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第11話 水精霊の郷

「……行かなきゃ、私。今すぐにでも、水精霊の郷へ!」


 私は、その場から急ぎ退出しようとした。玉座のビギニアに背を向ける。

 しかし、彼女が身をよろけさせながらも、急ぎ近づいてきた。そのまま、しっかりと手を掴まれてしまう。

 パッと振り返った私は、案じてやまないらしい必死な面持ちの彼女と視線が交錯する。


「間に合わぬやもしれんぞえ? 此度のエンディオはこれまでの邪悪さとは桁違いじゃ……。ライオネルもルナも石化されてしもうた!」

「だから、急いで行かないと!」

「行ってどうするのじゃ!? 運よく水の神珠が無事で、そなたが神剣に光を取り戻せたとしても――光の神子がおらぬ!」

「そ、それは……っ」

「神子を見い出せぬ勇者が、どうして強大な魔王に打ち勝てようぞ? 神剣をもってしても、勝りきれぬじゃろう。なれば……!!」

「ビギニア……様?」


 その時、私はギュッと手を掴み締められたのだ。ビギニアが渾身の力で私を押し留め、引き寄せようとした。

 そればかりか……。

 ビギニアから紡がれた言葉に、私は耳を疑った。大きく瞳を見開くしかない。


「レナ――そなたとルナの二人だけは、今の我でも守りきれよう。万全とは言えぬ我とてな。……あぁ、そうじゃ! ルナも連れて、我らは逃れるのじゃ。そうじゃそうじゃ、今ならばまだ……!」

「何……を言ってる……の? ビギニア様、どうしてそんな……」


 信じられようはずがない言葉だった。

 この世界の誕生からずっと、生まれ出でた生命達の全てを愛おしみ見守ってきた黎明の賢者。それが、ビギニアなのに。

 それほどまでに、具合が良くないのだろうか。本当は臥せっていなければならないほどの。

 無理に無理を重ねたあまり、思わず、あり得ない言葉が彼女の口をついて出てきたのだろうか。

 まばたき一つできず、ただ、彼女を見つめるしかなかった。

 私の視界の中で、彼女は必死な形相だ。――でも。

 彼女の面持ちから追い詰められていたかのような感が、不意に失せた。代わりに、ハッと我に返ったように顔色が青ざめる。


「我は……。我は、ただ……。ただ、そなたらだけでも……と。レナ、そなたとルナは、我の……。我の……っ……」

「……養い子だわ。私もルナも、あなたに育まれた。大切に愛おしまれてきたんだもの。だから、ビギニア様、悲しいことは言わないで。私、頑張るから。あなたの養い子として、決して恥じることのない勇者として頑張る!」

「レナ……。そなたは……それほどまでに、なのかえ……?」


 ビギニアは呆然として立ち尽くす。

 そんな彼女の両の手を、私はふわりと包み込んだ。

 だって、今の彼女を放っておけなかったからだ。私とルナを赤ん坊の頃から慈しんでくれた人だから。

 彼女の年老いた両の手が私の手に包まれたまま、微かに震えながらも握られゆく。辛そうに、ともすれば、苦しげに彼女はうつむいた。

 私には見えなくなったが、彼女はグッと唇を噛み締めたようだ。


「……何故なのじゃ。どうして、そなたらは……。ルナも、そなたも、何故このような運命を……? どうしてこんなことに……」

「ビギニア様……」

「何たることじゃ……。何という……」


 ビギニアは苦渋に満ちた呟きを漏らし、是非もないとばかりに頭を振った。

 そのまま、私からゆっくりと自らの両の手を解くと、疲れ切ったように玉座へと戻っていく。

 ぐったりと玉座に身を預けたのは、その直後だ。ただ深く、深すぎる悲哀と疲労に苛まされているかのように。

 もはや、私を見やることはなかった。私へと口を開くこともない。 

 そんな彼女の姿に後ろ髪を引かれながらも、私は水精霊の郷へと発った。

 見送ってくれる侍従長を始めとする離宮仕えの者達がだんだん遠ざかる中に、ビギニアの姿は無かった――けれど。

 腰もとの鞘に収められた神剣が小さく音を立てる。光を取り戻しつつある神剣がもたらす輝けるドレスを、意を決してキュッと掴んだ。


「頑張るしかないわ、今は。ビギニア様の不安をなくすためにも、今は。……だって、とても心配してくださってるんだもの。そう、きっと……。たぶん、それだけ……よ」


 わけのわからない感情の襞が波打つ。

 私まで、得体のしれない不安に襲われているのだろうか。いや、不安ではなく――不穏?

 咄嗟に私は大きく頭を振った。ドレスのドレープが乱雑に舞い、ひときわに輝く。


「大丈夫! きっと大丈夫よ。神剣に完全なる光を復活させることが最優先だわ。そして、そうして……光の神子を、見つける! ううん、違う。そうじゃなくて……!」


 取り戻すのよ、私にとっての神子を。――ライナスを。


「……あ、え? 私、今……!?」


 無意識の想いが、私を混乱させそうになる。

 だが、その時、私の両足は滞りなく離宮の大門を越えた。

 眼前で、水の王国が姿を現したのである。水の神珠を守護する水精霊達の郷がある王国だ。

 瑞々しい水の薫りを感じさせる美しい風景の中に佇む城の大門が、重々しく開かれた。

 そこには、清かなる水の気配を感じさせる水精霊達が控えている。恭しく頭を垂れる彼らを前にして、私は気持ちを集中させた。

 腰もとの神剣――その柄をグッと掴み、彼らのほうへと歩を進める。王との謁見を済ませ、水精霊達とともに郷へと発つために。

 水の郷は、既に闇の眷属達から襲撃を受けている。その報せをいち早く受け取った水の王国を統べる王は、かなりの心痛を顔に浮かばせていた。

 無論、私を出迎えに来ていた水精霊達も同様である。長が意識不明となり、臥せってしまったというのだから、さもありなん――だ。

 そうして、それはそのまま、水精霊達の案内で辿り着いた郷の光景からも察せられた。

 本来であれば、澄み渡る広大な湖上で清らかなる景色を見せていたのであろう郷。清楚な大睡蓮の葉上で、瑞々しい風景が広がっていたはずだ。

 しかし、そこかしこで襲撃の傷痕があらわになっていた。

 それでも、いや、だからこそ、水精霊達は郷の修復にいそしんでいる。自らの身を本性たる水と化して、襲撃によって傷めつけられた様々なものを修復し癒しているようだ。

 あちらこちらで、水飛沫や水柱が生じていた。

 その合間を縫うようにして、私は長の住まいへと導かれた。この郷の奥に位置する、ひときわに大きな大睡蓮の葉上にある天幕へと。

 天幕に隣接する最奥部が、ちょうど水の神珠を祀っている聖域らしい。

 そこは、闇の眷属による襲撃は運よく免れたそうだ。禍々しい爪痕は残されておらず、静謐な気配に満ちた大睡蓮の葉上にふわりと浮き上がった神珠が見える。

 天幕の中は思っていた以上に広く、ゆったりとしていた。

 けれど、どこか悲しく重苦しい気配に満ちている。天幕の奥にある寝台に横たわる長ウォルタスを案じてのことだろう。

 寝台の傍らで、意識不明のまま眠れる彼の手を握って祈りを捧げる少年が一人いた。十歳前後であろう姿の彼が、ふと、私へと振り返る。

 泣いていたのだろうか? 潤んだ瞳が私を見つめてきた。


「……もしかして、勇者様?」

「レナと申します。大変な折の参上をお許し下さい。長ウォルタス様のお見舞いと――」

「水の神珠に光の神剣を捧げに来られたんだね? 僕はウォーリィ……父さんに代わって長代理をしてるんだ」

「……あなたが?」

「うん。父さんが元気になるまで、僕がちゃんと郷を守らないとね!」


 ウォーリィはゴシゴシと目もとをぬぐい、私へと幼い笑顔を向けた。そのまま、パッと立ち上がって、私のほうへとタタッと駆け寄る。

 私を見上げ、さらにニッコリと笑んで丁寧なお辞儀をしてくれた。それは、幼いながらも公式の場に相応しい所作だ。


「ようこそ、我らが郷へ! 父さんに代わって、歓迎のお言葉を!」

「ありがとうございます、ウォーリィ様」

「様、はいらないよ? 僕、まだ大人じゃないし。父さんの代理だから」

「でも、長の代理であるあなたのことを呼び捨てには……」

「僕も困っちゃうよ、勇者様。ハハハッ」


 明るい笑顔の中に、照れくさそうな感が漂う。それでも、その表情の何処かには、父であり長でもあるウォルタスを案じる色が見え隠れしているように思えた。

 だから――というわけでもないのだけれど、私は姿勢をかがめる。気恥ずかしげなウォーリィに目線を合わせ、やんわりと微笑む。


「じゃあ、ウォーリィ……くん。そう呼ばせていただいても?」

「うん!」

「じゃあ、ウォーリィくん。あなたのお父様にご挨拶をさせていただきたいの」

「……うん。うん! もちろん!」


 ウォーリィは私の手を嬉しそうに掴み、寝台で目覚めぬ眠りにあるウォルタスのもとへと誘った。

 水精霊達を束ねる長ウォルタス――幼いウォーリィの父たる彼は、もともと精悍で勇敢なる者なのだろう。見た目には穏やかに眠っているように見える相貌から、そう感じられた。

 ただし、静かな呼吸が規則正しく繰り返されているとはいえ、その相貌からは血の気が失せている。まるで、生ける彫像のようであったのだ。

 私は思わず息を呑んだ。脳裏にふと、ライオネルとルナの姿が浮かび上がったからだ。完全なる石像と化してしまった二人の姿が、ウォルタスの現状に重なるような気がして。

 そんな私の嘆息めいた驚きを察したのか、ウォーリィは私を仰ぎ見た。眠れるウォルタスの傍らで、その手をそっと両の手で握ったまま。

 私を見つめる幼い面持ちには、寂しさにも悲しみにも似た微笑みが浮かんでいる。


「悪しき闇の強大な力は、この世界にあるもの皆々を石化してしまうよね。僕達は精霊で、石化こそまぬがれるみたいだけど。その代わりに、本性に戻れなくなっちゃうみたい。水に戻ることができないまま、目覚めぬ眠りに落ちてしまうんだ……」

「……ウォーリィくん」

「でもね、僕は諦めてないよ。父さんは、元通りの父さんに戻るって! だって、父さんは強いんだもの。身を挺して、神珠を守りきったんだ。そんな父さんだから、絶対に……っ」


 その瞬間、微笑みが浮かぶウォーリィの瞳から大粒の涙が溢れてきた。

 必ず、ウォルタスは元通りになると、決して諦めないと、彼はぽろぽろと涙をこぼしながらも微笑む。潤む瞳に、強い決意を宿して笑んだ。

 胸を突かれる。幼い彼の父を想う姿に、無垢な揺るがぬ願いに。

 気がつけば、私は彼をギュッと抱き締めていた。

 突然のことに、私の両腕の中で彼はビクッと身じろぐ。それでも、すぐに安堵して身を緩ませた。

 その小さな背を優しく撫でる。


「……わかるわ、私にも。ウォーリィくん、あなたの気持ちがね、とても」

「諦めなくていいんだよね、僕」

「うん、そうよ。私も、あなたと同じような想いを抱いてるもの」

「勇者様も? 父さんが元通りになるって、そんな父さんを取り戻したいって、そう僕が願ってるみたいに?」

「えぇ。私にも、そんなふうに願ってる人達がいるの。そう望んでやまない人が。……だから」


 脳裏に次々と思い浮かぶのは、ライオネルとルナ。温かく微笑みかけてくれる二人の姿。

 そうして、胸を締めつけられるほどに求めてやまない人――ライナスの姿が浮かび上がる。私へと優しく、朗らかに笑んでくれる彼の姿に、心が切なさにざわめくのだ。

 どうして諦められるだろう。そんなこと、できようはずがない。


「だから、私は頑張るの。絶対に、悪しき闇を――魔王を封じてみせる。そうすれば、きっと……! きっと、みんな戻ってくるわ!!」

「――うん。うん、そうだね……そうだよね!」


 ウォーリィはにっこりと笑って私を見上げる。

 涙の跡を残したままの顔に朗らかな微笑みを浮かばせて、私の手を取って駆け出そうとさえしたのだ。


「さぁ、行こう! 勇者様を神珠のもとへ案内するよ。父さんが守りきった神珠のもとへ!」

「えぇ!」

「こっちだよ、こっち! この天幕の向こう側――郷の奥に祀ってあるんだ!」


 天幕を出て、裏手へと回る。

 澄み渡った湖に浮かぶ大睡蓮の葉上を軽やかに駆ければ、葉の揺らめきが清かな波紋を描く。繊細な水飛沫が、足もとの葉で舞うのだ。

 その最奥の、ひときわ大きな葉が連なる処に水の神珠が浮かんでいた。まるで大きな丸い雫のようだ。


「……とても綺麗。ウォルタス様が守ってくださったのね、この神珠を」

「勇者様にそう言ってもらえて嬉しい! 父さんね、ここまで攻め込んできた闇の眷属達を食い止めたんだ。みんなも、僕も、父さんと一緒に頑張った。でも……っ、っっ」


 刹那、ウォーリィは歯を食いしばる。悔しそうに、辛そうに、両の手をグッと握り締め、まとうローブを掴んだ。

 私は彼の頭をそっと撫でる。幼い彼の痛ましい姿に胸を締めつけられたのだ。

 彼は静かに私を仰ぎ見る。悲しそうな瞳に、それでも、強い光を灯して、私を、そうして、神珠を見上げる。


「父さんが圧倒してたんだよ、あの時。襲い来た眷属達を僕達みんなで討ち果たしてね。だけど、ホッとした時に現れたのは、ライナス殿下だった――奴らを率いてきた者だったんだ」

「え……!?」

「あ、でもね、僕達が知ってる殿下じゃなかったよ。あんな冷たい殿下を見たことないもん……たったの一度だってない。だけど、ただ……」

「ただ? ただ、何……かしら?」


 発する声が震えを帯びてしまう。

 まさか、ここで、ライナスの名が紡ぎ出されるとは思ってもいなかった。

 もしかしたら、ウォーリィの頭を撫でていた手さえも、震えていたかもしれない。

 それを幼い彼がどう捉えたのか、わからない。ただ、彼は私の手を包み込んだ。小さな両の手で、自らの頭に置かれていた私の手をやんわりと。


「ただね、苦しそうに見えた。何だか、とても辛そうな感じで――顔色が良くなかった気がする。それでさ……。あのね……」

「…………?」

「微かに耳に入ってきたんだよ、殿下の声がね。あ、声っていうか……呟き、かな? あぁ、でも、一人言っていうのじゃなくて、何だろう……。えーとね、ほら、うーんとね、呼んでた……みたいな気がする。聞き間違いかもしれないけど、レナ……って言ってたような」

「――――えっ!?」

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