SPELL 33
あの日、私がこの世界へ足を踏み入れた時、城へ行っていたら事は全て変わっていただろう。
路地裏をさ迷う事もせず、店長と出会う前に…、いや、出会った後でも見かけた兵士に声をかければ良かった。
胸のあざに気づいた瞬間も、店長に打ち明ければ全ては変わっていたのだ。
変わる瞬間は幾らでもあったのに、見過ごした結果、美春が召還されてしまったのだ。
私があれをしていたら。私があれをしていれば。たらればは腐るほど見つかった。
後悔は後の祭りなのだ。
あの店に居る限り、胸のあざの話はとんと聞かなかった。
その時にはもう自分がこの世界で異質なことに気づいていたから、極力店から出なかった事も一つの要因だ。
断絶されたその空間の唯一の情報源は店長の世間話とジェクサーの世間話、それだけだった。
全てが変わったのはジェクサーの一言だった。
「もう直ぐだな、女神祭」
なにやら祭りがあるのは知っていた。けれど自分には無関係だと、自室から見える窓から見下ろしてはそう心で思っていた。
「祝う女神は神話に出てくる女神じゃない。異世界からやってきた女神さ」
動けなかった。自分が今どんな顔をしているのかも分からない。
――――異世界。
その言葉が私の胸をひどく圧迫した。
「本物の女神がご降臨されたからな」
ほんもの。
ジェクサーの声が、頭に反響する。
――――でも、彼女は二人目なんだ。…女神の刻印が、彼女には無いんだよ。
異世界から現れるという女神。胸には誰も持ち得ない確固たる刻印を胸に宿すという。
胸のあざが痛んだ。存在を示すかのように痛みを放つ。
自分は女神なんて柄じゃない。そう鼻で笑えたらどれほど楽だっただろう。
私を認めてくれない世界。現れた二人目の女神。皆に認められた二人目の女神。
――――彼女が居るなら、私は…、私は。
現実から目を逸らしてしまった。
彼女の懐かしい風体を見て、ひどく郷愁の思いに駆られたてしまったのだ。
***
「私は美春を身代わりにして逃げようとした。私は…」
守るべきはずの少女を置き去りに、自分だけを守ろうとした。情けなくて、悔しくて、どうしようもなかった。
「あたし思うんです」
その声は凛としていた。
「心さんは最初神殿に現れるはずだった。でも何らかがあって、違うところに送られた」
「……」
「それって、身を隠して当たり前だと思うんですよ」
美春が頷く。
「知らない場所ですよ?国どころか星が違う。全ては向こうにある。うん、当たり前」
「あ……、わたし…」
「逃げじゃないです。戻ろうとしてるだけ。…悪いことなんて、してないです」
にこりと笑った美春は私に抱きついた。胸にうずめていた顔を上げ言い放つ。
「悪いのは召還した人たち!あたし達は被害者だっ!えへへ…」
冷えていた指先に熱が戻るのを感じた。ミハルの背中に腕を回し、自分より低いその頭に鼻先をうずめる。
涙がパタパタと美春の肩に落ちて跡を残す。
「ありがとう」がなかなか言葉に出来ず、抱きしめる腕に力を入れた。美春は小さな笑い声を上げる。
「あたし、女神様が心さんで良かった。だって…」
…こんなにも優しい。
『美春は、幸せになるよ。絶対…』
「心さん?」
「…おまじない」
ふと目線をジャブに移した。黙っていたジャブは私と視線が会うと優しく笑う。
「…あーっと…。大変申し訳ねぇんだけど…。俺さ、さっきチビちゃんを探してる人たち見かけたんだよね」
その言葉に二人息を呑む。
「チビちゃんはココと居たい。けれどそれには“あいつ等”がいちゃいけない」
そうだろう?そう語りかけるジャブの視線に、美春は私から体を離し頷いた。
「確実に上手くいくとは限らない。でもまぁやってみるのに越したことはない」
「やります」
「…美春」
美春は私の袖をぎゅっと握る。
「正当な理由をもってそばに居れるなら、そばに居たい。少しでも」
美春の頭を撫でる。美春は少し恥ずかしそうに俯いた。
「よし、じゃあ作戦はこうだ。いいか――――」
その声は路地の中を低く這った。
空は既に星が瞬いている。
ありがとう、ありがとう
何度も心の中で呟いた
守るべき幼い少女は胸を張り
力強い瞳は未来を見据え
柔らかな唇は私の罪を許した
ありがとう、ありがとう
ああ、私が本当に女神なら
優しい貴女に幸せを
***
ジャブさん空気読んでた。
泣いてるココを見て、きっとハラハラしてたに違いない。