第3話弐 本日最大のイベント
前回と同じ相手ならまた自分が狙われると思って本来の役割よりも前に出たのだが、六花はすぐに下がることになってしまった。
――今回の狙いは、六花ではなくジョゼフィン王女だ。
「か弱い女の子を寄ってたかって襲うだなんてサイテーよ!ダニオ、あなた、いつからそんな男になったの!」
『これに乗っている間は、こちらの声は向こうに届きませんよ。我々も、あちらの声はまったく聞こえていませんし、あくまで推測ですから、あれがダニオという確証もありません』
ぷりぷり腹を立てる六花に対し、冷静に諫めるラズの声が耳元に返ってくる。
聞こえていないことは百も承知だが、言わずにはいられないのだ。もしちらっとでも聞こえていれば、あの生真面目なダニオだったらそれなりに精神的ダメージは受けそうだし。
『あっちがダニオだとして……それはもういいです。そんなことより、もう一体現れたタイテニアの乗り手は何者なのか』
『雷の紋章とは珍しいな。俺はオルフェ以外で、その使い手に会ったことがない』
耳飾り越しにラズとローズ副会長の会話を聞きながら、六花も兄カルネと対峙しているタイテニアに視線を向けた。
すでに姿を現していた三体と戦い始めてほどなく、さらに二体のタイテニアが相手側に加勢し、戦況は想定していたものからずいぶん変わってしまった。
ジョゼフィン王女を守るために六花は退がり、ロベラとカルネはダニオと謎のタイテニアの相手をすることになった。
スヴェンは予想通りアレーナに粘着され、彼女を抑える役目に専念する羽目となっている――純粋な力勝負ならスヴェンのほうが上回っているのだが、砂で作り出された蛇がかなり厄介で、護衛が目的となると非常に難敵になるのだ。
目が合うと石化させてくる蛇――砂でできているために実体はなく、攻撃しても砂塵となって一瞬だけ消滅するものの、すぐに復活する。
水の紋章で凍り漬けにすることも可能だが、これまたすぐに次の蛇を作り出してくるのでキリがなく、砂に干渉できる土の紋章でしか対処不可能で、一万年前も、アレーナが出てくるとスヴェンが対応するしかなかった。
それでも人数で六花たちのほうが圧倒するはずだったのだが……。
「一万年前を合わせても、私もお兄様とオルフェ会長以外で雷の紋章の使い手なんてろくに見たこともないわ。いたことはいたけど、まともに扱えない人がほとんどで……」
ブラッドと思わしき風の紋章の使い手だけでなく、もう一人増えるのは想定外だ。いや、増える可能性はあったとしてもこの紋章ではないだろうと思っていた。
雷の紋章の使い手に、心当たりがない。いったい何者なのか。
第一体育館を出た直後に正体不明のタイテニアと出くわしてしまい、生徒会メンバーの家族も建物のそばから離れられずにいた。
タイテニア同士の戦いの足元で、何の装備もない自分たちがウロウロしては子どもたちの足手まといになる――それぐらいは、誰もが直感するほど危険な状況だ。
グランヴェリー兄弟と共に最前線で戦っている息子のことを、勇仁の母・智子はハラハラとした面持ちで見守っている。
「あの子、大丈夫やろか……。一番大変そうな相手と戦わされてるように見えるんやけど……」
「あの程度で潰れるような鍛え方はしておらん。俺との稽古より、格段に動きが良い。一番厄介そうな相手……というのは否めんが」
勇仁の父・忠義は冷静に戦局を眺めながら、大河の叔父に視線を向けた。
「砂の蛇とは変わった式神だな」
「式神とは違うんだろうけどね。見た感じ、あの蛇をこちらに近付けまいとしている。たぶん、見た目以上に何か特殊な能力があるのだろう。我々も近付くべきではないな」
オールストン博士も、自分の娘を抱き寄せてかばいながら、落ち着いた様子である。
「どうやら連中の今回の狙いは王女殿下のようだ。だからと言って、私たちを見逃してくれるわけでもなさそうなのは面倒だな」
博士の指摘に、ジョゼフィン王女は青ざめていた。
彼女の言う通り、明らかに、謎のタイテニア集団は自分を狙っている。王女自身もそれは感じていた。
――となれば、自分はこの場を離れるべきかもしれない。
狙いが王女なら、他の者たちは自分がいなくなれば安全に避難することができるだろう。幼い子供たちもいるのだから……。
そう考えていたジョゼフィン王女の手を、六花の母親が強く握った。ジョゼフィン王女が顔を上げて彼女を見ると、蘭花が真っすぐ見つめて言った。
「大丈夫よ。私たちが一緒だから。何があっても、最後までみんなついてるわ」
蘭花はジョゼフィン王女の葛藤を、別のものに考えたらしい。不安がる少女を励ます女性に、王女のほうが戸惑ってしまう。
果たして彼女は、状況を正しく理解しているのだろうか。他ならぬジョゼフィン王女のせいで、いまのこの事態を招いているというのに……そんな王女と、一緒にいようとするだなんて。
説明して、自分からこの場を離れるべきだ――それが正しい選択だと分かっていても、幼い娘と共に王女の手もぎゅっと握る蘭花を、ジョゼフィン王女が振り払うことはできなかった。
グランヴェリー公爵も、建物の陰で身を守りながら息子二人の奮闘ぶりを観察している。
「どう見ても、タイテニアもない私では二人の足を引っ張るだけにしかならんな。よく戦い、指揮を執っている――オルフェも見事だが、シルバーがあれだけ戦えるとは思わなかった」
オルフェ、シルバーが戦ってる相手は、どうやら雷の紋章使いと火の紋章使いらしい。雷とは珍しいものだ――グランヴェリー公爵も、息子オルフェ以外で初めて見た。
しかし、紋章は優れているものの武人としてはそこまで能力が高くなさそうにも見える。火の紋章使いにフォローしてもらいながら戦っていて……それでも、紋章の強力さでオルフェたちの足止めには成功していた。
火の紋章は珍しくないが、そちらの使い手は武術のほうもかなりの実力者だ。
総督府にいる自分の部下でも、あの使い手と対等に渡り合える人間はいないかもしれない。シルバーが優勢に戦っているのが信じられないぐらいだ。
向こうの戦力は五人。
主戦力は三人で、オルフェ、シルバー、ワダツミ人の一年生ユージン・ミソノジがそれぞれ雷、火、土の紋章使いの相手をしている。
風の紋章使いと水の紋章使いは主にサポート。二人と対峙するのは生徒会副会長ローズと、ワダツミ人の一年生の二人……。
「あれが噂の黒い炎か。本当に、火の色が真っ黒だ。黒い炎を鎖状にして、見事に操っている」
五賢人の一人、ロベラの生まれ変わりと言われたワダツミ人の一年生。総督府でも話題になり、グランヴェリー公爵もその実力を自身の目で確かめる機会があればと考えていたが、思いもかけずにその時は巡ってきた。
こんな状況でなければ、もっとゆっくり観察したかったものだ。
「風花は――息子は、私が出会った時にはあのような能力を持っていました。赤くもできるが、黒い炎の場合は相手の力を削ぐ特殊な効果が付くんだとか」
風花の養父が話すと、グランヴェリー公爵も、少し離れたところにいた城ケ前忠義、御園寺時雨も冬史郎に視線を向けた。
注目が集まる決まりの悪さはあるが、続きを促されているような気がして、冬史郎は話し続ける。
「私も妻も、紋章についてはまったくの無知です。上の娘は生まれた時から備え持っていて……息子を引き取った後、あの子の特訓をしてあげていたのは上の娘でした」
「つまり……両方とも独学で紋章を使いこなしていると?末恐ろしい姉弟だ」
忠義が感心したように言った。本当に、と時雨も目を丸くしている。
「白い炎を翼のようにまとって能力を駆使しているのがお嬢さんのほうですよね。彼女の紋章を制御する能力は私でも目を見張りますよ。うちの陰陽師で、彼女に敵う人間のほうが少ないかもしれない」
「そうなんですか……。私では、あの子たちがどれぐらいすごいのか分からなくて」
紋章使いというだけでかなり特別な能力を持っていることは知っていたが、同じ納涼句を持つ人たちから見ても、特に優れて秀でているということは理解できていなかった。
冬史郎は子どもたちを正しく評価できていない自分の不甲斐なさに恥じ入っているが、特別扱いしないからこそ、あの姉弟は父親を慕っているのだろうな、ということは外野のほうが理解した。
……いまは、美雲家の家族関係をゆっくり把握している場合ではないが。
「御子息のほうは、タイテニアを扱うのが苦手だとオールストン博士から聞いている」
「ええ、そんな話を、私も子どもたち本人から聞いています」
グランヴェリー公爵に話しかけられ、冬史郎が頷く。
「息子は紋章の力が強すぎて、制御するのが苦手な傾向がある……らしいんです。娘談ですが。だから、引き取ったばかりの頃は娘が指導役になって、かなりビシバシ扱いたと言っていました」
「ああ、だからあの巨大人形は動かないのか」
時雨が納得したように口を挟む。
「動かないまま、黒い鎖を無尽に飛ばして周囲を牽制するばかりでどうしてなんだろうと思ってたんだけど、中に乗ってる人間があえて動かさないようにしてたんだね。なるべく複雑なことをしないようにしていた」
「だがあれでは限界があるだろう。鎌を持つ敵のタイテニアがすべての鎖を切り刻むせいで、本来の力を発揮できないでいるように見える」
忠義はそう言いながら、懐から木製の小さな笛を取り出す。
「どこまで役に立つかは分からんが、我々も助太刀すべきだな。行くぞ、時雨。それに――貴公も。子どもにばかりやらせないで、武人なら戦場に加わるべきだ」
忠義が誰に向かって言ったのか、すぐには把握できなかった。一瞬の視線がこちらを向き、時雨も自分を見たことで、グランヴェリー公爵はようやく自分が話しかけられたのだと理解した。
忠義は取り出した笛を吹き、笛をしまって今度は小刀を取り出す。冬史郎が三人の男たちに視線をさまよわせている間に、晴れた空から何かが近づいてくるのが見えた。
――三頭の天馬だ。
忠義、時雨は当たり前のようにそれぞれ天馬に乗り込み、自分の目の前に降り立った一頭と向き合いながら、グランヴェリー公爵は戸惑っていた。
「乗れ。あの人形たちが戦う中に割り込むのなら、こちらも足が必要だろう」
「いいのか」
「個人的には良くはないが、この状況でそんな我が儘を言ってる場合ではないというぐらいの分別はつく」
その言葉にグランヴェリー公爵も黙り込み、静かに頷く。武人の顔になって天馬に乗り、飛び立っていく彼らを、冬史郎も黙って見送ることしかできなかった。




