21 十年目
フレデリクが呪いの眠りについた十年後のその日―――牢屋番からもたらされた報に、俺はやっと決着がつくのかと感慨深くなった。
あの強姦事件以降は、特筆すべきトラブルもなく、フラグが立ってなくて良かったと、俺とディアと胸を撫で下ろしたのだった。
ただ、普段はそうでもないが、今年が十年目ということもあって、ディアが暦を見て物思いに耽っている場面が何度かあった。
単に公務の予定を思い出しているとかの類いではないと、本能的に悟る。
男だって勘くらい働くものだ。
それが愛する妻なら、なおのこと。
俺が報告を聞いたのは、ちょうど視察から帰ってきたばかりで、机の上の書類に緊急のものはなかった。
ディアも謁見や会議などの仕事は入っていないはず。
面倒事はさっさと終わらせるに限ると、俺はディアを伴ってフレデリクが囚われている牢屋まで足を運んだ。
女王自ら牢屋に赴くなど、本来ならあり得ないが、今回ばかりは仕方がない。
フレデリクを謁見の間までしょっぴいては、周囲に生存がバレてしまう。
フレデリクが入っている場所は、政治犯などを隔離しておく特殊な牢だ。
出入り出来る人間は魔法によって選別され、牢屋番の持つ鍵も、番人に指定された者にしか使えない仕組みだ。
「いいわ、開けてちょうだい」
「はっ!」
ディアは牢屋番に指示を出し、俺は一応彼女に釘を刺す。
「ディア、入っても構いませんが、あまり近づきすぎませんよう」
本当なら、奴と同じ空間にディアを入れたくはない。
だが扉越しではさすがに話しにくいし、ディアも納得しないだろう。
牢屋番は廊下で待機させ、俺達は初めて牢屋に足を踏み入れた。
やつれて頬も削げ、髪も艶はなくボサボサ。みすぼらしい囚人服姿のフレデリクは、かつての面影はあるものの、とても王子には見えない状態だ。
哀れな姿だが、俺としては本当に目が覚めたんだな、くらいの感想しか抱かなかった。
そんな元婚約者を一瞥し、ディアは悠然と微笑んだ。
「おはようございます。気分は如何かしら?」
「お前っ―――くっ、ごほっ……っは、ごほごほっ」
奴にしてみれば、知らない内に俺達は数年経った外見をしていることになるんだろう。
敵愾心と疑問に満ちた顔で睨んできたので、冷めた眼で見返してやった。
俺は、以前の侍従としての立場ではない。
十年も寝たきりで話すこともなかった喉では、上手く声を出せないようだが、知ったことか。
「あら、無様ですわね。でも干からびて死なれても困りますわ。フィル、水を飲ませておやりなさい」
「……承知しました」
喋れなくて丁度いいんじゃないかと放置していたら、ディアに命じられてしまった。
愛しい妻であり、敬愛する女王陛下のお言葉に逆らうつもりはないが、つい不承不承とわかる声音になってしまう。
仕方なしに、俺はベッドサイドにあった水差しから水をグラスに注ぎ、フレデリクに差し出した。
だが腕すら動かせず、僅かに首を持ち上げるのが精々な様子で、俺は面倒に思って舌打ちをした。
なんで今さらこいつの世話を焼かないとならないんだ。
ディアにさせるわけにはいかないからやるけど。
「……さて。ではお話をしてもよろしくて?わたくしも暇ではありませんので」
「な、にを偉そうに。ここはどこだ?リリエラは?よくもお前がのうのうと私の前に現れたものだな」
嗄れているが、声は出るようになったらしい。
しかし、最初に出た台詞がそれか。
やっぱり水を与えなくても良かったんじゃないか?
「ふふっ、偉そうではなく、わたくしは偉いんですのよ?なにせ今の王位はわたくしが継いだのですから」
「なっ!?」
望み通りのリアクションに、俺は少しだけ溜飲を下げる。
が、フレデリクは驚愕から疑惑に満ちた顔に変わり、ディアを睨み付けてきたので苛立ちが込み上げる。
昔から、いつもいつもディアを敵視し、何様なんだ。
かつて臣下であったことは事実だが、軽んじられる謂れはない。
……まあ、それを理解できる頭があるなら、こんな転落人生は送ってないんだろうが。
「馬鹿なことを言うな!そんな嘘を誰が信じるか!」
フレデリクがディアに食ってかかるが、ベッドに横たわった状態では迫力もなにもない。
掴みかかってくる心配もなさそうだ。
そう判断して、ディアの好きなようにしてもらうため、口は挟まず見守ることにした。
「こんな嘘をつくわけないでしょう?さすがに不敬ですもの。真実、わたくしが女王ですわ。貴方は真実という言葉がお好きでしょう?だから真実だけ教えて差し上げますわ」
ディアはそう言って、フレデリクが眠った後のことをいっそ楽しげに語り出した。
その様子を見て、俺は内心でほっとしていた。
今のこいつの哀れな姿にほだされ、もしかしたら許してしまうのではないかと危惧していたから。
どうやらそれは俺の杞憂だったようで、ディアはリリエラが呪いの解除に失敗したこと―――つまり、フレデリクを愛してはいなかったことや、当時の王太子を唆した罪で投獄されたことを語り、その表情も声も嬉々としている。
十年越しの復讐にしては可愛らしいものだ。
せっかく最高権力者になったんだから、もっと精神的にも肉体的にも痛めつける方法はいくらでもあるのに、と思う俺は性格が悪いんだろう。
温室育ちの王子様には、十分効いてはいるんだろうが。
「―――貴方が眠ってから、世間では十年も時が経っていますのよ。わたくしたちの姿を見て、多少は実感出来まして?」
フレデリクは呆然として「そんな……そんな馬鹿な………」と呟いていた。
「貴方が廃嫡になったことで、王弟だったわたくしの父が第一王位継承者になりましたの。貴方の父君である先王陛下は、五年前に退位致しました。ですが、お父様は王位を嫌がってわたくしに譲位したのですわ」
ディアは俺の腕に腕を絡めると、艶然と微笑んだ。
それだけで、ささくれていた俺の心が宥められる。
「そうしてわたくしはフィル―――フィリップと結婚しましたの。つまり、フィリップは王配ということですので、貴方も口の利き方にはお気を付けなさって?貴方はもはや、ただの平民の犯罪者ですから」
「は……?」
こいつにとっては、まさに寝耳に水な話を立て続けにされ、理解が追いつかないんだろう。
まあ元々頭の回転が早い方ではなかったしな。
それでも、自分の都合に良いことは覚えているらしい。
フレデリクは「男爵位をくれるという話はどうなったんだ!」と、さも当然の権利だとでも言うように主張してきた。
「当然でしょう?罪を犯した者に、貴族籍など授けませんわ」
「罪?私が一体なんの罪を犯したと言うんだ!ふざけるな!」
ディアに一刀両断されても、フレデリクはまだ己の業をわかってないらしい。
そもそも俺がディアの伴侶である時点で、彼女側の人間だと、なぜわからないのか。
自分の所業を知っている―――証言出来る人間を目の前にしても、相変わらず察する頭はないらしい。
何をしても王太子の自分なら許されると、高を括っていたこいつに、わざわざ自分から説明してやるつもりはないが。
「フィル、あれを出してちょうだい」
「はい、我が君」
視線が合わさり、自然と俺の口元が緩む。ディアの指示に、俺は懐から金属で出来た録音具を取り出した。
「これは貴方を呪った魔女の開発した魔法の品ですわ。とっても便利ですのよ?ほら、起動すると……」
「リックに唆されたんですぅ…私を王妃にしてくれるって……その為にアルマディア様が邪魔だから、苛められたって証言するようにって言われて……公爵家に逆らうつもりなんてなかったんですぅ。でも王太子に言われたら逆らえないでしょ?」
学院を卒業したとは思えない、まるで幼児のような喋り方は何回聞いてもイラッとするな。
フレデリクにとっては、久しぶりでもなんでもないリリエラの声だ。聞き間違えることはないだろう。
「凄いでしょう?会話を記録しておけるのですって。今のはリリエラが尋問を受けていた時の声ですわ」
魔女アーティカの発明品は、本当に便利で汎用性がすごいと思う。
これのおかげで物証になったしな。
「そうそう。貴方方が魔女へ依頼した時の会話も録ってありますのよ。ご自分への呪いを王妃様の形見の品を代金にして掛けさせておいて、わたくしが依頼したと証言させるおつもりだったのですってね?」
ディアに、物証とともに自身の罪を突きつけられて、ようやくフレデリクは悟ったらしい。
奴の顔から血の気が引くのを、冷めた目で眺めやる。
「ご自分の罪がわかって?世間では、貴方のような行いをマッチポンプと言うのですって。しかもわたくしに罪を着せようなどと……本当に浅ましいこと」
ディアは扇で口元を隠しながら、俺と同じように侮蔑を含んだ眼差しで、かつての王太子を見た。
そうすると淡い水色の瞳は、まるで薄氷のようだ。
フレデリクが馬鹿な言動を取る度に、そういえばこんな眼差しになっていたなと思い出す。
すると、フレデリクは癇癪を起こして子供のようにがなり始めた。
「うるさいうるさいうるさい!いつもそうやって私のことを否定して!少しばかり私より勉強が出来ただけのくせに!」
俺は呆れと怒りを、ため息とともに吐き出した。
ディアの百分の一の努力もせず、感謝もせず、ただふんぞり返っていただけの馬鹿のせいで、婚約者だったディアにのし掛かった教育は、膨大な量だった。
その苦労も汲むことなく、ただ罵倒を浴びせかけるだけの男に反吐が出る。
その根拠のない高い鼻をへし折りたくなるな。
「―――当時、父王陛下も議会も、お前に王位を継ぐ資格はなしと判断を下した。そして第三王位継承者であったディアを謀略により排そうとした咎で、お前に下った罰は呪いの放置だ」
これ以上、ディアをこいつと話させたくない。
俺は一歩前に出て、自分に意識を向けさせた。
こいつ相手に払う敬意は一欠片もない。
敬語も使う必要を感じなかったので、そのまま囚人相手として相対する。
「本来なら食事も与えることなく、一切の世話をせず、衰弱死させよとの父王陛下のご命令だった。それを止めたのはディアだ。お前の延命を望んだのは、ディアだけだった」
敢えて淡々と事実を述べた。
フレデリクは目を見開いて、衝撃を受けたような表情で固まった。
「だって魔女に確認したら、真実の愛がなくても、十年で呪いの効力が失われると言っていたのですもの。死ぬまで、と言われたら、さすがに諦めましたけれど…」
ディアが目を伏せ、静かに言った。
その隠された瞳に宿るのは、悲哀かそれとも―――
フレデリクは、まるで縋るようにディアを見つめてきたので、俺は内心舌打ちして奴の視界から彼女を背に隠す。
フレデリクの心情を誘導したのはわざとだが、今さらディアに縋ろうなんて虫がよすぎるんだよ。
俺は、さらに追い討ちをかけてやった。
「そうそう。お前の愛しのリリエラは、投獄された後、牢屋番をたらしこんで脱獄したぞ。すぐに捕らえられたがな。それで罪状が増えたせいで、北の地の刑務所に送られたわけだが」
そこで俺は一旦言葉を切って肩を竦めてみせた。
奴の反応を見ると、ただ呆然と聞いていることしか出来ないようで、言葉を挟んでくることもなかった。なので容赦なく続きを語る。
「そこでもまた牢屋番を抱き込んで逃げ出したそうだ。その時は吹雪で追っ手も難儀したようで……発見した時にはリリエラも牢屋番も凍死していたと報告された。ああ、それと残念ながら、彼女のお腹にいた子も助からなかったよ」
一回目の脱獄の時は、結局妊娠しておらず、フレデリクの子を宿したというのは、リリエラの狂言だった。後日、月のものが確認されたから間違いない。
そして二回目の脱獄時。
リリエラの妊娠は、胎児の状態から四ヶ月ほどだろうとの医師の見立てだった。
一回目の脱走から一年以上経ってのことだったので、リリエラの腹の子の父親は、たぶん二回目の牢屋番だったんたろう。
腹が目立ち、身動きが取れにくくなる前に事を企てたんだろうが、時期が悪かったな。
まあ、もしかしたら胎児が流れるのをわざと狙っての真冬の脱獄だったのかもしれないが。
王妃の地位に固執した女が、牢屋番の妻に収まり平凡な家庭で満足するとは思えない。
子供を慈しむタイプにも見えなかったしな。だからこそ、安定期前にそんな行動に出られたんだろう。
「私もすでに二児の父親だから、赤ん坊の事を聞いた時は、さすがに気の毒に思ったよ。胎内に守るべき愛しい存在がいるのに、よくもそんな無謀な行動がとれたものだ……ディアは元気な三人目を産んでくださいね」
ディアは今、コルセットは中に着けておらず、締め付けの少ないゆったりとしたドレスを着ている。
無意識のようにディアが自分の腹を撫で、それに気づいて俺は彼女の手に自分の手を添えてみせた。
もう少ししたら、この子はディアの腹を胎内から蹴るんだろう。
最初の子の時は、本当にディアの中に俺の子がいるのだと感動したっけ。
もちろん二人目だって感動したし、特に二回目は難産でとても気を揉んだ。
あと数ヶ月後には、また辛い陣痛がディアを襲う。
それを乗り越えて、赤子を世に産んでくれる母親は、なんて偉大なのか。
敬意と愛情が沸き上がってきて、俺は慈しむようにディアの腹を撫で、彼女のこめかみに口付けて抱き寄せる。
「ディア、ここは少し冷えます。それに、これ以上この男との会話も胎教に良くない。そろそろ部屋へ戻りましょう」
そう耳元で囁けば、ディアはくすぐったそうに目を細めた。
そして、俺のエスコートに抗うことはなく身をまかせてくれる。
「そうね、フィル。ではご機嫌よう、元婚約者様」
ディアは淑女の礼はせず、ひらりと扇を閃かせ、振り返ることなくあっさりと踵を返した。
俺は優越感に浸りながら、ベッドの上で起き上がることもままならない元王子様に一瞥をくれた。
思わず口角が上がってしまったが、物理的に痛め付けられなかっただけ御の字だと思え。
今さら惜しくなったところで、お前が手放した至宝は、もう二度とお前の元に戻ることはない。
残念だったな。
「くそ………くそおおぉっ……!」
廊下にフレデリクの叫びが響いたが、俺たちの歩みが止まることはなかった。
こうして呪いから目覚めたフレデリクへ、俺達は市井でいう『ざまぁ』をお見舞いしてやったわけだ。
さすがに男に逆レイプされた件に関しては俺もディアも触れなかった。
本人にその記憶はないし、それに関しては被害者な訳だから。
ちなみに、先王陛下にも伝えることはなかった。
終わった話、そう結論付けていたんだが。
それで終わらないのがフレデリクだった。




