不思議なクレーム
この後も、みんなが興味津々で話しかけてくるから作業が進まない。
今まで私と雑談するのはシリルくらいだったのに、今はみんなが作業について聞いていたり、プライベートなことを話しかけてくる。
気がつくと夕方になってしまった。
「作業が進まないんでしょ?手伝うよ」
シリルが声をかけてくれたが、自分の仕事はちゃんとやりたい。
私はお給料をもらって働いているんだもの。
「大丈夫、自分でできるわ」
学生達が自分の作業を終えて帰っていく。
「クリスティーナ、お疲れ様」
数日前まで、横を通り過ぎるだけだった人たちが声をかけてくれるのが新鮮だ。
釜を洗浄して、ガラス器具を除菌して、全て片付けた後、床を掃き掃除する。
みんなが帰った事を確認して、研究室の灯りを消した。
外に出て、空を見る。
夏の始まりは、独特の匂いがするのに、都会ではあまり感じない。
まだハナメイから出て、数ヶ月だもの。
いつか、この都会の匂いに慣れるかしら?
夏季大会からの周りの態度の変化に追いつかなくて、なんだか違う世界にやってきたみたい。
そんな事を考えながら室内に戻り廊下を歩いていると、ちょうど事務局の職員がやってきた。
「ねえ、あの毒草に気がついたのあなたなんでしょ?お手柄ね。なんでも、大惨事一歩手前にまでなったせいで、複数の高位貴族の保護者からクレームが入ったらしいわ」
「クレーム?」
「何故、後遺症が残るような危険な毒草が夏季大会の会場にあったのかって」
自然の中で行う大会なのに、不思議なクレームだ。
自然環境の中では毒草はそれなりにあるものよ。
寧ろ、魔物の方が危険なはずだわ。
「すごいですね」
「そうでしょ?毒草は毎年排除して行われるのに。誰が責任を取るのかと、何故放置する結果になったのか、今教授達が会議しているわ」
私の考えるすごいの意味が違って、口の中で「大変」と呟く。
「あなたのお陰で、重症者がてなかったから良かったものの。この失態で10日間は休校になるわ。はい、これは連絡文書」
学生向けの連絡文書には、緊急会議で教授不在のため休校になると書かれていた。
「学生達には、魔法便で休校のお知らせが届いているはずだから、これを入り口に貼るだけでいいわ」
「ありがとうございます。すぐに研究室に貼り出します。私は毎日薬草の管理をしないといけないのですが。来ても大丈夫ですよね?」
「あなたは学生じゃないから大丈夫よ。でも、雑用係で明日から来るのはあなただけだけになるけど、大丈夫?本当にひとりぼっちよ?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
「休んでもお給料は変わらないのに真面目ね」
事務局の職員は、肩をすくめて、変わった子だとでも言いたいような顔をして戻っていった。
ひとりぼっちの研究室って気がラクだ。
王都に出てくる前は、ダイナーで1人働いていたんだもの。
ひとりぼっちには慣れている。
翌日、魔法薬研究棟に来て、本当に人がいないことに驚く。
事務局も閉まっているし、学生も1人もいない。
立ち入りが禁止されているから当然だけど、誰もいない研究棟は時が止まった空間に迷い込んだみたいで、なんだかワクワクするわ。
窓を開けて、空気の入れ替えをする。
私が来てから、窓を開けたのは初めてだ。
いつも、誰かしらが粉にした薬草を出していて、「風で飛んでしまう」と言って、自然の風を嫌うのだ。
魔道具で湿気とは無縁の空間になっているけれど、空気の入れ替えは必要に決まっているわ。
全ての窓を全開にした。
6月なのに、日差しと暑さが強い。
これから毎日1人で、気ままに働けるのも悪くない。
今日は床を綺麗に掃除しようと、決めて作業を開始した。
今いる場所も、空間も家具も全部違うけれど、なんだかダイナーを思い出す。
あの、くぐもったラジオの音が懐かしい。
そうだ。
帰りにラジオを見に行こう。
きっと古魔道具屋さんには売っているはずだわ。
今日から10日間は来なくてもいいのだから、何時に帰っても大丈夫よね。
時計はちょうど12時だ。
作業をやめて、全ての窓を閉め、西門に向かった。
日中の日差しは強い。
ハナメイも都会も、日差しの強さは変わらないわね。
そんな事を考えながら歩いていると、背後から「マドロス嬢」と呼ばれて足を止めた。
振り返るとクライド・ワインバーグ伯爵令息が立っていたので、驚いて笑顔を取り繕う。
「ごきげんよう、ワインバーグ伯爵令息様」
カーテシーをすると、ワインバーグ伯爵令息はクスッと笑った。
「堅苦しいのはいいよ。マドロス嬢。って、この呼び方が堅苦しいのかな?」
「そのような事はございませんわ」
「その言葉だよ。この前みたいに普通に話してほしいな。クリスティーナ」
「…はい。あの、かしこまり。…わかりました」
なかなか難しい要求に狼狽してしまう。
「ええー?シリル・ハリントン子爵令息に話すみたいに、普通に話してよ」
ニコニコと笑う顔に無言の圧力を感じる。
「えっと、普通に話すように努力します。あの、シリル…様は、私に仕事を紹介してくれた恩人でして、普通に話していいという許可もいただいているのですが。その他の方には…いだいておりませんし。ましてや皆様貴族ですので」
「ハリントン子爵令息を名前で呼ぶ仲なんだ。僕も名前で呼んでもらえる?同じチームだったでしょ?」
笑顔の圧力は怖い。
「あの、それは失礼すぎますので…。お戯れがすぎます」
「その態度、さっきも辞めてほしいと言ったよ?」
「わかりました」
観念して言葉を直す。
「まぁ、それで手を打つよ。呼び方は?」
「クライド様」
「様は余計だけど、それでいいよ。ところで、どこに行くの?」
ニコニコと笑う顔に、不穏な空気を感じる。
「古道具屋さんに行こうと思いまして」
「僕もついて行っていい?」
「いいですけど、その服装では目立ちますよ?」
魔法騎士学科の制服のままなので、貴族然としている。確実に浮いてしまうわ。




