第2章第51話
翌朝。
部屋に鳴り響いたインターホンの音に、初音が弾かれたように玄関へと早足で向かう。
「文弥くーん! 紬が来たよ!」
「わかった! 今行くから!」
慌ててシャツの襟を正し、文弥もそれに続くように玄関へと向かった。
外に出ると、初音と紬が談笑しているのが目に入る。
「おはよう。文弥くん」
文弥に気づいた紬が、にこっと微笑んだ。
「おはよう。紬。初音を守ってくれたんだってね。本当にありがとう」
文弥は神妙な面持ちになると、紬に向かって深々と頭を下げた。
「そ、そんな頭下げないでよ! 友達を助けるのは当たり前でしょ、あははっ」
紬は顔を真っ赤にして、照れくさそうに笑みを浮かべた。
「いや、紬には感謝しかないよ。初音がいなくなったら僕は……」
文弥は少し目を潤ませ、愛おしそうに初音を見つめる。
「そんなに愛されてるなんて、初音が羨ましいな」
紬がからかうように言うと、頬を桜色に染めて、初音はもじもじと身を縮める。
「ちょっと恥ずかしいけどね。えへへ」
「嬉しそうな顔しちゃって。あーあ、私も彼氏欲しいな」
紬は冗談めかしつつ、どこか期待を込めて目を爛々と輝かせた。
「紬は顔もスタイルも性格も、それなりだからすぐ彼氏できるよ」
全く悪気のない真っ直ぐな瞳で、文弥はとんでもない本音をぶつけてくる。
「……何か、あんまり褒められてる気がしないんだけど」
紬の引きつった笑顔が、その場の空気を和ませた。
「そろそろ行こうか。初音、紬」
「うん、紬って呼んでくれたの久しぶりだね。ふふ」
紬はとても嬉しそうに、パッと笑顔を咲かせた。
それから三人は、学校へ向かうべく駅へと歩みを進めた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その日の昼休み。
文弥はいつもの騒がしい面々と一緒に、中庭の芝生の上にレジャーシートを敷いて昼食を取っていた。
「一馬くん。そのお弁当は婚約者さんが作ってくれたの?」
紬が悪戯っぽい笑みをこぼしながら、一馬に視線を送った。
「……ああ、まあな」
対する一馬は、なぜか世界の終わりを迎えたような深刻な表情を浮かべている。
「しかし、すごい量だね。その重箱のお弁当……」
千代が五段重の中に、びっしりと敷き詰められたおかずを見て目を丸くしている。
「一人で食べられるのかしら?」
心愛が首を傾げ、至極まっとうな疑問を口にする。
「頼むみんな、良かったら食べてくれ! 量は異常だが味は絶品だから!」
一馬は必死の形相でみんなの取り皿におかずを分配し始めた。
少しでも総量を減らしたいらしい。
「本当だ、美味しい!」
一口食べた初音が、ぱっと顔を輝かせる。
「僕は初音の料理の方が好きだけどね」
文弥が初音をじっと見つめ、優しく微笑んだ。
「ありがとうございます。ふふ」
嬉しそうに微笑んだ初音は、自分の弁当箱から一口サイズのハンバーグを箸で摘むと、当然のような顔で文弥の口に運んだ。
「うん、美味しい」
ぱくりと受け止め、文弥は満足そうに目を細める。
「だから、ラブラブするなら私たちのいないところでやってよ」
千代が、隙あらばいちゃつき始める文弥と初音に鋭いツッコミを入れた。
「……ごめんなさい」
「ちよっち、初音をあまり責めないでよ」
赤面しながら謝る初音を、文弥がすかさずフォローした。
「いや、どっちかと言うとふみっちの方を責めてるんだけど?」
どこ吹く風な文弥の態度に、呆れる千代だった。
「もう、そのいちゃラブカップルには何言っても無駄だよ。ふふ」
紬が微笑ましく、文弥と初音を見つめていた。
「そうだね。にひひっ」
納得したように、千代も笑みをこぼした。
「そう言えば最近さ、志歩さんに学校での出来事が筒抜けになっている気がするんだよな」
「志歩さんって婚約者の?」
心愛が一馬に尋ねてきた。
「ああ、この前告白されたのも志歩さんにバレてたし、誰か俺の周りを調べているやつがいるのかな?」
「スパイがいるってこと?」
「へー、悪いやつもいるもんだね」
文弥はどこまでも真面目な顔をして、平然とシラを切る。
「でも、私は志歩さんに会ったことないし」
千代がぴしゃりと言い切った。
「私もないわ」
「私もない」
心愛に続き、紬も怪訝そうに後に続いた。
これで女性陣のアリバイは証明されたことになる。
「うちの学校で志歩さんに会ったことあるのは、文弥と浅井さんだけだもんな……浅井さんはそんなことしないだろうけど……」
一馬の疑惑の視線は、自然と目の前の男に向かうことになる。
「もしかして僕を疑っているのかい? 僕がそんなことするわけないよ! この目を見て! 嘘をついてるような目じゃないでしょ!」
文弥は顔を近づけると真っ直ぐに一馬の目を見つめ、平気な顔をして大嘘をついた。
「わかったから! 文弥のことは信じてるから!」
文弥の射貫くような瞳に、一馬は負けて顔を背ける。
「わかってくれて、嬉しいよ」
わざとらしく文弥は、満面の笑みを浮かべた。
「やっぱ気のせいなのかなぁ」
一ネタ情報料三千円で、何の罪悪感もなく友達を裏切る男を信用した一馬だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その日の放課後。
学年末テストが近いということで、文弥は勉強会をするため図書室へ向かった。
メンバーはいつもの初音、千代、心愛。
そこに今回は一馬と紬も加わり、なかなかの大所帯だ。
「わからないところがあったら言ってね。紬」
初音は聖母のような優しい笑みを浮かべ、紬に語りかけた。
「どうしよう? 初音……ぶっちゃけ、全部わからないんだけど」
遊んでいたツケが、一気に紬に回ってきた瞬間だった。
「えっと、これはアイーン・コマネチ・ペッコリ四十五度だっけ?」
紬が大真面目な顔してテキストを指差す。
『サイン・コサイン・タンジェントだ! お前は昔のお笑い芸人か!』心の中で激しくツッコミながら、文弥は深いため息をつき、手元のノートへとペンを滑らせた。
「紬、そこ全然違うわよ」
「え? そうなの?」
初音のもとで、紬はみっちりと勉強を教え込まれていた。
まさに初音のマンツーマン指導である。
隣にいる初音は真剣そのもので、紬は今にも泣き出しそうな顔で必死にペンを動かしている。
「はつっち、意外とスパルタだね。にひひっ」
冷や汗をかきながら机に向かう紬の姿を、千代は時折ペンを止めて楽しそうに見守っていた。
「本当ね。まあ、でも紬はあれくらい厳しくしないとまた赤点よ」
やれやれと肩をすくめながらも、心愛の瞳には優しい光が宿っている。
「文弥。ここわからんから教えてくれ!」
「どれどれ……あ、これはね。こうするんだよ」
何とか赤点を回避すべく必死な一馬に、苦笑しながらも文弥は助け船を出した。
その後、勉強に集中していた六人だったが、気づけばすっかり外は暗くなっている。
程よい疲労感に包まれる中、今日の勉強会はこれでお開きとなった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
夜の住宅街。
文弥は初音と紬を家まで送り届けるため、人気のない路地を三人で歩いていた。
時折吹く冷気から初音を冷えから守るため、文弥は彼女の肩をしっかりと抱き寄せていた。
「美月ちゃん、学校休んでいるんだ」
文弥の腕の中から顔を出し、初音は紬を覗き込んだ。
「うん、顔の腫れがまだ引かなくてね」
紬は少し心配そうな顔をする。
「そっかぁ、かなり腫れてたもんね」
「本人は学校へ行くって言ったんだけど、うちのお母さんが止めたの。何か私より美月ちゃんを可愛がってるんだよね」
「まあ、実際に美月ちゃんの方が可愛いからね」
文弥はぽろりと、余計な本音を漏らした。
「どういう意味よ! 文弥くん!」
紬がジト目で文弥を睨み付ける。
「美月ちゃんは可愛い系だけど、紬は綺麗でしょ」
何とかしないと面倒くさそうだと思った文弥は、すかさずフォローを入れる。
「え? 綺麗系? そうかな? ふふ」
紬が目を輝かせ、ぱぁっと笑顔になった。
「ほら、紬って去年、朝ドラでヒロインやってた女優さんに似てるよね」
文弥は場を和まそうと、適当なことを述べた。
「えー、そうかなぁ、初めて言われたよ」
頬を少し赤く染め、紬は満更でもなさそうに照れている。
「目と耳が二つあるところなんてそっくりだよ」
文弥は紬を真っ直ぐな瞳で見つめた。
「もう、そこまで言われると照れちゃうよ」
文弥は全く褒めてないが、紬は上機嫌になり、体をくねくねさせている。
「あと性別もそっくりだよね」
文弥は、言葉巧みに(※実際は適当に)紬を丸め込もうとする。
「もう、そんなに褒めないでよ」
紬はとても嬉しそうに微笑んだ。
「……褒められてないよ。紬」
低いトーンで、初音が冷静にツッコミを入れた。
「国籍なんかそっくりすぎてもう瓜二つじゃないか」
「ありがとう! 文弥くん! 私、すごい嬉しい」
胸の前で小さくガッツポーズを作り、紬はやる気に満ち溢れた顔をしている。
謎の声(……それだと当てはまる人が一億人以上いるよね)
読んでくださりありがとうございました




