第2話壱 私の青春は、いま始まった
もぞ、とベッドの上で六花が身じろぐのを見て、枕元で寝そべっていたオオカミのぬいぐるみも身体を起こす。
ふわふわとしたぬいぐるみの鼻で六花の顔に触れると、くすぐったそうに六花が声を漏らした。
「ふぁ……おはよう、ロベラ」
「おはよう。今日は文化祭本番だから、早起きしなくちゃいけないんだろう」
「うん……」
ベッドの上に起き上がりながらも、六花はまだ眠そうにウトウトしている。
それでも着替えをするため、あくびをしながらベッドから降りて、昨日のうちに用意しておいた着物をベッドに広げていく。
六花が寝衣を脱ぎ始めるのを、オオカミのぬいぐるみは黙って見ていた――いつはっきり目を覚ますかな、と様子見をしていたが、ばさりと頭から脱いだ寝衣を被せられてしまった。
手慣れた様子で長襦袢を着ていると、部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。続けて、カルネの声が。
「ルチル。アッシュ王子が寝ぼけながら君の部屋を訪ねてきたんだが」
「どうぞ」
カルネは六花が寝た後、部屋を出て行っていたらしい。朝になって戻って来て、フラフラと同じように六花の部屋に向かう風花を見つけて声をかけてきた。
風花が開けた扉の隙間から天馬のぬいぐるみがするりと入ってきて、その後を、のそのそと寝ぐせ全開の髪で風花が入ってくる。
何しに来た、と困惑気味にロベラが被せられた寝衣の隙間から顔を覗かせ、風花に向かって言った。
「着付けを手伝いに来てくれたのよ。早起きしなくちゃいけないから大丈夫なのかしらって心配してたけど、頑張って起きてくれたのね」
「起きて……いるのかな、これは」
心配そうに風花を見上げながら、カルネが言った。
二人は心配していたが、寝ぼけながらでも風花は手際よく六花の着付けを手伝い、自分の寝ぐせは放置したまま六花の髪に丁寧に櫛を通していく。
鏡台の前で鏡越しに風花を見ていた六花は、そうだ、と思い出したことを話した――六花の頭も、まだちょっと寝ぼけていたようだ。
「今朝はブラッドの夢を見たわ」
「……今度はあいつが竜になって襲ってくるってか?」
寝ぼけた状態で話をどこまで理解できるか謎だったが、風花は思いのほかちゃんとした返事をしてくる。
いままでの流れを考えると、そうなるのかしら。六花も考え込む。
「ロベラたちにみたいになるなら、そのまま仲間になってくれたらいいのにね。あなたと仲が良かったんでしょう?」
「アッシュが思い切り顔をしかめてるぞ」
天馬のぬいぐるみと並んで鏡台にちょこんと座っていたオオカミのぬいぐるみが、六花の背後に立つ男をじっと見つめて言った。
「仲が良い……そんな関係か?俺とあいつが……。属性の相性から組むことは多くて、アッシュだった時代に一番まともな会話があった相手だったのはそうだが……仲が良い……?」
「ブラッドのほうはあなたに友好的に見えたけど」
と言っても、ルチルとして彼らと戦場以外で交流を持った時間はとても短かった。捕虜だったルチルにも、ブラッドは比較的フレンドリー……だった気がする。
「嫌われてはいなかった……とは思う。たぶん。でもあいつも異常なところがあったからな……」
ふーん、と相槌を打ち、長い髪を器用に結っていく風花を、六花は見つめた。
「そう言えば、あなた、どうして仮面を被ってたの?前から聞こうと思いつつ、そのたびにどうでもよくなって質問するの忘れてたわ」
エルドラド王国の王子アッシュは、いつも仮面を被っていた。
王子とは戦場でしか対峙したことがなかったのでそんなことを質問する機会もなかったのだが、そう言えば、捕虜となってエルドラドの王城にいる間も、王子は仮面を被ったままだった。
「ロベラに似て男前なのに、仮面で隠しておくなんてもったいない。まさか、ロベラとの血縁を隠すためだったわけじゃないわよね?ゴットフリートのほうは素顔晒してたし……」
双子というだけあって、ロベラとアッシュ王子は瓜二つだった。
ただ、そんな二人は父親であるゴットフリート王ともよく似ていた。戦場で初めて対峙した時から、紋章の属性も同じだし、実は血縁者なのでは、という疑惑は出ていたほど。
……その疑惑は、だから何なんだ、というオチでいつも締めくくられ、真剣に論じられることはなかった。
「あいつが王によって捨てられた双子の片割れだったことを知ったのは、おまえらと会って何年も経ってからだ。仮面は、物心ついた時には付けられてた――俺の力は強すぎるから、炎の暴走を抑え込むためのものだって教えられてた」
「ああ……。紋章を制御する能力については、神代で再会してからも私のほうがずっと上手だったぐらいだものね」
「それは否定しねえ」
話している間に、部屋の扉をノックする音が聞こえてくる。
こんなに朝早くから誰が、と全員が扉に振り返った。
「おはよう、ミクモ。俺……ジョーガサキ。開けても大丈夫?」
「どうぞ」
六花が許可した後も、少しの沈黙が流れ、そーっと扉は開いた。中の様子をうかがうように。
そろそろと開いた扉から、勇仁がちょっとだけ顔を出す。
「あ、起きてるんだ――いや、弟くんが起きれてなかったら、俺が手伝ったほうがいいかなって思って。姉さんたちの着替えの手伝いを時々やらされてたから、着付け、俺も一応できるよ」
どうやら風花不在のまま六花が袴を着ることになっているのではないかと心配して訪ねて来てくれたらしい。
部屋に入ってきた勇仁は、三体のぬいぐるみを腕に抱えている。
「それがいまの時代の、この国の盛装ですか!ルチル様の魅力を引き立て、とてもお美しいです!」
「見慣れぬ装丁ですが、趣深い衣装ではありますね」
勇仁の腕の中でアミルは絶賛し、ラズも素直に称賛した。ありがとう、と六花は笑顔で礼を言った。
「俺はもっと色っぽいほうが好みだ」
「スヴェンは情緒がない」
残念そうなスヴェンに、勇仁はバッサリ返す。スヴェンらしい、と六花だけでなくカルネとロベラも笑った。
「とても綺麗だ。衣装も、ミクモも。俺はやっぱりガラテア式の服より、そういう衣装のほうが好み」
勇仁も笑顔で褒める。六花は礼を言おうとしたが、髪を結っていた風花が六花の髪を軽く引っ張ってきた。
「もう少しで終わるから動くな」
「はーい」
風花が鏡台に並べられた髪飾りに手を伸ばし、髪結いの仕上げに入っているのが六花にも分かった。
ぬいぐるみを抱いたまま勇仁も鏡台に近付き、床に座る。勇仁の目線が、鏡台に並んだリボンに合った。
「……せっかくだから、スヴェンたちもおしゃれして行こうか」
「はあ?……冗談じゃねえ!」
勇仁が見ているものに気付き、クマのぬいぐるみが急いで逃げ出そうとする。
途端、黒い鎖がどこからともなく現れ、クマのぬいぐるみを完全に捕らえた。放せ!とクマのぬいぐるみは捕らえられてもなおジタバタもがいている。
「まあまあ」
「みんなでお揃いにしましょう。そのためにジョーガサキくんが買ってくれたんだから」
六花も風花に髪を結ってもらいながら、天馬のぬいぐるみ、オオカミのぬいぐるみにリボンを巻き付けていく。
勘弁してくれ、という声が聞こえたような気がしたが、綺麗な蝶々結びになるようにすることに集中して、返事をすることは都合よく忘れてしまった。
髪も仕上げ、ぬいぐるみたちの飾りつけも終えて六花たちが食堂へ降りてみると、大河がすでに食堂に来ていた。
六花たちが揃って入ってくるのを見て、あーっ!と大河が大声を上げる。
「やっぱり!起きたらユージンもアミルも全然いないし、もしかしてと思ったけど!ずるい!俺だけ除け者なんてひどいよ!俺もリッカちゃんの盛装姿、めいっぱい褒めたかったのに!」
ごめん、と勇仁がちょっと身を縮めて謝罪する。
「よく寝てたから、起こすのも気の毒かと思って。除け者にするつもりはなかったんだけど……結果的にそうなった」
その後もふくれっ面でずるいずるいと言っていたが、大河も本気で腹を立てているわけではなさそうだった。朝食を食べ終わる頃には機嫌も戻り、今日の文化祭について最後の確認をして――。
外が騒がしくなったような気がして六花は顔を上げたが、他のみんなも反応したのを見て、自分の気のせいではないことを察した。
「お客さんかしら」
「天馬の嘶き声だった。てことは……」
勇仁が呟き、急いで食堂を出ていく。大河もぬいぐるみたちを抱えて追いかけ、六花も二人を追いかけ……ようとして、まだ寝ぼけたまま食堂のテーブルに突っ伏している風花をグイグイ引っ張って行った。
六花が外に出た時、勇仁、大河は見知らぬワダツミ人の男性二人と話していた。六花が追い付いたことに気付き、ため息をついていた勇仁が振り返った。
「ミクモ、たぶん見たら分かると思うけど、俺の父親と」
「俺の叔父さん。約束通り来てくれたみたい!」
大河も笑顔で男性たちを紹介する。
どっちが勇仁の父親で、大河の叔父なのかは見れば本当に分かった。勇仁は武家の出で、大河は公家の出身だと話していたし、簡略衣装であっても武家と公家では装いが全然違う。
「朝早くからごめんね。大河の叔父で、御園寺時雨と言います。君が……リッカさんのほうだね。女の子のほうがリッカさんで、男の子のほうがフーカくん」
物腰柔らかな態度で挨拶をする公家衣装の男性は、六花と風花を見比べながら言った。
風花の本来の読み方は「カザハナ」なのだが、風花本人が「フーカ」呼びに慣れ過ぎてしまっているため、訂正する人は誰もいなかった。
険しい表情で腕組みをしていた武家衣装の男性は、六花たちを見て姿勢を正し、礼儀正しく頭を下げる。
「お初にお目にかかる。私は城ケ前忠義と申す。御二方には愚息たちが大変世話になっているそうで、本来ならばこちらから挨拶に出向くべきところを今更になってしまったこと、どうかお許し願いたい」
「いえ、そんな……」
「父さん。そこまで仰々しくやられるとミクモたちがかえって困るって」
勇仁がフォローしてくれて、正直ほっとした。
六花たちに友好的に接してくれるのはありがたいが、ここまで畏まられるとこちらも恐縮してしまう。
城ケ前父子のやり取りを見て大河の叔父が笑っている。
「ほらね。来てよかっただろう」
からかうように言われ、勇仁の父親はフンとまた不機嫌そうに腕を組む。
やっぱり、彼は王都行きをかなり渋ったのだろう。それでも、息子の友人には礼儀を持って接してくれてるあたり、勇仁の父親らしく誠実な男性ではあるようだ。




