第1話弐 明るい場所にも陰はできる
「フロックハート先生の申し出はとてもありがたいのですが、一つだけ、わがままを言ってもいいでしょうか」
おずおずと、母の蘭花が口を挟む。
こういう場では自ら出しゃばったりするタイプではないだけに、六花は母の言葉を意外に思った。
どうぞ、と教頭先生は気分を害した様子もなく、礼儀を尽くして蘭花に応えた。
「りっちゃん、ふうちゃん、二人が嫌でなければなんだけど、私、二人が暮らしてる学生寮も見てみたいの。ダメかしら……?」
「もちろんいいわよ。フーカだって構わないわよね」
六花の独断で頷いてしまったが、風花も同意する。
家人に連絡を入れ、客を泊める用意をさせると教頭先生も言い、教頭先生の家から迎えが来るのを待つ間、全員で学生寮見学となった。
勇仁の母親は大河、勇仁が案内し、両親を風花が。六花は、妹のはなと愛犬のユキを自分の部屋に案内していた。
「おしゃべりするお人形さん、増えてる」
「色々あってね」
アミルたちのことは不思議な人形として受け入れているはなは、新たに加わったぬいぐるみを見せてもらい、目を丸くする。
いいなぁ、と眉を八の字にして甘えるように姉を見上げた。
「はなちゃんもひとつ欲しい。このワンちゃん」
「その子は特にダメ。それに犬じゃなくてオオカミなの」
姉妹揃って、好みは同じなのかもしれない。愛犬のユキは、長い鼻を寄せてぬいぐるみをすんすんと嗅いでいた。
妹を連れて談話室へ戻ると、両親と勇仁の母親も戻ってきており、勇仁の母親は六花を見て微笑んだ。
「挨拶が遅なってしまいましたなぁ。初めまして。勇仁の母親で、大河の伯母の、城ケ前智子と言います。お嬢さんは、美雲六花さんでしょう?息子たちが、よう話してくれてます」
勇仁の母・智子は丁寧に頭を下げ、挨拶をする。六花も慌てて頭を下げ、ありがとうございます、とつられて礼を言った。
「話で聞くよりずっと可愛らしい子やわぁ。六花さんと風花さんに仲良うしてもろて、息子たちも学校生活が楽しそうで、親としてもとても感謝しております。なあ?本当に、良い友達に恵まれて」
智子の言葉を大河はニコニコ笑顔で聞き、勇仁は少し気まずそうにしている。
六花たちの両親も、嬉しそうに笑っていた。
「こちらこそ。ご子息のおかげで、娘たちも学校生活を楽しんでいるようです。子どもたちだけで遠い地に送り出すことになって私たちも内心では不安を抱いていたのですが、おかげさまでそのような心配も完全に払拭されました」
「お互い様、というわけですね」
両親たちが和やかに会話している間に、寮を誰かが訪ねてきた。
教頭先生が迎えに来たのかな、と思ったが、やって来たのは生徒会長と副会長だった。
「リッカ、フロックハート先生から聞いた。こちらが至らなかったばかりに、ご両親に不便をかけてしまったそうで」
出迎えた六花を見るなり、会長は申し訳なさそうに話す。
宿でのワダツミ人差別は残念なことだが、会長に落ち度はないだろう。オルフェ会長は何も悪くありませんよ、と六花が言った。
「グランヴェリー家が紹介した客だというのに、土壇場になってワダツミ人ということを理由に拒否するとは、勇気のあるホテルだ。その代償は高くつく――グランヴェリーはもちろん、オールストンも今回の無礼は許さないだろう」
「そう言ってもらえるとと心強いです」
いつもマイペースな副会長も、今回ばかりは不快さを露わにしている。
会長と副会長を談話室へと案内し、勇仁の母親に紹介する。六花の両親とは久しぶりの対面なので、二人とも嬉しそうにしていた。
「――そんなに恐縮しないでええです」
深々と謝罪するオルフェ会長を前に、勇仁の母・智子は明るく笑った。
「会長さんは、ちゃんと私たちをもてなそうとしてくれていたことは分かってますから。息子たちから、とても優しい先輩たちの話をいつも聞いてます。この子たちがこの学校で楽しく過ごせているのも、同級生の六花さんたちと、頼りになる上級生たちのおかげだってことは私もよく理解してますから」
智子もなかなか流ちょうなガラテア語を話している。気分を害した様子もなく、本心から会長たちの厚意に感謝しているようで……帝都の人だし、ガラテア人に厳しそうな印象があっただけに、六花もちょっと意外だった。
でも、と勇仁が眉をひそめる。
「こうなると、父さんは一緒じゃなくてよかったかも。こんな仕打ち受けてたら、ますますヘソを曲げて、ガラテア人嫌いを加速させそう」
「それは……そうやったやろうなぁ……。もう帰る!言うて、勇仁たちまで連れて帰ろうとしたかも……」
息子の推測に、智子も眉を八の字にして同意する。大河も苦笑しており、やはり、勇仁の父親は保守的なワダツミ人のようだ。
「……ま、まあ、おらん人のことをあれこれ考えても仕方ないわ。明日には時雨はんが連れて来るやろうから、その時に考えましょ。私は王都もルミナス学院も、結構楽しみにしてたんよ」
「しっかりもてなさせて頂きます。我が家も、ワダツミの美と文化に詳しい都人を迎えることができて僥倖」
副会長が言った。
「そろそろ、家人が迎えに来る頃だが……」
副会長がそう呟くと同時に呼び鈴が響き、オールストン家の召使いがワダツミ人の客を迎えに現れた。門の外に車を用意したので、それでオールストン邸まで移動することになり……。
「ローズ副会長、両親と妹と、ユキちゃんをお願いします」
「心得た。やはりマリーは大喜びしているそうだ。ハナチャンの部屋は自分が用意すると張り切っているらしい」
美雲家の三人と一匹、そして勇仁の母親はオールストン家の車に乗って去っていき、会長は、まだ申し訳なさそうな様子で六花に別れの挨拶をした。
「本当にすまなかった。家に帰り次第、父にも詳細を話しておく。俺の両親も、こんな蛮行は許さないだろう――明日はしっかり楽しんでもらえるよう、俺も細心の注意を払う」
「ありがたいけど、無理はしないでね。会長は何も悪くないんだから」
勇仁は、親がワダツミ人差別を受けたことより、オルフェ会長の負担が増えたことを心配しているようだ。
生徒会長として文化祭の準備に追われているというのに、後輩の親の心配までさせてしまって――愚かで無礼なホテルマンのせいで。気の毒なことだ。
「会長。明日が本番ですね。どれだけ戦力になれるかは分かりませんが、私たちも精一杯頑張ります」
「ありがとう。みんながいてくれるから、俺もとても心強いよ」
ちょっとしたハプニングはあったが、家族も無事に王都に到着し、明日に備えて六花たちもゆっくり休むことになった。
ロベラとカルネを連れ、六花も自分の部屋に戻る。
「優しそうなご両親だった。いまのルチルは、妹がいるんだな」
部屋に戻ると、天馬のぬいぐるみはどこか嬉しそうな声で話しかけてくる。
六花が寝衣に着替え中なので、天馬のぬいぐるみだけでなくオオカミのぬいぐるみも頭から毛布を被って姿が見えない状態であった。
「ルチルは紋章が使えるが、彼らは誰も使えないのか?」
「血が繋がってるのに、って言いたいんでしょう?不思議なことに、誰も使えないの」
ロベラの疑問に、六花が答えた。
考えてみれば奇妙なことだ。
六花と血の繋がった家族は誰も使えず、血の繋がりはない風花だけが、六花と同じく紋章使い。ルチルとカルネの兄妹はどちらも紋章が使えるのに。
「でも血が繋がっていても使えないということのほうが多いみたい。オルフェ会長の家系がかなり特殊だって言ってたわ。グランヴェリー家はオルフェ会長本人だけでなく、お父様と弟のシルバーも紋章使いだって――オルフェ会長だけ属性が違うけど」
一方で副会長の家系は、紋章使いは副会長だけ。
紋章を別の名称で考えてきたワダツミ人は、またちょっと事情が違う。
「ミソノジくんは叔父さんが陰陽師だって話してた。つまり、叔父さんもガラテア風に言えば紋章使い」
「紋章使いの血縁者がいるということだな。もっとも、私たちの時代でも血縁と紋章使いの素質についての関係性は謎だった」
カルネが言った。
「私とルチルは共に紋章使いだったが、両親がそうだったとは聞かないし、母親違いの兄弟も紋章は使えなかった。ラズは一族に何人かいたそうだが、能力の強さに関してラズ一人だけが突出していたそうだし……。ロベラは、父、弟共に優秀だったな」
父親や弟の話を持ち出されると、ロベラは複雑そうだ。ぬいぐるみだから表情が変わるはずもないのだが、六花はなんとなく感じ取っていた。
「紋章の力そのものが、この時代はかなり弱まっているものね。紋章使いの稀少さも、一万年前の比じゃないみたい」
実際、六花たちが苦戦したのは一万年前の人間が関わっていた時だけ。
ロベラと再会して、それで最後だと思っていたのに。一万年前は敵側だった人間まで現代に現れて……まだ、戦いは続くのだろうか……。
「――ルチル。もう休んだほうがいい。明日は大切な日なのだろう」
考え込んでしまいそうになった六花に、天馬のぬいぐるみが毛布からこそっと顔を出して話しかけてくる。
とうに着替え終えていた六花は笑って毛布を取り除き、そうね、と相槌を打った。
「おやすみなさい、お兄様、ロベラ」
二人に挨拶をし、六花はベッドに入る。
カルネはサイドテーブルの上のクッションに横たわり、ロベラは六花の枕元へやって来た。ふわふわのオオカミのぬいぐるみの頭を撫でて、六花は目を瞑る。
――そして、久しぶりに一万年前の夢を見た。
「治してあげるぐらい良いけど……まずは怪我しないようにしなさい。私だって、何でも絶対に治せるわけじゃないんだから」
治療を終えると、ルチルは呆れたようにため息を吐いた。
完璧に傷跡の消えた腕をしげしげと眺め、目の前の男はルチルの忠告をちゃんと聞いているのかどうか……。
「すごーい」
「そこまですごくないわよ。大した怪我じゃなかったから。この程度、あなたたちにだって治療できる紋章使いぐらいいるでしょ」
「まあね」
ルチルが指摘すると、男は悪びれることなくあっさり答える。ルチルがまたため息を吐くと同時に、部屋に別の男が入ってきた。
「またここに来てたのか。いい加減にしないと、余計な邪推をされるぞ」
仮面を被った男は、彼がルチルと二人きりで会うことをたびたび諫めに来る。
囚われの身となったルチルはこの部屋で過ごす以外に選択肢はなく、部屋に入ってくる人間を拒む術もない。
……最初は身構えたが、この男は本当にルチルとただ世間話をするだけ。こっちが拍子抜けしてしまった。
エルドラド帝国の将軍の一人。戦場では王子アッシュにも劣らぬ戦士として何度も戦ってきた相手だったが、虜囚となったルチルには妙に友好的だ。
注意されても部屋を出ていく気のないブラッドを、しびれを切らしたように王子アッシュが首根っこをつかんで引っ張っていく。
「アッシュも一緒にお喋りして行こうよ。ついでに古傷も治してもらったら?」
「いらん」
一刀両断するアッシュ王子に引きずられ、ブラッドは部屋を出ていく。またね、とのんきに手を振る男に、本当にまたすぐ来るんだろうな、とルチルは思った。




