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第12話 光の神剣と二人

「確かに、とは言い切れないんだけど……。でも、僕の耳には、そう聞こえたんだ。勇者様のお名前も、レナ……だよね?」

「……え、えぇ。そう、よ」


 私は呆然としながらも頷く。

 ウォーリィに包まれていた手に知らずと力が入ってしまった。無意識に握り拳にしてしまう。身をこわばらせてしまうほどの衝撃を受けたからだ。

 だって、ライナスが……。今のライナスは……だって。でも……。


「私の名を……? 彼……が?」

「うん。でもね、その時――その瞬間というか直後というか、怖い声が聞こえたよ。それだけじゃない……神珠へ悪しき一撃も放たれちゃったんだ。終焉の魔王――エンディオからね。防ぐことも、撥ね退けることもできないくらい、一瞬のことだった。だから、父さんは我が身を盾にした――神珠を守りきったんだよ」


 ウォーリィは私をまっすぐに見上げた。

 この郷を満たす湖水のように澄み切った瞳が、張り詰めたような気を漂わせている。

 そんな冴え冴えとした強いまなざしが、私を我に返らせた。

 手の震えも、強張っていた身も、消え失せていく。

 ライナスのことが気にならないわけじゃない。むしろ、気がかりでたまらない。

 けれど、だからこそ今は、気持ちを集中せねばならなかった。腰もとの鞘に収まっている神剣へ光を完全に取り戻すことに。

 それがきっと、彼の今を変えられることに繋がる。彼を、元の彼自身へと戻すことができる機になると信じたい。

 私はスッと目線を起こして、ふわりと浮かぶ神珠を見つめた。


「ウォーリィくん、あなたのお父様――ウォルタス様が命懸けで守って下さった神珠へ、この神剣を捧げるわ。聖なる水の力を今、この神剣に」

「うん、勇者様!」


 私は神剣を鞘から抜くと、神珠へと捧げ持った。

 美しい水雫のような神珠を見つめて宣すれば、神剣は私の手を離れて浮き上がる。そのまま、スゥーッと神珠の内へと奉じられゆくのだ。

 清かなる水の流れが神剣の周囲に生じた。静かに、楚々として、神剣へと水の力が注がれ始めたのである。

 それを確認して、私はウォーリィとともに、ウォルタスが眠る天幕へと戻った。

 そこは、もともと長が暮らす天幕だ。無論のこと、長の子であるウォーリィの住まいでもあった。

 神剣に水の力が満ちるまでの間、私はウォーリィから郷の現状――闇の眷属達による襲来からの復興状況を聞いていた。もちろん、その合間には、幼い彼が敬愛し慕う父ウォルタスの勇猛果敢なる様についても。

 それは、束の間のホッと一息つけるひとときだった。

 ……なのに。

 忽然と、おぞましい圧がかかってきた。

 ゾッとするような感覚が重々しく降りてきて、私とウォーリィは天幕の中で辺りを見回す。注意深く、増していく緊迫感とともに。

 私は、この感覚を知っていた。そう、とても嫌な、あまりにもおぞましい、この感覚は――。


「闇の眷属達が来る! 闇の城が現れたんだわ!」

「そんな……っ。また現れた!?」

「ウォーリィくん、外へ行ってみよう」

「うん!」 


 私とウォーリィは顔を見合わせ、すぐに立ち上がる。天幕の外へと駆けた。

 上空には、不気味な亀裂が走っている。

 生じた裂け目から、闇の眷属達が這い出ようとしていた。この郷へと降り立たんとしている。

 ウォーリィは刹那、息を呑んだ。

 でも、すぐに周囲へ檄を飛ばす。幼い声ながらも凛とした響きは、長代理たるに相応しく思えるものだった。


「直ちに、闇の眷属襲来へ備えよ! 二手に分かれ、一つは長が眠れる天幕を守れ! もう一つは、勇者様と光の神剣に異変が起きぬよう心せよ!!」


 その瞬間、郷のそこかしこで水雫が清らかに弾ける。次々と人型へと変じ始めたのだ。

 彼らは緊迫した面持ちで、水の剣を片手に警戒をあらわにする。

 そのうちの一人が、危急を報せに来た。ウォルタスが静養する天幕近くに出現した眷属達がいるらしい。

 サッと血の気が引いたウォーリィの顔に、緊張と憤りが浮かび上がる。

 けれど、私のことが気がかりなのか、彼はキュッと唇を噛み締めるだけだ。天幕へと駆け出そうとした幼い身を懸命に抑え、私を振り仰ぐ。

 私は、ただ柔らかに微笑んだ。

 緊迫感に満ちた彼の頭をそっと撫で、彼の目線まで腰を落とす。神剣を神珠へと捧げている今はごく普通のドレスが、ふんわりと広がった。


「ウォーリィくんは、一刻も早くウォルタス様のもとへ行っていいのよ。その間に、私は神剣のもとへ急ぐわ。神珠の内にある神剣は、今は私のもの――私が守らないでどうするのだか。ね?」

「ありがとう、勇者様。僕は父さんのもとへ行かせてもらうね。あなたには、護衛の水精霊達をつけるから」

「えぇ、こちらこそありがとう」


 そうして、私とウォーリィは互いに反対方向へと駆け出した。

 ウォーリィは、救いたい――元どおりの元気な姿を取り戻したいと願ってやまない父のもとへ。

 私も、同じだった。

 不思議なことに、私はそんなふうに感じていたのだ。駆ける先にあるのは、水の神珠――その内にある光の神剣なのに。それでも。

 それでも、ウォーリィのように大切な人――ライナスを取り戻したいという願いを叶えるため、と。

 そのためには、神剣に光を取り戻すことが最大の一歩だ。真なる光をまとう神剣ならば、きっと。その神剣を手にすることが、きっと。

 そんな想いのままに、神珠のもとへと駆けた。

 刹那、瞳に映る神珠がひときわに強く輝いた。少なくとも、私にはそう見えたのである。

 まるで、神剣に水の力を注ぎ終えたと合図するかのように。あるいは……。

 と深く考える間もなかった。

 私の傍らで、漆黒の疾風が駆け抜けたのである。闇色の不吉な色と化した装束をまとう人影が、急くように。


「お前の手に渡すわけにはいかない……あの神剣を!」

「ライナス!?」

「あの神剣は、俺が貰い受ける。エンディオ様のご所望だからな!」

「な……っ!?」


 ライナスは、私をちらりと一瞥だけして駆け去ろうとする。魔王の命令に従う冷酷な言葉だけを残して。

 氷のような言葉が胸に突き刺さる。

 しかし、それ以上に、私を刹那だけ見やった彼の顔色が気にかかった。

 あれは、彼が酷い頭痛に苛まされている時の表情によく似ている。揺れる前髪の間から垣間見える闇の紋章が、彼の痛みに呼応しているかのようだ。

 とても苦しげで。ただ、辛そうで。かなりの痛みに襲われているのだろうと察せられた。

 けれど、彼は駆ける。神剣を内包する水の神珠へと、グッと唇を噛み締めて駆け抜ける。

 彼を追い立てるように、否、彼を捉え逃さぬとでも言いたげに、響き渡る低いおどろおどろしい声が降ってくる中で。


《そうだ。そなたは我の命ずるままに動けばよい。我の望みを叶えるためにこそ、そなたはな。ワーッハッハッ!!》

「違う……っ。そんなの、違うわ!」


 私は意識するよりも早く駆ける速度を速めた。

 私の横をすり抜けるように駆けるライナスを追い、いや、並び、追い越そうとした。

 光の神剣は、私が手にせねばならない。だって……。

 ライナスは、魔王のために生きてるんじゃない。ライナスは、彼自身の意志のままに――想いのままに在るはずだ。

 彼の本当の意志が、想いが、魔王とともにあるわけない。

 だって……。だって……!

 タンッと足もとを蹴って、私は跳び上がった。ふわりとドレスを揺らめかせながら。

 思いっきり腕を伸ばす。神珠へと。その内にある神剣へと。

 それは、彼も同じだった。

 互いにせめぎ合う。せめて指先だけでも、先に神剣へ触れるようにと。手に取らねば、と。


「ライナス、駄目……っ。魔王の言うがままに神剣を手にするのは、駄目! 違うのよ、それは違う……っ、っっ」

 思わず口をついて出た自らの言葉に、私は戸惑う。いったい、私は何を紡いだのだろう?

 それは、言われたほうのライナスも同様だったのに違いない。神珠に手が触れそうだった寸前で、彼はシュッと葉上へと降り立った。

 私を見据える瞳は冷たいものの、その表情は怪訝そうな色に満ちている。不機嫌でも苛立ちでもなく、言うなれば動揺であろうか?

 あまりにも予期せぬ言葉だったのだろう。私が発した言葉は、彼にとっても。


「何を言っている? エンディオ様のご命令に従うことこそが、俺の全てだ。かの御方が神剣を望まれているのであれば、俺が必ず持ち帰る。――お前の手に戻しはしない」

「違う! 違うわ、そうじゃないの! ライナス、お願い! 思い出して! 本当のあなたを思い出して!!」

「な……にを言って……。――っ痛!?」


 刹那、ライナスは額の辺りを押さえた。

 束の間に、痛みがことさらに酷くなったようだ。片手で顔を覆う。

 けれど、その瞳が私を見やった。苛立ちと不快感――だけではない、何かを浮かばせたまなざしが、私に向かう。

 ツキン、と胸が締め付けられた。

 私を冷たく映し出す瞳の内に、その奥の何処かに、私の心をさざめかせるものがあるような気がしたのだ。

 もしかしたら、今ならば?

 もしかして、あともう少しで。……そう、あともうちょっと。

 直感めいた何かが、私の心を奮い立たせる。


「ライナス……!」

「……う、るさ……い。お前、どうして……っ。う……ぐ……っ」

「ライナス、思い出して……!」

「黙、れ!!」


 でも、そのもうちょっと――が届かない。

 もどかしいくらいに。切なくて焦がれるくらいに。届いてくれないのだ。

 私を嘲笑うように、頭上高くの裂け目から凍れるような低い声が響き渡った。酷い頭痛に苛まされるライナスを操らんとするかの如く。


《クックク! そうだ、ライナスよ。勇者の声になど、耳を貸さずともよい。そなたは我の声に従っておけばよいのだ。勇者の手に神剣を戻してはならぬ!》

「……御、意……っ」

「違う! そんなの……絶対!」


 その時、その一瞬。

 私は、ひときわに強く足もとの葉を蹴った。シュッと跳び上がり、清らかな水に満たされた神珠へと飛翔する。

 腕を懸命に差し伸ばして、ただひたすらに、神珠の内へと奉じられた神剣を掴もうとした。

 その瞬間、私の腕に沿い重なるように、ライナスの腕も伸びてきた。

 ただ、冷たく急くように。私よりも早く神剣を得ようとして。

 でも、そんなことは駄目だ。魔王の言うがままに、神剣をライナスに奪われるなんてことは。

 わけもなく、私はそう感じた。

 だから、懸命に手を伸ばす。ほんの僅かでも、ほんのちょっとでもいい、彼よりも先に、と。

 この神剣の主たる者は今、私だから。勇者である私が、地風火水の聖なる力を注がれた光を宿す神剣を手にしなくては。

 終焉の魔王を封ずる力を奪われるわけにはいかない。この世界を悪しき闇の脅威から守るためにも。

 ――ライナスを、本当の彼を取り戻すためにも。


「邪悪なる者の手に渡せるわけがないわ。この神剣は光輝けるものだもの! 触れるべきは、まばゆい光を行使できる者だけ……!」


 それは無意識に、私の口をついて出てきた。

 刹那、脳裏にフワッとライナスの姿が浮かび上がる。私がよく知っている、朗らかな笑みをたたえる凛とした彼の姿が。

 その瞬間、胸がグッと詰まる。せり上がってきた強い想いに、泣いてしまいそうになった。

 ライナスを取り戻す。必ず元の彼を取り戻すのだ、と。

 そのためにも――。


「光の神剣は渡さない! 邪悪なるものを滅し封ずる輝きを渡しはしない!」


 次の瞬間、私は清らかな水が巡る神珠の内に在る神剣の柄を掴み取った。聖なる光が剣先から柄までも満たす中で。

 だが同時に、ライナスもまた、神剣を手にした。

 私達二人の手が直に触れ合う。

 私がまとうドレスがまばゆい輝きに変じた、その刹那の時に。


「え……っ!?」

「な……に!?」


 視界の全てが静謐ながらも鮮烈な光でいっぱいになった。

 何が起きたのか、何が生じたのか、わからない。

 ただ、光り輝ける内に、私とライナスはいた。そうと気がつけぬほどの束の間に――。

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