第2章52話
バレンタインデー当日の日曜日、朝。
文弥は初音、紬、美月の三人を連れて、静寂に包まれた図書館へと足を向けていた。
図書館のロビーの一角で待っていると、千代、心愛、一馬の三人が合流する。
「おはよう。ふみっち、はいこれ」
千代が愛くるしい笑みを浮かべ、チョコを差し出してきた。
それを見た初音以外の女性陣が、追うように次々とチョコを文弥の手に重ねていく。
それを初音は微笑ましそうに見つめていた。
「みんな、ありがとう」
文弥は女性陣にお礼を言うと、無邪気な微笑みを浮かべた。
「じゃあ、勉強始めようか」
千代の声でみんなが移動しようとした時、一馬が大きな声を張り上げた。
「ちょっと待て! 俺、チョコ貰ってないんだけど!」
しかし、一馬の悲鳴のような抗議は完璧にスルーされ、女性陣はツカツカと歩いていってしまう。
慌てて一馬がその後を追いかける。
こうして今日の勉強会が幕を開けた。
文弥の隣では、いつものように──紬に対する初音の容赦のないスパルタ指導が始まろうとしていた。
「また間違えてるわよ。紬」
「……ひぃ、ごめんなさい」
紬は頭にハチマキを巻いて、必死に机に向かっていた。
文弥が『これを巻くと頭良くなるんだよ』と適当な事を言ったら、単純な紬は『本当だ頭良くなった気がする』とそれを完全に信じ込んでしまったのだ。
今では勉強の時に頭にハチマキを巻き、スイッチを入れるのが、彼女の定番ルーティンとなっていた。
「文弥! ここ教えてくれ!」
「いいよ。どこ?」
今日も懇願してくる一馬に対して、文弥は噛み砕くように優しく丁寧に肝心なポイントを教えていく。
そうして文弥たちが集中してペンを走らせているうちに、時計の針は正午を指す。
お昼休憩を挟むため、一行は近くのラーメン屋へと繰り出すことになった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ラーメン屋に入ると、文弥たちは二つの四人掛けテーブル席へと案内された。
文弥の隣をいつものように初音が陣取り、正面の席には紬と美月が並んで座る。
文弥はすぐさまコップにお冷を注ぎ、みんなの前に手際よく置いていった。
やがて、注文したラーメンセットがそれぞれの元に運ばれてくる。
「文弥くん。チャーシューあげるね。えへへ」
初音はチャーシューを箸で摘まむと、文弥のラーメンの器にひょいと入れた。
「ありがとう。初音。炒飯一口食べる?」
「うん、食べる!」
文弥がレンゲで炒飯を掬って口へと運んであげると、初音はハムッとハムスターのようにそれを頬張る。
「美味しい。うふふ」
文弥に向けられたのは、初音の満面の笑みだった。
人が賑わうお昼時のラーメン屋。
その一角で、完全に二人だけの世界を作り出していた。
「……ねえ、私たちのこと見えてる?」
紬がジト目で見つめ、呆れた声を出す。
「……本当に、ごちそうさまです」
美月の方も、完全に顔を引きつらせていた。
「本当、見てるだけで胃がもたれそうね」
隣のテーブル席に座る心愛が、冷ややかな視線を向けてくる。
「石焼ビビンバの石の器より熱々だよね」
同じく、隣のテーブル席の千代が呆れた顔をしている。
「まあまあ、彼氏がいないからってひがむなよ」
千代の向かいに座る一馬が冗談混じりで言った言葉に、女性陣が反応した。
「「はあっ!? 何か言った!!」」
女性陣の強烈な殺気のこもった視線が一馬を襲ってくる。
「……な、何でもないです……ごめんなさい」
一瞬で心をポッキリと折られたような顔をしている一馬だった。
「まあ、僕と初音は世界一仲がいいからね。ははっ」
頬を真っ赤にしながらうつむく初音の隣で、周りの視線など全く気にしていない文弥だった。
「美月ちゃん。顔の腫れだいぶ良くなったね」
初音が美月の顔を心配そうに覗き込んだ。
「はい、痛みも、もうあまりありません」
美月は初音を心配させないように、気丈に微笑んだ。
「痕にならなくて本当に良かったよね」
隣の紬がにっこりと微笑んだ。
「でも、紬さんのご家族には本当にお世話になってしまって」
「そんなの気にすることないよ。私と美月ちゃんの仲でしょ。それにお母さんも娘が増えたみたいで喜んでるし。ふふ」
美月の小さな肩に紬が手を置くと、そのままぐいっと自分の方に抱き寄せた。
「まるで姉妹みたいだね。うふふ」
仲睦まじい二人を見て、初音は穏やかな笑みを浮かべた。
「精神的な年齢は美月ちゃんの方が上だけどね」
心の声を全く隠そうとせず、文弥は直球で投げかけた。
「何か言った!? 文弥くん!」
「いや、紬は相変わらずよく食べるなと思って」
「……え、そうかな?」
「うん、餃子を頬張りながらラーメンを啜っている姿はまさしく無芸大食だね」
「え、そんな褒めないでよ。もう」
難しい四字熟語はすべて褒め言葉だと思っているのか、紬は顔を赤くして照れている。
「……紬、それ褒め言葉じゃないからね」
冷静にツッコミを入れる初音だった。
その後、午後から勉強会を再開したものの、文弥はアルバイトの時間になったため、途中で抜け、勤務先のスーパーへと向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
バイト帰りの文弥がアパートへ帰ると、エプロン姿の初音が弾けんばかりの笑顔で出迎えてくれた。
「おかえりなさい」
その姿を見ただけで、文弥のバイトの疲れは一瞬で吹き飛んでしまった。
「ただいま」
「夜ご飯できてるよ。ふふ」
初音は、美味しそうなおかずが並べられているテーブルに視線を向けた。
「ありがとう。最近、作らせてばかりでごめんね」
「文弥くんは、バイトで疲れてるんだからそんなこと気にしないでいいよ」
二人で晩御飯を食べ終えると、文弥は畳の上に初音と並んで座り、紅茶を飲みながら寛いでいた。
テーブルの上には、箱に入った初音特製の手作りチョコが並べられている。
先ほど母親から『祖父の家に泊まる』と電話があり、急遽、初音は文弥のアパートに泊まることになったのだ。
「明日の制服どうしようか?」
「朝、いつもより少し早く起きて取り行けばいいんじゃないかな」
「そうだね。あ、紬に明日は迎えに行けないってメッセージ送るの忘れてた」
初音がスマホを手に取って画面を素早くタップし終えると、文弥と肩がくっ付くくらいに寄り添った。
それから箱の中のチョコを指で摘まみ、彼の口元へとそっと差し出す。
「はい、チョコレート食べてみて。手作りなんだよ。えへへ」
初音が可愛らしく胸を張る。
文弥が一口食べると、その顔にふわりと優しい笑みが広がった。
「すごく美味しいよ」
「ビターチョコで作ってみたんだ。体にいいからね」
「初音も食べなよ」
今度は文弥がチョコを摘み、初音の口へと運んであげる。
「ん……ありがとうございます。ふふ」
そのまま食べさせっこが続き、文弥は初音の瞳を愛おしそうに見つめた。
我慢できなくなったように初音を優しく抱き寄せると、そのままそっと口づけを交わした。
口の中にビターチョコの芳ばしい香りが広がり、ふんわりと鼻腔を抜けていった。
チョコのビターな余韻よりも甘い空気の中、二人は何度も何度も唇を重ねるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
それから十日後──学年末テストの最終日。
全てのテストが終了すると、自分の席で一馬と紬は全力を出し切った顔をして、清々しい笑みを浮かべていた。
文弥たちと重ねた日々の勉強会の成果か、二人とも確かな手応えを掴んだようだ。
「紬! テストどうだった?」
初音がパタパタと歩み寄り、期待に満ちた目を向ける。
「今までで一番良かったかも!」
紬は勝ち誇ったような、それでいて隠しきれない満面の笑みで答えた。
「文弥! お前に教えてもらったおかげで、手応えバッチリだったよ」
「良かったね。僕も教えたかいがあったよ」
自信満々に嬉しそうに笑う一馬を見て、文弥も自然と笑みをこぼした。
その後、千代が『ファミレスでお疲れ様会やろうよ』と言い出したので、文弥たちはいつものメンバーと一緒にファミレスで食事をしながら楽しく過ごすのだった。
後日、テストが返却されたのだが、一馬と紬の点数は赤点をギリギリ回避できるくらいの点数だった。
あの自信満々な態度は何だったんだろうと首を傾げる文弥、二人が喜んでいたのでまあ良かったかと自分に言い聞かせるのだった。
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