じたくない。その禍々しい微笑みも、その唇から紡ぎ出された言葉も。今、私の瞳に、耳に、入ってくる彼女は全て偽りだと思いたかった。
この世界を滅ぼす。
それこそが、彼女の心であり、沈み込ませていた想いだなんて。そう宣言したようなものだなんて、絶対に嫌だ。
しかし、衝撃の深さに動揺する余裕も、悲しむ余裕も、私には与えられなかった。
その瞬間、ライナスはビギニアへと振り返ったのである。
や否や、彼はダンッと力強く葉上を蹴ってさらに後方へと下がった。もちろん、私を抱いたまま。
私を抱き締める彼の腕に、その身に、ピリッと緊迫感が増していく。
その理由を、無意識にビギニアへと顔を向けた瞬間に私は悟った。ビギニアを覆い包むように、邪悪な闇煙が漂い始めていたのだ。
いや、違う。
ビギニアは身を委ねようとしていた。彼女の周囲で揺らめく不気味な闇へと、その両の手を差し伸べていたのだから。
その面持ちの、何と幸福そうなことか。
はたして、そう表現してよかったのか……。ただ、満ち足りた微笑顔であったことは確かだ。ほの暗く、狂気を滲ませたようにも感じられるものであったけれど。
「あぁ、エンディオよ。ようやっとここまで来たのじゃなぁ。ダイアナが喪われ、ライオネルも動けぬ。……まさか、レナが新たな勇者に起つとは思わなんだがのう。じゃが、そなたと我がともにあらば、如何様にもなろう」
《クックク、そうであろうとも。急に湧いた勇者に、見出されたばかりの神子ではな。黎明の賢者たるそなたが、我と同じ願いを抱いてくれておるとは……もはや思わなかったぞ。我にとっては極上の幸いだが、この世界にとっては不運と言わざるを得まい。まさか、永らくの刻を隔ててな……》
「ほんに永い刻が過ぎたものよなぁ。そなたがこの世界を滅ぼさんとする願い――永い刻をかけてようやく、我にもあることに気づけたのじゃ。その時からずっと、邪魔なる光の勇者を排除せしめんと歩んできたぞえ」
《何たる僥倖! 今こそ、ともにあり、ともに歩もうぞ。この世界の滅びこそが、我らの悲願――我らの幸いへと至るのだ!!》
瞬間、ビギニアの身は完全に闇煙に覆い隠されてしまった。狂気をはらんだ喜ばしい笑い声とともに。
瞬間、エンディオの禍々しい声が高らかに響いた。狂気に染まった歓喜を入り混じらせながら。
と思う間もなく、邪悪な気配を溢れさせていた闇煙はかき消えてしまう。上空の不気味な裂け目も忽然と閉ざされてしまった。
私は、ライナスに抱き締められたまま立ち尽くすしかない。
眼前で生じたことを理解したくなかった。この瞳にしっかりと捉えられたビギニアの姿を認めたくなかったのだ。
――でも。
私の身を包み込む確かな温もりが、茫然自失となりかける私を支えてくれる。ぎりぎりのところで、頭の中が真っ白になるのを遮ってくれた。
私はギュッと彼の腕を掴む。ともすれば震えを醸しそうになる声を奮い立たせようとした。
「……皆に知らせなくては、ね。ビギニア様が……魔王のもとに、って。警戒を……最大限の、警戒をしなくちゃ……よね」
「あぁ、一刻も早く伝えなくてはならない。各王国の城と精霊達の郷へ、この事態を」
「うん。そうね、少しでも……早く」
ライナスの胸もとへ顔をうずめ、私は何とか頷いてみせた。
衝撃は大きく、輝けるドレスに隠された両足までもが震えそうになるけれど。
だが、そんな私を彼は力強く抱き支えてくれた。それに励まされ、私は崩れ落ちずにいられる。
しかし、事態は思う以上に性急に動いていたようだ。
取り急ぎ、私達は水精霊の郷から水の王国の城まで戻ってきたものの。そこには既に、足もとの大地を伝ってきた地精霊達が駆けつけていた。
恐るべき凶報とともに。
「賢者殿の離宮が闇の城と同化し始めたとのことです! このままでは、闇の城と化した離宮から、大地の王国どころか各王国へも容易く侵攻される恐れが……!!」




