第3話参 本日最大のイベント
――そろそろ退き時か。
もともと人数で劣っていた上に、乱入してきたワダツミ人たちによって戦況はこちらにかなり不利になってしまった。
自分という足手まといのせいという自覚はあるが……。
『今回の目的は十分果たした。撤退する――君たちのタイテニアも、これ以上、無駄に消耗はさせられない』
『えーっ、もう終わりかい!?』
エミリオの言葉にアレーナが即座に不満の声を上げたが、イシュカは冷静に答えた。
『了解です。ワダツミ人の乱入はさすがに想定外でしたし、あなたのおっしゃる通り、これ以上は無駄な消耗にしかなりません。こちらも異議はありません』
『俺のほうは悪くない感じだったのに』
『どこがだ。アッシュ王子が自由に動き出して、逆に押し返されていたじゃないか』
不満げな少年の声も響き、ダニオが口を挟む。少年が拗ねたように言った。
『……全然動かせないふりして、急にまともに動き出すんだもん。ずるいよ。ザコアミルを仕留め損ねちゃった』
素性不明のタイテニアが撤退していく――今回は彼らを追尾しても良かったような気がするが、カルネに止められたので全員が大人しく従った。
余計な反撃を招いて、これ以上、学院内で暴れられても困る。
「りっちゃん……ふうちゃん……!」
青ざめて我が子の安否を心配する母の姿を見つけ、六花はタイテニアから飛び降りた。
足手まといにしかならないと自覚して建物の陰から離れない様にしていた母も、娘がこちらに向かっていることを確認すると飛び出した。
「りっちゃん、大丈夫?どこも怪我してない?」
「大丈夫よ。お母様も……はなちゃんとユキちゃんも大丈夫?ジョゼフィン、あなたは?」
「私など、なにも……。皆様が命がけで戦っているかたわらで、ただ逃げ隠れしていただけですから……」
自分に飛びつく妹と愛犬を撫でながら、六花は顔を上げ、うつむくジョゼフィン王女を見た。
「なんでそんな顔してるのよ。友達を守るのは当然でしょ。無事なら良かった」
自分の言葉にジョゼフィン王女がどんな表情をしたのか――六花が気付くこともなく、周囲を見回して他の人たちの無事を確認に向かう。
勇仁の母親は夫と息子のもとへ駆け寄り、オールストン博士も娘と愛犬を連れてローズ副会長の乗っているタイテニアに近付いていた。グランヴェリー公爵夫人は六花の母親同様、ジョゼフィン王女のそばにいたのだが、息子のシルバーのほうが自らタイテニアを降りて、母親のもとへ向かった……と思ったら、なんか六花のほうに寄ってきて、オオカミのぬいぐるみをぶん投げてきた。
「もう、乱暴なんだから」
表情と仕草で、シルバーはすでに本人に戻っていることを察した。六花がキャッチした腕の中で、オオカミのぬいぐるみがもぞもぞと動く。六花を見上げ、苦笑いするような声で言った。
「腹を立ててるわけじゃなく、色々と気まずいんだろう。俺の力を借りる羽目になったのが不本意というか」
「男の子は複雑なのね」
それきり六花たちに振り返ることなく母親のほうへ行ってしまったシルバーの背を見送り、風花が乗るタイテニアに向かう。父も、すでに風花の乗るタイテニアの足元にいた。
「フーカ、だいじょ……大丈夫……なの?その状態」
降りてきた風花の姿に、六花は目を丸くする。父もぽかんとし、そんな二人の様子に風花のほうが訝しげな表情をした。
もしかして、本人は気付いていないのだろうか――六花は指摘してもいいのかどうか少しだけ悩み、眉を寄せて言った。
「あの……頭になんかついてる」
「アッシュ、おまえ、猫の耳が生えてるぞ」
オオカミのぬいぐるみは無慈悲に事実を突きつける。
は、と声を上げた風花は自分の頭に手をやり、髪から飛び出している異物に気付いた。
「なんだこれ」
「ああ、ごめん。私の仕業だ。君の乗る巨大人形が動かない理由が、力の制御が苦手だとお父上から聞いたものだから。無断で手を貸して申し訳ない」
大河の叔父がひょっこり現れ、眉間に皺を刻む風花に向かってあっけらかんと言った。
「力を制御する式神を、ちょっと勝手に宛がわせてもらったよ」
「それで突然、フーカのタイテニアも身軽に動き始めたのね」
動くことなく黒い鎖だけで援護をしていたはずの風花が突然動き出したので、六花たちもちょっと困惑していたのだが……大河の叔父のおかげだったのか。仕組みはよく分からないが。
「君自身の力で生み出した式神なんで、私のやったことなんて大したことじゃないんだがね。もとに戻すから、少し動かないでくれるかな」
大河の叔父が指を立てて何やらブツブツ呟くと、風花の髪から覗く猫の耳が消えた。
……耳は消えたが、代わりのものが髪の合間から見えているような。
「……なんか頭が重くなったんだが」
今度は風花のほうもはっきりと異変に気付いたらしい。
にゅっと長い尻尾を立て、小さな顔にぱっちりと開かれた瞳は周囲を見つめている――猫の耳は消えて、今度は小さな猫が風花の頭に乗っかていた。
「あれれ。急造で勝手にやったのはやっぱりまずかったか。もうちょっと待って――」
大河の叔父はさらにブツブツ呟いたが、子猫がすっと立ち上がり、六花に向かってぴょんと飛びついてくる。
オオカミのぬいぐるみを両手で抱えたままの六花は思わず身を竦めたが、子猫は器用に六花の肩に飛び移って、長い尻尾とふわふわ毛並みの顔を摺り寄せてきた。
「図々しいな、こいつ」
「燃やすぞクソ猫」
オオカミのぬいぐるみと風花が、ほとんど同時に言った。
こらこら、と六花たちの父親が苦笑いでたしなめている。大河の叔父も、頭をかいて笑う。
「お嬢さん。君はたしか、回復能力があるんだったよね。大河からも手紙でそんな話をしていたし」
「はい。まあ……一応、それが特技です」
「どうやらそいつは、力を使い過ぎたと思って、回復してからでないと大人しく宿主のもとに戻る気はないらしい。一日もあれば満足して君の弟君のほうに戻ると思うから、それまで預かっててくれないかい」
説明を端折り過ぎでは、と思ったが、彼らもいまはその説明をしている暇はないだろう。
グランヴェリー公爵が降りてきた息子オルフェを連れ、オールストン博士と勇仁の父親に何やら話しかけているのが見える。声をかけられた両名も険しい表情で公爵の話に応じており、勇仁の父親は何か頷いたかと思うと、大河の叔父に呼びかけた。
「時雨!」
「分かった、わかった。いま行くよ」
彼らが何をそんなに熱心に話しているのかは、尋ねずとも分かる。
――たったいま起きたことについて、急ぎ、議論と追及をする必要があるのは明らかなのだから。
その後、六花たちは全員で寮へと戻り、どんどん人が集まってきて、六花は母と一緒に食事の用意することになった。
……領主の妻になっても人にかしずかれることが苦手で自ら家事をやりたがる母がせっせと働き始めたので、六花も手伝うことにしたのだ。
「私も何かお手伝いを……」
六花がキッチンを行ったり来たりしていると、ジョゼフィン王女がおずおずと話しかけてきた。
王女も、まだ総督府に戻ることなく寮にいた。グランヴェリー公爵やオールストン博士を始め、普段なら総督府に勤めている主要人物が全員ここに集まっているので、彼女も当然、ここに留まることになったのだった。
「気にしなくていいのよ。ジョゼフィンさんはゆっくり過ごしていて」
母は笑顔で王女を労ったが、六花が口を挟む。
「何もしないのも落ち着かないんじゃないかしら。お母様、ジョゼフィンが手伝えそうなことがあるならお願いしてあげたら」
「そう?本当にいいのに……」
母・蘭花はおっとりした性格なので気付かなかっただろうが、ジョゼフィン王女はホッとしたよう表情をした。
彼女も今回の事件の渦中にある人なのだが……王女は、どうやら話し合いの場には参加できないみたいだ。
あれから六花たちの暮らす寮に戻り、グランヴェリー公爵、オールストン博士、勇仁の父・城ケ前忠義と大河の叔父・御園寺時雨は普段は使われていない大部屋の一室に集まって、ずっと話し合いをしている。
オルフェ会長と弟のシルバー、それからローズ副会長はそれぞれの親の指示であちこちに遣いに回っているようで、伝達を受けた学院長や教頭先生たち、総督府からも何人か人がやって来て、寮はいままでになく賑やかになっていた。
やがて六花の父親まで大部屋に呼ばれて行って……残された一年生と女たちは、寮でくつろぎながら話し合いが終わるのを待つことになった。
その間、母の蘭花は食事を用意し始めた、ということである。
ご飯も炊き上がって美味しそうな匂いが食堂に充満し始めた頃、六花の妹はなと、オールストン博士の娘マリーを連れ、湯上り姿で勇仁の母・城ケ前智子がやって来た。
「あらっ。蘭花はんたちだけですか?まったく……勇仁も大河も、手伝いもせんと何してるんだか……」
「そんな。むしろ申し訳ないです。二人ともあんなに戦って、大変だったでしょうし……。息子の風花も休んでいるみたいなので、二人にもゆっくり休んでもらわないと」
蘭花が言った。
いつもだったら母の手伝いをする風花は、さすがに疲れた、と言って自室に戻って休んでいる。後衛に下がって援護に徹していた六花と違って、彼らは消耗したことだろう。
休んだほうがいい、というのは六花も同意見だ。
「はなちゃんとマリーちゃんをありがとうございます。もう出来上がるので、智子さんも座ってゆっくり待っていてくださいね」
「お母さん、お腹減った」
はながそう言ったので、智子はクスクス笑う。
料理が出来上がるのを待つ間、風呂上がりで濡れたままのはなとマリーの髪をタオルで丁寧に拭き、二人の髪を梳く。はなとマリーはすっかり寛いだ様子だ。
「私、みんなに声をかけてくる。ジョゼフィン、あとはよろしくね」
はい、と頷く王女に母たちのことは任せ、六花は大河たち――彼らに任せたぬいぐるみたちを探しに行くことにした。
カルネたちも、彼らで集まって今回のこと……これまでのことを話し合っている。エミリオ先生は、まだ寮に来ていなかった。




